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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
11/59

拳鬼襲来②



「見積りが出たよ。58万5千ギルだそうだよ」

 

 我が家の玄関、使い古した作業ブーツと新品の日常用軽革ブーツ、そして革と木底のサンダルを置けばもう空きスペースなどほとんどない。

 そんな現実の厳しさなど自分には関係ないとでも言うかのように大家のババアが意地の悪い笑顔を浮かべ、腕を組み立っていた。

 靴を挟んだこちらと向こう側、手を伸ばせば届く距離であるにも関わらず、絶望的なまでの距離を感じて乾いた笑いしか出てこない。


「しっかし、しみったれた玄関だねえ」


 あんたがオーナーではないのか。

 あまりに自由な発言に俺は絶句する。


 正直、保証金は用立て出来る。だが、それを払ってしまうと新たな家に入居するための費用が払えないのでどうにもならない。

 

 というかそれどころの話ではない。

 まさかモノホンの変態に変態呼ばわりされ、成敗するとか言われるなんて思ってもみなかったし、その変態がまさかSSSランカーだとも思ってもみなかった。

 街中で襲われたらまず勝ち目はない。そもそも、小規模戦闘など襲う側が圧倒的に有利なのだ。人はご飯も食べるしトイレにも行く。お腹が痛い時もあれば、風邪を引いてる時もある。場所も状況もコンディションも選べない状態で、万全の敵に襲われることがわかっていてなお平気な顔で生活出来るほど俺は図太くない。

 

 それに、他にも非常に懸念すべき事件が起きた。家に帰った時の話だ。


―――俺のパンツが無くなっていた。


 洗濯しようとカゴに入れてあった二枚のパンツが無くなり、代わりに同種同型の新品パンツが綺麗にたたまれ、ちゃぶ台の上にちょこんと置かれてあった。

 留守番中のアリアに聞いても、寝ていたからわからないの一点張りだ。使えない()だと思ったがそれどころじゃない。 

 

 あの変態、まさか……


 俺は、奴が俺のパンツをコック帽のように被る嬌態を想像し、催してしまったのだ。


「まあ期限切ってないんだから引っ越しを諦めたっていいんだよ。ゆっくりやんな。もらうもんはもらうけどね」


 戦闘以外、取り得の無い俺にだって多少のプライドはある。

 教師だったとうちゃんは俺に『有言不実行は恥だと思え』と言った。『男なら黙って実行しろ』と言った。

 こうして、珍しくババアに逃げ道を用意されてみると、俺はやっぱりとうちゃんの息子なんだと強く実感する。


「いえ、俺も男ですんで、やると言ったことはやります」


 一度口に出したことを撤回するつもりはない。ちゃんとお金を用意して、宣言通り引越しだってやってやる。

 そして言葉は紙よりも重いという事を、有言実行の大事さを身を以てノリちゃんに教えてあげるのだ。


「そうかい、まあがんばんな」


 不敵な笑みを浮かべて去っていくババア。

 俺にはその突き放した言動とは裏腹に、彼女なりに俺たちを応援しようとしてくれていることを感じ取っていた。


 俺はむず痒い気持ちを腹に押し込めて部屋へと戻る。

 すると再びドアがノックされた。

 何だ? まさか家賃か?

 先日、払ったばかりなのについ反射的に今日の日付を確認してしまうのは残念ながら習性だ。


 自嘲しながらドアを開けると口髭を蓄えた燕尾服の老執事が上品に佇んでいた。

 

「お久しぶりでございますイサオ様」


 俺もお久しぶりですと挨拶して、先日弟子がお世話になった礼がまだだったことを思い出す。


「先日は弟子がお世話になりました。おかげで男らしくなってきましたよ」

「はて、何のことでしょうか?」


 老執事は、何の事かわからないといった大仰なジェスチャーをした後、ニヤリと方頬をニヒルに吊り上げる。何事も建前は大事ですよと、その表情が雄弁に語っていた。

 最近では珍しくまともでカッコイイ先達に感激する俺。


「ははは、それならきっと俺の勘違いなんでしょうね」

「ええ、おそらくはそうでしょうとも」

 

 老執事は「ところで」と話を区切り、本題を切り出した


「旦那様が仕事のご相談があるとのことで迎えに上がりました。ご都合はつきますでしょうか?」

「あ、大丈夫ですよ。今からですよね? 伺います」


 ベルトのオッサンにも恩がある。彼のおかげで俺たちの生活状況は向上したし、引越しに手が届く所までこれた。相談の一つでも乗らなければバチがあたる。


「ではご準備が出来たら表にお願いいたします。馬車を待たせておりますゆえ。ところで……」


 老執事がいつものにこやかな笑みから、ふいに真剣な表情を浮かべて言った。


「イサオ様、先程訪れていたお美しい貴婦人はどなたでいらっしゃいますか?」

 

 最後の砦のガラガラと崩れ去る音が聞こえた。

 ああ…… あなたはそういう方向から削ってくるのか……

 実はこの時点で結構なダメージを受けているのだが、彼は追撃を躊躇わないタイプのようだった。


「実はわたくし、熟女が好きでして」


 熟し過ぎではないでしょうか。

 ええ知っておりますとも。この前、初対面でお聞きしましたともさ。

 ですが彼女は熟女ではなく老女だと思うのです。

  

 幼女と少女の間にあるものと同じくらい広く深い溝がそこにはあると思うが、前者と違って犯罪ではないので軽蔑はしないし非難もしない。

 しかし、この表現しようのないやりきれなさといったらどうだ。

 俺は何とか声を絞り出した。


「あの、ウチの、大家さんですよ……」

「そうでしたか、いやはや羨ましい限りです」


 本当に羨ましそうな顔をする執事を見て、軽く顔が引きつった。

 半ばヤケクソになった俺が蛮勇を振るう。


「……今度紹介しましょうか」

「是非お願いします」


 俺は諦めきった笑みで老執事越しに外を見やる。起き抜けの目に朝日が眩しかった。

 男が一度口に出したことは…… 


 軽く詰んだ気がします。








□□□□□□□□□□







 馬車に揺られること一時間、例によってベルトさんの屋敷。

 ノリちゃんがいつもの『がおー』の体勢、爪先立ちで両手を上げた。


「はい! はいはいはーい!」


 すかさず俺も反応する。


「はい! 今日も元気なノリちゃん!」

「あるじー おかし食べてもいいですか!」


 くりくりお眼目がキラキラな顔を俺に向けるノリちゃん。

 てめー下手なことヌカしたらぬっ殺すぞハゲ!!おお!? みたいな顔を俺に向けるヤンキーメイド


「じゃあ、今日も特別に3つまでだよ?」

「はい! ノリなー とくべつはすごいと思います! ノリとくべつ3つにします!」 


 うんとねーうんとねー


 俺は可愛すぎて悩ましい光景にヘラヘラしているが、ベルトさんの顔は晴れない。

 執務机に肘をつき、組んだ手に顎を乗せて俯くその姿からは悲壮感すら漂っていた。何か重大な問題でもおきたのだろうか、俺はその異常な空気を感じて気持ちを引き締めた。

 ベルトが重々しく口を開く。



「私の…… 私のクルルちゃんのパンツが盗まれた…… いや、正確には買われた……」



 あ、ああ…… そ、そうですか……

 もっとエライことを想像して構えていた俺は脱力する。そういえばこのオッサンは理解し難いぐらいの親バカだった。

 俺はこんな張りつめた空気の中で言うのはどうかとも思ったが、気になったので何となく聞いてみる。


「おいくらで……?」


 するとベルトは瞑目し眉間にシワを寄せた。


「2万8千ギルのモノに10万ギルだ……」


 相当な高評価だった。

 確か拳鬼の言によると、価格を推測して5割増しの値段がモノ自体の値段、今回だと4万2千ギルが原価分となり、残りの5万8千ギルがご褒美分となるはずだ。

 

 何を基準に評価しているのか全く解らないし、何故少女のたかだかパンツ一枚にそれほどの価値を見出すのかも全く分からない。

 それに厳重な警備がされているこの屋敷に忍び込みパンツを強奪するという才能の無駄遣いっぷりに眩暈がする。


「剣の鍛練後、洗濯前だったそうだ……」

「はあ、そうですか……」


 元の世界にもこの手の泥棒や商売があったが、正直全く理解できなかった。

 使用済みだっつってんのに一体何に使用するというのだ。リサイクル至上主義もここまでくると性質が悪い。地球に優しい事なら他にももっとあるはずだ。

 だから親バカは抜きにしても、ベルトが女の子の親として、娘の心を傷付ける不埒な変態を許せないという気持ちは当たり前だと思う。

 

 何となく話の着地点が見えてきて、この話は受けようと思った。

 ベルトの顔に娘を持つ親としての苦悩がありありと浮かんでいるからだ。

 ベルトはブルブルと体を震わせながら言った。


「アーティファクトだ……」


 ん? どしたの? 

