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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
14/59

異世界最強は大家さんでした

今日はここまで


「はあ、はあっ ここまでこれば……」


 森の中、私は息を荒げながらようやく足を止めた。

 

「くそっ! くそっ! あの悪魔め! 卑しい下等種族めっ!」


 途中までは良かったのだ。

 初撃では最大級のサギタ・マキナを発動させ、あの黒の勇者を消耗せしめた。

 奴は暗部の情報通りの性格で、あんな生きる価値も無い下等種族の街を守ろうとおめでたい行動に出たし、あれを数回繰り返すだけで勝手に死んでくれるハズだった。

 だが二つものイレギュラーが発生した。


「チャラウォード……っ カラドボルグ家の恥さらしがっ!」


 聖魔法の使い手、始祖紀12神器の末裔で魔鋼大剣カラドボルグの名を冠する一族の嫡男、神に祝福された敬虔なる一族の面汚し。

 直接の面識はなかったが、その筋では神童と呼ばれ、将来は一族を率いる存在だったのだという。それが、とある出来事をきっかけに家を捨て、旅に出てしまう。


「だからといって、あのタイミングで出てくるなど……っ!」


 確かにそれも誤算だった。あの大禁呪をやり過ごすなど、よほどの使い手でない限り、聖魔法師でもなければ無理だ。だが何よりのイレギュラーはそれによって生き残った者だった。


「なんなんだ、あの悪魔は……っ! あれではまるで……!!」


 その名を口にしようとして、寸でのところで踏み止まる。あまりにも穢れたその名を口にするだけで、偉大なる神への信仰までもが汚されてしまうような気がしたからだ。

 

 どちらにしろ、今回の事は相当な痛手だった。

 聖魔法師二人を含む50人からの神報使徒(マキナ・ネルデス)達が全滅したのだ。

 聖魔石のストックもまだあった、あと10発は撃てただろう。それなのに成す術も無く大敗してしまった。

 

「あの女さえ…… あの女さえいなければ……」


 胸の裡を焼き尽くさんばかりのドス黒い炎。今すぐあの悪魔共を引き千切れ、切り刻め、すり潰せと荒れ狂う気持ちを、あたりの木に撒き散らすことで何とか心の均衡を保つ。

  

「まあいい、他にも手はある。絶対に許しませんよ悪魔共めっ!」


 そもそも社会的地位が違うのだ。大侵攻に勝つにせよ負けるにせよ今回の事を楔に正式に弾劾してやる。我々と主義主張が近いレガリアと歩調を合わせて周りからじっくりと真綿で首を絞めるように弄るのだ。力押し以外にもやりようなどいくらでもある。

 それにどちらにせよ激減するであろう皇都戦力、真正面から叩き潰すという選択肢もある。

 何より、我々神の僕に手を上げたことを公表し、あの悪魔共を人類の敵として祭り上げることで、国内からも孤立させるという手もある。

 私は未だ変わらぬ圧倒的優位を確信して微笑んだ。


「蛮族共が…… 今に見ているがいい、私を逃したことを死ぬほど後悔させ―――」

「何を、後悔させるんです……?」


 突然耳元で囁かれた言葉。


「何者…… な、なんだこれは!」

 

 動けなかったのだ。突如として指先一つも動かすことができなくなり、必死に踠く。

 一体何が…… なにが起こったっ!

 するとその女はねっとりと纏わりつくような声音で、私の耳元で熱く湿った吐息を漏らした。


「影縫い……ですよ?」


 俺の正面に回ったその女は薄く、驚くほど薄い笑みを作り物めいた顔に張り付けこう言った。


「ねえ、どうするつもりだったんです? ねえ……」

「あ、あなたですか! この神に祝福された私に下賤の技を仕掛けたのは!」


 私は激高した。劣等種がこの私の自由を奪うなど、あってはならないからだ。

 だが、女はそんなこと聞いていなかったように語り出した。


「拳鬼がいたからよほどの事は大丈夫と思っていたんですけど…… いや、いいんですよ? 結果的には彼の本当の力を知れたし、あの女は死んでも構わなかったですし」

「な、あなたは、何を言って―――」

「でもね、もし、もしもですよ? もしあの攻撃で彼が傷ついていたら、あなたはどうするつもりだったんですか?」


 段々と熱を帯びていく女の声音。まるで熱に浮かされたように目がトロンとしており、深い森にはおよそ似つかわしくない淫靡な雰囲気を醸し出していた。


「ねえ、どうするつもりだったんですか? 私のイサオさんにあんな酷い事してぇ、どうするつもりだったんですかぁ? ねぇ、マイノリア聖王朝リグル大使ぃ」

「な、なぜそれを…… 何者です? 私の地位はある程度上の者しか知らないはずで―――」

「今回は国家として? 教会として? それとも両方かなぁ? ま、いいんですよぅ、あなたはもう終わりです。ちょっとだけ、本当にちょっとだけ私はね、焦っちゃったんですよぉ?」」


 陶然とした表情でウットリと衝撃の事実を告げる女

 何を言っている! なぜ知っているんだ私の素性をっ!

 そんなことより、私が終わりだと? ふざけるな! 私は神が御手を差し伸べる偉大なるマイノリアの全権大使だぞ! けがわらしい蛮族の国家に滞在してやっていう私が終わりだと?


