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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
18/59

オルテナ親衛隊 大会議

俺達は最高のチームだった。

 化け物染みた強さの奴など一人もいない。そこそこ高ランクでそこそこ強い冒険者の集まりだった。

 だが俺達は強かった。

 Aランカーである魔獣使いのおやっさんを中心に、明らかに格上の魔獣共を何体も屠って来たし、お前らには荷が重い言われた依頼をいくつもこなしてきた。

 俺達は仲間だった。

 共に笑い、共に泣き、時にはぶつかったりしながらも、最後には肩を組んでいつものように死線を越えてきた。

 俺達は最高のチームだったんだ。


「おやっさん、いるかい……?」


 返事は帰ってこない。

 こうして定期的におやっさんの家に様子を見に来ているものの、未だまともな反応が帰って来た事は無い。

 最初は全員で押し掛けておやっさんを元気づけようとワイワイやっていたのだが、結局それは叶わなかった。

 

「おやっさん、ちゃんと食ってるかい?」


 部屋のドアを開けて中を確認する。

 おやっさんはいつものように背を向けてベッドに横たわっていた。

 何の覇気も感じぬ小さな背中。

 戦場で指揮する彼の背中はあんなにも大きく逞しかったというのに。

 仲間全ての命を背負い鬼のような形相で檄を飛ばしたおやっさんはもういない。 


 最初は辛抱強く待っていた仲間たちも一人抜け、二人抜け、気付いた時には俺たちのチームはどこにも無くなっていた。

 薄情だとは思わない。俺達だって生きていかなくてはならないし、仕事をしなければ生きてはいけない。

 渡りのつもりで留まった先の止まり木で、新たな出会いを見つけた彼らを一体誰が責めることができるだろう。

 

「おやっさん、俺、もう行くぜ」


 ピクリとも反応を示さないおやっさんに背を向け、俺は部屋を出た。

 彼を責めることはしない。彼一人が抜けて、こんなにも簡単に霧散するような体制をとり続けてきた俺達にも責任があるのだ。今こうなって初めて、如何に彼の存在が大きかったのかを思い知る。


 それでも収まりきらぬ気持ちというのはある。

 チームに依存し、一人で完結することの出来ない俺は、拳の振り下ろす先がなければ立ち上がることも儘ならない。

 それを弱さだと知りながらもそうせずにはいられなかったんだ。

 ドロドロに濁った感情が向かった先はもちろん、おやっさんをこんなにしたガーゴイルに向けられた。

 あんなにおやっさんに世話になり、可愛がられておきながら、病院に連れて行かれ怖い思いをしたというそれだけでトンズラかましたあの薄汚いクソったれだ。

 俺は毎日クソを罵ることで心の均衡を保つ。

 堪え切れぬ怒りは、そうすることで何とかやり過ごしていたのだ。


 だが、やっかいなのは、この胸に居座っていた大きく熱い想いが消えたことで、心にぽっかりと空いた穴だった。冒険でも酒でも埋めることが出来なかったこの空虚な穴。

 俺は空っぽだった。

 毎日日銭を稼いで飲んでは暴れる毎日、少しずつすり減る心、少しずつ大きくなっていく胸の穴。俺はこのまま壊れてしまうのだろうと思ったし、それでいいとも思っていた。

 だがそんな生きる価値も無い、どうしようもない俺に、神は救いの手を差し伸べられた。


「オルテナ・レーヴァンテインだ。短い間だがよろしく頼む」


 神が降臨したのだと思った。今でもそう思っている。

 100人が100人美しいと評するであろう完璧な造形。猫の様に吊り上ったアーモンド形の目。いつも濡れているぽってりと肉厚な唇。そして触れたら溶けてしまいそうな程艶やかな肌。

 一つ一つが奇跡なパーツが小さい顔の中にこれまた奇跡のバランスであたりまえのように配置されている。1ミリだった。1ミリでもズレていたらその奇跡は起こり得なかった。  

 そして限度を超えて溢れ出る気品はもはや凶器と言って過言ではない。あれは神が纏うべき種類のものだ。 


 美しいだけではなく、彼女は強かった。

 まだ魔境が騒がしかった時期の話だ。

 ギルドの報告を基に彼女を含む6人のチームで挑むこととなったサイクロプスのオス(A級)討伐依頼。


 報告を基に出向いた先、魔境寄りの森で交戦開始。順調過ぎるほど順調に戦闘は進行し、あと一撃で斃せる、そんな状況にまでなった。そうして冒険者達が油断し始めた時、身の毛もよだつような咆哮と共に現れた新手のサイクロプス7体。

 俺達は絶望した。1体だと聞いていたからこその6人編成、安全マージンを抜いたとしても4人はいなければ話にならないのだ。

 

 それが同時に7体も相手にするなど狂気の沙汰だ。俺達は逃れ得ぬ死の予感に震え涙を流す。奴らは勝ち誇った笑みを浮かべながら、一斉に鈍器を振り上げた。

 終わった

 死ぬ

 誰もがそう思って目を瞑った次の瞬間

 

 サイクロプスの頭部が地面に4つ転がった。

 彼女は言った。

  

「大丈夫、私たちはチームだ。私が全力でサポートする。顔を上げろ、武器を構えろ」


 俺は思った。


―――神はいる 


 目の前に立つこの人がそうだ。

 