 俺は首を傾げた。

 するとベルトは、バンッと机を叩き、勢い良く立ち上がって叫んだ。


「水の精霊クラウディアの体液が染み込んだ布は加護が付与された魔法具になるという…… だとしたらっ! クルルちゃんの汗と聖水が染み込んだパンツは大魔法具(アーティファクト)になる! そうは思わんかイサオ殿っ!!」


 オッサン何言っちゃってんの


「クルルちゃんの汗は…… 清水のように湧き出た高貴なる天上の滴だ、アーカディアに生る水桃で作った魔精水よりも精練され昇華されたアクア・ヴィッテだ! それが存分に染み込んだご褒美パンツを強奪し堪能するなどっ! 羨ま…… 神をも恐れぬ許し難い所業だっ! 天が許しても私が許さぬ! しかも10万ギルだと!? はっ 私なら100万は払っちゃうねっ! 貧乏人がっ!」


 そういう問題ではないし、この世界には変態しかいないのか最近本気で心配だ。

 完全にスイッチが入ったオッサンに可哀想なものを見る目を向ける俺。


「旦那様、落ち着いて下さいませ。イサオ様が虫を見る様な目を向けていらっしゃいます」

「おおおおおお落ち着いていられるかっ! 世界中の男どもがクルルちゃんのパンツを狙っているのだ! 誰だってクルルちゃんのお情けが欲しいに決まって…… はっ、もしや貴様もクルルちゃんのパンツを狙って―――」

「わたくしめは熟女のパンツにしか興味ございません」


 その茶番はもういいよ……

 放っておくといつまでたってもこっちの世界に返ってこないので口を挿んだ。


「犯人を懲らしめればいいんですね?」

「あ、ああ、いや、違う」


 ベルトが大げさに間を開けると語り出した。


「奪還してほしい。奪還して直接、いいか? 直接だ。 直接私に渡したまえ。誤解はしないでくれよ? ちょっとだけ飾ってみようとか、ちょっと出汁をとってみようとか決して邪な思惑があるわけではない」


 よく出汁を取るって発想に行きつきますね。

 俺が唖然としているうちにもどんどん話は進んでいく。


「君が殺しを無条件で忌避することは知っている。だからこうしようではないか…… そうだな、私の前に連れてきたまえ。私の軍門に下るならよし、そうではないならば、改造だ……っ!」


 何を言ってんのか全然わからないが、オッサンが病気だということだけはよくわかった。


「汚穢に塗れたふしだらなその肉体を精魂込めて調教し、二度とクルルちゃん御パンツ様に手出し出来ぬよう改造した変態Mk-Ⅱとして販売してやるのだっ!」


 別に信心などこれっぽっちも無い俺だが、それでも俺は人が踏み入れてはいけない領域はあると思う。

 例えば元の世界でいうクローンだとか、遺伝子を調整し優秀な人間を作ろうだとか、もし可能なのだとしても、それは人の領分を超えた行為だと俺は思う。

 それなのに意思疎通が出来る生き物を改造し販売しようなど、どうすればそんな天に唾吐くような凶行に及ぼうなどと考え至れるのか。俺にはその思考回路が全く理解できなかった。


 だから俺は受託するか迷ったのだが、ベルトの横に佇む老執事を見て、まあ大変な事にはならないだろうと思い受託することにした。

 それに、受ける受けないに関わらず、拳鬼との衝突は避けられそうにない。

 俺はベルトに「受託します」と告げると、未だにうんとねーうんとねーと悩むノリちゃんの隣に座りお菓子を選んであげた。


 ガチャコンと中身を飛び散らしながら置かれたティーカップを右手に、もきゅもきゅと幸せそうにお菓子を食べるノリちゃんを左手で一撫で。

 うりゅ? と向けられる天使の顔を眺めながら、あるじ頑張るよと自分に言い聞かせた。



 

◇ ◇ ◇ ◇






 ギルドからの帰り道、今日も私は頭を抱えて座り込んだ。

 ここ数年間、取り乱すようなことだって無かったし、泣く時は必ず家で一人泣いた。私の弱さを知っているのは歴代のぬいぐるみたちだけだ。私は、他人には絶対に弱みは見せない様生きてきた。

 何故なら、私は知っているから。この世界がいかに弱者に鞭打つことに躊躇しないかを。

 

 獣たちは弱者の匂いに敏感だ。弱みを見せたが最後、彼らはすぐに群がり食い漁る。そこには道徳や倫理など無い。ただ奪われ尊厳は踏み躙られる。

 強者の権利、弱者の義務。それがこの世界の理だ。

 それが嫌なら強くならねばならない。弱みなど見せてはならない。それなのに……


「きっと情けない女だと思われた……」

 

 イサオには認めて欲しい。本当に困った時に頼りにされる女になりたい。最近特にそう思う。

 私は強い。冒険者たちには迫撃最強と言われているし、自分でもそれは大げさな話ではないと思う。今の私なら、トリプルSである【剣聖】とやり合っても絶対勝つとは断言出来ないが負ける気もしない。少なくとも、なすすべなく負けるという事態になることは有り得ない。

 

 だから、私の本気の戦闘を知っている者はみな口を揃えてこう言う。「なぜ闇姫がシングルなのだ?」と。

 自分ではわかっている。

 戦闘は水モノだ、敵は様々だし、勝利条件も時と場合によりまるで違う。

 無傷で敵を倒しても負けることなど珍しくも無い、あらゆる敵あらゆる状況に対処し目的を達成できる能力、それを『強さ』というのだ。

 そう考えた時、私には致命的ともいえる弱点が3つもある。

 負け惜しみでも何でもなく、デュアルやトリプルになりたいわけではないし、正直シングルに指定されたことすら億劫な私だが、自分の『弱さ』を笑って受け入れられるほどボケてもいない。

 だからこれは恥ずかしいことだ。屈辱的なことだ。


「変態が怖いなんて……!」


 私は座り込んだまま手で顔を覆った。

 道行く人が何事かヒソヒソ話しているのはわかっているが、それでもこの衝動を抑えられない。 

 

 私はひとしきり「うー」と唸ると、頬を張って立ち上がった。

 落ち込んでばかりはいられない。私は強くならなければならないのだ。失った信頼は取り戻せばいいではないか。

 そうだ、そうすべきだ。信頼を取り戻すのだ。そのためにはどうしたらいい? そんなことは決まっている。


「あの変態……! 絶対捕まえてやる!」


 捕縛するのだ。捕縛してイサオに引き渡してやるのだ。

 そしたらきっと変態を克服した証になる。彼だってきっと褒めてくれる!

 そうと決まったら準備をせねばなるまい。今日はもう夕方なので明日から動けるよう、早く帰ってご飯を食べて早めに寝よう。明日は頑張っていつもより早く起きるのだ。

 

 私は家に向かって早足で歩く。10分ほどでアパートに着き、階段を上がった。

 そして玄関のドアに手をかけて気付く。


 ―――誰かいる……っ!


 ドア越しに人の気配がした。Sランカーともなるとお金目当ての連中や、名を上げたい連中に狙われることも少なくない。私はソロで仲間はいないし、小娘だと侮られているおかげでそういう手合いには事欠かなかった。

 今までも宿屋の部屋に帰ったところを待ち伏せされたり、偽の情報を掴まされ、罠に嵌って囲まれたこともある。おかげでこういう事には人一倍敏感になってしまったのだ。


 笑顔が出来ない私だが、自然と左頬が吊り上るのを感じた。

 黒剣を引き抜きながら思う。哀れな盗っ人だ。

 

 嗜虐趣味など無いが、こういう連中には、私にちょっかいを出すとどうなるのか、徹底的に体で理解させてやらなければならない。Sランカーを怒らせるとどうなるのか、骨身に刻み込まなければならない。そうしなければ下手すると周りに迷惑がかけられる場合もあるのだ。

 

 私は深く息を吸って止める。音がしないようカギを開け、同じく音がしないようドアノブを回し、ゆっくりドアを開ける。

 そして一息で廊下を駆け抜けるとリビングに飛び込み、侵入者に剣を向ける。


「貴様っ! Sランカーを怒らせたらどうなる……か…………」


 尻すぼみに小さくなる口上。萎びるように消えていく後背(ハロウ)

 膝がガクガク笑い、歯がカチカチ鳴った。何故なら……


「ああっ! 黒いお嬢さんっ! パンツは黒ではなかったのですねっ!!」

「い、い、い……」


 変態が私のパンツを手に、手に、手にぃ……っ!


「やはり可憐な女性は白が似合うっ! そうは思いませんかっ!?」

「い、いや…… イヤよ……」


 すると変態が悩まし気にため息をつき、憂いを帯びた声で言った。


「だがここには洗濯前の下着が無い、それだけが残念です……」

「い、イヤぁぁ~~~~~っ! ヘンタイぃぃぃ~~~~~!!!」


 私は一目散に逃げ出しました。







□□□□□□□□□□□ 







 私はおばちゃんに話を聞いてもらうため、黒光を纏って店まですっ飛んで行ったのだが、生憎お店が休みだった。

 座れるところを探して緑地公園まで行くが、人通りが少なくて怖かったので急いで中心街まで引き返す。そして、目についたサイキルパに飛び込み、ブルーベリーのジャムパンを買うと表に置いてあるベンチに腰を下ろした。

 俯いてジャムパンを一口かじる。ぶわっと涙が噴き出した。


「うう、ふぐぅ…… 怖いよう……ひぐっ、怖いよぅ……っ!」


 どうしよう…… 帰れない……

 冷静に考えたらわかる。あの変態はきっともうどこかに行っているだろうし、まだいたとしても女性に手を上げないと宣言した変態に、危害を加えられる可能性は低いだろう。

 だからといって帰れるものか。

 

 相手がもし賊ならいい、悪漢でも暗殺者でも問題ない。蹴散らせばいいだけの話だ。物理攻撃ならなんとでもなるのだ。

 だがアレはいけない。変態はいけない。あんな低俗な精神攻撃にどう対処したらいいというのか。

 大体、洗濯前の下着が無くて何が残念だというのだ。汚いだけではないか。


 それにあれだけ容易に侵入されてるのだ、その気になったらいつでも侵入されるだろうし、また来るかもしれない。きっとパンツも盗まれた。

 別に高いものではないし、すごくこだわりがあったわけではないが、変態が手に取り、それで何かをしていると思うと…… 何かって何? 何してるの? 私のパンツで何をするの!?

 

「ふぅぅぅ…… ふぐぅぅぅぅ…… もうやだぁ……」


 とにかく今日は帰れない。帰らなかったところで、きっと一人では眠れない。部屋の隅で目を充血させて膝を抱える自分の姿が容易に想像できる。

 私がどうしようか本気で悩んでいたら、パッと一人の男の顔が頭に浮かんだ。


 そうだ! イサオの家に泊めてもらおう! イサオなら事情をわかってくれる!