「い、いい加減にしなさい劣等種如きがっ! この私に危害を加えるなど神が許さない―――」

「神ぃ~~??」

「そうです! 神が許すはずがない、貴様らのような下賤な輩が神の下僕たる私を害―――」」

「何ですソレぇ? イサオさんより美味しいンですかァァぇェぇへへへへへェぇ~~?」


 女が突然股を弄り(まさぐ)はじめる。その表情は完全に発情したメスのそれだった。喘ぐように発せられたその声は情欲に塗れている。

 私はやはり獣が支配する下等な国の民なのだと確信した。


「はああぁぁ~ 殺したい…… 殺したいよおおぉぉォォォォォ~~!!」


 恍惚とした表情で体を震わせる女。ビクンビクンと何度か体を痙攣させ、荒く息を吐いている。

 大罪に値する、度し難いほど淫乱な最低の女だった。 

 すると女は捲し立て始める。


「なんで!? なんで殺しちゃダメなんですかぁ! 他国の大使だから!? あなたが他国の大使だからなの? イサオさんにあんなに酷いことをしておいてっ! イサオさんに涙を流させてまで生きてる価値なんてあるの!? いや、無いわ、絶対無い。どうしたらいいかなぁ ねぇ、どうしたらいいと思います?」


 私は自身の頬が吊り上るのがわかった。


「ほう、あなたの上の方は賢明なようだ。教会と我が国を敵に回して無事にすむわけがない。わかったならこの術を解くのです。今ならまだ間に―――」

「そうだっ! ああ、そうですよぅ! ここで全て聞き出して殺してしまえばいいじゃないですか、完璧ですっ!」


 何を言っているんだこのイカれ女は、自慰のし過ぎで頭まで溶けてしまっているのか。

 私が目の前の発情豚に罵声を浴びせようと口を開いた時

 女の顔がぐちゃりと崩れた。

 

「あはははっははははぁぁ~!! 簡単なことじゃないですかぁ!! 私ったらこんなことも思いつかなかったなんて! うふふふ、うふふえへへへへええぇェェェ~~……」

「や、やめろ……」


 首を振ろうとしても動かない私は冷や汗が吹き出るのを感じた。

 なぜなら、まるでその顔は……


「けってぇぇェェェ~~い! 殺します、殺しますよぉ!」


 あの悪魔と同じように醜悪に歪んでいたからだ。


「だってぇ、私は想像しちゃったんです。もしイサオさんが、もし……いなくなってしまったらって。そんな大罪を犯した人はどうやって死ぬべきかをずっと考えてました!」

「や、やめてくれ…… 頼む、そ、そうだ! 今ならまだ神は御赦しになる! だからやめ―――」

「無理ですよぅ。あなた方が死ぬことはもう決定しました。問題はどう死ぬかなんです……」


 股間が生暖かく濡れていくのがわかる。失禁してしまっているのだ。

 私は自身の排泄物の湯気の中、肌が泡立つのを感じた。

 なぜ、なぜ私だけこんな目に、なぜ1日に2度も化け物に遭遇しなければならないのだ。

 すると女はゆっくりと、本当にゆっくりと私に近づき、鼻同士が触れそうな距離で私の目を覗き込んだ。

 信じられないほどドロリと濁った眼、あまりの嫌悪感に吐き気が込み上げる。


「うふふふぅ あなたは知ることになります。人は中々死ねないってことを……」

「あ、あ、あ、やめ……」

「さあ逝きましょう! 早く殺してくれと頼みたくなるよう、私も頑張りますっ!」


 私は、私は……





□□□□□□□□□






 あの後、降り注ぐ陽光を一身に浴びて、私は目を覚ました。

 前後の記憶が定かではない。私は傷ついた体を引き摺る様に立ち上がり、周りを見渡した。

 遺跡が乱立する小高い丘にいたはずなのに、遺跡は消滅し、大地は抉れ、元の様相を留めていなかった。

 あの許し難き変態との戦闘のさ中、突如として天から落ちてきた光の槍。あれは一体何だったんだろうかと首を傾げる。


 戦闘をしていたと思わしき場所まで戻ってみる。

 そこには、足を切断され、その後回復魔法で止血されたらしい死体に動物たちが集まっていた。魔獣も混ざっているようだ。

 

「はて、こんなものあっただろうか……?」


 周りは、いくら探してもその死体群しかない。一体何が起きたのだ。

 とりあえず、前面、右手で左手首を掴むサイド・チェストのポーズをとって考えてみるもイマイチわからない。

 だから私は私の愛しき筋肉達に問いかけてみる。


「何か知っているかいっ? 私の美しき筋肉たちよっ」

「ボ・ク・ワ・カ・ン・ナ・イ」


 上腕二頭筋の筋収縮に合わせて腹話術を披露。

 おお、今日も調子がいい。

 今度あの愛らしき幼竜に見せてあげよう。きっと喜ぶに違いない。

 

 しばらく筋肉たちと戯れていると、突如、天啓のように閃いた。


「そ、そうかっ! そういう事だったのかっ!」


 そうとしか説明のしようが無かった。

 あの光の槍の雨は、神の試練だったのだ。そうだそうに違いない。

 なんの前触れも無く巨大な力が天から襲い来るなど、そうとしか考えられなかった。

 その試練は、天があの忌まわしき変態と、聖なる私を試すものだったのだ。

 そして私はその試練に打ち勝った。今生きているのがその証明だ。

 周りを見やる。やはり奴はいない。

 変態は滅んだのだ。


 あの日、聖洗中の私の下へ訪れたローブを着た男達。

 「黒髪の男からこれを」という言葉と共に渡された手紙には、天に唾吐くかのような許し難い暴挙が列挙されていた。

 あの丘で、あの黒い女性と、あろうことかあの可愛らしい幼竜にまで猥褻な行為に及ぶ、と。そして心行くまでその肉体を堪能し蹂躙する、と。

 