 十字教経典に記される神、神の使徒。彼らは総じて背後に光を纏い、人はその神の威に等しい偉大なる光を後背(ハロウ)と呼び、畏れ崇敬した。それは神の力の象徴であり権威の根拠でもあった。


 そして目の前の彼女の背から噴き出す黒い魔力。

 返り血一つ浴びず、半身でこちらを振り返る彼女の背後から照りつけるのは光より眩い巍然たる闇。

 俺は知る。現世に降臨した神の後背(ハロウ)は黒いのだと。

 俺達は雄叫びを上げて突撃した。



 普通ならばここで「惚れる」のだろう。

 だが俺はそうはならなかった。 

 人は、あまりに次元の違う存在を目にした時、自分の同種族に抱くべき感情を抱けない。

 惚れるだなんだという感情は、人に分類される種族に抱くべき感情であって、上位存在にそういう感情を抱くことは不敬に他ならないのだ。

 女神と出会ったその日、俺は彼女を「畏れ」た。


 俺は感謝している。

 信仰にも似たその清らかな感情は、俺の心に開いた穴に驚くほど綺麗にスコンと収まり、ようやく俺は前を向くことが出来たからだ。

 

 抱えた傷を癒す何かを見つけ、居場所を作り、失ったものを補い前に進むことを選んだかつての仲間たち、今なら彼らの気持ちがよくわかる。

 今まで当たり前にそこにあった物が突然無くなってしまった時の焦燥感。もう戻る事叶わぬあの日への渇望。

 そんな鬱屈とした想いから逃れるには前に進むしかなかったのだ。

 そして俺はようやくその一歩を踏み出したのだと思う。


 

 俺は少しだけ苦笑して、目の前の建物を見上げた。

 冒険者ギルド会議棟。


 ギルド窓口に隣接する形で建てられたこの建物は、指名依頼の打ち合わせに使われたり、大規模編成がなされた場合、各部隊長クラスが集まり会議をするところでもある。

 勝手に使用することは勿論許されていないが、部屋が空いている場合、パーティー全員、若しくは登録冒険者4名以上の署名により会議スペースとして利用することが出来るのだ。

 俺は無造作にドアを開けて中に入った。階段を上がり目的の部屋を目指す。


 彼女と出会ったその日に俺は推測していた。

 俺と同じように彼女を信奉する羊たちが他にもいるのではないかということを。

 街に帰ってきてから即座に動き出した俺は、俺の推測が間違っていなかったことを知る。

 俺と同じ気持ちを抱いた者たちは既に活動を開始しており、組織として確立しているというのだ。

 

 迷う必要など無かった。俺はすぐさま彼等の集まりに出向き門戸を叩いた。

 冒険者など力が全ての荒くれ者の集まりで、統制など上手く取れるはずもない。それは大侵攻時にだって変わりはしない。欲しければ奪い取り、気に入らなければブン殴る、そんな犯罪者とさして変わらぬどうしようもない人間、それが冒険者だ。


 だが彼らには秩序があった。理性があり規範があり、そして文化があった。

 確かに考え方の違いがあり、趣味趣向や主張も其々違う、衝突だって珍しくは無い。だがそれでも決して譲ることの出来ないただ一つの事において、彼らは鉄の団結を見せていた。

 そしてそれは新たな同志となった俺にもいう事が出来る。 


 そんな俺達は感謝する。勇ましい彼女と今同じ時間を過ごす事の出来る喜びに。

 そして俺達は吟味する。美しい彼女がより彼女らしい一瞬を逃さぬように

 だから俺達は団結する。穢れ無き彼女がこの救い無き世界で傷付かぬように

  

 今日はギルド会議棟大会議場にて、定例会議が開かれることとなっている。会場のドアの前で足を止め深呼吸をした。緊張しているわけではない。気持ちを切り替え、真剣に事に当たるためだ。


 ドアを開けると、もうすでに多くの同志たちが集まり会場は熱気に包まれていた。男が多いが女も少なくない。


「ようニック! 遅かったな」

 

 最近よく話す様になった同志が声をかけてきた。


「ああ、ちょっと恩人のところに寄って来たんだ」

「ガーゴイル使いのおやっさんか、まあそろそろ始まるから座れよ、気高き女神の為にマキナ・ニョル・レーゼ

「ああ、そうだな。気高き女神の為にマキナ・ニョル・レーゼ


 俺が座るとほぼ同時に議長が槌を叩く音が響く。

 どうやらギリギリだったらしい。

 俺は瞑目し、議長の声を聴いた。



「それでは第26回オルテナ親衛隊大会議を始めます」



 俺達は『オルテナ親衛隊』

 女神のために生き、女神のために死ぬ。そんな固すぎる決意を胸に手を取り合った敬仰の徒

 

 今日も彷徨える羊たちの祈りが始まる。






◇ ◇ ◇ ◇








「それでは第26回オルテナ親衛隊大会議を始めます」


 大会議場には50人以上の人間が詰めかけ、会場は、最近肌寒くなってきた空気などウソのような熱気に包まれていた。


「議長 会議に入る前に、遺憾ながら隊規を乱した者がいます。発言を」

「許可します」


 ざわつく会議室。当然の反応だ。

 創成メンバーによって作成された47条から為る規則『オルテナ親衛隊隊規』

 これは、この無秩序な荒くれ者集団の規律を整えるため必須のものであって、何より女神を崇拝するのなら当然の如く守られて然るべき原則と言える。

 