 正直、私にはもう手が残されていなかった。

 そもそも、私がこの街で頼れる人といったら、おばちゃんかイサオしかいないのだ。 


「そうだ、そうと決まればイサオの家に……」


 私は立ち上がって駈け出すが、少しして気付いた。

 

 ―――イサオの家を知らない。

 

 どうしようどうしようと、頭を抱えてその場をぐるぐる回る。

 また周囲の人が何かヒソヒソ話していたが気にしている余裕は無かった。

 とにかく探そう。ここでぐるぐる回っていても何も解決しない。もしかしたらこの時間だと、仕事を終えて依頼達成報告でもしてるかもしれない。

 そう考えて私はギルドに走る。


 5分もしないうちにギルドに着いて扉を開ける。そして周囲を見渡した。最近魔獣が活性化しているせいで、今日もギルドは多くの冒険者で賑わっている。

 そんな中、カウンター付近で、見慣れた黒髪が視界に入った。

 

―――いたっ!!


 カウンターでチャラオと談笑しているイサオの顔を見た瞬間、心に張りつめていた何かが切れた。

 だめだ、泣くな。ここはギルドだ、一番弱みをみせたらいけない場所だ。頭では理解していても、怒涛の如く押し寄せる安堵感が私の自制心を揉みくちゃにする。

 

 どうして彼の顔を見ただけで、こんなにも安心するのかわからないが、今この状態で彼を見続けていると泣いてしまうということはよくわかった。

 きっと、長々と事情を説明するだけでも途中から感情を制御出来なくなってしまうだろう。

 それは避けなければならない。

 オルテナ・レーヴァンテインが変態を見ただけで取り乱して泣いてしまうような弱い女だとギルドに知れ渡ったら、物笑いのネタになるだけでは済まない。大げさでも何でもなく、対策が出来ていない以上、生命に危険が及んでしまう。それだけは避けなければならないのだ。


 要件を端的に分かりやすく言わなければならなかった。感情が高ぶらない様に淡々と短く言う必要があった。

 だから私はイサオの下へと歩み寄ると、聞き直されないよう大声でお願いした。





「イサオ! 家に泊めてくれ! 今日は帰りたくないんだっ!」






 …………………






「……え゛?」(イサオ)



「「「「「「「あ゛あ?」」」」」」(冒険者の皆さん)






◇ ◇ ◇ ◇








「イサオちゃ~ん 最近どーよ? オレマジ風邪ひいてマジシャレになんなかったんスけどぉ ノリさんチョリーッス!」

「ちょりーっす!」


 ペンキ塗りの完了報告に来ていた俺に話しかけてきたチャラ男。チャラ男にチョリースするのが楽しくてしょうがないノリちゃん。


 最近、Aランクに昇格した彼は、今や名実ともにこのギルドの主要メンバーとして注目されている。

 なのにそういうことを全く気にしないチャラ男は、未だ公衆の面前で俺に話しかけてくるのだが、悪目立ちして正直困る。


「イサオさん! 今日もお疲れ様です! これでCランクの受験資格を得ましたけどどうします? あ、私はそういうの気にしませんよ、結婚しても働きたい派ですから!」


 その悪目立ちに拍車をかけるマイラさん。

 一番人気の彼女が思わせぶりともとれる発言をすることによって、どんどん俺の敵が増えていく。

 前はその度にドルトンとかいう斥候職の兄ちゃんがやたら絡んできたのだが、最近は人形のような目で俺を見てくる。これはこれで結構精神を削られるのだ。


「イサオちゃんさー マジ最近メンドクセーことにマジ巻き込まれちゃってる系らしいじゃん?」

「そうなんだよ、聞いてくれよー」


 俺は拳鬼の事や、その経緯について事細かに説明する。

 散々、悪目立ちして困るとか愚痴りながら、実際のところこういう話が出来る同性はチャラ男しかいない。俺は俺で友達に飢えていたのだと気付き苦笑した。


「えっ! マッジ!? あの拳鬼が変態チョージョートー系とかマジ有り得なくなくなくなくなくなくね? さーてマジ有り得ねーのか、マジ有り得なくねーのか…… どっちっ!??」

「はい! はいはーい! ノリなー ノリは、まじなくなくないだと思います!」

「ノリさんマジヤッベっ!!」


 キャッキャッキャッ


 なんじゃそのやりとりは。

 最高級に頭の悪い喋り方にも段々慣れてきてしまった感が否めない俺たち。でもイヤな感じはもうしない。

 

「マジノリさんいっから超ラクショーだとは思うケド、困ったらマジオレに言っちゃいなYO!」

  

 ヒップホップの『YO!』的ポーズをするチャラ男。これはこれで結構イラっとした。 

 一生懸命そのポーズをしようとしているノリちゃんに「真似しちゃダメだよ」と声をかけてから、拳鬼についての情報がないか、何気に情報通なチャラ男に聞いてみる。

 

 成敗屋拳鬼

 彼の物語は、トルストイ王国のとある大貴族をブッ飛ばしたところから始まる。

 とある貴族領、暴政と重税に苦しむ領民を見かねた拳鬼が、拳一つで貴族の私兵200人をブッ飛ばし貴族をぶん殴るという飾り気も何もないシンプルな事件を起こす。

 あまりにデタラメなやり方とその戦闘力に危機感を覚えた国自体が、この事件を「反乱」と認定。そしてこの事態を利用しようとするお偉いさんたち。


 表向き反乱鎮圧名目、実際は力を付け過ぎた貴族領に国軍を駐屯させる目的で、完全装備の国軍2000人と、傭兵(高ランクの冒険者)200人をその貴族領へ派兵。

 そしてその全てがブッ飛ばされるというまさかの結末。そして彼は「これ以上領民を苦しめたら今度は国を成敗する」と言い残して旅立つ。


 ギルドが注目したのは、2200人ものツワモノたちを『死者を出さずに』撃退した事実だった。

 赤っ恥をかかされたトルストイの要請に便乗する形で、大々的に拳鬼の討伐依頼を拡散させたギルド。目が飛び出るくらいの高額報酬に飛びつく冒険者達。

 結果はSランク含めた全ての冒険者たちがブッ飛ばされるという、これまた取りつく島もない結果となる。満を持して出て行ったSSランカー【青星】がブッ飛ばされたところでギルドは討伐依頼を撤回。拳鬼をSSSランクに指定した。


 

 なんとも無茶苦茶な経歴だった。権力や体面が関わっていなかったら、今この時代でも英雄譚として語られそうなほどわかりやすく、爽快な話であった。

 だから俺は首を傾げる。

 英雄譚の英雄様が、どこをどうこじらせて道を踏み外してしまったのだろうか、今では女性用下着を装備する生粋の変態でしかない。

 俺は諸行無常を実感した。


 とにかく、色々教えてくれたチャラ男には感謝せねばなるまい。


「いや、いつもサンキュな。チャラ男も困ったことあったら俺に言ってくれよ」

「いやマジ気にすん無し。っつーか今度マジお願いすっことあるっぽいスわ」


 何やら俺に頼みごとがある様子のチャラ男。

 最近は世話になりっぱなしなので少しでも借りは返さなきゃならない。


「おお? 何? 俺に出来るなら手伝うよ?」


 そしてチャラ男が「実はさー」と語り出した、その時、その言葉はあまりにも唐突に響き渡った。




「イサオ! 家に泊めてくれ! 今日は帰りたくないんだっ!」




 ギルドの時が凍った。ちょっとびっくりしたが、どうやら時を止める魔法の詠唱か何かだったらしい。

 振り向くと、ほっぺたにブルーベリーのジャムをつけ、目をウルウルさせたオルテナさん。


「いやすごいじゃないですかそんな超高位魔法を使えるな―――」

「イサオ、お願いだ! 私は今日家に帰りたくない!」

「ちょ! やめて! ホントやめてっ! すごいの! 殺気が凄い事になってるの!」


 ギルド内、とんでもない量の殺気が充満していた。

 先程まで盛り上がっていた奥の酒場からの気の遠くなるような沈黙が心臓に悪い。

 すぐ近くに陣取る屈強な男どものアンデッドのような目がホント怖い。


 その中でも突出して尋常ではない殺気を立ち上らせているのが対面のマイラさんだ。カミソリのような薄い笑みを浮かべ、最早視覚化している殺気を纏い、三日月型に歪められた目、その瞳は完全に光彩を失っており、淀んだ何かが駄々洩れだ。

 俺の中、元世界での記憶が高速シャッフルされ、一つの単語をはじき出す。


―――ナイスボート


 体の奥底から来る震えを止められない。

 先ほどまでの穏やかな雰囲気はどこへやら、いつのまにか俺は絶望的な死地に立たされていた。

 一つだった。今からはたった一つ間違っただけで俺はこの遠い異世界の土へと還ることになってしまうのだ。

 視界の端で、マイラさんの口がカパッと裂けるのを確認しながら、俺は最悪の未来をどうにか回避しようと口を開いた。


「お、オルテナさん、何をおっしゃるので……?」

「一人は嫌なんだ、一緒にいてくれ!」


 俺は何一つミスってないというのに、如何せんオルテナさんのブッ込みっぷりが半端ない。

 背後から伸ばされた殺意の触手が俺の頬を撫でてチリチリ痛い。瞬きを忘れて目がカッサカサだ。

 

 ―――今日は帰りたくない

 間違いなく『いつか女性に言われたい台詞』ベスト5に入るだろう。 

 以前、腐肉でべっちゃべちゃなアリアさんに、女性に言われてみたいセリフを言われて、世の不条理を知った俺だが、今回の相手は絶世の美女だ。

 本来なら天高く拳を突き上げる場面に違いないのだ。それなのにこの状況はどうだ。


 オルテナ親衛隊の皆様に目を向けてみる。おもむろに砥石を取り出し刃物を研ぎだす奴がいる。黒髪黒目の人形を取り出しブツブツ呟き出す奴がいる。神に業を背負う赦しを乞う者がいる。