 そんな獣にも劣る宣言に私は激高した。

 筋肉達も激高した。

 だから私はあの外道を叩き潰すべく赴いたのだ。

 そして下された神の審判。


 私は咆哮した。


 守ったのだ。私はあの変態の魔の手から、麗しき女性達を守ったのだ。

 おもむろに、もうすぐ中天にさしかかる太陽を見上げる。

 突き抜けるような青空。陽光輝き、収穫期の馥郁たる風がやさしくそよぐ。

 まるで神が私の勝利を祝福しているかのようだった。


 こうしてはいられない。

 まずはこの体の傷を癒し、今まで以上に聖洗に励まなくてはならない。

 今まで以上に吟味し、探究しなければならない。

 そうでなければ神が私を試し、生かしたもうた意義を全うできないではないか。

 私は祝福の丘を越え、ゼプツィール内の隠れ家へと走り出した。



 そして私は今、街を物しょ…… 救いを探している。

 数日間、ゆっくりと休み傷を癒し、時を待った。

 試練を越え、祝福を受けた私の門出に相応しい日、白星の日だ。

 この日は、仕事が休みな者が多く、人々はこぞって中心街へと足を運ぶ。女性の場合、よりその傾向が顕著で、要するに家にいないことが多い。


 私はもうすでに、高等区・中等区はあらかた聖洗を終えていた。心惹かれる様な一品は人数の割にはあまり多くなかったように思う。

 やはり、人が多く集まる場所だと心まで淀んでしまうのだろうか。

 

 女性の一部ともいえるソレには、その者の魂がそのまま透写される。清らかなる魂を持つ者のソレは清らかなる一品へと昇華され、醜い魂の持ち主は穢れたただの布きれになってしまう。そこに例外はないのだ。


 だが私は見捨てない。

 いくらただの布きれになってしまおうとも、私は見捨てないのだ。

 聖洗し、浄め、愛しむことにより、それは浄化され、本来の価値を取り戻す。

 本来の価値を取り戻したソレをまた持ち主の下へ忍ばせることによって、ソレが今度は魂に影響を与えるのだ。

 私が行っているのはそういう事だ。巷であらぬ誹りを受けるが、それはとんでもない誤解なのだ。

 

 ふうっと理解されぬ趣……使命を想いため息を一つ

 私は最近新たな戦力となったソレに手をやり呟いた。


「この聖衣は素晴らしい……」


 この街で手に入れた数少ない逸品の中で、黒い女性のソレは特に素晴らしかった。

 清らかで純粋な心、無垢で宝石のように澄んだ心、それでいてどことなく感じる抑圧された影はそんな彼女が持つ心の闇を剥き出しにする。

 それは人間だった。喜怒哀楽を持ち、表も裏も全てひっくるめてそれでもなお輝くソレの持ち主の魂は、どこまでいっても人間で、そして美しかった。

 

 私は頭から被った彼女のソレを少しだけ嗅ぐ。

 まるで険しい山麓からこんこんと湧き出る清水のように爽やかな香りがした。そして肌触りも確かめる。


「最高だ……」


 私は足取りも軽く一般区を歩く。


 だがそれも長くは続かなかった。

 

「なかなか無いな……」


 これだ! と感じるものがない。

 私は、琴線に触れるような一品に中々出会えず少しだけイライラしながら歩いていると、右手に、どうしようもない程みすぼらしい建物が見えてきた。


 ボロボロの2階建てのアパート。外壁は剥がれ落ちて苔生し、いたずら書きの被害にすら合っていない。階段は今にも崩れ落ちそうで、手すりなども完全に朽ち果てている。ベランダの雨戸が腐り、隙間風どころではない風に襲われそうな部屋もある。ただただ雨風凌ぐための家、そんな印象を受けるようなアパートだった。


 もちろん魂の価値は「金」に依存しない。

 だが、今日生きることだけを必死に考えるしかない毎日を送っていると、やはり魂は疲弊し、摩耗してしまうものだ。人の心はそれほど強くは出来ていない。 

 こんなところに、魂の純度を保っていられる者などそうそういないはずだ。

 私は、そう思って期待もせずに、軽くベランダを一瞥し通り過ぎようと足を踏みだした時、


「ソレ」はあった。 


 思わず足を止め二度見する。

 それはそのボロアパート、なんの変哲も無い一階のベランダに吊るされていた。

 他の洗濯物と一緒に、あまりにも無造作に干してあったソレは、風景に溶け込むようでいてなお燦然と輝いている。 


「う、美しい……」


 思わず呟く。神々しいとさえ思った。

 私は夢遊病者のようにベランダを乗り越え、かぶりつくようにソレを手に取る。

 そして驚愕した。


「な、なんだこの魂の強度は……っ! 商品自体の質もさることながらっ 洗濯をしてもなお隠すことのできない高貴なる気配っ 女神の様に慄然とした風格っ そしてほのかに漂う色香っ どれをとっても超一級品っ!」


 正直、これほどの逸品とは出会ったことが無かった。

 私は焦る。今、これに見合うほどの金銭を持ち合わせているだろうか、もちろん代替品など用意出来る筈も無い。

 代価を置いて行くのは、私が決めた翻すこと無きルールだ。だが私は今その代価を持っていないのだ。

 どうすればいい、このまま諦めるのかと一瞬考えるが私は首を振る。

 有り得ないからだ。今後、これほどまでの逸品に出会うことが出来るとは思えなかったのだ。

 

「どうすればっ! どうすればいいのだっ! 神よっ 私に教えてくださいっ 私はどうす―――」


―――ガラッ


「なんだい、人ん家のベランダでうるさいねえ」


 ベランダの雨戸が開き、目の前に小柄なババ…… 老婦人がたっていた。

 

「あん? なんだい、あんたは何してんだい?」


 私は眉をひそめた。

 待て、ちょっと待て…… ホントちょっと待って……


「あ、あの、あ、あなたがこの下着の持ち主で……?」


 するとババ……老婦人は私が手に持つ下着に目をやると


「あらヤダ! なんだいいきなり、もうっ!」 

 

