元勇者の借金返済計画
昨日は夢のようなひと時だった。
普段だと、ご飯の時、ノリちゃんは自分でスプーンもフォークも使う。
人間と同じように直接自身の手で食器を器用に使うことは出来ないのだが、溢れる魔力を義肢として構成し、実に上手にご飯を食べるのだ。背伸びしたい年頃のノリちゃんは何でも自分でやりたがる。
だが熱い料理を食べる時は別だ。
特にノリちゃんの好物であるクリームシチューの時などは、翼をパタパタさせて俺のところまで飛んでくると、膝にちょこんと座り「あるじー、ふーふーしてー」と上目使いで俺を見る。
誰がそれを断れる?
いるわけない。そんなご褒美を断れる奴などこの世にいるわけがないのだ。
丁度昨日がその日だった。
いつもより時間をかけて煮込んだシチューは最高の出来で、俺がふーふーしてノリちゃんに食べさせてやると彼女はクリクリお眼目をキラキラさせ、体を左右にゆっさゆっさと振り、全力で喜びを表現をしていた。
その後、ノリちゃんと一緒に歌を歌いながらお風呂に入り、寝床でせがまれるまま絵本を読んであげると、疲れていたのか、ものの5分で可愛い寝息を立て始めた。
俺は天使の寝顔を見ながら、最高に幸せな気分のまま眠りについた。
今日、目覚めも最高で、今日も一日頑張るぞ! と、完璧なコンディションでギルドへ行くため、ノリちゃんを頭に乗せて玄関のドアを開けた。
「……おはようさん」
俺は無言でドアを閉めて首を傾げた。
―――んん?
おかしいな、幸せすぎて変なスイッチが入ってしまったのか? それとも俺は夢の続きを見ているのか?
今日も頑張ろうと気合を入れてギルドに行こうとドアを開けたら、北の山脈あたりに潜んでいそうな妖怪がいたんですけども
俺は、何かの間違いかもしれない、目に入った埃がソレっぽいアレの姿を俺に見せていたのかもしれないと思い、ゴシゴシと目を擦って再度ドアを開けた。
「…………おはようさん」
―――バタン
やっぱりいた。
俺は当たり前のようにカギを閉め、思案する。
なぜだろう。なぜ朝っぱらから大家が俺の家に来るのだ?
まさか卑しくもメシを貰いに来たのだろうか。
家賃値上げのせいでカツカツの生活を強いられている俺にメシまで強請りにきたのだろうか。だが朝飯は全部食べてもうないし、残念ながら土産にする予定だった盗賊ハムも手元には無い。
そんな俺の困惑を無視しドンドンとドアが叩かれる。
一応、なんとなく言ってみた。
「新聞ならお断りです」
―――ガチャッ
無言でカギを開け中に入ってくるババア
なんでこんな気分のいい朝にこんな嫌がらせを受けなければならないのだ。
俺は不機嫌丸出しで睨み付けると、同じくらい不機嫌丸出しでババアが言った。
「……値上げ分のお金を受け取りに来たよ」
まるで俺が家賃を滞納しているかのような言い草だ。
だがあながちこちらに非が無いとは言い切れない。
値上げ分の支払期日が今日だからだ。
でも俺はそれを覚えているし、金も用意してある。今日、ギルドに行って手頃な仕事を受け、準備に帰って来たところで一階に住むババアに渡そうと思っていたのだ。
俺が出る時間だとババアが寝ているかもしれないだろ? 人生残り少ない睡眠時間を削るのは忍びないという優しい配慮だ。
俺は渡すつもりでバッグに入れていた巾着(家賃が入っている)を取り出すと、ドヤ顔でババアに突き付けた。
ババアはそれを無言で受け取り、中身を確かめこう言った。
「……足りないねえ」
「………………???」
「足りないって言ったんだよ」
―――ハアアアァァァァ!!!??
何言ってんだこの強欲ババアは! この前、違約金は勘弁してやるって言ってたじゃねえか!
そう、この前ババアは、「ノリちゃんは断じてペットではない」と主張する俺に譲歩して、ノリちゃんを同居人として扱うことを認めたのだ。
だがそこで取り出されたのが俺のサインと拇印が押してある一枚の契約書。ババアが指し示すのはとある条文。
第12条(後発同居人について)
1 乙(俺)に後発同居人がいる場合は、その都度、事前に家主の許可をとらなければならない。
2 前項に反した場合、乙は甲に対し違約金として賃料6か月分の金銭を支払う。
3 前2項により同居人が出来た場合、同居開始時より賃料を5割増しとする。
1か月の家賃 5万ギル
6か月分違約金 30万ギル
財布の中身は プライスレス
色々と混乱した俺は、とりあえずババアを切り殺すことに決め、聖剣を手にしたのだが「違約金は勘弁してやるから値上げ分を払いな!」との一括に押され、合意に至った。
だから今月値上げ分の2万5千ギルを払ったのだが……
「ちょ、ちょっと待って下さい。おそらく俺の聞き間違えだと思うんですが今「足りない」って言葉が聞こえたんです。ははっ、笑ってしまうでしょう、最近働きすぎできっと疲れているんです、そうでしょう?」
俺は左手で額をおさえ、右手でババアを遮りながら言った。
それに対するババアの返答はこうだ。
「……いいや、あたしゃ足りないって言ったよ」
激高しかけた俺だが、とある可能性に思い至った。
そうしたら俺はだんだん可哀想になってきて、ババアに憐れみと慈しみの眼差しを向け、優しい気持ちで慰めてやった。
「ババア……、それだけ年をとったらそりゃボケの一つも始まるよな可哀想に…… でも気にすんなよ、そんだけ無駄に長生きすりゃ誰だってボケの一つや二つカマしちまうんだ……」
好奇心旺盛な我が姫がすかさず口を開く。
「あるじー ボケってなーにー?」
「ああ、ノリちゃん、このババアを見てごらん。人間はね、老い先短くなると耄碌して色々と大事な事を忘れていってしまうんだ。悲しい生き物だよね人間って」
俺がそう言ってそっと目頭をおさえると、くりくりお眼目をウルウルさせて今にも泣きそうなノリちゃんが俺に言ってきた。
「あるじもなー ノリのこと忘れちゃうのー……?」
「~~っ!!」
気付くと俺はノリちゃんを抱き締めていた。
そして頬ずりしながら彼女の耳元で断言したのだ。
「忘れないっ! 俺は忘れないよノリちゃん! 何があっても、どんなことがあっても君のことを忘れるもんか!」
むいーむいーとくすぐったそうに身をよじるノリちゃん。
君の幸せのためだったら俺は何でもするよ。そうだ、今日はノリちゃんが好きなアスパラとキノコの炒め物にしよう。そうと決まったなら稼ぎに行かなくては!