「きさまーっ! あたしのオルテナ姉さまをっ! 神舞たる臙脂の槐よ、その御手有りし炎獄の理に―――」

「ちょ、待てってリリン!」


 突然、女冒険者が絶叫し高位魔法の詠唱をはじめ、仲間に止められていた。

 どうやらオルテナ親衛隊には自称妹の凄腕冒険者がいるらしかった。そして俺はその凄腕冒険者を敵に回したらしかった。

 今詠唱してたのは『炎獄呪怨(メルガルデルナ)』という戦略級殲滅魔法だ。何も悪いことをしていない俺が、なぜこのへん一帯焼き尽くすほどの怒りをぶつけられなくてはならないのか。

 いきなり降って湧いた災厄に心が折れそうだ。

 

 俺は助けを求めてチャラ男を見る。するとチャラ男はペコちゃんみたいなテヘペロ顔をしてきて超絶イラっとした。

 オルテナを見るも、半泣き状態で話なんざ聞いてくれそうにない。

 頼みの綱とばかりにマイラさんに視線をやるが、一番見てはいけない方向だったことを思い知り、神に祈った。


 焦り過ぎた俺は、深呼吸しちょっとだけ状況を整理してみる。

 どう考えても完全に詰んでいた。

 卑怯だとはわかっていたが、俺は藁にもすがる思いでノリちゃんに話を振った。


「の、ノリちゃん、部屋狭いからだめだよねー? 可哀想だけど無理だよねー?」


 するとノリちゃんは小首を傾げてこう言ったのだ。


「ノリなー おるてなとおふろ入るー」


 ノリちゃんは優しい子だね。だけど今はその優しさが主を追い詰めるのです。

  

「イサオさん…… 説明、してもらえますよね……?」


 来た……

 一番恐ろしい気配を纏ってらっしゃる方が来た。

 黙っていると死ぬと直感的に悟った俺は必死に弁明した。


「ち、違うんだマイラさん! 何が違うのかわかんないけどとにかく違うんだっ!」

「そうだ、私の家に来ませんか? 色んな道具があるんです。きっと説明したくなると思いますよ? さあ逝きましょう。きっと痛いのは最初だけですよ」

 瞳孔のかっ開いた目で暗に「暴力をふるいます」と告げてくるマイラさん。

 あまりに凶悪な目力に、蛇に睨まれた蛙のように身動きできない俺。

 その片鱗は感じていたが、マイラさんはそっち系の属性持ちであることを確信した。

 まったく、どんだけオルテナが嫌いなんだよ!

  

「わ、わかったオルテナ! ウチ泊まっていいぞ! 俺はチャラ男の家に泊まるから!」

「それじゃ私一人になってしまうだろう!」

「だったら宿屋行けよぅ…… 相部屋だったら独りじゃないだろっ!」

「私が怖がられて結局独りぼっちだもんっ!」


 オルテナさんは既に「もんっ!」だった。話なんて聞く状態ではない。

 だが、ここで折れたらきっとこの街にいれなくなってしまうので…… もしかしたらこの世にいれなくなってしまうので、俺だって必死にもなる。

 めまぐるしく変化する状況に右往左往するだけだった俺だが、なんとか打開策がないかを必死に考える。そして閃く天啓のごとき奇策。そうだ、その手があった。

 絶体絶命の状況で垂らされたこの蜘蛛の糸を逃したらもう後は無い。俺は決断する。


「そうだ! 親衛隊の誰かと宿屋に泊まれよ! きっと喜んで一緒になってくれるぞ!」



「「「「「「「――っ!!!」」」」」」」

 



 ギルドを取り巻く緊張感が一瞬で限界点を突破した。

 

 「オルテナ様と……泊まり……だと……っ?」「姉御ぉぉぉ!」「闇姫かわいいよ闇姫……」「闇姫タソはもらったお! ペロペロペロ!」「ああ、お姉さま! 私の初めてをっ!」


 妄念駄々洩れな親衛隊の皆様。

 ギルド内、半数以上の冒険者たちが獲物を手にユラリと立ち上がる。そのどろりと淀んだ瞳が邪魔者を排除せんと暗く光った。

 誰か一人が仕掛ければ全員が動くであろう薄氷の上の均衡。今から始まるのは血と肉が織り成す狂乱の宴だ。

 最初に動いたのはやはりさっきの女冒険者だった。


「お姉さまは渡さないっ!」


 それを皮切りに上がる雄叫び、飛び交う怒号。たった今からここは愛憎渦巻く鉄火場だ。

 想像以上の親衛隊の数にギルドの行く末が心配になったがノンビリしている暇など無い。俺はその騒ぎに隠れて、オルテナの手を掴むと第一回オルテナさん争奪戦会場を飛び出した。



◇ ◇ ◇ ◇






 

 ―――出る料理全部美味しくてさ、この前オルテナと行ったんだけど


 聞きたくなかった。

 彼の口から他の女の名など聞きたくなかった。

 制御不能となった感情の命じるがまま、私は愛用のナイフである『鮮血公女』を手に取り、カウンターに根元までブッ刺していた。

 

 だってしょうがないではないか、愛しの人が他の女と食事に行っただけではなく、あろうことか私の前でその穢らわしい名を口にしたのだ。

 私は基本的に放任主義で束縛などしない派だ。だがこれはダメだ。本来なら許されることではない。

 

 だが私は『おしおき』を我慢する。

 なぜなら悪いのは彼ではないからだ。悪くもないのに『おしおき』をされたら私だって嫌だ。それなのに私の感情だけを優先して理不尽に『おしおき』をしようものなら、結果、失禁しながら私に赦しを乞うであろう彼が可哀想ではないか。

 全ての原因はこの紅目の売女にある。このアバズレが彼を誑かしているのだ。


「オルテナさん、今私が応対中ですので、列に並んでいただけませんか?」

「私は依頼ではなく、イサオと話しているだけだ」


 殺すか……

 一瞬そう考えて私は首を振る。

 正直Sランカーと言えども、食事もすればトイレにも行く、女ならば湯浴みもする。履き物を下ろしたところで一撃、丸腰のところを襲撃、方法論ならいくらでも思いつく。何よりあの女の場合、毒を盛るのが一番簡単だろう。あの女は解毒魔法すら使えないのだ。

 

 それに私はあの女の致命的ともいえる弱点も把握している。

 そもそもSランクを指定するのはギルドだ。トリプルSの実力を持ちながらシングルSに留まっている理由をギルド側は把握しているということなのだ。


 そう、殺すのが一番簡単だろう。一番効率的だ。彼に言い寄る女全て殺すのが一番合理的だ。

 しかし、私は思う。

 それでは私が忌まわしいあの女に負けたみたいではないか。正面から彼を勝ち取る自信が無いみたいではないか。

 私は必ず彼を振り向かせるし、あんなあざとい淫売などには負けるつもりはない。私だって女だ。愛しい男くらい、真っ向から勝ち取って見せる。

   

 変態捕縛を受託した彼があの女を連れ出て行った。

 否が応にもカウンターを掴む手に力がこもり、めちっと音がした。

 私は千切り取った木片をゴミ箱に捨て、ナイフを抜いて太もものホルスターに収めると席を立つ。

 そして奥の事務室、支部長のデスクまで行くと宣言した。


「支部長、これより緊急情報収集任務に就きます。許可を」

「い、いや、あのね…… シフト的にマイラちゃんは応対業務―――」


―――ズドンッ


「―――だったんだけど、許可しよう。行ってきたまえ」

「感謝します支部長」


 私は支部長の机に刺さった鮮血公女を引き抜くと装備室へ向かった。






□□□□□□□□□






 私は人ごみに紛れ一部始終を見ていた。

 

 情報通り変態に弱いあの女が情けなくへたり込む所も確認した。

 彼が完全に謂れの無い言い掛かりをつけられ面倒事に巻き込まれたことも。


 あの変態がSSSランカー【拳鬼】であったことは重大な事実であったが、それ以上に私は許せないことがあった。

 まず、あの変態、異性のパンツを被るとは何事か。世の女性があの薄っぺらい布きれにどれだけ分厚い情熱と気持ちを託しているか分かっているのか。あれは想い人と想いを遂げる最後の最後まで女を彩る艶布だ。それ以外を拒絶する乙女の最後の鎧だ。

 それを頭から被ろうというのは神に弓引くが如き愚挙に違いない。

 

 何より許せないのは、彼があの女に酷い事をしていると勘違いしていた事だ。逆だ、逆なのだ。あの女が彼に酷い事をしているのだ。

 

 変態はその辺を理解しないまま屋根伝いに逃げて行った。

 そして事情聴取のため警邏の兵に屯所まで連れて行かれる彼。その様子からはただ単純に事情を確認するだけで、あらぬ疑いをかけられるようなことは無さそうだ。


 私はほっと胸を撫で下ろすが、不穏な気配を纏った不審者が数名いることに気付く。

 雰囲気から察するに即席のチームではない。そして拳鬼だけでなく彼をも監視している。どこかの組織の暗部だろうとあたりをつけ草に追跡命令を出した。

 拳鬼と接触した彼に興味を持ったのか、それとも……

 

 まあ、今は動きがないようだからいいとしよう。彼はしばらくの間、時間を拘束されるだろう。その間、私は私でやらねばならないことがある。

 巷を騒がす変態とその暴挙。多くの民が下着を狙われるのではないか戦々恐々としている。私には市民の生命と財産を守る組織である冒険者ギルドの一員として、そのための情報収集のスペシャリストとして、その義務を果たさなければならない。これ以上変態の癲狂を許すわけにはいかないのだ。

 それならば潜入工作員たる私がまずやらねばならない事とは何か。そんな事は考えるまでも無い。


 彼の下着を保護することだ。

 彼の下着を変態が盗む前に保護し、堪能…… 保全することで変態の目論見を破り、この街の治安を守らなければ善良なるゼプツェン皇国民は夜も眠れないではないか。

 

