ノリちゃんとおままごと
外は雨。
ブドウの収穫期まっただ中、3日前ギルドの天候師による降雨宣言がなされてから今朝方まで、俺は昼夜問わずひたすらブドウ収穫をしていた。
この世界では天候師なる者がいる。
彼らは大陸各都市に住んでおり、各地域の現在の天気、風向き、雲、湿度等を把握し冒険者ギルド本部に集約する。そして集まった情報を精査・分析し、天候を予想するのだ。
衛星も予測システムも無いこの世界で、魔力体によるギルドの伝達網と、過去の事例と経験だけを頼りになされる予想は驚くほど精度が高い。
普段、ギルドはその情報を公開したりしないのだが、農繁期、特に小麦とブドウの収穫期は積極的に情報が開示されることとなる。
この世界を支える二大作物は、収穫期の雨をことさら嫌うからだ。
収穫期に降雨宣言がなされると、時期にもよっては農奴の手が足りず、冒険者ギルドに収穫依頼が出される。その度に何時も担いでいる剣をカゴに持ち替え、冒険者達が畑を走り回る姿は最早風物詩だ。
今年は収穫が始まって間もなく宣言が出されたのと、2週間前の戦争で多くの冒険者が死傷したことで、収穫の手が圧倒的に不足しており、低ランカーの義務だと言わんばかりに半ば無理やり駆り出されたのだ。
「あ~~~ 疲れた~~~」
ひと眠りしたものの、体を覆う倦怠感は一向にとれる気配がしない。指先はアクで真っ黒だ。
この国の労働基準法は、「酷使し過ぎんなよ」「対価払ってやれよ」「暴力はあんまりお勧めしません」の3つで成り立っている。きっとどの国も似たようなものだと思う。
収穫期の監督者がする指示のエグさといったらもう……。ブラック企業も裸足で逃げ出す勢いだ。
そんなこんなで起きてもベッドをゴロゴロする俺。さすがの俺も今日は閉店休業です。
雨戸の隙間に詰めた布から滴り落ちる水滴をぼんやり眺めていると、座椅子でウトウトするオルテナさんの向こうで、ノリちゃんがノリオ君を抱えながらチラっチラっと俺の様子を伺っているのが視界に入った。
「ノリちゃん、どうしたの?」
「あ、あんなー あるじ…… あるじ起きたー?」
「起きたよー。ノリちゃん遊んで欲しいのかな?」
「の、ノリなー ノリだいじょぶ……」
チラッ
な、なんて健気な子なんだ!
本当は遊んで欲しくてしょうがないのに、俺が疲れている事を察知して素直に遊んで欲しいと言えないのだ。
これで「疲れているからまた今度ね」的な態度をとったら、きっと人妻物語的なフラグが立ってしまうだろう。
それ以前に、そもそも俺はそんなご褒美を放棄するほど脳タリンではない。
天使の心に触れ、俺は全身の疲れが一瞬で消えたような気がした。
「ノリちゃんそうなの? あるじは遊びたいのに残念だな~」
チラッ
すると蕾が花開くように、ぱあぁぁぁっと顔を輝かせるノリちゃん。
「はい!はーい! ノリあるじとあそびたいです!」
「おお! じゃあ何しようか?」
うんとねーうんとねー
右に左に頭をカックンカックンさせるノリちゃんに俺は目を細める。
最初は俺から離れたがらないノリちゃんもブドウ収穫に連れて行ったのだが、あまりに過酷な労働環境と、つまみ食いを叱るヒマが無かったのとで、何とかオルテナに面倒を見てもらうことで納得して帰ってもらった。
今の様子を見る限りでは、やはりノリちゃんは寂しかったんだろうと思う。ちょっとだけ罪悪感が首を擡げるが、以前のような生活に戻るためにはいい機会だったと自分に言い聞かせた。
ノリちゃんはまだ遊びが決まらない様子なので先に用事を済ませる事にする。
「オルテナさんオルテナさん」
「あっ ああ、すまない、寝ていたか……」
2日間、ノリちゃんの面倒を見ていてくれたオルテナ。
ノリちゃんは、夜なかなか寝てくれなかったらしく、ずっと彼女の相手をしていてくれたのだという。寝不足のオルテナをこのままにはしておけなかった。
「風邪ひくから寝るならベッドで寝ようよ」
するとオルテナさんはいきなり無拍子で立ち上がり声を裏返らせた。
「べ、ベッド!? だ、ダメだイサオ! ノリちゃんだって見てるから……」
何を言っているだこの人
ノリちゃんが見ていたらいったい何がダメだというのか。
意味不明なので言ってきかせる。
「ノリちゃんが見てても別にいいだろ?」
「だ、だめっ! そんなのダメに決まってる!」
さっきまでノリちゃん見てる前で寝てたじゃないか。
寝顔を見られるのがイヤなのだろうか、それともイビキをかいてしまう子だったりするんだろうか。
どちらにしろ俺は別に気にしないし、ノリちゃんの面倒を見てもらって寝不足の彼女に、寝床の一つでも提供しなければバチが当たるというものだ。
だから恥ずかしがり屋のオルテナさんを安心させるべく口を開く。