そうしてギルドに行こうと振り返ると、何やらワナワナと体と震わせるババアがいた。
「あ、忘れてた」
「ダァラッシャァァァァッッッ!!!」
とんでもない殺気に思わず仰け反ると、顔の上を通り抜ける一陣の風。
俺の、世界最強のこの俺の、背筋が凍り体中から冷や汗が噴出した。
フライング・ニー
ババアは風となって俺の顎を撃ち抜こうとしたのだ。避けれたのは単なる運だ。
「化け物め……!」
俺は歯ぎしりしながら吐き捨てる。本能が告げていた。「勝てない」と。
俺はノリちゃんだけでもなんとか逃がすため、隙を伺っていると、おもむろにババアが右手を差し出した。
そして口角を凶悪に釣り上げると言った。
「……同居人値上げ2年と1か月分、払いなァ」
―――――――――え?
「『同居開始時より賃料を5割増しとする』書いてある通りさね。1か月分貰ったから残り60万ギルだよ」
3年前、歴史上最強の勇者として魔王を倒し、望むままの地位と名誉と褒賞を手にした俺は
今日この日、60万ギル(年利15%)の借用書にサインをした。
◇ ◇ ◇ ◇
「あるじー かなしいことあったのー?」
俺の頭の上から顔を覗き込んでくるノリちゃん。
「な、無いよ! 主は元気いっぱいさー!」
しゅーんと翼をたたんでしまうノリちゃん。
俺は何をやっているんだろうと思う。守るべきノリちゃんに心配かけてどうするのだ。
ノリちゃんは感受性が強い。俺がいつまでもこんなんだと彼女はきっと自分を責めるようになってしまう。それだけは避けねばならない。
だから俺は断言した。
「ノリちゃん、心配することなんてないんだ。俺はノリちゃんがいるだけで幸せだよ!」
キャッキャッと頭の上で体をゆっさゆっさ振って嬉しそうにするノリちゃん。
がんばろう。
日本ではグレーゾーン(今は違法w)に突入する金利だとしてもたかだか60万。月に1・2回討伐任務を入れるだけで1年間で余裕で返せるし、その方が社会復帰中の聖剣のプログラムにもなる。
そう考えると悩んでいるのが馬鹿らしくなってきて、足取り軽くギルドへ向かう。
活気に溢れる屋台通りを抜け、商店が軒を連ねる大通りを歩き、その中でも一際大きい建物のドアを開ける。
剣と天秤の旗を掲げる組織。冒険者ギルドだ。
普段、朝のギルドは閑散としているものだが、中に入るといつもより人が多くザワついていた。不穏な空気ではない。何やら大捕り物があった時の雰囲気だ。
入って正面に受付のカウンターがあり、右手に広がるフロアは朝昼営業の酒場となっている。店が開いていない時間に依頼完了報告をした冒険者がそのまま杯を合わせるのだ。
そちらはなにやら大盛り上がりで酒盛りの真っ最中だった。
俺は受付に足を運ぶと、少しウェーブのかかった金髪を強気に吊り上った目に軽くかける美人さん、ギルドで一番人気の受付嬢、マイラさん(彼氏募集中)に声をかける。
「なんかあったの? 大盛り上がりじゃないですか」
「それがね、聞いてくださいよイサオさん!」
身を乗り出した拍子に、カウンターに乗せられるたわわな胸が男どもの視線を釘付けにした。
嬉しそうに目じりを下げる彼女は、普段の冷然とした態度とのギャップもあって非常に可愛らしい。なぜか俺には結構気安く話しかけてくれるのだが、あんまり目立ちたくない俺としては有難迷惑だ。
「何? どうしたの?」
「それがね、ブランデール街道あたりを荒らしまわっていたバルガス盗賊団の一味が、ドラン平原で4人も捕まったんですよ! しかもその中の1人は幹部だったって!」
「へ、へぇ~~」
少しだけ、ほんの少しだけ身に覚えがある気がする。
ノリちゃんが何か言いたそうに「あるじ―あるじー」と言っているが、今はちょっと可哀想だけど答えるわけにはいかない。
「捕まった時にね、よっぽどショックだったらしくて、『良かった、ハムになってない』とか訳の分からない事言ってたらしいですよ!」
確定。加工しそびれた盗賊たちでした。
すんげー弱かったけど、そんなに有名なヤツラだったのか。
俺が首を捻っているとマイラさんは大きい目を、輝かせながら、興奮冷めやらぬといった感じで話し出す。
「ちなみに捕まった幹部は舐刃のワイトっていって、襲いかかる前には必ず刃物を舐めて相手を威圧するんですって!」
あいつですねわかります。
アレだ、勝手に負傷してたヤツだ。
どう見たって世紀末漫画の汚物を消毒してらっしゃる方にしかみえなかったんだけど。幹部だったのね……。
「え、と……。そんなに有名な盗賊さんたちだったんですか……?」
「有名ですよ! なんせ幹部は全員、元Bランク以上の冒険者! 武力に任せて壊滅させられた村もあるくらいなんですよ!」
そんなにスケールのデカい盗賊団なのかよ……
きっと通りかかかった俺を小遣い稼ぎ程度のつもりで襲ったんだろう。なんだか可哀想になってきたぞ。
と、そこまで考えた俺に聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
「賞金もかかってて、100万ギルですって! それに個人的なクエストも入ってて報酬合わせて200万ギル! すごいですよねえ~」
――――え?