 それはある意味、冒険者たちにとって矛盾だった。

 ルールを嫌い、自由に生きることを尊ぶ冒険者達。欲しい者は力で手に入れるし、誰に何を言われる筋合いも無い、そんな生き方を冒険者達はしてきたのだ。


「残念なことですが、結果的に我らが女神を害してしまった者がいる」


 だがこれは必要なものだった。

 憧憬、崇敬、畏敬、そしてこれらの念を一身に集める女神オルテナ。

 お言葉を賜りたい、触れたい、欲しい、誰もがそう思っているのだ。

 だがこれを冒険者の論理に任せ、好き放題にさせた結果、どんなことが起こってしまうだろうか。


 考えるまでも無かった。きっと優しい女神はその対応に追われ、疲れ、その煌めきを曇らせていくに違いない。

 それだけは認めるわけにはいかなかった。無知蒙昧な衆愚により彼女の輝きを穢すことなど許されるハズが無かった。

 だからそれは制定された。少なくとも彼女を崇拝する自分たちだけでも、自身を律し戒めるのだと。

 

 入隊を希望する者は必ず目を通す事を要求され、本来自由であるはずの冒険者を縛り、隊員ならば何よりも優先され尊重しなければならない唯一法であり根本法。

 それが親衛隊隊規であり、我らの鉄の掟なのだ。

 それなのに、隊規に反した者がいるという。それが本当ならばそいつは反逆者ととられても仕方がなかった。


「これは許されざる蛮行です」


 しかも発言者は創成メンバーの一人であり、親衛隊隊長でもある微笑のペラール。ざわつかないハズが無い。

 ペラールは微笑みながら先を続けた。


「粛清班班長、隊規24の2第2項をお願いします」


 すると黒頭巾を被り、顔の下半分、目元まで黒布で覆った人物が立ち上がる。

 粛清班班長『ジライヤ』

 人族なのか獣人なのか、男性か女性かすら未だに知る者はいないという、全てが謎に包まれている実力者だ。

 ジライヤは心地よいアルトヴォイスを響かせて宣言する。


「隊規24条の2第2項。『女神が意図しない形で女神に触れてはならない』 粛清班、復唱せよ」

「「「はっ! 復唱します! 女神が意図しない形で女神に触れてはならない! 以上!」」」


 少しの乱れも無い粛清班の唱和。さすが我らが正義の代行者、親衛隊粛清班だ。

 ジライヤが続ける。


「当該規則の規範趣旨を唱和しろ」

「「「はっ! 唱和します! 女神は愛でるものであり触れるものではない! 以上!」」」


 ペラールが満足げに頷き、会場を見渡す。そしてとある一点で視線を止めると口を開いた。


「ムスカさん、単独で復唱をしてください」


 顔を真っ青にしてガタガタと震えるムスカと呼ばれた男。

 落ち着きなく視線は彷徨い、歯がカチカチ鳴り出している。すると彼は意を決したように叫んだ。


「い、いえ、わ、私はっ!」

「どうしました? 聞こえませんでしたか? 2度は言いませんよ。復唱してください」

「は、はい…… め、女神が意図しない形で女神に触れてはならない…… ペラールさん! 俺はそんな―――」

「復唱が終わったならば口を閉じてください。発言を許可されてはいませんよ?」

「~~っ!」


 あくまで微笑みを崩さないペラール。線も細く人当たりのよさそうな彼だが、俺達は知っている。

 あの笑みは悪魔の微笑みであることを。


「それでは監視班班長、報告をお願いします」


 その大柄な体に似合わず、スッと音も無く立ち上がる大男、獣人、鉄血のロドリゲス。


「報告する。先ほど隊規を復唱したムスカは、ギルド内酒場でフォークを落とし、我らがオルテナ様に畏れ多くもそれを拾っていただくという幸運に恵まれた。それだけで俺は有罪だと思うのだが、まあそれはいい。問題はフォークを渡していただく時、極めて不自然かつ不用意にオルテナ様の手に―――」

「嘘だ! 違う! 違うんです! あれは不可抗力でっ!」

「ムスカさん、何度言ったらわかるんです? 殺しますよ? 班長、発言を続けてください」


 ガクっと項垂れたムスカを横目に、ロドリゲスが続ける。


「ああ、ムスカは極めて不自然かつ不用意にオルテナ様に触れた。その御手を包み込むように、両手で握手でもするかのように…… 汚らわしいその手でオルテナ様の御手をっ!!!」


 ロドリゲスが興奮し、怒り醒めやらんとばかりにテーブルを荒々しく叩いた。

 多くの隊員がビクっと震える。

 ムスカに目をやると、それはもう可哀想なくらい震えているが、先程の事が事実なのだとすれば同情の余地などない。

 互いに目配せし、状況を確認し合う隊員たち。静まり返る会議室、沈黙が耳に痛くなってきたころ、ペラールが静かに口を開いた。


「粛清班のみなさん、隊規44条1項を唱和してください」

「「「はっ! 唱和します! 『悪意又は重過失にて本規程の一に反した者は、如何なる理由があろうとも粛清する』 以上!」」」


 会議室に緊張が走る。確かにムスカの行為は許されざるものだが、「粛清」という苛烈な処分が隊員に口を噤ませる。

 するとペラールが何ら感情を灯さない口調と声音で言った。


「巻きなさい」

「隊長! どうか、どうか御慈悲をっ!」

「それは僕ではなくオルテナ様がお与えになるものですよ」


 ムスカに忍び寄る粛清班員。

 彼等は無言で手早く縄でムスカを巻き上げていった。

 やがて頭を残して全身を縄で巻かれ、まるでミノムシの様相を呈するムスカ

 そして二人の粛清班員が棒を担ぎ、その棒に吊るされる形になったムスカのその姿はまさしくミノムシだった。

 