 頬を染め、もじもじ体をくねらせた。

 そして上目使いで私を見ると口を尖らせながら


「欲しいのかい……?」


 と言った。


「う、う、うううううううう嘘だっ! だ、騙されんぞっ! わ、わたしはっ わたしのっ!」

「まだあたしも捨てたもんじゃないわねえ ポッ」


 ポッ じゃねえんだよ

 焦った私は、室内にまだ孫か曾孫がいるに違いないと、夫人を押しのけて侵入しようとしたその時。


 世界が廻った。


 気付いたら私は、通りに背中を打ちつけられていた。

 何だ!? 何が起きた!? 私は室内を改めようとババアの肩に手をかけ、優しくそっと押した、そこまでは覚えている。そして気付いたらこの状態だ。

 私は呆然とベランダから降り立つババアを見上げていた。


「なんだい、ただの下着泥棒かい、ああそうか、噂のヤツだね、かかってきなァ」


 何を言っているんだこのババアは、私は拳鬼だぞ。小柄なババア一人でどうにかなる相手ではないというのに気でも狂っているのか。

 私は立ち上がるとババアと向き直った。


「けっこうやる(・ ・)らしいじゃないか、ホラ、かかっておいで」

「わ、私は決して女性に手は上げないっ! それがたとえババアでもだっ!」

「あー、最近の若いのはそうやって逃げんのかい、笑っちゃうね。これならまだあの小僧のほうが骨があるってもんだ」


 鼻で笑うババア。

 私はその挑発に乗ったわけではないが、先程のこともあって少し懲らしめてやらねばならないと思った。

 私は拳鬼だ。この拳一つで全てを掴んできたし、この先もそうする。

 このままババアに勝ったと思わせておけるほど【拳鬼】の名は軽くない。【拳鬼】に負けは許されないのだ。


「いいでしょうババア」


 殴る事はしない。傷付けることなど絶対にしない。ただ軽く掴んで上に放り投げる、そして優しく受け止め地面に下ろす。それだけでこのババアは戦意を喪失し誰を相手にしてしまったのかを知るだろう。

 

「思い知るのだババアよっ!


 足元の土が吹き飛ぶ膂力で突進。

 一瞬で迫るババアの腰に向かって手を伸ばす、そして……


 私は空を飛んでいた。


 何を言っているのか解らないだろうが私だって解らない。

 事実として私は、頭を下にして空を飛び、今、ボロアパートの屋根を眼下に収めている。

 すると猛烈なスピードで地上から迫って来る人影が見えた、ババアだ。


「歯ァ 食いしばりなァ」

「なっ!」


 ババアは空中で私に追いつくと、どうやったのかはわからないが、下を向いている私の背中に回り込み、私の両脇に両足を置く、そして私の両足を両手でがっちりとロックした。


 すぐに収まる浮遊感、そして始まる空からの落下

 猛烈なスピードで迫りくる地面に恐怖を感じ、なんとか拘束を解こうと暴れるが、ビクともしない。

 なんだ! なんなんだこのババアは!


「私は【拳鬼】だぞ! ババア! 貴様何者だっ!」


 ははっ という声が聞こえる。

 顔は見えないが不敵に嗤うババアの顔を見たような気がした。


「あたしゃ単なる大家だよっ!」

 

 そうして流星のように地面へと落下する私達

 

 【拳鬼】を名乗り10数年

 幾多の戦場を渡り歩き、数多のつわものと戦い、その全てに勝利してきたこの私が

 今日この日、初めて敗北した。







◇ ◇ ◇ ◇







「イサオ行ってらっしゃい。お弁当を忘れるな」

「あ、ああ、行ってきます……」


 あの事件から数日、白星の日、俺はお弁当を片手に家を出た。

 いつもなら毎週白星の日、ノリちゃんは霊泉に水浴びに行くのだが、今日は霊泉に行かずに俺についてくると強弁したノリちゃん。

 2度と会えなくなるという事が有り得ると知ってから、彼女は俺から離れようとしない。

 昨日など、夜中トイレに起きた俺が部屋を出ると、物凄い勢いで泣き始めてしまった。ふと目を覚まして隣にいなかったことが恐ろしかったらしいのだ。

 そのうち安心して、いつも通りの生活に戻るだろうが、それにはまだ少しだけ時間がかかりそうだ。


「あるじー きょうはなにするのー?」

「今から公園に行ってドットの稽古だよ」


 いつもの緑地公園まで手を繋いで歩く。

 広場まで行く道すがら、もうすぐ枝払いの時期な事に気付く。前回はアリアがうるさかったので、今度は別の剣か何か買おうかな、と思った。


 広場に着くと素振りをしているドット。もう既に汗だくだ。

 今回、クルルちゃんを守れなかったことが相当悔しかったらしく、その眼は見たことが無いほど男の目をしていた。

 視線をずらすと、ゴザみたいな布を敷いたクルルちゃんが潤んだ瞳でその姿を見つめている。今までは木陰でジッと稽古の様子を伺っていたのに、もう隠れるつもりも無いらしい。

 ドットを見つめる彼女は、まるで自分を助けに来てくれた王子様を見つめる生娘そのもので、あの親バカが黙っちゃいないだろうなと頭が痛くなった。


 そんな微笑ましい光景に嘆息しながらドットに声をかける。


「師匠、俺、もっと強くなりたいです……っ!」

「ああ、わかってるさ。でもやることは変わらんぞ、俺は責任持ってお前を鍛えてやる」 


 カーンカーンと木剣が合わさる音が広場にこだまする。

 稽古が進むにつれ、クルルちゃんは益々女の目をしてドットを見つめ、その横ではノリちゃんがお昼寝をしていた。

 そんな熱っぽい視線に気付いたか気付いてないのか、ドットが文句を言う。


「クルル、気が散るだろ!」

「な、なによ! べ、別にドットを見てるわけじゃないんだからね! 言い掛かりはやめて!」

 