「それで捕まえてきたのがあっちで飲んでいるパーティーランクBの『ブラックウインド』の皆さんですよ。今日の支払いは彼らが持つそうで、見ての通り大騒ぎです」
ギギギギと油の切れた機械みたいに酒場を見ると、なるほど中央のテーブルで息巻いてる男4名。
彼らがブラックウインドの皆さんなのだろう。顔を赤くして何やら語っている。
「……と、そこで切りかかってきた舐刃のワイトの剣を跳ね上げ俺は言ってやった『ハエが止まってるぜ?』ってな! そしてイアビルアイみたいに目を剥きだした奴の懐に潜り込んでアゴを跳ねあげてやったんだ!」
おおー とどよめく冒険者たち。
いかに激しい戦いだったかを事細かに語っていた。そして「全員無傷で捕まえれるのは俺たちぐらいだぜ!」と鼻息荒く締めくくった。
―――マジかよ……
あまりに弱かったもんで、賞金がかかってるような大物だとは思わなかった。
だがこれは凹む……。もしあの時きちんと加工して持ち帰れば俺は今頃借金なんて無かったし、ババアのフライングニーで殺されかけることもなかったのだ。
思わず脱力し深く深くため息をつく。
「イサオさんどうしたんですか?」
「い、いや…… なんでもないよ……」
ハイエナされたのはイラつくし、それを自分の手柄のように語られるのもムカつく。だが彼らを責める理由にはなりはしないし、文句を言う筋合いなど無い。
例えばもし今ここで、俺がいちゃもんをつけ、俺が気絶させた盗賊だと証明したところで、返ってくる反応は『だから何?』だ」
どんな稀代の英雄でも、街から出た道端で死んでしまえば鎧は剥ぎ取られ剣は持ち去られる。死力を尽くしS級魔獣と相打ちで倒れれば、後から来て死骸を拾って帰った者が英雄だ。
ここはそんな世界だし、それを間違っていると叫ぶほど俺は綺麗な人間ではない。
だからこれは、俺がミスった結果、なるようになったというだけのことなのだ。
俺は凹みつつも頭を切り替えマイラさんに向き直る。
「お金が入用なんだけど、なんか割のいい依頼ないかな? 討伐系でもいいんだけど」
「ええっ! イサオさんが討伐系!!???」
「ちょ、声大きいって!」
やたら驚かれてしまった。
俺は冒険者の義務である『緊急招集』以外で討伐系を受けたことが無いから、まあしょうがないと言ったらしょうがない。
必要なことだとはわかっているが、現代日本で育ったヘタレとしては、出来るだけ生き物をこの手で殺めたくないのだ。それに討伐系以外にも依頼は結構あるし、贅沢をしなければなんとか暮らしていける。
だがそのおかげで俺は全然気にしてないのだが、結構バカにされてるし、変なあだ名もつけられてしまった。
「おい、ニョール! お前が討伐? こりゃ傑作だ! そう思うだろみんな!?」
先ほど武勇伝(笑)を語っていたブラックウインドの男が小馬鹿にするように言った。
違ぇねえ! と大盛り上がりの酒場の皆様。皆ゲラゲラ笑いながら侮蔑の視線を俺に向けてくる。
「いやいや、ブレットさん、あいつ女みたいな顔してるんでニョールじゃなくてニョーラですぜ!」
違ぇねえ! とさらに大盛り上がりの皆様。
ニョール
仔牛くらいの大きさの魔獣だ。大人しく臆病で、同族以外の全てから逃げ回り、そして逃げ切る足を持っている。全く危険の無い魔獣にも関わらず討伐ランクAというのは、その肉が高価で取引されるのと、その尋常じゃない逃げ足の速さゆえだ。そしてメスはオスよりさらに小さく臆病なため、ニョーラと呼ばれ討伐ランクはS。
俺はこのギルドではそんな臆病な魔獣にかけて「ニョーラ」と呼ばれている。当人としては全然気にしていないのだが……
「ブレットさん。ギルドは討伐以外にも広く依頼をお受けしています。討伐以外の依頼も立派な依頼で、イサオさんはそれらを完璧にこなしています。失礼な言動は慎んでください」
なぜだか一番人気のマイラさんが、いつも反論するのでややこしいことになってしまう。
「おいニョーラ! マイラちゃんの陰でションベンちびるしか能の無いお嬢ちゃんがイキがってんじゃねえ! 俺が今この場で討伐の厳しさってのを教えてやろうか? ええっ!?」
マイラに冷たくあしらわれたブレットが、ジョッキをテーブルに叩きつけて立ち上がる。
「前から気に食わねえんだよ、腰抜けの癖にマイラちゃんに色目使いやがってよぉ! 弱みでも握ってんだろ、ぶっ殺してやる!」
酒臭い息を吐きながら腰に下げた剣に手をかけつつこっちへと歩いてくるブレット。
周りの冒険者たちもニヤニヤ成り行きを眺めているだけで止めようともしない。
なんだよこの世紀末酒場
俺は、頭の上でフンガーフンガーと鼻息荒くしているノリちゃんを宥めてため息をつくと、ブレットはまたそれが気に食わなかったようで「ナメやがって!」と激高した。
ギルド内の刃衝沙汰はご法度だ。
俺が困ったようにマイラちゃんを見ると、明らかに頭に血が上っている様子で、ブレットを睨み付けながらスカートをまくりあげ太ももの横で縛っていた。
あれ? この子、もしかして戦闘に参加する気じゃね……?