「ダメじゃないよ、誰だってみんなしてることだから気にすんなって、それに今までそこで寝―――」
「だ、誰でもっ!? みんな人前で……っ? うそだ! イサオのウソつきっ!」
「オルテナさん、ホント何言ってんの……?」
すると、オルテナさんは胸の前で両手の指を絡めながら、何やらうわ言の様に呟き出した。
――だ、だってまだ心の準備がゴニョゴニョ
――そ、それにまだお昼なのにダメじゃないゴニョゴニョ
――そんなつもりで来てたわけじゃないけどイサオがそう言うならゴニョゴニョ
――い、いや…… でもノリちゃんの教育に良くないに決まってゴニョゴニョ
たかだか昼寝一つにどんだけ悩んでるんですか。
心の準備もいらないし、別にノリちゃんの教育にも悪くないし、お昼にするからお昼寝でしょうよ。
ここまでくると、恥ずかしがり屋というよりは単に寝ぼけているだけのようだ。
寝起きが悪いとは聞いてたけど、正直ここまで悪いとは思ってなかった。
俺はこの後ノリちゃんとご褒美タイムだし、もう何だか面倒くさくなってきたので、寝ぼけているらしいオルテナの背を押してベッドに誘導する。
「わ、私はじめてだからっ! そのっ! 優し―――」
「はいはいわかったから寝なさいって」
トン、と背を押すとオルテナがベッドに倒れ込んだ。
何故か涙目になって俺を見つめるオルテナさん。
とりあえず、毛布を掛けてやる。
「ノリちゃんの面倒見てくれてありがとな、ちょっとうるさくなるかもだけど、気にしなくていいからゆっくり寝な」
彼女も冒険者の端くれだ。寝ると決めたら多少の音で寝れなくなることは無い。
ポンポンっと頭を叩いて「おやすみ」と言うと、オルテナさんは驚いた顔をしていて意味がわからないが、まあそのうち寝るだろう。
俺はベッドに背を向け、未だウンウン唸っているノリちゃんに視線を向けた。
「ノリちゃん、決まったかな?」
「うんとなー ノリまよってるかもしれん……」
このまま、悩んでいるノリちゃんを眺めているだけで、俺の精神力が超回復するのは間違いないのだが、それではきっと彼女が満足しないので俺は提案した。
「ノリちゃん、じゃあ、あるじにお歌聞かせてくれるかな?」
その手があったか! みたいな感じでピーンと顔を上げるノリちゃん。
「いいな! ノリそれはいいとおもいます! あるじみててー」
するとノリちゃんは元気に体を左右に振出し、短い人差し指と中指を合わせて、ちょこんと額に持って行った。
―――ちょりーすちょりーす ちゃーらちゃらー♪ まじまじぱないまじぱないっ♪
チャラ男の歌だった。
物凄く可愛いし、見ていて楽しい。
楽しいのだが…… ほんの少しだけ黒い感情が湧き上がってきて、やっぱりチャラ男を金精様にすべきか一瞬だけ悩んでしまった俺。
ノリちゃんはチョリースしたりヘンテコポーズをしたり、元気にバンザイしたりしながら歌い続けている。もちろん古代魔法で保存余裕でした。
俺は俺で手拍子をしながら、「あるじのうた」は作ってもらえないのかが凄く気になった。
そして最後を再びチョリースのポーズで締めくくり、歌が終わる。
俺が、ワーっと拍手しようとした時
―――パチパチパチパチパチ
隣の部屋から盛大な拍手が聞こえてきたので思いっきり壁ドンする。
どうやらまだケツに刺激が足りないらしいので、後からたらふくブチ込んでやろうと思った。
「ノリちゃん! 素晴らしいよっ! 可愛いよっ!」
「ほんとー!」
えへへ~ と照れているノリちゃん。可愛すぎて正直びっくりする。
すると彼女は、何か思いついたようにハッと顔を上げた
「あるじー あそびきまったー!」
「なになに? 何して遊びたいの?」
ノリちゃんがノリオ君を抱きしめて言った。
「ノリなー おままごとするー!」
◇ ◇ ◇ ◇
「ノリなー おままごとするー!」
おままごと。
お父さん役やお母さん役にわかれ、ご飯を作る真似したり、子供をあやす真似をしてみたり、ちっちゃい女の子がよくやる遊びの一つだ。
俺も小さいころ、何回か妹のおままごとの相手をしたことがあるので、一緒に遊ぶのに何の問題も無い。
しかしノリちゃんがやるのは初めて見るし、いつの間にそんな遊びを覚えたのだろうと少しだけ不思議に思った。
まあ、この頃の子供は、何故かいつの間にか新しい事を知っていたりするので、違和感を感じたわけではない。単純にノリちゃんの成長を実感したのだ。
「よーし、じゃあ、おままごとしよう! あるじちょっと喉乾いたからお茶だけ入れてくるね」
「わかったー ノリじゅんびしてるー」
あれとねー これとねー
一生懸命道具をチョイスするノリちゃんを見ながら、お気に入りの番茶を入れる。
俺がお茶をちゃぶ台に置いた時、ちょうど準備が出来たらしい。
「あるじー こっち! こっちー!