 やれやれ、若いっていいな。

 リア充爆ぜろ


「じゃあ、まあアレだから、休憩にすっか」

「いや、師匠! 俺はまだっ!」


 彼女を目の前で攫われ、何もできず俺の前で土下座したドット。

 結果的に彼女を助ける事が出来たとしても、彼の中で今回の事件は終わってはいない。あの日の屈辱と絶望を彼は絶対に忘れないだろうし、忘れないでいて欲しいと思う。得る事は難しくても、失う事は実に簡単なのだ。

 二度と大事なものを失わないのだと、決意を湛える双眸が、木漏れ日を受けてキラキラ光る。俺にはそんな彼が眩しく見えた。 

 しかしそんなドットの決意などどこ吹く風、クルルちゃんはクルルちゃんの理屈で頑張るようだ。


「ドット! 師匠の言う事は聞きなさい! 失礼でしょ!」


 台詞こそ叱っているように聞こえるが、いそいそと昼食の準備を始めるクルルちゃんからは説得力をまるで感じなかった。

 青春っていいね。


「ノリなー おべんとーおてつだいしました!」


 いつの間にか起き出したノリちゃんが胸を張る。

 何気に聞き捨てならない情報に、頬が緩むのを感じた。


「あるじー はやくー こっち! こっちきてー!」


 横をポンポンと叩くノリちゃん。相変わらずの天使力が半端ない。

 俺には選択肢なんて無かった。


「おら、稽古は昼飯食べてからだ」

「う、うす……」

 

 ぶす~っとしたドットの横顔を眺めながら、俺はこの前の事を思い出していた。




 あの後、その場で拘束されるようなことは無く、俺は負傷者が詰め込まれた馬車の中、回復魔法をかけながら街へと帰った。

 昼になってようやく家に着いて、異常に甘えるノリちゃんを抱っこしながら眠り、ノックの音で目を覚ました。

 ドアを開けると書状を持った国の使者。情報早ぇなと驚く反面、ああ、これで俺たちは出て行かなきゃならなくなるな、と少し寂しくなった。

 しかし、はいはいと手をヒラヒラさせながら読み上げを聞いた俺は驚愕する。

 住んでいていいというのだ。ゼプツェンは俺たちを受け入れる、と。普段通りにしてていいから楽にやってくれ、と。

 

 そして、アホみたいに口をパクパクさせる俺に構わず「詳しい事は登城命令が出るのでその際に」と言い残してさっさと踵を返した使者。脱力して玄関に座り込んでしまったのもしょうがないと思う。

 だが、同時に頭に浮かんだのは、やはり利用されるのではないか、ということだった。自分に都合の良い事を素直に受けるほど綺麗ではなくなってしまった自分に苦笑しつつも、だから何だ? という思いもあった。 


 おそらく俺たちは外交カードにも使われるし、もちろん抑止力としてテーブルに上がることだろう。

 今回の戦争でゼプツィールの戦力は半減してしまっているし、有事の協力要請だってあるに違いない。

 それでも彼等は住んでいていいと言ってくれた。存在するだけで今回のような災いを招きかねない俺たちを受け入れると言ってくれた。

 彼らにとってのデメリットを認識した上でそう言ってくれたなら、それ以上を求めるなんて贅沢な真似は、俺には出来なかった。何しろ俺たちは「災害」なのだ。

 誠意には誠意で返すべきではないかと俺は思うし、そうやって俺は育てられた。どちらにせよ、答えを決めるのは、城に呼ばれてからになるだろう。




「ノリなー とまとぐつぐつのみはりをしました!」

「トマトソースを作ったのか~ ノリちゃん、ちゃんと出来た?」

「あつかったけどなー ノリがんばった!」


 褒めて褒めてと頭を差し出すノリちゃん。

 そんな彼女の頭を優しく撫でながら、こんな小さい彼女のどこにあれほどの力が眠っているんだろう不思議に思う。

 俺だってそう思うのだから、彼女があの絶望的な戦争を一声で止められるほどの力を秘めていると考えた者は案外少なかったらしい。

 

 国はそんな考えに便乗する形で、表向き、あの戦争は知性あるブラックドラゴンが止めたということで話を収束させた。

 若頭は「エルマキナ様の御力だ!」と憤慨していたが、現実的にはそれが妥当な落としどころだろうと思う。だいたい、しがないDランク冒険者と一緒にいる1歳児くらいのチビちゃん竜が国を救ったなんて、夢見る吟遊詩人だってアレンジに困るに違いない。


 若頭といえば、いつの間にか隣に住んでいたらしい彼について大家に抗議したら、正式な手続だから文句を言う筋合いは無いとつっぱねられた。

 金がモノを言う世知辛いこの世界で、それ以上俺にできることはない。だからとりあえず俺はマジックアローをケツにぶち込んでおいた。しばらくは動けまい。




「ねえドット、サンドイッチを作って…… 作らせてきたの。今日こそ美味しく出来てるはずよ……って料理人が言ってたわ!」

「お前んトコの料理人クビにしたほうがいいって……」

「つ、つべこべ言わずに食べなさいよ!」


 隣でイチャつく若夫婦。 

 ドットはいつになったらクルルちゃんの想いに気付くのだろうか。クルルちゃんはいつになったら素直な気持ちをドットに言えるようになるのだろうか。

 俺が口出すところではないと重々わかっているが、それでも痒くてしょうがない。ラノベではドキドキワクワクの展開でも、目の前でやられるとこうも勘弁してほしいものなのかとため息しか出ない。