そして頭の上では「ノリ、せいあつするー!」とノリちゃんが騒ぎはじめている。
俺が別の意味で慌て出すと、何を勘違いしたかブレットがニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
マイラさんが「やめなさい、さもないと―――」と氷の声で警告を発したその時だった。
「五月蠅いぞ貴様ら! 大の男が寄ってたかって情けないと思わないのかっ!!!!!」
一括。
凄まじい怒声が発せられた。
誰もがその気迫に一歩引いた。
発生源はカウンターに向かって左手の掲示板エリアだ。
どうやらその声の主らしい人がこちらにやってくる。
年のころは二十歳前くらい。極上の絹糸に墨を垂らし込んだような黒髪、小さく尖った鼻、ぽってりと厚い唇、鋭く吊り上った瞳は紅。100人が100人振り返る極上の造形。
魔王とタメ張れるくらいの美人さんだった。
突然の国宝級美人の乱入に騒然となるギルド内。男どもの品定めするような粘つく視線が彼女に注がれるが、それでも凛然と佇む彼女は、かの神話のヴァルキリーのようだった。
下品な野次と笑い声と口笛が飛び交う中、喧騒の合間を縫って誰かがポツリと呟く。
「あの女…… オルテナ・レーヴァンテインだぞ……」
一瞬で静まり返るギルド内。ブレットも顔を強張らせながら2,3歩後退る。
「オルテナっていやあ、【闇姫】じゃねえかっ!」
「単騎最強だが集団戦が苦手でSランク止まりというあの闇姫か……」
「あの黒い髪、紅い瞳、夜魔族の生き残りだ、間違いねえ……」
「Sランクがなんでこんなところに……」
それぞれが信じられないといったふうにかぶりを振る。
腕っぷしに自身のある荒くれ者共が怯むのは、AランクとSランクの間に決定的な壁があるからだ。ではその壁とは何か。
Aランクまではギルドの基準に沿って依頼をこなす限りでは、過酷ではあるが、ある意味誰でもなれる。
だがSランクから上は、巨大組織である冒険者ギルドが公的に勝手に与える『称号』なのだ。
だから、Sランクが冒険者であるとは限らない。どこかの国の騎士であったりどこかの国の農夫であったり、スコーンを焼くのが趣味という単なる主婦でもいいし悪辣非道な盗賊団の長であってもかまわない。
ただひたすら「強さ」だけを基準として、冒険者ギルドが与える力の証明。それが「S」というランクなのだ。
現在Sランクはこの大陸に十数人しかいない。その上に存在するのは、七星と呼ばれるSSランク7人と、到達者と呼ばれるSSSランク【聖女】【剣聖】【拳鬼】3人だけだ。
ちなみに、その上にはランク付け不能として、超越者【勇者】と【魔王】がいたりするのだがそれはまた別の話。
オルテナが先ほどとは違う視線を一身に受け止め、男どもを鼻を鳴らして一瞥すると、俺に向き直りながら
「貴様も言いたい放題言われて情けないとは思わな―――」
―――ピシッ
と固まった。
首を傾げる俺。俺の頭の上で、うりゅ?と首を傾げるノリちゃん。
呆然と俺の顔を見つめるオルテナの厚ぼったい唇から、呻くような声が漏れた。
「あ、あなたは……」
◇ ◇ ◇ ◇
呆然と俺の顔を見つめるオルテナの厚ぼったい唇から、呻くような声が漏れた。
「あ、あなたは……」
俺を見つめる真摯なまなざしを見た時、この3年間逃げの一手で生きてきた俺の、研ぎ澄まされた勘が告げる。
―――あ、やべえ
どうしようか焦る暇もなくオルテナが口を開いた。
「あなたは、ゆうし――――」
「違います」
…………
「ゆう――――」
「人違いです」
………………
ギリギリセーフ!!
誰だか知らんが超あぶねえぇぇぇぇ! 勘弁してくれよ!!