 わたしはこういう時、もしものために用意しておいた彼の下着と同種同型のパンツを手に、彼の家へと急いだ。





☆☆☆☆☆☆☆




 彼の家の前、ドアのカギ穴に目をやる。

 何度か遠回りにセキュリティが甘い事を匂わせていたのだが、相変わらずその意識が低いようで若干心配になった。

 こんな鍵ではたとえ低位だとしても斥候職の人間なら難なく開けてしまうだろう。

 これでは彼がいない間、卑劣にも盗みに入る者が出てきてしまうのではないか。特に最近は物騒だ。ストーカーなる頭のおかしい連中だっているらしい。

 断じて許すつもりはないが万が一ということもある、このままではイカれたストーカーが侵入してしまう可能性すらあった。

 

 今度、カギを付け替え、さり気なく彼が持っているカギと新たなカギをすり替えようと決心しつつ、私は1秒でカギを開けた。


 玄関を一瞥。今日は作業ブーツではなく、新品の軽革ブーツが置いてあった。

 そうなのだ、最近彼は靴を新調したのだ。

 私は膝をついて軽革ブーツを手に取り、うっとりとソレを眺めた。

 

 言うまでも無いが、新調する際、焼却場に出された古いブーツはきちんと回収した。

 上から下へと滴り落ちる全ての体液を一身に受け止め、永い間その過酷な仕事を全うし続けたブーツは、驚くほど深く熟成され、芳醇な香りと奥深いコクを備えた玄人好みの一品へと昇華されていた。

 満身創痍ともいえるその姿のどこにそれほどのものを蓄えていたというのか、私はその時、戦慄を覚えたものだ。 

 今では私のコレクションの主力の一角を担い、そしてその一部は粉末状にし、調味料として台所に並んでいる。これを使うと味に深みが出るのだ。


 私は手にとった新品のブーツを鼻先に近付ける。

 まだこの子は履かれてから日が浅い。あれほどの衝撃を受ける事はないだろうと、半ば母親が幼い我が子を見る様な気持ちで、その香りを嗅いだ。そして私は衝撃を受ける


 ―――なんてことっ!

 

 それはまるで熟練のワイン職人が作った、素材本来の香りと味を楽しめる若いワインのように鮮烈でフレッシュな初々しさを主張し、荒々しくも力強いそのインパクトは熟成されたソレとはまた別の楽しみ方があることを私に知らしめたのだ。


 私は膝をついたまま、よろけて壁にもたれかかる。口元に手の甲を当て軽く俯いた。


 私は未熟だった。見た目や経歴だけに目が行き、そのイメージだけで物事を判断し、そのモノが持つ本来の価値まで見ようとはしなかったのだ。

 なんて傲慢な女だろうか。なんて浅はかな女だろうか。私は打ちのめされ項垂れた。


「ごめんね……」


 自然と口から漏れ出る謝罪の言葉。こんなことで許されるハズも無いが、今はこれで我慢してほしい。私には任務があるのだ。

 私は目尻を拭いてから立ち上がった。


 雑念を振り切る様に部屋へと進む。そして周りを見渡した。

 やはりベッドが怪しい。今日は調査しに来たわけではないがとにかくベッドが怪しかった。

 すぐさまベッドにダイブし毛布を頭から被った。


 す~~は~~クンカクンカ す~~~は~~~す~~~~~~~~っ


「きゃ~~~~っ!!!! しゅ、しゅごいよぉぉ~~! しゅごいのぉぉ~~~! もう! これだけでっ! これだけで私はぁぁっ!!!!」


 ビクンビクン


 一瞬で昂り一瞬で果ててしまった私。

 どうにも頭がぼうっとする。このままではマズイ。本来の目的である下着の保護に失敗する恐れがある。

 私はフラフラと立ち上がると玄関に行き、軽革ブーツを手に取って深呼吸。

 若々しく力強い香りが鼻孔を直撃し、淀んでいた思考がクリアになっていくのを感じる。

 どうやらこのブーツは、混乱や睡眠等のバッドステータスから回復する効力があるらしかった。

 

「やっぱり装備にこだわってるのね……」


 私は、「新品も魔道具」とメモしてから立ち上がった。

 さて、そろそろメインディッ…… メインイベン…… 本来の目的を果たさなければならない。

 目的の物が部屋には見当たらなかったので、風呂場のドアを開ける。

 あった!

 カゴのような入れ物に、洗濯前であろうシャツとパンツ。

 ちなみに、風呂釜に水が入ってなくて残念だった。 


 彼はノリちゃんと暮らしているが、家事は彼が一人でやっているようだし依頼もあるので、きっと洗濯物は後回しになってしまうのだろう。シャツもパンツも何着かずつあった。

 シャツも保護したいのは山々だが、何分、代わりを持ってきていないので断腸の思いで諦める。

 そして私は震える手をカゴへと伸ばし、2枚のパンツを掴み上げる。


「こ、これは……」


 ハーフエルフである私の嗅覚は誤魔化されない。

 一枚は今日、若しくは昨日脱いだばかりの物、もう一枚は3日は経過していた。そしてカゴの中で他の衣類と一緒に放り込まれていたせいか、様々な香りを取り込み重層的な香り深い一品へと相成っていた。


 私は小走りで部屋に戻るとベッドの上に立膝を付いた。


―――はぁ はぁ はっ はぁ~~ じゅるり


 呼吸が落ち着かない。動悸が激しくなっている。口の端から唾液がこぼれそうだし、何より飽和し流れ出た私のいやらしい汁が太ももを伝って膝あたりまで垂れてきている。

 もう我慢など出来なかった。

 

 私は溢れそうな唾液を飲み下す。そして瞑目し息を止めた。

 一気に行くのだ。一気に吸い込むのだ!


 若い方のパンツをおもむろに頭から被る。まだだ、まだ我慢だ。

 濃厚な何かが鼻先を通り過ぎる気配を確実にとらえつつ、ベストのタイミングでカッと目を開く。そして思う存分吸気を―――


―――す


「~~っ!!! これがっ! これがぁぁっ!! こここここれがぁぁぁあ、あ、あ、ああぁぁ~~~っ!!!」


 胸で爆発した底の見えない愛おしさ。一瞬で鼻孔に充満した暴力的とも言い得るオスの香り。それは瞬時に私の脳髄を直撃し、私のメスとしての本能以外全てを拒絶した。

 私は手でするまでもなく一瞬で絶頂に達していたのだ。


「あ、ああ、あっ あーーーー」

 

 長引く余韻。未だに体は痙攣を続けるし足の指は反り続ける。失禁したかのように下着はグショグショだ。

 途切れかける意識でぼんやりと思う。拳鬼は正しかった。


 数分はそのままでいただろうか。ようやく緩やかになってきた余韻に浸っていると、突然声をかけられた。


『相変わらずお主は変態じゃのう。我は呆れてモノも言えんぞ?』

「ええ、邪魔しないでくれて、あっ、ありが、んっ ありがとうございました」


 彼女との協力関係は重要だ。私は朦朧とした意識の中、力を振り絞って立ち上がるとバッグから小瓶を取り出す。まだ膝が笑うが、ずっとへたっているわけにはいかないのだ。私にはまだやるべきことがある。

 

「これがご要望のツミカグラ油ですよ。中身を入れ替えておきますね」

『え、ホントに買ってきてくれたのっ!?』

「当たり前じゃないですか、同じ女同士、協力すべきです」

『やたーーーーー! うん! 協力するっ! 我協力するっ!』


 私は、剣であっても、女として高くあろうとする彼女に心から微笑む。

 だが、一応確認は取っておかなければならなかった。


「見返りと言ってはなんですが、今日私がここに来たことは……」

『大丈夫じゃ! 我は寝てたことにするっ! 絶対に言わんぞ!』


 言質を取った私は、手早く小瓶の油を入れ替える。そして、最近の情勢や、今日の出来事など、取り留めのない話をし、彼女からは最近の彼の言動等を聞いた。

 彼女は、拳鬼のくだりで震えあがっていたが、きっと心配する必要は無いだろうと思った。


「じゃあ、そろそろ私は帰りますね。次はベヒーモスの骨粉を持ってきます。打ち粉としては最高ですよ」

『おお! 待っておるぞっ!』


 私は替えのパンツを畳んでちゃぶ台に置くと、被っていたパンツを脱ぎ、もう一枚の使用済みパンツと別の密封袋に入れ、封をしてからバッグに入れる。

 最高の時間を満喫…… 最高の調査が出来た。当初の目的であるパンツも保護した。


 私は玄関から外に出ると、カギを閉める。

 今にも崩れ落ちそうな階段を降りると『草』が待っていた。

 報告を受けて、頬が凶悪に吊り上るのを感じる。


「やってくれるじゃないの……」


 薄汚い下種共が。

 いくらギルドが中立だと言っても、働いている人間はこの国の人間で、この国を愛している人間だ。

 他国の間者が入ることくらいは当たり前だし、見ないフリをしているが、事を起こそうとするならば容赦などしない。徹底的に、完膚無きまで叩き潰さねばならない。

 どうやら絵は出来ているようなので、あえてそれに乗ってやろうではないか。

 後悔なんていう生易しい言葉では済まないぐらい思い知らせてやる。 


「追跡調査を続けて下さい」


 何も言わずに一礼して去っていく『草』

 それを眺めて私はうっすらと微笑んだ。

 彼も隠している力を見せてくれるかもしれない。 


 さて、やる事ができた。スムーズに事が運ぶように関係各所の調整だ。敵が敵なので、最低限の範囲に最低限の情報を流す必要がある。間違っても漏れたり圧力がかかったりしないよう、渡す情報、渡さない情報を選別し、人選をし、方針を決定しなければならない。

 敵さんは、どっちに転んでも美味しくなるよう頑張っているはずだが、巻き込まれる人たちが、事が済んでから不利益を被らないように、こちらはこちらで絵を画いてやろうではないか。

 