「違うんだ! 魔が差したんだ! あまりにお美しいオルテナ様を前に我慢が出来なかったんだっ!」


 ぶらーんぶらーんと揺れながら許しを請う姿に説得力など無く、どことなく可愛いかった。

 他の隊員たちも、うんうんわかるよー といった具合に頷いているが、それで許していたら規律など保てない。罪は罪なのだ。


「ムスカさん、人がどれだけ残酷になれるか…… 知りなさい……」

「や~め~て~~~!」


 えっほ えっほ と会議場の外へ運ばれていくムスカ隊員。

 叫び声がどんどん遠ざかり、やがて消えた。

 会議室内は、ムスカはいったい何をされるのだという微妙な空気に。

 その時、名前は知らないが、勇気ある男が声を上げた。


「た、隊長、彼は一体どんな罰を受けるのでしょうか……?」


 するとペラールは、良い質問ですとばかりににこやかに頷きながら言った。


「聖業により開眼させ、女神の為だけに生きる魔導兵器、ミノムシMk-Ⅱとして新たな道を歩んでいただきます」

 

 ムスカのムの字しか残っていないではないか。

 突っ込みどころが多すぎて俺は驚いた。


「春にはきっと羽化することでしょう」


 何を言っているのかさっぱりわからないが、どうやらムスカは新たな生命体として転生するらしかった。

 結局のところ冒険者は脳筋が多い。

 会議室内、大多数の者が「あーそうなんだー」的なぬるい空気を出し始めたので俺も右に倣うことにした。

 緊張していた空気が何となくまったりしてきたところに、議長が槌を二つ鳴らす。


「えー それでは本日の議題ですが……」


 あ、さっきので説明終わりな感じなんだ? 的な空気が一瞬だけ流れたが普通に黙殺された。


「えー本日の議題は、2つであります。えーまずは予てより議題に上がっておりましたえーイサオ・イガワを異端者と、えー認定するかどうかについてであります」


 おおっというどよめき。

 イサオ・イガワの名前はかなり前からこの会議に上がっていた。

 特別ランクが高いわけでも無く、とりわけ目立った実績を残しているわけでもない彼。

 先の戦争で救世主となった幼竜ノリちゃんは愛されるべき存在で、女性冒険者を中心に熱狂的なファンが増えていると聞くが、彼自身を単純に考えたら、どこにでもいる冒険者の一人であって、普通に考えてこんなにも名前の上がるような人物ではない。


 しかし、彼には注目せざるを得ない理由があった。

 至高にして究極であるオルテナ様のご興味を一身にあびていたのだ。 

 我らが女神の行動を分析すれば分析するほど揺るぎ無いものになっていく一つの事実。


 ―――オルテナ様はイサオ・イガワに恋慕の感情を抱いておられる

 

 これが分析班、監視班の共通見解であった。

 その結論に、会議は紛糾し、オルテナ親衛隊は設立以来初めての危機を迎えた。

 この結論をどう受け止めるかによって親衛隊が二つに割れたのだ。

 

 そのうちの一つが穏健派。

 彼らはその絶望的な事実を前に、涙を流しながらも、前を向いて笑った。

 受け入れ難い事実なのは間違いないが、彼女だって一人の女性。異性に心ときめかせることだってあるに決まっているではないか。

 

 ならば女神の恋路を邪魔などせず、そっと見守るのが正しい信仰の姿ではないのか。

 こう考えたのだ。

 そして親衛隊内ではこの考え方が多数を占め現在に至っている。

 もっとも、彼らの中にも打算はあった。

 

 我らが女神がうだつのあがらない冒険者に好意を向けているのが本当なのだとしたら、自分にもチャンスがあるのではないか、と。そう考えたのだ。

 恋など醒めることもある。永遠など無い。その好意が覚め彼女が新たな恋愛対象を模索し始めることだって十分考えられる。

 

 ならばもし、将来、自分がその好意を受ける立場になったのだとしたらどうだ?

 ここで反対だと捲し立てて、その建前でも述べようものならば、通すべき筋が通せるわけがないではないか。

 当然、純粋に応援しようという者も少なくないが、そういった思惑を持っているものも多数いたのも事実だった。


 そしてこれに異を唱えたのが強硬派であった。

 女神は清くなくてはならない。無垢で汚れを知らない彼女は世の醜さを知らない。だから汚い干渉から彼女を守って差し上げなくてはならないという原理主義的論理でもって、彼等は「イサオ・イガワ滅するべし」と叫んだ。