たまにいるのだ。
俺は腐っても元勇者。勇者として1年間は旅をして、結構派手に活躍してきた。
誰一人とも関わらずに旅をするなんてそもそも無理な話で、お世話になった人もいるし、助けた人も、助けてくれた人だって少なくない。
だからこうやって勇者をやめ、穏やかに暮らしていても、俺の顔を知っている人と会ったりすることはある。そもそも珍しい黒目黒髪で女顔ときたらそりゃ印象にだって残る。
しかしこう言ってはアレだけど、俺にとっては非常に迷惑な話なのだ。
現在進行形で俺は、俺を召喚した西の大国、レガリア王国に、非公式に朝敵として追われている。西南の半島にあるマイノリア聖王朝にいたっては公的に俺を神敵と認定している。
ここに元勇者がいるどー! と、ただの旅人や商人が言うならいい、「人違いでしたw」という笑い話で済む。だが、ギルドが公証するSランクが言ったとなればどうなる?
答えなんて決まってる。いちいち考えるのも面倒くさい。このゼプツェン皇国に右から左から、尋常ではない政治的圧力がかかる事になるだろう。
確かに《魔境》と接するこの国の騎士団は精強だ。西側諸国が安心して暮らせるのもこの国の騎士団や冒険者が《魔境》から溢れる魑魅魍魎を駆逐しているおかげとまで言われている。単なる武力衝突ならばおそらく両国と十分に戦えるだろう。
だが、だがそれは背後を魔境に晒し、逆に魔境に剣を向ければ背中を槍で狙われる状態になることを意味する。何より大陸随一の宗教である十字教主導の爆弾を内にも外にも抱えることになってしまう。
喉元に刃を突き付けられてもなお選べる選択肢などない。
俺は3年近くお世話になったこの良国に迷惑はかけたくなかった。
それに誰も俺を知らない国まで逃げ延びて、誰にも迷惑もかけず静かに暮らしているというのに、今さら元勇者だからといって、一体何なのだ。
俺はうんざりとした表情を隠さずにオルテナを睨み付ける。そこには……
涙目でプルプル震えるオルテナさん(【闇姫】Sランク)がいらっしゃいました。
無邪気なノリちゃんがいつも通りの速さを見せる。
「あるじー なかせたのー?」
「な、泣かせてないよ! 主、なにも悪い事してないよっ!」
そ、そうだ、やましいことなど何もしていない。
俺は君との生活のために隠すべきことは隠さなければならなくて結果的に女性が泣く的事象が発生したとしても直ちに影響は――
「前なーあるじなー おんなをなかせるやつわ、さいていだ!って言ってたー」
「ノリちゃん聞いてくれ、きっと彼女はドライアイ的なアレで――」
「あるじ、さいてい?」
ちゅどーん
俺は静かに天を仰ぎ瞑目すると、深く息を吐き出した。
壊そう。
何を? ノリちゃん以外の全てをだ。
俺は色々と無かったことにするため「灰は灰に塵は塵に」(アルテマ(禁呪指定))の詠唱に入ったのだが
「あんなー ノリなー あるじがさいていでもなー ノリは好きだからなー」
神は……いた……
魔法が火を噴き剣が血を撒き散らすこの世界に、
弱きものが奪われ犯され殺され、嘆きも叫びも祈りも届かぬこの荒れ果てた大地に
魑魅魍魎跋扈する怨念と絶望渦巻くこの血と鉄の冥道に
確かに神はいた。
どこに? 目の前にだっ!
俺はそっとノリちゃんを持ち上げると、そのまま抱きしめる。
「大好きだよノリちゃん……」
自然と口から漏れ出た言葉には嘘も打算もあるはずがない。彼女は荒れ果てたこの荒野に燦然と輝く俺の太陽だからだ。
だが気持ちだけでは人は生きられない。
守るべきものを守るためには力だけではどうにもならない。
糧が必要なのだ。
ならば今俺がやるべきことは何だ? ノリちゃんとの生活を守るために糧を得ることだ。
だから俺は糧を得るためにカウンターへと歩み寄る。
そしてカウンターの上に広げられているいくつかの依頼書の中から、一番報酬が高いものを手に取り宣言する。
「マイラさん、私はこの依頼をお受けします」
清らかな気分だった。とても満たされた気分だった。
「ぶ、武装オークの群、討伐の依頼ですね。団体クエストですが、その、あの、いいんですか?」
「はい、私と私のノリちゃんのために、彼らを殲滅いたします」
「で、では手続きはしておきますので……」
「よろしくお願いします」
そうと決まればグズグズしていられない。やることがあるのだ。
このまま乗り込んだとしても、オークごとき何万匹でも討伐できるが、今回は団体クエスト。他の冒険者の目もあるため、素手で殴り殺したり、魔法で更地にするわけにはいかない。
剣が必要だ。
ウチの聖剣は、外に持っていこうとすると、トラウマが刺激されるらしく
「ま、また我を質に入れる気じゃな! いやじゃ! 我は外に出るのイヤじゃーっ!」
とかアホなこと抜かして騒ぎ出すので、帰って彼女を説得しなければならないのだ。
こうしれはいられない。
俺は踵を返し、振り返ることなくギルドを飛び出す。
背後で「ま、待ってっ!」という声が聞こえたが、今の俺にはそんなのにかまっている時間はないのだ。
途中で油屋さんに飛び込み、持ち合わせで払える安い油を買うと、我が家に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇
私は憎んでいた。
もがき足掻き、どこまで逃げても追いかけてくる、この呪われた宿命を
私は呪っていた
少しの希望すら抱くことが許されない、この世界を
私は叫んでいた
私を殺してくれ! 世界が! 薄汚いこの私の存在を許していないんだ! だから私を殺してくれ!