「ふふふ、戦争ね。楽しみですよ」


 私は笑みを浮かべたまま、ギルドへ向かって歩き出した。

 

 




◇ ◇ ◇ ◇








 ギルドを飛び出た俺たちは5分ほど走ってから足を止めた。

 別に息が上がったわけではない。この程度で息切れしていたら冒険者などやってられない。


「まあ、このくらい来たらとりあえずは大丈夫かな」

「い、イサオ……あ、あの…… 手が……」


 言われて初めて手を繋いでいたことに気付く。

 ノリちゃん以外の女の子の手などほとんど握ったこともない俺は内心ドキドキしたが、焦って手を放し背を向ける青春漫画みたいな真似はしない。「あーごめんな」とだけ言って手を放す。

 オルテナさんはその瞳と同じくらい顔を赤くして俯いていた。いつも通り微妙に無表情なので怒ってるのか恥ずかしいのかよくわからないかった。

 とりあえず立ち止まってるのも変なので俺の家に向かう。

 頭の上のノリちゃんは上機嫌に体をゆっさゆっさ振っていた。

  

「ま、まあとりあえず事情を説明してよ」

「あ、ああ、そうだな。実はさっき家に帰ったのだが……」


 

 想像以上によくしゃべるオルテナさんから事情を聴き終えた俺はとりあえず確認する。


「要するに変態が怖いから帰りたくないと?」

「ち、違うっ! ただ、こう…… か、勝つためには撤退も必要だ!」

 

 なんじゃその言い訳は。

 するといつも隙を見逃さないノリちゃんがキチンと拾う


「あるじー 『てったい』ってなーにー?」

「撤退ってのはねノリちゃん。逃げることなんだよ」

「わ、私は逃げてなどいないっ!」


 はいはい逃げてない逃げてない超乙カレー。

 俺は、「いや、でも撤退って逃げるってことだから」と言い切ってオルテナを黙らせる。

 ほぼ無表情だが、唇を尖らせてるのできっと脹れているのだろう。


 俺は話を聞いていてオルテナの事がよくわからなくなってきていた。

 初対面や初共同任務で彼女は完全に武人然としていて、俺はてっきり生まれる時代と世界を間違えてしまった武士(もののふ)さんだとばかり思っていたのだが、変態に腰を抜かしてみたり、変態が怖くて家に帰れなかったり、無口だと思っていたら結構おしゃべりだったり、俺の背中でクンクン鳴いてみたり。

 現代日本に生まれていたら相当なモンだったんじゃなかろうか。


「まあ、そういう事情なら泊めてあげてもいいけど、ウチ狭いよ。いいの?」

「問題無い。私は冒険者だぞ。雨風凌げれば床で寝るのも全然平気だ」


 実はか弱い女の子と思いきや、こういう男前な部分もあって、正直この子はよくわからん。

 まあ、知らない仲でもないんだし、困った時はお互い様だ。ノリちゃんがいる以上、何をどうやったって間違いなんて起きようがないし、落ち着くまで家に置いてあげてもいいだろう。

 俺たちは取り留めのない話をしながらしばらく歩き、アパートに到着した。

 今にも崩れそうなボロアパートを目の当たりにしたにも関わらず、顔色一つ変えずにケロッとしているところは本当に男前だと思う。

 そういえば先日、俺の家にも変態が侵入したっぽいが、黙っておくことにしよう。

 

「まあ、狭いし汚いけど入って。あ、靴は脱いでね」

「お、おおおおおじゃまします」 


 俺はさっさと部屋の隅にある台所に行って、ノリちゃんをベッドに下ろすと、お茶を入れるためにお湯を沸かす。

 振り返ると、オルテナさんがちゃぶ台の前で固まっていた。

 ん? どうしたの? と声をかけようとした時、彼女がこう言った。


「今から掃除をします」


 ……え?





   

□□□□□□□□□







 廊下に隣接した元物置部屋、現浴室から、水が床に落ちる音と、ノリちゃんのはしゃぐ声が聞こえてきて非常に居心地が悪い。

 今、オルテナとノリちゃんが一緒にお風呂に入っているのだ。

 とんでもなくボロい安アパート。部屋を仕切る壁は、むしろ清々しいほどに遮音の役割を放棄しているし、床ドンでもしようものなら、住民全員が目を覚ますくらい余すとこなく音が行渡る仕様だ。

 当然のごとく内壁はもっと薄い。だからこんな声だって聞こえてくる。


「あんなー あるじがなー おるてななー 『もでるさんみたい』って言っててなー」

「もでる……? 何かの魔法かな?」

「あっ ノリもしらんかったー!」


 キャッキャッキャッ



 やめて! ノリさんマジやめて!

 山田君がさー、この前花子のこと可愛いって言ってたよー。 えー! ウソー!?

 みたいなノリ

 

 モデルという概念がこの世界に無かったことは不幸中の幸いだった。

 しかし、相手に伝わってなくてもダメージを受ける場合があることを知った俺は、ピカピカに磨かれたちゃぶ台に肘をついて頭を抱えた。

 

 ピカピカのちゃぶ台。

 部屋を見回してみるが、どこもかしこもピカピカだった。

 そう、オルテナは突然の「掃除します」宣言をした後、台所にあった塩とビネガーを駆使して、猛然と掃除を始めたのだ。


 ここもちゃんと綺麗にしなきゃダメと、どこか嬉しそうに台所を磨くオルテナさんは完全に女の子だった。

 益々オルテナのことがわからなくなった俺を尻目に、手早く部屋を綺麗にしていく彼女を見て、俺はやっぱり妹の事を思い出していた。男の子書籍を発見して真っ赤になるところまでも一緒だ。

 

 当時、思春期真っ盛りだった俺は、そんな妹をウザイと邪険にしていたが、会えなくなった今となっては若干の後悔となって俺の胸をチクリと刺す。

 ぽっかりと空いた胸の空虚を埋めてくれたのは他でもないノリちゃんだが、こうして人と関わり、失いたくないモノが増えていくことに、最近はこそばゆくもあり、嬉しくもある。

 

「幸せだなあ……」


 何の気なしに飛び出した言葉を自身で聞くことによって自覚する。

 何となく暖かい気分になりニヤニヤしていると、井川家の問題児がフンっと鼻を鳴らした。


『ええのう、(なれ)は幸せでぇ~』


 イラっとする口調でしゃべったのは、完全に絡む気満々の聖剣様だ。


『女など連れ込みおって、美女3人に囲まれてさぞかしご満悦じゃな~』


 やはり物凄いイラっとしたが、俺は聞き捨てならない事は細かく拾う主義だ。


「おい、3人ってどういうことだ? ノリちゃんとオルテナと後誰だよ」

『なっ! 我がいるじゃろう! 失礼な男はモテんぞ!?』

「おめーは剣だろうが!」

『貴様! あるじとはいえ許さんぞっ!!』


 一体何をいってるんだこの馬鹿()は。

 生物学的に1ミリも掠らない別の生き物だってことをそろそろ認識してくれないものか。

 大体、俺は腐った肉に塗れて色んな意味で勝手にブッ放す奴を美女とは認めない。


「そもそも連れ込んだわけじゃないっての。変態とハチ合わせしてパンツ盗られて、そりゃ女の子だったら怖くて帰れなかったりするだろ。可哀想だと思わないのか?」


 するとアリアからブワッとドス黒い聖気が噴出した。ていうかホントに聖気なのかわからないが、とにかくスイッチが入ってしまったらしかった。


『可哀想じゃのう! お肌がプルプルなオルテナ様は下着まで盗まれてしまって!!』


 あ、アリアさん? 一体何をおっしゃ―――

 



『我は盗まれんかったぞっ!』




 ……はい?

 

 


『我は盗まれなかった……っ! オルテナも! あの貴族の小娘でさえも巷で噂の変態仮面に下着を盗まれたというのにっ 我は盗まれんかったっ!!!』

 

 お前ホント何言っちゃってんの?

 ていうか何でこの子、拳鬼の事知ってんのよ。 

 そもそも何で人類の下世話事情に金属がしゃしゃり出てくんのよ。

 色々と突っ込みどころが多すぎる彼女の言動に頭が痛くなってきたので、とりあえず俺は当たり前の事を言ってみる。 


「だってアリアさん、下着なんてつけてないでしょう……」


 それに対するアリア(バカ女)の答えはこうだ。


『鞘が下着みたいもんじゃろうがっ!』


 どうしよう。

 この子ホントどうしたらいいでしょうか。

 少しくらい物事を考えたりは出来ないのだろうか。『鞘が下着』、それを前提にちょっとでも考えてみたらいい。誰だってすぐに答えに行き着いてしまう。

 

「それじゃアンタ痴女じゃないっすか……」


 戦闘時なんかは全裸じゃないすか。

 あまりに頭が可哀想なアリアに、憐憫の目を向ける俺。


『我は痴女じゃない! 淑女じゃ! それに……っ』


 完全ロマン型の全方位射撃娘がどの口で淑女とか抜かすのか。

 俺はいよいよ彼女を病院に連れて行く算段をし始めた時、彼女が語り始めた。


『それに…… 汝も最近は全然構ってくれないし…… オルテナやノリばかりずるいのじゃ……』

「あ、アリア…… それは……」

『毎日お話してくれるって言ってたのに、最近は手入れも疎かになってきて……』


 すうっと引込められたドス黒い聖気。

 心なしか小刻みに震えるアリアを見て、俺はまた彼女を傷付けてしまったのだと知る。

 

 そう考えると、今までの支離滅裂な言動も納得できた。

 俺が他の人と交流し、失いたくないモノが出来、それを温めている間、彼女はずっと一人で耐えていた。

 時間は有限だ。そちらに気が向く分だけ彼女を気にする時間が減ってしまう、これはしょうがない事なのかも知れない。だが果たしてそれは一人で動けぬ彼女に対する言い訳になるのだろうか。彼女はそれをどんな気持ちで眺めていたことだろうか。

 