 傲慢とも言い得る主張を声高に叫ぶ彼らは親衛隊内では少数派だったが、その構成員達の実力は本物だった。

 もし穏健派が圧倒的多数を占めていなければ、この街はとっくに戦場になっていただろう。


 何度もイサオの処遇は議論され、そして結論が出ないまま今に至っている。

 これでイサオがオルテナ様に狼藉を働いたとなれば話は簡単だったのだ。穏健派が何を言おうと強硬派は絶対に止まらない。悪・即・斬 である。

 だが幸か不幸か、そうはならなかった。


 親衛隊分裂の危機に危機感を覚えた執行部は棚上げ論すら示唆していたのだが、ここに来て議長が口にした「異端者」という文言。

 議長がこの言葉を口にした意味は大きい。

 先ほど巻きあがったどよめきは、執行部がとうとうそこまで踏み込んできたという驚愕に他ならないのだ。


「静粛に。えー彼を異端者として認定するかどうかについて、えーまず議論を尽くさねばなりません」


 そうしてあくまで中立の立場を明確にした議長。どよめきは大きくなるばかり、なぜ今なのだ? という多数の意志が蠢いているようだった。

 そんな喧噪を切り裂くソプラノヴォイス。


「議論すべきことなんて無いわ! ヤツは間違いなく異端者だし、異端者は粛正しなければならない! 今すぐ殺すべきよ! こうしている今だってあのケガラワしい異端者にお姉様は……っ!」


 強硬派の急先鋒、皆殺しのリリンだった。





◇ ◇ ◇ ◇





「議論すべきことなんて無いわ! ヤツは間違いなく異端者だし、異端者は粛正しなければならない! 今すぐ殺すべきよ! こうしている今だってあのケガラワしい異端者にお姉様は……っ!」


 強硬派の急先鋒、皆殺しのリリンだった。


「最近、お姉様が毎日あの異端者の家に行っているという噂があるわ。私は認めない。もし本当にお姉様が行っているのだとしても、あの異端者を殺せば無かったことになるわ! 何なら今から行って骨も残らないほど焼き尽くして来たっていいんだから!」


 そうだそうだと声が上がる。声を上げてる連中はゼプツィール冒険者ギルドとしては錚々たる顔ぶれで、そこらの冒険者が下手に意見を差し挟むことなど出来はしない。

 それでも俺は思う。この女はイカれてる。

 この女がその気になれば、イサオ一人殺すために数百人が死ぬことになるし、それを実行すると言って憚らないからだ。

 

「あの気高く崇高でお美しいお姉様が穢らわしいケダモノの手によって汚される前に、私は滅ぼさなくちゃいけないわ、悪を!」


 皆殺しのリリン。Bランク。

 戦略級魔法を単独行使出来る大魔法使いの一人で、正真正銘の化け者だ。

 本来、戦略級魔法はそれ一つで戦争の行方を左右しかねない凶悪な魔法だが、発動までの準備と、運用コスト、そして翻意の危険性を考え、そう簡単に手が出せない種類の武力である。

 そんな魔法を単騎で行使できるとなれば、その力を欲しがらない国など無い。こういった大魔法使いは戦略級魔術師と呼ばれ、各国の軍の垂涎の的となっている。

 

 そしてその戦略級魔術師は、世界に十数人しか存在しない。

 だから彼女は、殲滅戦や戦争における単純火力だけを考えると世界有数の実力者なのであって、なぜSランク指定されないのだと首を傾げる冒険者も多い。

 だが冒険者ギルドはそんなに甘くは無い。清々しいほど短絡的に「強さ」を基準に決めるのが「S」というランクだ。

 「強さ」を考える時、「弱点」というものは大きなマイナス要素となる。その弱点が戦闘において重要なファクターであればあるほど、それは大きく影響する。

 

 皆殺しのリリンは迫撃が弱点だ。それも斥候職相手ともなると圧倒的に相性が悪い。

 戦闘において迫撃がこなせないというのは単独戦闘が出来ないということだ。そして単独戦闘をこなせない魔術師は単独で軍隊を相手取ることを最低ラインとするSランカーにはなり得ない。

 また、彼女はAランクになるには実績が足りない、結果Bランクの一冒険者に甘んじているが、チームとして、又は大規模戦闘における彼女はまさしく悪魔のような存在だった。


「ここにはお姉様の事を考えている人はいないの? いたら黙っていられるはずがない!」

 

 この発言にはさすがに穏健派も黙ってはいられない。


「俺達を馬鹿にするのも大概にしろ! オルテナ様が望むがままに、これこそが親衛隊の本来あるべき姿だ!」

「彼を殺した結果、オルテナ様が悲しまれたらどうするんだ!」

「何でもかんでも殺せばいいって話ではないんだぞ!」


 穏健派から一斉にあがる怒声。強硬派の連中も、そこまでは踏み込むつもりがないとばかりにだんまりを決め込んでいた。

 すると彼女は怒声をあげる冒険者たちを睥睨して鼻で笑った。


「ふん、そんなの臆病者の戯言よ!」

「なんだと!」

「ふざけんじゃねえ!」


 怒号に包まれる会議室内、仮に「穏健派」と称される彼等とて冒険者なのだ。女神の名の下に大人しくしているだけの荒くれ者を挑発して、穏やかに事が運ぶわけが無い。

 そもそもDランカー程度、軽く殺せる実力者がゴロゴロいるのにイサオに手を出さないのは、偏に少しの打算と多くの瞻仰からだ。「殺せない」わけではない。彼らは「殺さない」のだ。