そんな私に、少し悲しそうに微笑んで彼は言った
「世界が君の存在を許さないというのなら……」
――――きっと許されないのは世界のほうだ。
私は小さな小さな村で生まれた。
その集落で何十年ぶりに生まれた子供であった私は、集落みんなの子供として大事に育てられた。膨大な魔力を持っても、制御する才能が皆無だった私だが、そんなことは関係ないと全ての大人たちに可愛がられた。
毎日お腹いっぱい食べれるような暮らしではなかったが、毎日笑っていたように思う。
私の一族は古代種といわれる力ある種族の一つだが、人間がこの世の春を謳歌しているこの時代においては、一少数民族として土地を追われ、帰るべき故郷すらどこにあるのかわからない立場にあった。
今でこそ寄る辺なき我ら一族も、はるか遠い昔には多くの同胞と共に栄えた時代があったのだという。平和で穏やかで、子供達がいつも笑っている、そんな豊かで素晴らしい時代が我々にもあったのだというのだ。
それでも我々は人間に対し、心のどこかで恐怖していたとしても、敵意はもっていなかった。
多くの人間はひっそりと暮らす我々に同情的であったし、近くの村とは良好的な関係を築けていたからだ。
我々は普通の人には見えない魔力だけが人間のそれと比べ桁違いに多いものの、見た目も運動能力も人間と変わらなかったことが、朴訥な彼らには迫害や差別といった行為と結びつきにくかったのだろうと思う。
だが、戦いや商いを生業としている高位の人間は知っていた。
我々の紅い眼が強力な魔具の素材となることを。
我々の肝が極めて貴重な永続的魔力増幅薬の材料となることを。
それは突然だった
ある日突然、何百もの兵士達が現れ、先頭に立つ、燃えるような赤い髪の隻眼の男が、言った。
――――燃やせ
一斉に放たれる火矢、あっという間に燃え上がる家々
私は一体何が起きたのかわからなかった。
逃げろ***! 父は言った。
逃がせ! 我々の子である***だけはなんとしても逃がせ! 長老様が言った。
男衆は応戦しろ! 時間を稼げ! 女衆は***を連れて森へ逃げろ! 誰かが言った。
なに?
なにを言っているの?
ここは私たちの村だよ? なんで逃げなきゃいけないの?
いやだ、いやだよ!!
事態を飲み込めず泣き叫ぶ私を抱きかかえる母。
母を囲むようにして一緒に走り出すおばさんたち。
おとうさん、お父さんは!? おとうさんはどこ!?
私は抱きかかえられたまま後ろを振り返った
お父さ―――っ!
槍が、生えていた。
お父さんは体から槍を生やしたまま、そのまま……
お母さん! お父さんが! おどうざんがぁぁあ~~っ!!
燃える村、倒れてゆく男衆、倒れた男衆に群がる兵士達。
誰かが叫ぶ。
腹は突くな! 首を刎ねろ! 目と肝を疵付けるなよ!
飛び交う怒号。また誰かが叫ぶ
女は殺すな! 犯せ! 眼だけを抉るんだ! そいつらは金を産む!
森の中、逃げる女衆が一人、また一人と逸れていく。時折後ろから絹を裂くような悲鳴が上がった。
いつの間にか周りには誰もいなくなっていた。
お母さんは大きな木の根元に出来た洞に私を押し込むと言った。
いい? ***、ここから出てはダメ。何があってもよ!
返事もできず愕然と自分を見上げる娘を見て、母は何を思ったのだろう。
私には未だにその答えはわからない
なぜお母さんが、あの状況あの場面で、優しく微笑んだのか。
私にはわからなかった。
来た道を駆け戻る母、しばらくして聞こえた大爆音。唐突に訪れた静寂。
それからしばらくのことを
私は覚えていない。
とある集落、とある家のベッドで、目を覚ました私に気付いた少女が言った。
大丈夫? 痛いところは無い?
森で倒れていたところをお父さんが見つけて運んできたんだよ。あなた名前は?
「私は、私の名前は……」
涙が溢れた。
助かったことに安堵したわけではない。
何もできなかった自分が情けなかったわけでもない。
止まらない涙がシーツに染みこむ旅湧き上がる激情
それは、私が生まれて初めて体感する感情
「憎悪」だった。
号泣する私を、
少女はそっと抱きしめた
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
7年の時が流れた。
私は私を拾った狩人の家に、家族として迎え入れられた。
目を覚ました時に傍にいた少女を「お姉ちゃん」と呼ぶ、そんな幸せな境遇で暮らしていた。
ゆっくりと流れる時は、少しずつ、本当に少しずつ私の心の傷を癒した。
あの時抱いた「憎悪」が再び芽吹くことも無く、そんな過去は無かったかのような穏やかな時間が続いた。
私は、忘れるのだろうと思った。こんな春の日差しのような暖かく幸せな日々が、ずっと続くのだろうと思った。
だが、そんな私を嘲笑うかのように、
その日はまた突然やってきた。
――この村に黒髪紅目の娘がいるはずだ。出せ。
男は言った。
――***! 隠れなさい!
お姉ちゃんが言った。
忘れたと思っていた記憶
いくら癒えたと思っていても、毟れど取り得ぬ雑草の根のように心に残っていた激情
あの日の光景が頭を駆け巡った
いやだ! 私はもう繰り返さない!
私は男たちの前に飛び出して叫んだ。
私はここにいる! 私を連れて行け! 他の人には手を出すな!