 だがまあしょうがないだろう、あんなことがあったのだから。



 戦場から無休馬車に揺られて半日、すっかり日が上った頃に家に着いたらドットが家の前で待っていた。クルルちゃんを助けたと、別に嬉しくもなさそうな顔で呟いたのが印象的だった。

 お前のせいじゃないと言ってやりたかったが、それを言って傷つくのはドットだ。俺は「そうか、良かったな」とだけ言って家に入った。

 一体、あれだけ探して手がかりさえ掴めなかった彼女をどうやって見つけたのか未だに謎だが、どちらにせよ、「信じろ」と言った師匠の面目丸潰れなのに変わりはない。


 俺は、ノリちゃんがいそいそと昼食の準備をするのを横目に、いつもの場所に視線をやる。

 相変わらず木の陰でそれ専用と成り果てたハンカチを……いや今日はパンツをキィーと噛むベルト。あんたまさか……

 あの超絶親バカがゼプツェン皇国軍魔導化重甲連隊長だというんだからもうどうしようもない。

 いつものように、親バカの横に佇む執事に、いつもご苦労様ですと苦笑すると、パチンとウインクを返してきた。年配好きならイチコロだろうなぁと思うと同時に、ああそういうことね、と独り納得する。

 相変わらずカッコイイじいさんだ。弟子がまたもお世話になって、いよいよ大家を紹介しなくてはならないのかと俺は戦々恐々とした。


「はい! おべんとーです!」


 渡されたバスケットを開ける。中には布の包みが2つ。それを開くと具沢山のサンドイッチが入っていた。

 「おいしそうだな」とか呟きながら取り出したサンドイッチ。そのパンの表面には、日本語でドでかく「いさお」と焼印が押されていた。

 ノリちゃんがとりだした方には「のり」と焼印が押されている。

 俺は思わず頭を押さえた。




 使者による文書読み上げの後、俺は布団に戻り再度眠りについた。

 そして再びなされたノック。

 今度は何だよと頭を掻きながらドアを開けると、そこには街の衛士がいた。その衛士はこう言った。


「オルテナ・レーヴァンテインを騙る不審者があなたを身元引受人に指定しているのですが……」


 俺は家を飛び出した。そういえばクルルちゃんの救出をお願いしていたのだ。

 正直忘れていました。すみません。

 でもなぜ、不審者として捕まっているのでしょうか、さっぱりわかりません。


 拘置されているという屯所の牢屋に着いた俺は絶句した。

 そこには、体育座りをしながら冷たい石畳に虚ろな視線を落とし、何やらブツブツ呟くオルテナさんがいたからだ。

 俺はすぐさま書面にサインをし彼女の身柄を引き受けたが、彼女は完全に闇に堕ちた人の目をしていた。 

 

 一体何があったのか問うと、要するにオルテナは、クルルちゃんを探しに行くのは隠密任務なので、いつもの黒装備のまま高等区に乗り込むのは身元がバレるので危険だと考え、家で着替えたらしいのだ。

 彼女を見てみると、なるほどいつもとは全然違う格好をしている。

 ピッタリとしたノースリーブの黒の対撃スーツを着て、この世界では珍しいホットパンツを履き、大きい襟付き、体のラインを強調するカーディガン、お団子頭にハンチング帽という、現代日本のオシャレ女子みたいな恰好。

 

 俺からすると、日本で四倉あたりを歩けば物凄い勢いでナンパされるだろうなと思うくらい似合っているし違和感がないのだが、如何せんここは異世界ファンタジー。まあ不審者だと思われてもしょうがない。

 生まれる世界と時代を間違えてしまった彼女は、捨てられた子犬の様に涙目でプルプル震えていた。

 「どうせ私は……」と呪詛を吐き出す彼女に聞き取りを続ける。


 それによると、避難で空き巣警戒中の衛士に呼び止められ、拘束されそうになった彼女はカイナッツォ家の令嬢が誘拐されていて助けに行くのだと説明をしたのだという。上級貴族の娘が攫われたというのだ、衛士だって焦る。急いで最寄の屯所と連絡をし、問い合わせをする衛士。そんな衛士に対する答えはこうだった。


「クルル様は既に帰宅しており在宅中でございます」

 

 そりゃ捕まるわ。

 とっくの前にドットが助けていたんだから。


 そして最後の手段、「私はオルテナ・レーヴァンテインだ」

 それに対して帰って来た答え「オルテナ様はそんなヘンテコな格好はしない!」


 最近自信を持ちかけていた心がボッキリ折られたのだと彼女は言った。

 よくわからんが、「そういうこともあるさ」とだけ言っておいた。 

 

 そうしてとりあえず家に連れて帰ってくると、あるじがノリを置いて行ったとノリちゃん大号泣。

 それにつられて何かが爆発してしまったらしく、私だってぇ~!とオルテナさんも大号泣。

 すぐに始まった壁ドン床ドンの嵐

 最終的には大家が登場し、俺がシバき倒されるというスーパーカオス状態


 そしてそのままオルテナさんは住み着いてしまった。

 

 


 日本語で「いさお」と焼印が押されたサンドイッチを眺めてため息一つ。 

 オルテナが、俺の国の文字で俺の名前はどう書くんだと聞いてくるから、もう隠す必要もないだろうと素直に教えてやったらこの始末。

 

 なんかニコニコしながら部屋で編んでいるセーターも半分以上出来上がり、ちゃんと「いさお」という文字の下半分を確認できるまでになっている。「のり」もそうだし、「おるてな」もそうだ。