 数人が我慢ならんと立ち上がりかけた時、誰かが叫んだ。


「それはお前が殺したいだけじゃないか! オルテナ様の名を利用してオルテナ様を穢しているのはお前だ!」

「な、なんですって! 私は薄汚い異端者からお姉様を守って差し上げようと―――」

「それが傲慢なんだ! 何様なんだよ、オルテナ様か? ええ? お前はオルテナ様なのか?」

「っ!?」


 みるみる間に顔を赤く染めていくリリン。頭から湯気が出そうな勢いだ。

 怒りに体をブルブル震わせ、その双眸には煮えたぎるような憤激が宿り、危険な光を放ち始める。


「今言った奴、出てきなさい……、殺すわ。骨も残らないくらい焼き尽くしてやる!」

「やってもらおうじゃねえか! 野郎ども! やってやんぞォ!!」


 応! と武器を手に立ち上がる面々。

 強硬派による横暴、今の今まで溜まった鬱憤を燃料に会議場は今、燃え盛る鉄火場となろうとしていた。どちらかがあと一手動けば大乱戦が始まる、そんな一触即発の空気だ。

 そうして双方が睨みあう中、響き渡るどこまでも澄んだ槌の音。


「静粛に! 静まりなさい!」


 興奮状態にあった双方が我に返るも武器を収める様子は無い。火種が消えないままの睨み合いが続く中、ペラールが静かに口を開いた。


「隊規においても、意見の相違による刃衝沙汰は禁止していますよ、これ以上は粛清対象とします」


 するとジライヤが腰に下げた小刀を無造作に引き抜いた。

 逆手に持った凶刃がヌラリと光り、冒険者達が顔を青くして武器を収め始める。誰もがジライヤの技術を知っているからだ。

 再度響き渡る槌の音。


「両方に一理あり、えー非常にデリケートな問題なだけあって、えー現時点で親衛隊としては、えー方針は決められないと判断致します」


 ぶつぶつ文句を言いながら座る穏健派の冒険者達。

 上げられるのはせいぜい舌打ちぐらいで、意見として異論を挟む者はいないようだった。

 俺のような大した実力も無く、日和見な者たちはホッと安堵のため息をもらした。

 執行部としては根深いこの問題を早めに解決したいと一歩踏み込んだのだろうが、結果的には時期尚早だったと言わざるを得ない。もしかしたらこの実質的な棚上げに事を落ち着かせたかったのかも知れない。

 

 どちらでも構わないが、双方に遺恨が残ったのは確実だ。

 強硬派のほうを見てみると、総じて全然納得していませんとばかりの不満顔を並べ、次は黙っていないとばかりに剣呑な空気を撒き散らしている。

 それに懸念したのか、議長が牽制した。

 

「それに えーイサオ殿の傍には えー我らの恩人である幼竜もいます。えー幼竜を巻き込むのは心情的に絶対に許されませんし、えー現実的にも えー主人であるイサオ殿に何かあれば えーあの名付きのブラックドラゴンが出てくる可能性が否定できません。そうなれば えー街が消滅すること必至であります。

とにかく えー極端な行動は控えるべきと考えられます。個人で済む範囲の粛清はお止致しませんが えー幼竜を刺激しない、延いては えー名付きを刺激しない、若しくは えー撃退する自信がおありの方は えー挙手をしていただけませんか?」


 現実的な話だった。

 過激派が渋い顔をして黙り込む。過激派でなくとも、今の話に異論を挟める人類などいるわけがないのだ。


「えー それでは えー本日2つ目の議題に入りたいと思います。内容と致しましては えー以前目撃報告が上がりました えーオルテナ様ご乱心モードについてであります」


 先程のような血生臭い話にならないだけマシだが、これまたデリケートな議題だった。

 その理由としてはまず、先日数例の目撃報告が上がっただけのウソかまことかもわからない真偽不明の情報であることがあげられる。

 この問題に関しては、偶然居合わせた隊員が、途中でいつもの姿のオルテナ様を「見失った」のだと述べていた。

 だからこの話は、事実として確定していないのだ。


 だが、別の隊員より齎された、「女神がお団子頭にし、ふわっとフリフリのワンピースを来て、るんるん♪ と街中をスキップしていた」との目撃報告。

 その隊員はこう言ったという。


―――あれは女神を越えていた


 普段から彼女を女神と信望する親衛隊員をして女神を越えたと言わしめるその破壊力たるや如何ほどのものか。この驚愕の報告を受けた親衛隊に激震が走った。

 当の報告をした隊員は粛清されかけたのだという。故意ならば、それは女神に関して虚偽の報告だ、と。間違いならば、我らの女神を見間違えるとはどういう了見だ、と。

 しかし、念のために行った聞き込み調査等により彼の無実は証明されることとなる。

 

 主に、大通りに面する中通りの一つ、通称「衣料卸通り」にて、確かにオルテナ様がそのような格好で歩いていたという少なくない情報が寄せられたのだ。

 とある糸屋の主人は大声でこう叫んだという。


―――あれはっ アラウネ様の御姉妹である闇の大精霊っ ミネルヴァ様に違いないっ!