 予てよりそんな不安は持っていたに違いない。だからアリアは毎日コミュニケーションして欲しいと言ってきたのだ。

 そして俺は約束し、それを破った。

 有言実行など、どの口で言えるというのか。言葉は紙より重いなどと偉そうな事を抜かす資格が俺にあるというのか。言えるはずがない。資格など有るはずがない。

 約束も守らぬ男が発する空虚な言葉に価値など無い。

 今俺が口にしていいのは許しを請う言葉だけなのだ。

 俺は唇を噛み締め猛省した。


「アリア、俺は最低だった。君の言うとおりだ。もうやり直せないのかな……?」


 するとアリアはおずおずと口を開く。


『……反省してる?』

「してる」

『じゃあ約束守ってくれる?』

「約束する」

『今から手入れして欲しいな……?』

「ああ、手入れするよ」

『うんっ!』


 俺は嬉しそうにユラユラ揺れる彼女を掴むと、アリアの手入れを始める。

 なんか油の香りと色が違うような気がしたが、無邪気に『えへへ~~』と笑う彼女を見て

 まあそんなことはどうでもいいか、と優しく手を動かした。






 

 

  




◇ ◇ ◇ ◇






 

「ちょっとっ! なんでそんなにやる気がないのよっ!」


 頭の後ろで手を組んでダルそうに歩く少年に、少女が声を荒げる。


「私の下着が盗まれたのよ! 何でそんなに落ち着いていられるの!」


 半ばヒステリックに食って掛かる少女。対する少年の返事は素っ気ない物だった。


「下着ぐらいで何でそんなに怒り狂ってんだよー。お金持ちなんだから買ってもらえばいいじゃん」

「そういう話じゃないのっ!!」


 少年は、なぜ少女が怒っているのかわからないといった風に首を傾げる。

 影が長く伸び始める時間帯、二人はゼプツィール郊外の中通を歩いていた。少女は常に帯剣した剣の柄に手を伸ばし、あたりを注意深く警戒しながら歩く。少年のほうは今にも口笛を吹きそうなほど気楽に少女の隣を行く。

 ここはダンジョンでも壁外でもない。城壁に囲まれたれっきとした街で、その中でも別に治安の悪い通りでもない。人通りもそこそこで、日が傾きかけているからと言って警戒しながら歩く場所でもないのだ。

 

 少年は、なぜ少女がそこまでの警戒態勢で通りを行くのかがよくわからないし、布きれ一枚盗まれただけで何をそれほど憤慨しているのかもわからない。

 だから少年の反応も、ある意味当然と言えるものだった。


「それにさー 変態を成敗するとか、ここ数日、街歩きっぱなしじゃん…… いい加減疲れたよ」


 だが少女は納得しない。なぜこの気持ちがわからないんだとばかりにその綺麗な顔をキィィ~~!と歪めて地団太を踏む。いつもは濡れたようにしっとりと輝く金髪も、ここ数日の外回りでパサつき乱れ始めていた。


「じゃあ…… じゃあっ! ドットはいいの!? 私の下着が見も知らない男に盗られても別にいいっていうの!?」


 傍から見たら、年頃の不器用な少女の精一杯のアプローチだ。そりゃすれ違う人が微笑ましいモノを見る目を向けてきたりだってする。

 二人の横を、同じ方向に歩く冒険者は、年若い二人の痴話喧嘩に露骨に舌打ちなどしている。

 そんな空気の中、一生懸命な少女を嘲笑うかのように少年がキョトンとしながら言った。


「え? 俺別に関係ないじゃん」

「ムキーっ!! ドットのくせにっ! 私がちょっと優しくしてあげたらすぐ調子に乗るんだから!」

「い、いや…… 調子に乗ってるわけじゃ―――」

「うるさいうるさい! もういい! 私一人で探すんだから! わたし一人で成敗してやるんだから!」


 少女が早足で歩き始める。

 少年が後を追う。


「おーい、ちょっと待てって。俺も手伝うって」

「来なくていいわよ! もう! 折角ご褒美をあげようと……」


 そ、そうよ、ほっぺにチュウしてあげてもゴニョゴニョ……

 何ならき、き、きききききききキッスをしてあげたっていいんだからゴニョゴニョ……

 ご褒美だもんご褒美だから義務だから責務だから私初めてだけどドットが欲しいって言うならゴニョゴニョ……


 立ち止まって乙女全開な独り言を漏らす少女。

 そんな彼女に無情の一言が告げられる。


「え? 何だって?」

「知らない! 馬鹿ドットっ!」

 

 これには通行人も呆れるしかない。

 ハーレム系主人公全開な少年に対し、少女は顔を真っ赤にしながら叫んで、いよいよ走り出そうとする。その時だった。

 

「君は最近噂の下着泥棒を探しているのかい?」


 突然目の前に現れた長身の男。

 フードは脱いでいるが白いローブを羽織り、端正な顔に柔らかな微笑みを浮かべた男は、どこにでもいる聖職者のような雰囲気を醸し出していた。

 

 だが少年は警戒する。いきなり話しかけられた事もあるが、男が浮かべる笑みがどことなく胡散臭く感じたのだ。 

 それに、毎日訓練を欠かさない彼は直感的に悟っていた。


―――こいつ、かなりやる(・ ・)


 だが少女は男が持つ柔らかい雰囲気に安心したのか、あまり警戒もせず、返事をした。


「そうよ、あの噂の変態仮面とやらを探しているわ。下着を盗まれたから取り返して成敗してやるの!」

「それは酷いね、そういう事なら居場所を教えてあげるよ」

「ホントっ!?」

「ホントだよ、これでも聖職者の端くれでね、情報は集まってくるんだ。さあこっちだよ」


 男が手招きすると、スタスタ歩いて細い路地へ消える。

 少女が急いで後を追った。


「おいクルル! ちょっと待て、おい待てって!」

「ドットには関係ないでしょ! 私一人でなんとかするんだからっ!」

「そうじゃないって、アイツは何かヤバい奴だ!」


 少女が路地に消えるのを呆然と見送っていた少年だが、ハッと気付くと急いで後を追った。

 駆け足で路地に入り、突き当りを右に曲がる。そこには……


「お前ら何やってるっ!!!」

 

 男達に拘束されている少女がいた。

 

 布で口を押えられ唸っているクルル、そしてクルルの両脇を固める怪しげな二人の男達。

 そして彼らとドットの間に立ちふさがる、先ほどの男 


「見てわからないのかな? 誘拐だよ誘拐。せいぜい君には伝達役になってもらおうか」

「させるかよっ!」


 即座に抜刀。

 ショートソードを担ぎながら迷いなくローブの男に突撃。

 左手一本で振り下ろしながら、右手で腰のホルスターから愛用のダガーを抜刀。ダガーで男の足に切りかかろうとした時、ショートソードが相手と接触。パチッと音を立て弾かれた。

 一瞬違和感を感じつつもダガーを振り抜く、しかしギンッと音を立て弾かれた。

 ドットは戦慄する。


―――障壁だ!

 

 ドットはバックステップで距離をとると、男を睨み付けた。

 ショートソードは陽動だ。帷子か何かに弾かれたのだろうと思っていたが、全力で振り抜いたナイフが弾かれた時、高速で回る駒に弾かれたような、そんな感触がした。


「くそっ!」

「気付いたようだね、その年では中々のものだ。自信を持っていい。だが……」


 男が軽く手を払う。 

 何を? と思う暇も無かった。

 ドットが気付いた時には、腹に風の塊が直撃し吹っ飛ばされていた。

 そして受け身を取る間もなく壁に叩きつけられ崩れ落ちる。ズリズリと背中を擦る壁がやけに冷たく感じられた。

 クルルが声にならない悲鳴を上げる。

 

「クルルを…… クルルを返せっ!!」

 

 生まれたての小鹿のように、ガクガク震えながら立ち上がろうとするドット。

 剣もダガーも吹っ飛ばされた時に放してしまった。

 頭から流れた血が右目に入り視野は狭いし、何より頭を打ったおかげで視界がぐるぐる回っている。

 クルルが何やら首を振っているようだが関係ない。

 なんとか立ち上がり、男に向かって走り…… いや、男に向かって拳を振り上げながらヨロヨロと歩み寄るドット。


「クルルを返せぇぇぇっぇ!!!」


 ドットが振り下ろした拳を、男は避ける事もしない。避けなくても空振りする軌道だからだ。

 空振りして再度地面に転がるドット、そしてまた立ち上がり男に殴りかかる。今度は男が一歩体を引いた。

 

「無理だよ、君には無理だ」


 再び空振りして地面に転がったドットを見下ろしながら男が言った。


「関係ないっ!」


 そしてまたドットが立ち上がろうとした時  


「やめてぇっ!!!」


 拘束は解けていないが、口布だけ外されたクルルが叫んだ。


「大人しくするからっ! 私は大人しくするからっ! それ以上酷いことしないでっ!」

 

 ドットが呆然とそちらを見やる。

 そしてグルグル回る視界の中、その視線が確かに涙を流すクルルの顔を捉える。


「クルル、待ってろ…… 今助けてやるから!」

「やめて! ドットいいから! もうやめてっ!」


 既に体に力など入らない。肺が痛くなるほど息がが上がっているし、膝など震えを通り越して痙攣している。気付くと左腕など動きもしない。半ば見えない目だけをギラつかせていた。


 しかし現実は甘くない。気持ちで世界が回るのならば、とっくに世界は虹色に染まっているのだ。

 ローブの男がその真理を代弁した。


「少年、君はただの伝達役だ。英雄にはなれない。子供も大人も関係ないさ。弱者は何も守れないんだよ」


 『弱者』という言葉に腹を立てたわけではなかった。

 英雄になんかなれなくたっていい。それこそ子供も大人も関係ない。ただ『クルルを泣かせてしまった』、ただそれだけが悔しくて、情けなく地面に転がる自身を呪う。

 弱くたっていい、それでも絶対に助けてやる! 