 この世界の人が日本語をわからないからまだいいものの、この年になって名前入りのお揃いセーターとか、一体全体どんな羞恥プレイだ。

 俺は手で顔を覆った。



 オルテナはウチに住み着いてから、ギルドに依頼を受けに行かなくなった。

 朝はお弁当を作り、俺が仕事をしている間、狭い部屋を完璧に磨き上げ、晩御飯を作って待っている。

 そして食べ終わると、いそいそと片付けて家に帰っていく。「戸締りはきちんとするんだぞ」だってさ。かーちゃんかよ。



「これ! あるじこれ! ノリがつくったとまとのぐつぐつ!」

「おお! ノリちゃん上手に出来たね! おいしいよ!」


 今のところ、ノリちゃんだけが俺の癒しだ。

 一体全体どうなっているんだろう。本当にオルテナは何しに来てるのだ。


 嬉しそうに俺たちの世話をやくオルテナを見ていると、元の世界に置いてきた妹をどうしても思い出してしまう。

 そういえば妹も、事あるごとに俺の部屋に来て色々と世話を焼きたがった。


 もし時の流れが一緒ならば、確か妹も今年で19歳のはずだ。 

 ブラコン気味だった妹は今の俺を見て何て言うだろうか。らしくないと笑うのだろうか、今ではそんなことすらも想像できない。

 当時の希望通り、美術系の大学にちゃんと進学出来ているだろうか、もしかしたら希望自体が変わってしまっているかもしれない。

 カレーが好きでカレーばっか食っていたけど、今ではイタリアンこそ至高とか調子こいてるかもしれない。

 もう化粧とかもするのだろうか、彼氏とかも出来ちゃったりしてるのだろうか。

 たかだか4年、されども4年。会っていない4年という歳月のあまりの大きさを実感し俺は俯いてしまう。


「もうそんなに経ったのか……」


 俺はなんとも言えない気分になって空を見上げた。

 考えてみれば色々あった。

 県大会決勝戦当日の朝に突然召喚され、竹刀だって防具を付けて振り回す世界から来た人間に、いきなり生身で木刀で打ち合えと言う。今考えても無茶苦茶だろうと思う。

 

 4年たった今でもこの世界の常識と何とか折り合いを付けながら必死に生きてるのが現状だ。

 それでもあんなに毎日、帰りたいと泣き叫んでいたのが今では嘘のように感じる。

 4年と言う月日の中で、俺は慣れてしまったのだろうか、諦めてしまったのだろうかと考えて、そうではないと首を振った。

 俺は見つけてしまったのだ。

 命を賭しても守りたい大事な存在を。何があっても失いたくない無二の存在を。

 

「おいしーなー!」


 美味しそうにサンドイッチをハムハムするノリちゃんを見て、自然と頬が緩む。

 何気ない日常に、こんなにも深く感謝する日が来るなんて思いもしなかった。 

 俺が守りたいのはノリちゃんであり、そしてきっとそれはノリちゃんと一緒に暮らす「日常」でもある。

 俺が手に入れたいのは「武力」なんかではない。もちろんこの世界で生きるためには武力は必要なのだけど、本当に必要なのは、この尊い「日常」を守る力なのだ。 


 ノリちゃんと出会う前、俺は強いと思っていた。

 国を相手に単騎で戦争して間違いなく勝てると思っていた。

 だがそれが本当に強いといえるのだろうか、本当に勝てると言えるだろうか。今の俺はそうではないと思う。

 

 組織の力というのは何も武力だけではない。

 今日の食事の食材はどこから調達している、水は、食器は、服は、靴は、家は。あらゆる素材、食材、商材が顔も知らぬ誰かの手により生産され流通され、俺たちの手に渡る。

 俺はしょせん個人だ。自分一人では出来ない事が多すぎる。それは俺に限った話じゃない

 人はそれを補うため、効率的に生きるため集団で暮らすし、そのとりあえずの終着点・究極として国はある。

 今こうして暮らしてるだけでその恩恵にあずかっているし、そのおかげで俺達は暮らしている。個人が腕力だけで国と戦うなど、幼稚園児の妄想と同レベルであることにを俺は知ったんだ。


 俺は絶対に国という組織には勝てない。いやこの街の女性部にすら敵わないだろう。

 大体、そうやって気に入らない、敵対する勢力を潰していった先に一体何が残るというのだ。世界には自分たった一人でしたということになりかねないではないか。

 それでは俺達の日常は守れないのだ。


 だから俺は嬉しかった。こんな俺達でも住んでいいと言われた。受け入れると言われた。

 この世界に来て、やっと居場所ができたんだ。俺達の「日常」が認められたんだ。


 口の周りをソースでベチャベチャにしながら「のり」と焼印が押されたサンドイッチを頬張るノリちゃん。


「ノリー ちょっと俺にも食わせてくれよー」

「めー! これはノリのー ノリってかいてあるでしょー おるてなとノリがつくったんだよー!」 

「いーなー、師匠はモテてさー」

「おい、横の子が怖いからやめとけ」


 ぷぅ~ とむくれるクルルちゃん。彼女は彼女の日常を手に入れるため必死に戦っている。


「ちょっと! ドット、こっちにいっぱいあるんだからこっちの食べなさいよ!」

「だって不味いんだもん……」

「なんですってぇ!!」


 なにやら緑色の液体を垂らしたサンドイッチを口に突っ込まれて涙目のドット。我関せずではむはむ中のノリちゃん。

 俺は、言葉に出来ない暖かい気持ちに満たされるのを感じた。思わずこぼれ出た笑いもきっと価値ある大事な宝物だ。

 