ポンポンと畳を叩くノリちゃんに従って隣に座る。
「じゃあ、最初に何をするのかな?」
「あんなー 最初になー 役割を決めます!」
エッヘンと胸を張るノリちゃん。俺は盛り上げるために「おおー!」と手を叩いてお茶を一口。
するとノリちゃんは、さらっと衝撃の発言をした。
「じゃーねー かれしはノリオくん」
ぶーーーっ!!
「の、ノリちゃんノリちゃん! 待って! ノリちゃんちょっと待って!」
お茶で汚れた口元を拭いながら取り縋る
正体不明の喪失感に襲われ、不覚にも涙が出そうになった。
「の、ノリちゃん…… か、彼氏って、どこでそんな言葉覚えたのっ!?」
何気に必死で食らいつく俺。
すると隣の部屋から絶叫が上がる。
―――その大役っ! わたくしめがっ! この卑しいわたくしめにっ!
俺は、刺激が不足していらっしゃる若頭のために二回りほどワイドなマジックアローをご用意させていただくことにした。
「ノリちゃんちょっと待っててね、あるじお隣のドラゴンさんに引っ越し祝いでブッ込んでくるから」
俺は急いで隣の部屋に侵入し、マジックアロー(太)を直腸に直接ブッ込んでやった。
最近、若頭は頭の方もケツの方も病状が悪化してるので、次の若頭防衛は無理だと思う。
部屋に戻って、キョトンとしてるノリちゃんに再度問いかける。
「ノリちゃん、彼氏なんて誰に教わったの?」
「うんとなー ありあー 」
俺は爽やかな笑顔でアリアを見る。
『ヒィッ』とか言って脅えてるが後で折檻だ。
結局、彼氏役はノリオくん(ぬいぐるみ)に決定した。
きっとアレだ。こう…… もっと同棲とか、そういうシチュエーションを想定した現代風おままごとなのだ。
最近の子はマセていると聞く。だから結婚にはまだ早い若いカップルの初々しいイチャコラ生活を模倣するような、そんな新し―――
「そんでなー だんなさまはあるじ」
衝撃再び。
まさかの二股宣言に声も出ない俺。
――旦那いるけど彼氏は欲しい~
――旦那と彼氏は別だよね~
――あ~それわかる~
昔、昼間のファミレスで聞いた、お頭もお股もユルユルな主婦の会話。
真昼間から発情してんじゃねーよと思った記憶がある。
わかっている。ノリちゃんにそんな自覚はないし、そもそもどういうことか理解をしていない。だから別に彼女がビッチの片鱗を見せたわけでは全くない。
だがこのままではまずいのではないか。
おままごと等、こういったことを普通に繰り返すことで、それが普通の価値観だと錯覚してしまったら、こんなに可愛いノリちゃんのことだ、苦労もせずに乙女ゲームの主人公状態になってしまう。
とにかく俺は言い聞かせなければならなかった。
「ノリちゃん! それはいけない事なんだ! 主はそういうの悲しいなー!」
するとノリちゃんはキョトンとして言った。
「でもなー ありあがなー 『しげきがだいじ』ってゆったー」
「アリアさん、後でお話があります。あと暴力に訴える可能性を否定しません」
『だ、だって! マンネリは大敵じゃぞ! そうなったらこの聖なる我とて人肌が恋しい夜も―――』
「塩水だな、それも若干濃い目のやつだ」
アリアが何やら『塩水はイヤじゃああぁぁぁ~~!』とかホザいてるがまあ今はいいだろう。
ていうか金属の分際で人肌とか舐めてんのか。
「ノリしってるー さんかくかんけいってゆーんだよ! ありあにおしえてもらいました!」
それは不倫っていうんだノリちゃん
俺は未だ始まってもいないおままごとに、強い夫婦の危機を感じた。
だが、もう一回言うが、ノリちゃんはわかっていないのだ。彼女は一つも悪くない。
だから俺の視線は自然とヤツに向く。
「アリア、天に感謝したまえ。もし雨が降っていなければ、今頃貴様は溶鉱炉の中で『全と個』について哲学しているところだ」
すると、幾分ションボリしているノリちゃんがアリアに言った。
「ありあ、うそついたの……?」
『ノリ、我は嘘など何一つついてな―――』
「黙れアリア、死にたいのか」