男は私の髪を掴み、ニヤリと嗤うと、言った。
―――他の奴に用は無い
全身の毛が逆立つ
立ってられないほどの眩暈に襲われフラつきながら呆然と男たちに視線をやる。
彼らは嗤っていた。
やめ……て……
男たちが奇声をあげながら村へと流れ込む。
次々と切り殺される村人。引きずり出される女たち。女に群がる男たち。
やめて……っ!
悲鳴が聞こえた、この声は……
私は声の聞こえたほうに目をやった。そこでは……
お姉ちゃんが犯されていた。
やめ―――
「あ゛あああぁぁぁあ゛あああああぁぁぁ~~~っ!
私は絶叫した。
◇◇◇◇◇◇◇
業火に包まれる村
そこら中で折り重なっている屍。
村を攻めてきた男たちすらも、今はもう誰も動かない。
女みたいな顔をした黒髪の男が私に手を差し伸べる
黒髪の男は泣いていた。
そして情けないほど震わせた声で私に言った。
――――誰も助けられなかった…… ごめん、本当にごめん……っ!
頭が沸騰した。
なぜだかはわからない。気付いた時には、近くに落ちていた剣を拾い、黒髪の男に切りかかっていた。
私は叫んだ。
―――何故だ!
なんで今なんだ! なんでもっと早く来てくれなかったんだ!
なんで……
―――なんで7年前のあの日、助けに来てくれなかった!
私の口から自然と漏れ出る怨嗟の言葉
「私を殺してくれ! 世界が! 薄汚いこの私の存在を許していないんだ! だから私を殺してくれ!」
黒髪の男の左腕に突き刺さる剣
彼は自身の腕から馬鹿みたいに流れる血など気にもせずに、
私を抱きしめて言った。
「世界が君の存在を許さないというのなら、きっと許されないのは世界のほうだ」
世界には私たち二人だけだった。
私たちは、声を上げて二人泣いた。
泣き疲れて意識を失い、目が覚めた時
私は自身の名を忘れてしまっていた。
その後、私は彼と1か月の間、一緒に旅をする。
旅の間、触れて傷口が開くことを恐れるように私たちは一言も口をきかなかった。
淡々と必要な事だけをこなし、旅を続け、旅の終着点である魔族の国に入る。
色々悶着はあったものの、私は魔王ドロテア・レーヴァンテインに預けられ、名を戴く。
そして2年半後再び旅に出た。
好きなものも嫌いなものも、名前すらも知らない、黒目黒髪の勇者に再び会うために。
「あ、あなたは、ゆう―――」
「違います」
「ゆう―――」
「人違いです」
踵を返して足早に去っていく彼
「ま、待って!」
彼は行ってしまった。
私の事を覚えていないのか。それとも本当に他人のそら似なのか。
しかし私は思う。だから何だ? と。
私は決めたのだ。彼と会うと。
あの時切りかかってしまった彼に謝るんだと、お礼を言うんだと。そして……
あの日あの時、なぜお母さんは私に笑いかけたのか、聞くのだと。
私は決めたのだ。
私はカウンターに歩み寄ると、無駄に乳がデカい女に宣言する。
「私もその依頼を受けよう」
「ね、念のためお名前を確認しても?」
「私はオルテナ・レーヴァンテイン。夜魔族の生き残り、魔王の娘だ」
◇ ◇ ◇ ◇
「もしもし、聖剣さん……?」
『…………』
俺は今、聖剣と向き合い、ガン無視されていた。
あの後、家に帰ってすぐベッドの下、ゴソゴソと滾り本をかき分け鞘ごと聖剣を取り出し、ちゃぶ台の上に置いた。
そしてすぐさま後悔する。
これはいけない
聖剣さんが聖剣にあるまじき黒いオーラを放っていた。
今朝、掃除の時、邪魔だったのでベッドの下に一時置きしてそのまま忘れてしまったことが良くなかったらしい。
年季の入った男の子専用書籍と一緒に放置された彼女の臨界点は、もうすでに限界にきているようだった。
「ね、ねえ、聖剣さん。もしかして怒ってる……?」
『……』
「もしもし、聖剣さん……?」
『…………』
無視
さすがに俺も後ろめたかったりしたので、とりあえずノリちゃんをベッドに下ろすと、収納魔具から先ほど買った安油と布を取り出して、おもむろに刀身の手入れを始めた。
『――っ!』
おっと、いきなり反応ですね。相変わらず単純な聖剣だ。
「聖剣さん実は仕―――」
『……アリア』
「聖剣アリアさん、実は仕―――」
『……偉大なる』
うっざ
「偉大なる聖剣アリアさん、実は仕事が入りまして……」
『我の力が必要か』
「出来ればお力添えいただけないかと……」
聖剣がプルプルと震えている。これは良くない兆候だ。これは人で言うと怒りを堪えて涙目で震えている状態だ。
最近、雑な扱いを続けたせいで、随分ストレスを溜め込んでいるらしかった。
『いつもそうじゃ! 汝はいつもそうじゃ!』
聖剣さんのお怒りはまだ続く。
『いつも汝は必要な時だけ我にお願いしてっ! 用が済めばポイッ じゃ! 都合のいい剣扱いされるのはもうイヤなのじゃっっっ!』
完全に昼ドラのノリだった。
俺はそんな空気の中でこんなこと言うのもどうかと思ったが、とりあえず言ってみる。
「君の力が必要なんだ」
―――ビクゥッ!
HIT!
「君にしか出来ない事なんだ」
―――ビクビクゥッ!!!