「ドット、今日は早めに上がろう」

「ええっ 師匠! 俺はまだ稽古したいですよ!」

「昨日の今日で俺もお前もまだケガが治りきってない、無理したっていいこと無いよ」


 それでも納得出来ない顔のドットの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 クルルちゃんが羨ましそうに見てるが、あえてそこには触れないでおいた。 


「今日焦ったってすぐには強くならない。お前は強くなるよ。だから今日はいう事を聞け」


 するとクルルちゃんが何か助けを求めるように俺を見た。

 いつだって乙女は戦士だ。その意味をすぐに理解した俺は、木の陰で黒いオーラを放出しているオッサンに心の中で一言謝ってからドットに告げる。


「お前はもたまには街で遊んで来い。一人じゃつまんないんだからクルルちゃん連れて買い物でもしてこいよ。これも冒険者には必要なことだぞ」


 擬音が聞こえるくらい、ぱあぁぁっと顔を輝かせるクルルちゃん。しぶしぶ頷くドット。

 まったく、だれか俺をお膳立てしてくれよ。


 昼食が終わると、クルルちゃんはドットの手を引き駆け出していった。

 ベルトさんも移動しようとしていたが、執事に押さえつけられていた。執事に視線を向けると、意地悪い笑みを返される。相変わらず粋なじいさんだ。


「ノリちゃん、じゃあ俺達も帰ろう」

「かえるー!」


 ノリちゃんが当たり前のように右手を差し出す。俺は当たり前のようにその手を握った。

 手から伝わる温もりが堪らなく愛おしくて、俺はノリちゃんを見やる、ノリちゃんもこっちを見上げている。交錯する視線の向こう、そこでは俺の「幸せ」が笑っていた。

 これこそが守るべき日常だと、確信を深めて俺たちは歩き出す。

 それだけで俺は生きていけるのだと、生きている意味があるのだと、そんな何にも替え難いちっぽけな喜びを胸に抱いて俺は視線を上げた。

 意義や意味など口には出さない。そんな必要はないからだ。

 

「ノリちゃん、あるじ幸せだよ」意図せず漏れ出た俺の気持ち。

「あるじはノリがしあわせにするよ?」彼女が言った。 

 

 どうしようもない、本当にそう思う。

 何が? なんて無粋な事は聞かないでほしい 語るまでもないじゃないか。

 微かにぼやける視界の先、うりゅ? と首を傾げる彼女を撫でる。

 今この瞬間が永遠に続けばいい、心からそう思った。


「ノリやくだつした?」

「うん、とっても」

「やくだつたー!」



 俺達は家へと歩く。あっという間に時間は経ち、家はもうすぐそこだ。

 するとすぐ目の前の角を曲がったらもうアパートだという時、突然そちらのほうから ドゴンッ と地響きが鳴った。

 何事かと覗いてみると、大家さんが腕を組んで立っている。そしてその横には地面に人が刺さっていた。

 

 刺さった人をよく見てみる。どこかで見た様な筋骨隆々の大男、そしてあの前衛的なパンツの着こなし方をする奴といえば……


「ホラ、下着泥棒がいるよ、連れて行きなァ」


 思わず苦笑い、そうですか、そうきましたか。

 どう見ても地面に頭が刺さっていて、死んでるのではないかと一瞬思うが、まああの変態なので大丈夫だろう。


「引っ越すんだろ? あたしゃ別にいいからさっさと連れて行きな」



 こみ上げる笑いを堪えられない。俺でも魔法無しでは倒せるかわからなかった拳鬼をこうも簡単に倒してしまうんだから。

 ははは、やっぱりあんたは最強だよ。異世界最強は大家さんでした。

 俺は、腰をポンポン叩いてベランダに入っていく大家を見送りながら、思わず吹き出す。


 儘ならない、ホント儘ならないよ。


 身に宿るのは最強の力。

 力が無くては何もできない悲しい世界に落とされ、それだけが全ての世界でしばらくの時間を過ごした。

 そうやって今、力に縋るしかなかった俺の目の前に並ぶのは、どれもが力を必要としない難題ばかり。

 それに右往左往して目を回すのを心地よいと感じ始めたのはいつからだろうか。

 

 何事かと雨戸から顔を出したオルテナに向かって、なんでもないと軽く手を振る。

 かなりの鋭角で拳鬼の尻を見てしまったオルテナは、顔を真っ赤にして部屋に戻っていった。

 そんな彼女を見て、俺達は素直に笑い声を上げる。


 限りある選択肢を前に、何一つ上手く立ち回れた事なんか無い。かといって力で解決する場面だとこのザマだ。

 だけど俺はそれでいいんだと思う。

 失敗して失敗して泥臭く這いずり回って、それでもそんな情けない俺に手を差し伸べてくれる奇特な人間だっているのだから。

 

「じゃあ、もう一働きしますか!」

 



 こうして俺たちの日常に飛び込んできた非日常「拳鬼襲来」は幕を閉じる。

 多くの人が死に、多くの人が傷ついた。

 失ったものは、取り返しのつかない多くの物語。

 思うところはあるし、背負う者だってある。原因である俺が、のうのうと生きていていいのかと悩んだりはしないと言えばそれは嘘だ。

 だけど俺は生きている。生きているんだ。ならば精一杯生きるしかないじゃないか。

 大事な家族、大事な仲間、いつかは離れ、消えてしまうものなのだとしても、立ち止まっていては何もはじまらない。

 だから俺達は始めなければならない。きっとそうやって物語は続いて行くんだ。

 


 これは

 人の数だけある物語、出会い別れを繰り返し、それでも一人では生きていけない俺たちが、今共に過ごすこの瞬間に泣いて笑う。そんな誰のものでもない俺達だけのどうしようもない物語



書籍版に比べるとやっぱりちゃちいかも拳鬼襲来・・・・

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