俺は今すぐこの遊びを中止させようか迷ったが、ノリちゃんは俺と遊ぶためずっと楽しみに待っていたのだと考えるとそうも出来ない。
今は続けよう。後からゆっくり言い聞かせればいい。
「じゃ、じゃあ、ノリちゃん、役割はこれで全部かな?」
「うんとなー おるねーがなー しゅうとめです」
もはや何も言うまい。
俺は数瞬だけ瞑目すると、始めようかとノリちゃんを促した。
するとノリちゃんはベッドまでトコトコ歩いて、可愛い寝息を立てて寝ているオルテナの手を取ると、自身の頭をちょこんと叩く。そして言った。
「ああ! おかあさまー ひどいわー」
「待って! お願いだからちょっと待って……っ!」
最近のおままごとというのはここまで生々しいものなのか。
まさか嫁姑間の確執をおままごとに持ち込まれるとは思ってもいなかったので、俺は動揺していた。
「い、今のお話は誰にきいたのかな~?」
「あんなー おるねーがなー そーゆーほんよんでるってゆった」
オルテナさんマジで何読んでんの。
最近、一生懸命本を読みながらウンウン頷いていると思ったらそんな本を読んでいたのか。
「しんぱいだからべんきょうしてるんだってゆった」
異世界ファンタジーにおいても嫁姑問題は深刻らしかった。
最強クラスの元勇者と、迫撃最強の闇姫ですら解決し得ないこの問題は、力だけでは生きていけない現実を如実に物語っていてため息しか出ない。
俺が考え事をしているうちに話が進む。
「あるじおかえりなさーい」
「ただいまー」
「ごはんにしますかー? おふろにしますかー?」
「ご飯が食べたいな」
「はーい、トントントン、できましたー」
「いただきます。パクパクパク、ノリちゃん、おいしいよ」
「よかったー そんでなー きょうはノリオくんがあそびにきています。ノリオくんこんにちはー」
あれ? 彼氏遊びに来ちゃうんだ?
なぜかおままごとなのに意識してしまって、ノリオ君相手に気マズい感じの俺。
これは突っ込んでいい所なのだろうか非常に判断に迷います。
するとアリアが、内緒話をするように声を落としてノリちゃんを嗜めた。
『ノリ! ノ~リっ! ダメじゃ! 旦那に彼氏を会わせちゃダメってあれだけ言ったであろう! 修羅場になってしまうぞ!』
てめーは他人より自分の心配をしたほうがいいですよ。
「あ! そうだったー! あるじー ノリオくんは帰るそうです。またねー」
「あ、ああ…… さよならー」
間男が帰るのを手を振って見送る旦那(俺)の図
客観的に考えて、あまりのヘタレっぷりに愕然とした。
そうしてるうちにも話は進む。
「おやすみしますかー?」
「じゃあ寝ようかな」
ノリちゃんがいそいそと疑似食器や疑似料理を片付けて紙を持ってくると、炭棒で何やら文字を書き出す。
覗き込んでみると、この大陸の言語で「YES」と書いてあった。
俺は何してるのかなと首を傾げていたら、ノリちゃんはおもむろにその紙を枕にしてコテンと横になった。
何だかんだ寝不足でぼんやりしていた頭が、急にクリアになっていく。
澄み渡った意識の下、フッと笑うと俺は極めて冷静に宣言をした。
「アリア…… ストレートに言うよ。君は死刑だ」
『ち、違う! 我じゃないぞ! ていうか今のは我も意味がわからんぞっ! どういう意味があるんじゃ!? 』
「しらばっくれるとは…… はははっ アリアさんは中々豪胆でいらっしゃる……」
寝不足はオルテナだけではない。ぐずったノリちゃん本人もそれは変わらないのだ。
疲れていたのだろうノリちゃんは、YES枕を下に、くーくーと寝息を立て始めていた。
俺はノリちゃんの小さな体を軽く撫でる。「ふぃ~ あるじ~」と、寝ぼけているのか寝言なのかわからない言葉を賜った。
いつもありがとうノリちゃん。大好きだよ。あるじはあるじでやるべきことをやるね。
「さあ、行こうかアリア」
『ど、どこへじゃ! 我は知らん! 本当じゃ!』
「言い訳は後で聞くよ。そう考えると「個」を保つってのは奇跡だね」
「い~や~じゃ~~~~~~~っ!!」
俺は暴れるアリアを引っ掴んで玄関へと歩き出した。