 そうやって伝聞情報を伝聞情報で補完し肉付けしていくことで見えてきた事の輪郭。

 どうやら、ふわテナ様がご光臨なされたというのは本当らしと分析班の見解が発表された時、まず親衛隊員達は涙した。

 なぜ自分はその現場に立ち会えなかったのかと、なぜそのような不平等が起こってしまったのかと、自身の不運を呪い、オルテナ様と別の神を罵った。

 

 そして次に起こったのが全隊員を巻き込んだ大論争だった。

 監視班班長はこう言った。


 ―――黒衣こそ至高

 

 この発言に対し、「然り」とばかりに重々しく首を縦に振ったのは、戦闘において主に前衛職をこなす寡黙な猛者達だった。

 彼女は戦女神(マキナ・バルデス)であり、闘衣、敵の前に毅然と立ちはだかる後ろ姿こそが最も気高く美しいというのだ。

 この発言がなされた時、隊員たちは大いにどよめいた。確かに言っていることは解るし一理ある。だがそれが本当に正しいのか……? そんな葛藤が多くの隊員たちに渦巻く。

 そんな時、先程の言に対し、皆殺しの女が嫣然と微笑んで言った。


 ―――可愛いは正義


 可愛いかったんだろう? グダグダ言ってんじゃねえ、ソレは正義だ。

 そうやって放たれた単純な一言。

 だが、極限まで無駄を省かれたその一言に多数の冒険者は真理を見たのだ。

 

 そうやって始まった喧々諤々の大論争。

 こればかりは譲れないと、入隊したばかりのものが班長に掴みかかるような場面もあった。それほど重要なことだったのだ。

 この案件は1つ目の議題と異なり、一人残らず全員が容認をしている。いや、容認などという言葉を使うことが不敬だとも思っている。

 それを大前提として、どちらが優れているか、そういう議論だ。


 議長は後衛職の分際で間違いなく黒衣派だった。なぜなら、ふわテナ様を『ご乱心モード』と呼びくさったからだ。

 そしてそんな議長に対し予想通り食って掛かる冒険者達。


「『ご乱心』は失礼じゃないか! 訂正しろっ!」

「不敬だぞ! ありのままのオルテナ様を認めろ!」

「議長が中立でなくてどうするんだ!」

 

 騒然となる会議室内。

 この話題に関しては、身分も肩書きも関係なかった。キャリアも何も気にせず顔を真っ赤にして冒険者達が声を荒げる。

 議長が焦って「静粛に!」と叫んでいるが静まる気配は無かった。 

  

「リリン、言ってやれ! 俺達の(可愛いは)正義を見せてやるんだ!」


 そう仲間に言われたリリンが轟然と言い放つ。

 

「ご乱心のお姉様とご乱心したいっ!」

 

 本当にご乱心召されているリリンさん。

 あ、ああ、そ、そうだな…… 的な何とも言えない空気になり、結果的に場が静まった。

 すると幹部席の方から邪悪な呟きが漏れてくる


「ぐえふぇふぇふぇぇ ふわテナタソ きゃわゆいでござるぅぅ~~っ」


 多くの冒険者が、ハッと声の出所に目を向ける。そこには何食わぬ顔をしたジライヤさんがいた。ちなみに両隣の幹部の方もジライヤさんを見ていた。

 怪訝な視線を一身に浴びたジライヤさん。俺が目を向けた時にはいつも通りのジライヤさんだったので、何かの聞き間違いかと視線を議長に戻す。

 するとペラールが微笑みながら言った。


「僕もふわふわしたオルテナ様もいいと思うけれど、やはり戦う彼女が一番美しいと思うなあ」


 隊長のまさかの黒衣派宣言。

 いつもはニコニコと議論の行く末を見守っていた彼の発言だけに、場内は大いにざわついた。

 だがこの議題に関しては肩書きは関係ない。血気盛んな若武者が声を上げる。


「隊長! しかし、オルテナ様も女性。もしオルテナ様が女性らしい恰好をした時の美しさたるやきっと……」


 若武者の顔が陶然と歪む。他の多くの男共の顔も同じように歪んだ。

 ふわテナ様の御姿を想像して懸想しているのだ。

 隊長はにこやかに反論した。


「おっしゃることはわかりますがね、やはり現物を見たことが無ければその威力、想像でしかありません」


 至極論理的な意見だった。

 大体、この案件にかんしては『らしい』の域を出ておらず、確定事実ではないのだ

 すると、一人の男が得意げに手を上げた。


「議長、発言を」

「許可します」

「これを見てください!」


 バッと取り出した一枚の紙。

 何やら水玉のワンピースを着た女性の絵が描かれているようだ。

 男はドヤ顔で話しはじめる。 

 

「着替えたオルテナ様を中通り外れの衣料店の老婦人に画いてもらいました。偶然居合わせた隊員が彼女を見失った店でもあります。どうやらオルテナ様はそこで服を買ったらしいのです。着替えたオルテナ様はキラキラ輝く宝石のような女の子であったと言っておりました。追加情報ですが、老婦人とオルテナ様は、おばちゃん、オルテナちゃん、と呼び合う間柄だとのことです」


 紙が幹部席まで回されペラールの手に渡る。

 苦笑しながらそれを受け取ったペラール隊長は口を開いた。

 

「みなさん、弛んでるのではないですか? そもそも我々は戦女神(マキナ・バルデス)たるオルテナ様の御姿に心酔した…… あっれぇぇぇぇぇぇ~~~?」


 紙を見たペラール隊長が馬鹿みたいに素っ頓狂な声を上げた。

 何事かと注目する冒険者達。


「た、隊長! どうしたんですか! 何が書かれてあったんです!?」 

 

 すると興奮を隠しきれないといった様子のペラール隊長が声を震わせる。

 

「え、やだ何コレ…… 超可愛いんですけどぉぉっ!」

「きゃー! 見せて! 隊長、私にみ~せ~て~ てんっきゃあぁぁぁ~~~! 超可愛い! お姉様マジ女神! ヤバい! ヤバいよぉぉ!! あ、あたしこんなお姉様に迫られたら、あたし、あ、想像しただけでっ! んんっ んあぁぁぁっ!」