 傷だらけの体を駆け巡る激情、迸るそれだけを頼りにドットは立ち上がる。

 

 人など通らない路地裏、たった一本の道を境界に、

 そこにあるのは有り触れた街の表と裏。

 少女が涙を流し、少年が血を流す。

 立ちはだかるのは3人もの大人の男達

 助けなど無い。勝ち目など無い。障壁を使える高位の魔道士相手に打てる手すら無い

 それでも少年は拳を握りしめた。 

 

 ブッ飛ばしてやる!


「ああああああああああ――――っっ!!!」


 ドットは絶叫した。








□□□□□□□□







―――あれ、同じ石鹸使ってるのになんでこんなにいい匂いすんの?


 なぜか持参していたピンクのパジャマに身を包み、濡れた髪をアップに、うなじを剥き出しなオルテナさんは、今や青少年の煩悩を刺激する凶器と化している。

 俺は女の子の湯上りモードの攻撃力に戦々恐々としていた。


「あるじー おふろはー?」

「い、いや、今日はやめておくよ……」


 年頃の中高校生じゃあるまいし、なんでこんなにドギマギしているのか我ながら情けなくなる。

 ノリちゃんの体を拭いてあげているオルテナを眺めながら、はあ…… とため息をついた。

 すると、日が落ちているにもかかわらず、かなり強めに入口のドアがノックされた。

 ビクッと体を震わせたオルテナが思いの外乙女でびっくりする。


「だれだろ、こんな時間に……」

「へ、変態かも知れないぞ!」

「しれないぞ!」

「それはないって……」


 恐る恐る後ろを付いてくるオルテナに苦笑しながら玄関に行きドアを開けた。そこには


「師匠……」


 俯いて体を震わせる可愛い弟子が立っていた。

 俺は思わぬ来客にテンパる。


「ど、ドット! これは違うんだ! 彼女は別にそういうわけじゃ……っ!」

 なぜ10も下のガキに言い訳をしているのかわからないがとにかくテンパった。

 ひとしきりあたふたしてから、無言で俯くドットに視線を戻して、ようやく俺は目を見開いた。


「おまえ…… どうしたんだ…… ボロボロじゃないか……」


 よく見てみると、服もプロテクターも泥だらけだ。頭から流れた血には泥が付着し、触れるとポロポロ落ちそうなくらい乾いている。何より左腕が関節を無視してブラブラと揺れていた。


「おま……っ! それ! 左手脱臼してるじゃねえか!」


 脱臼なら野球の練習中に一回だけ経験があるからわかる。

 少し動かしただけで脂汗が吹き出るほど痛いのだ。それに痛みをそれほど感じなくなっているということは……


「おい! 入れっ 早くっ! 筋がイってるぞ、すぐに治療してやる!」


 不幸中の幸いだ。

 骨折ならきちんと知識を持ち、きちんとした治療の上治癒魔法をかけないと無茶苦茶に骨がくっついてしまうが、抜けただけなら治癒魔法でなんとかなる。

 俺は中に入る様に強く促すが、ドットは俯いて立ったままだ。

 何やってる! と激高しそうになった俺に、ドットがボソリと言った。


「師匠、助けて……」

「だから助けてやるって言ってんだろ! 早く中に入って横にな―――」

「俺なんてどうでもいい! クルルがっ! クルルが攫われたんです! 目の前でっ!!!」


 体を震わせるドット。

 彼の真下、ロクに掃除もしていない汚れた踊り場の床に、ポタッポタッと染みが広がる。

 堪えようとして堪えられない嗚咽が、この純粋で真っ直ぐな少年の喉から漏れていた。 


「お金が無いのでギルドには頼めないっす。クルルの家も知らないし平民だから高等区には入れないっす。師匠しか頼れる人がいないんです…… 一緒に探してください……っ!


 どれほどの屈辱だろうか。

 悪を憎み不条理を呪う、曲がった事の嫌いなこの少年が、それに遭遇し敗北した。

 地面に這い蹲り、目の前で大事な友達を攫われ、誰よりも自分が助けたいはずなのに、無力を悟って人に頼む。

 胸に突き刺さる無力感たるや如何ほどのものか。

 

 事情を説明して頼めばいいだけではないか。

 俺は彼の師匠で、彼は俺の弟子だ。

 弟子がこんなにもボロボロになってまで守りたかったものを、師匠である俺だって守りたいに決まっているではないか。それなのに……


「ドット、いいんだ、わかってるから。いいから立つんだ……」

「お願いしますっ!!!」 


 なぜお前は師匠である俺の前で土下座をしているのだ。

 なぜこの汚い床に額を擦り付けて声を震わせているのだ。

 お前は俺がそんなに薄情な男だと思っているのか。

 それともお前がそんなに悪いことをしたとでも言うのか。

 違う。わかっている。お前がそんなつもりで膝を折っているわけじゃない事を。

 

「わかった。状況を説明しろ。まず治療が先だ。中に入れ」 


 怒りで血管が切れそうだ。

 俺の弟子を、こんなにも真っ直ぐで素直な可愛い弟子を

 こんなに風にさせた相手をぶちのめしたくて仕方がない。

 体の傷の事ではない。服の汚れの事であろうはずがない。

 弟子の喧嘩に口を出すほど愚かな男ではないつもりだ。

 俺は未だ額を擦り続ける弟子を見下ろしながら口の中に広がる鉄の味を噛み締める。 

 

 確かに敗北は重要だ。ずっと勝ち続けるなど、どこの世界でも有り得ない。

 そして、真っ直ぐなものが大嫌いなこの世界においては正義も悪も関係ない。真っ直ぐだろうと曲がっていようと、力が強い者が勝ち、弱い者が地べたを舐める。

 だからきっと、「ドットが弱かった。相手が強かった」ただそれだけで終わる話なのだ。

 

「だから何だってんだクソったれが……」


 思わず漏れ出る黒い言葉。

 関係ない。俺にはそんな理屈など関係ない。

 優しくそしていつも正しくあろうとするこの少年が、プライドを噛み殺し土下座をしなければならない理由があるとでもいうのか。あるはずが無い。もしそれが世界の理というのならば、そんなものクソ喰らえだ。 


「あるじ、怒ってるの……?」

「うん? ノリちゃんは心配することないんだよ? だけど今日はお留守番だよね。わかったかな?」

「うん、ノリわかった。おるすばんする」


 何かを悟り神妙に頷くノリちゃん。

 彼女には可哀想だけど、今日は留守番だ。

 俺は、オルテナがベッドに寝かせてあげたドットから事情を聴いた。すでに治療は済ませてある。

 相手が聖職者を名乗ったというが、でまかせかもしれない。だが、ドットを『伝達者』呼ばわりしたことが気になる。


 そして相手はおそらくクルルちゃんを認識してる。この場合、一番金になるのは脅迫だ。

 ドットには言えないが、もうこの時点で彼女の貞操は保証出来ない。魔法飛び交うこのファンタジーは楽観が許されるほどメルヘンな世界ではないのだ。

 だがまだ最悪の事態にはいたっていないだろう。何故なら、殺すことが一番金にならないからだ。

 何も言わずに黒衣装へと着替えを済ませていたオルテナに目をやって、俺は言った。


「オルテナ手伝ってくれ。ドット、お前は休んでいろ」

「嫌だっ! 俺も探すんだっ!!」


 物凄い形相で唾を飛ばすドットに俺は冷たく言い放つ。


「そんなにボロボロで何が出来る。足手まといだ」


 悔しそうに顔を歪めるドット。

 音を立てて押し寄せる罪悪感に苛まれながらも、俺は厳しい表情を崩さなかった。

 ドット、お前やっぱりカッコイイよ。

 だからこの世界の不条理を思い知れ、力が無ければ何も守れない事を知れ、そして強くなれ、俺がお前を鍛えてやる。

 

「でも俺はクルルを―――」

「でももへったくれも無い。気持ちはわかる。だけど休め……」

「俺は……っ! 俺がっ!」

 

 ドットの裡、何かが切れる。

 抑えきれない感情が涙となって溢れだす。

 それは苦痛か、それとも悲哀か? いや違う。

 屈辱だ。

 

「俺が……っ! 俺が弱かっだがら゛…… ううぅ、友達なんだ、大事などもだぢな゛んだ……っ!」


 まるで己を呪う呪詛のように吐き出された言葉。

 わかってる、わかってるさドット。そんなこと俺は知っているんだ。


「俺を信じろ、絶対に助けてやる」


 そう言って俺はドットに眠りの魔法をかける。

 そもそも疲れていたこともあって、ドットはスコンと意識を手放した。


 深い眠りについたドットに毛布をかけてから、俺たちは夜の街を手分けして探した。冒険者を4年もやっていると、悪党が溜まりそうなところや、それに使われそうな場所など、大体は把握している。

 俺たちはそれらを一つずつ、虱潰しに探していった。

 そして夜が明けるころ、

 俺たちは何一つ収穫がないまま一度家に戻ることになった。


 あんなに偉そうに啖呵を切っておきながら何も結果を出せず、正直弟子に合わせる顔が無い。

 だがとりあえず何かを腹に入れて、再度ドットから思い出したことがないか、手がかりをを聞く必要を感じたからだ。


 そして無言で家の前まで歩くと、ドアの隙間に何かの紙が挟まっていることに気付いた。

 ある予感がして毟り取るようにその紙を手に取り広げてみる。

 そこに書いてあったのは、あまりにシンプル過ぎる一文。


 


―――明日の早晩、西のグリーデルの丘にて待つ。預かった娘を連れて行く。決着をつけようではないか。

                 拳鬼




 ははは、俺は乾いた笑いをあげた。

 そうか、そう来たか、やってくれるじゃねえか。望み通り殺してやる。


「ウチの身内を泣かせた落とし前つけてやンよクソったれがっ!」


 俺はグシャリと手紙を握り潰して、

 牙を剥き出しに独り嗤った。


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