俺は、拗ねて背を向けながら、チラッチラッとこっちを伺う少女を幻視した。
なんて馬鹿な女なんだ。
泥沼の愛憎劇に必ず出てきて問題を起こすタイプのアリアさんに、俺は憐憫の情を禁じ得ない。
だが討伐に行かなければならない俺はここで決める必要がある。
だから俺はダメ押しとばかりに、憂いを込めて囁いた。
「俺には君が必要だ」
――――ビックゥッッッ!!!!
今日一番の手ごたえを感じた俺は、"落ちた" と笑った。
だが、日頃から溜まっている鬱憤がよほど酷いのか、彼女がなんとか持ち直して、まさかの反論をしかけてくる。
『でも……でもっ! 汝は前もそう言った! 前の前も言ったし前の前の前も言った!! 我はもう騙されんぞ!!』
「前の前って言われても……」
『前の前は、緑地公園の植え込みの剪定じゃった……。その前……その前は……っ! "限界に挑戦! 第12回愛剣遠投げ大会" じゃった……っ!』
正直ぐうの音も出なかった。
今だから言えるが、冷静に考えると、俺結構鬼畜じゃね? と思った。
『汝にわかるか! 主を守り敵を切り裂くために生まれた我が! それに何よりの喜びと誇りを持ち悠久の時を重ねてきたその我がっ! 黙々と植え込みを刈ったり、ぐるぐる回されて遠くにブン投げられる屈辱が汝にわかるか! それに、それに……っ! 前回は、質にいれられた……』
あまりの仕打ちを思い出したのか小刻みに震えるアリア。
『こんなに酷いことをする主は初めてじゃ! いつもいつもノリばっかり可愛がって! 我ももっと大事にして欲しいんじゃ!!』
人の身では想像もできないほど永きに渡り人と共に歩んできた彼女。知識も経験も俺などよりはずっと上だ。その間彼女は血と泥に塗れ続け、使命と意義を全うし続けた。
一方的に託された剣であることの使命。
聖剣アリアが積み重ね続けた巨大な実績。
それらに比して、"主を守り敵を撃つ" という彼女の意思と誇りはあまりにも純粋でシンプルだった。
その純粋な想いを煌めく刀身に宿し、使命を果たし続けた彼女は、存在自体がまさに文字通り"折れない意思" だ。
きっと彼女は俺が思うよりよっぽど強く気高い存在なのだ。
だが今、俺には目の前の聖剣が、泣きじゃくるただの一人の少女にしか見えなかった。
そして泣かせてしまったのは俺だ。
怒涛のごとく押し寄せる罪悪感と向き合うより先に、見せるべき誠意があるのではないかと俺は思う。
「ごめんアリア…… 俺は最低だったよ。俺はどうしたらいい……?」
ぴたっとアリアの震えが止まる。
『いうこときいてくれるの……?』
「ああ」
おずおずと聞いてくる彼女が急に愛おしく感じる。
『……毎日手入れをして』
「はい……」
『毎日お話して』
「うん……」
『打ち粉でポンポンってして』
「わかったよ……」
『添い寝して』
「それは神がノリちゃんだけに与えた特権―――」
『……殺すぞ』
「冗談です」
『♪♪♪』
ゆっさゆっさと揺れるアリア。
良かった。少しは償いになっただろうか。
それが唐突に止まったと思うと、彼女は思い出したかのように言った。
『あと、たまには討伐も入れて欲しいのじゃ……』
「今回は討伐だよ?」
『え、マジで?』
「マジで」
『…………』
「え、なんかまずい事言―――」
『やた~~~~~~~~~っっ!!!!』
ばったんばったん暴れまわるアリアさん。超危ないんですけど。
そんな俺に構わずはしゃぎまわるアリア。
『とうばつ! とうばつじゃ~♪ 』
喜びを爆発させるアリアを見て、俺はかねてから思っていた疑問をぶつけることにした。
「あのさ、なんでそんなに討伐好きなの?」
アリアは、よくぞ聞いてくれました!という口調で話し出す。
『だってホラ! 我は剣じゃろ? もちろん剣である前に女じゃし? 必要とされたいっていうか? 戦闘中に、ああ必要とされとる、我、必要とされてる! っていうのを実感するというか何と言うか尽くしたい系っていうか? な、な、わかるじゃろ!?』
わかんねぇよ
色々と台無しだった。ていうか誇りはどこ行った
興奮し始めたアリアさんは止まらない。次第に刀身を妖しく輝かせ恍惚とした口調で語り出す
『それに、敵を切った時の血しぶき! 塗りたくられる脂! 浴びる血潮! そしてさらに相手の肉に突き立てられる我! ああ! もうっ! もう、我はそれだけでっ! あ、あ、あぁっ……』
マジキチだった。
ドン引きする俺をよそに、わけのわからん妄言を喚き散らすアリア様
ガリガリと精神を削られた俺は癒しを求めてベッドの上のノリちゃんに視線を移す。ノリちゃんは、くーくーと可愛い寝息を立ててお昼寝していた。ノリかわいいよノリ。
俺は、未だノリノリのアリアさんを無視してノリちゃんとお昼寝しようとベッドにもぐりこんだ。
『添い寝! 我も汝の横で寝る!』
目ざとく気付いたアリアが叫ぶ。
剣が寝るとか何言ってんの? とか、頭おかしい子を隣に寝たくねえよとか色々思ったが、約束は約束なので鞘を被せ一緒に布団に入れてやる。
『明日は晴れるといいなっ!』
遠足前の幼稚園児みたいなセリフに「そうだな」と返して、俺たちはお昼寝タイムに突入した。