 ビクンビクンと痙攣する皆殺しのリリン(痛)

 それを皮切りに、冒険者達が雄叫びを上げて幹部席に突撃を敢行した。

 それから先はもうしっちゃかめっちゃか、何が何だかわからない人の輪が出来て、ペラールが揉みくちゃにされている。

 気が付くと俺の周りには誰もいない。

 なので遅れてはマズイと人の輪に飛び込もうとした時、後ろから声がした。


「オオフオオフ! こ、降臨でござる! 女神が降臨なされたでござるぅぅぅ~~っ!」


 体を戦慄かせ、先程リリンが持っていた紙を食い入るように見つめるジライヤさん。

 幹部席のほうに視線を戻すと、そこでは未だに祭りが開かれていた。

 冷や汗を垂らしながらジライヤさんに一言。


「え、と。その紙はアレですか?」

「んお? 見るでござるか? 萌え萌えフワフワのオルテナタソを見ちゃうでござるか!?」

「も、モエモエて何スか…… ジライヤさんってそんなキャラでしたっけ……?」

「んふふふぅ~っ」


 口元を布で覆っていてもわかるほど、だらしなく鼻の下を伸ばし切ったジライヤさんは、「うぇへへへへぇ~」とか言いながら会議室から出て行った。

 何故か胴上げをされているペラールを見て、何となく馬鹿らしくなった俺も会議室を出た。

 それにしてもジライヤさん、一体何者だ……?


 そのまま会館を出て大通りをてくてく歩く。

 すると、何となく、先程の紙に書かれていたっぽい水玉の服を着た女性が、カイル精肉店で主人と話しているのを見つけた。俺は何となく気になってそちらに歩いて行く。別に他意は無かった。酒のつまみの干し肉を切らしていたので、どうせなら買っていこうと思ったのだ。

 

 長身なのに冒険したのか、艶やかな黒髪をツインテールに結った女性は何やら主人に相談をしているようだった。


「今日はシチューの日なのですが、ゴロっとした具の大きいのを作ろうかと。そろそろ実はシチューにうるさいところを見せ付けてやろうかと思っています。お勧めのお肉は何ですか?」

「相変わらず通い妻してるなあ、あの兄ちゃんは幸せ者だぜ! ならこのスネ肉を持っていきな! 骨も持ってけ、下ごしらえをしている間に煮るんだ。いいダシが出る」

「ありがとう!」


 女性にしては若干低めの声に起伏は少ないが、料理を振る舞うのが楽しみでしょうがないという、実に女性らしい感情が見え隠れしていて微笑ましかった。


「そういえば、今度、彼が本を返しに行くと言ってたんだが、私が返しに行くと言っても頑なに拒むんです。一体何の本なのですか?」

「い、いや、それはだな……、ま、まあいいじゃねえか! そうだっ このベーコンも持っていきな! サービスだ」

「ありがとうございます!」

「じゃあオルテナ嬢ちゃん、またな!」


 なっ! オルテナ様だって!?

 店から離れて行くオルテナ様を愕然と見送っていると声がかかる。


「らっしゃい! 兄ちゃん、何を買ってくんだ?」

「あ、え、えーと、干し肉を一掴み……」

「あいよ! まいどあり!」


 主人に答えてすぐに振り返ると、もうオルテナ様は人ごみに消え、見失ってしまった。

 ははは、俺は笑う。

 

 女神は女の子だった。

 心酔し、崇拝した女性は、愛しい人に料理を振る舞って心から喜ぶ、どこにでもいる一人の女の子だった。

 きっとスキップしながらイサオ・イガワの下へ行き、鼻歌を歌いながら料理を作るのだ。そして彼が美味しいと食べる姿を見て小躍りするのだろう。 

 俺はその姿を想像して、不思議と嫉妬などは感じなかった。むしろ応援したい気持ちでいっぱいだ。

 

 失望したわけでは全く無い。女神などいなかったと言うつもりも更々ない。

 仮に彼女が恋する乙女なのだとしても、俺にとっては今でも間違いなく女神だし、死ぬはずだったあの日、半身で振り返った彼女の煌めきはホンモノだったからだ。

 だが、俺の中、今まで空回りしていた何かに歯車が一つ、ガチャリと音を立ててハマったような気がした。

 

「ようやく、俺は前に進める」


 自然と漏れ出る呟き。

 離れていった仲間、胸にあいた大穴、そしてそれをスコンと埋めた我が女神。

 だが神だなんだと絶対的な存在として心の拠り所だった彼女が、料理一つでウキウキする女の子だったとはっきり認識した今、彼女に依存しそれを支えにするのはあまりにも幼稚で情けないではないか。

 俺は俺として、ニック・ドノヴァンとして、進まなければならなかった。ただそんな単純な当たり前の事に気が付いただけだ。

 

 頬が自然と不敵に吊り上るのを感じ、俺は拳を握りしめた。

 オルテナ親衛隊はやめない。だが依存はしない。

 俺は俺でやるべきことをやっていかなければならないのだ。

 

「よっしゃー 俺も頑張るか!」


 見上げた空は雲一つない見事な秋晴れ。

 それ以上に晴れやかな自身の気分に、拳を軽く打ち付けた。

 だから、傾きかけた日が柔らかに注ぐ街を眺めながら、俺は前を向いて歩き始めたんだ。


 

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