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異世界最強は大家さんでした  作者: つよぐち2号
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拳鬼襲来


 まだ鐘8つも鳴らない、冒険者にとっては早朝と言って問題が無い時間帯に、誰かが家のドアをノックする音で俺は目を覚ました。

 ふしゅーふしゅーと寝息を立てて寝ているノリちゃんを軽く撫でてから、起こさないよう静かにドアに向かう。


 まったく、一体全体どこのどいつなのだ、ノリちゃんとくっついて微睡むという、一日の中でも指折りの幸せタイムを邪魔してくるアホは。これで宗教の勧誘とかセールスだったら、お互い不幸になる未来しか見えないではないか。

 

 おれは若干物騒なことを考えつつ、カギに手をかけたところで強烈な既視感に襲われた。

 そういえば最近、こんな展開から無拍子で土下座に移行したことがあるような気がする。いつだ? 何故だ? 

 そうだ! 確かベルトさんの所に連れて行かれた時だ。でもなぜその時に土下座をしたんだっけ?


 首を傾げていると、相手はしびれを切らしたのか、実に当たり前のようにカギが開けられた。

 ああ、そうだったちくしょう、大家じゃねえか……

 

「おはようさん」

「いや、おはようさんじゃなくてですね、勝手にカギを開けないでくださいよ。俺にだってプライベートってモンがあ―――」

「いいからつべこべ言わずに家賃出しな」


 相変わらずどうしようもないババアだ。

 確かに俺は同居人を勝手に増やしてみたり、それが元で借金してみたり、褒められたような店子ではない。

 だが、家賃滞納したことがあっても必ず払っているし、借金だって1ギルたりとも踏み倒していない。更新料だってアリアを質に入れてでも支払ったではないか。その後のアリアの心のケアにかかった費用だって馬鹿にならなかったのだ。

 十分善良な店子と言えるだろう、きちんと通常の店子として扱われるべきだ。

 

 それなのにどうだ、毎月朝早くに訪れ無遠慮にドアを殴打し、ちょっと待てばこちらからドアを開けるというのにそれを待つこともなく勝手にカギを開けて入ってくる。文句の一つも言ったってバチは当たらないはずだ。


 それでちょっと文句を言うと、まるで俺が家賃を払わないどうしようもない人間みたいなこの言い草。

 そりゃ温厚な俺だってカチンとくるさ。


「大家さん、俺はきちんと家賃は払ってきているでしょう? 今日だってお金は用意しています。勝手に部屋に入るのはもうやめてもらえませんか?」


 若干強めの口調で抗議する俺

 それに対する大家の返事はこうだ


「あんたは黙って家賃払ってりゃいいんだよ」


 ロクな死に方しねえなこのババア

 まあいい、そんな強気なことを言ってられるのも今の内だ。

 大家が右向けと言ったら右を向かなければいけない専制支配ももう終わりにしよう。暴君の専横から脱却する方法は何も革命だけではないのだ。

 

 小馬鹿にするような見下した顔を俺に向けるババアに対し、俺はニヤリと不敵に笑った。

 

「まあいいでしょう。あなたの傍若無人な家賃請求ももう終わりです。もうあなたの暴挙にはもうウンザリなんですよ」


 怪訝な表情のババアに追い打ちをかける。

 

「過去、数々の神をも恐れぬ悪逆非道な無頼の蛮行、ノリちゃんに免じて許して差し上げましょう。あなたは運がいい。我が女神は『寛容』を尊ばれます」

「……何が言いたいんだいクソガキ?」

 

 俺は目を閉じ軽く顎を上げる。瞼に浮かぶのは紛う事無き屈辱の歴史。

 

 苦心の末に手に入れた番茶を、滞納利息だと強奪するババア

 俺の仕事中に勝手に上り込んでは取って置きのお菓子をいただくババア

 奪った春画を片手に、本気で追いかける俺をぶっちぎるババア

 本気の陽炎(物理的12分身)で構成した『俺』をニヤつきながら撃滅したババア


 ゆっくりと目を開け真っ直ぐ大家を見つめてみる。

 こうやって見ると、若いころはイケてたに違いない面影。この小さな老人のどこにそんな力が眠っているというのか、最後の最後まで解らないままだ。


 俺はおもむろに部屋を振り返る。緑から黄色へと変色した畳が嫌が応にも時の流れを実感させた。

 ここで暮らし始めて3年半、それは大家との戦いの歴史だったのだ。

 これは断じて逃げではない。戦略的撤退だ。


 俺は突如として湧いて出た、感慨とも無念とも名残惜しさともつかない複雑な感情を咀嚼すると、満を持して言い放った。


「近々引っ越します」


 表情を崩さずに俺を見据えるババア。


「ある程度まとまったお金が入りましたし、先の目途もたちました」


 実はこの前、クルルちゃんの護衛の報酬として、俺は75万ギルもの大金を手にしていた。

 俺たち二人の実力を高く評価してくれたベルトさんは、今後も定期的に指名依頼を入れると言ってくれて、それはギルドのほうにも通達されたらしく、その依頼以外にも、ある程度重要度の高い非討伐任務を紹介してくれるようになっていた。ある程度の収入が保証されてきているのだ。

 ちなみに、ドットをどうにかしてくれたら報酬百倍出すと言っていたが、普通に断った。横に立つ老執事が意地悪そうにニヤついていたので、ベルトが暴走する心配はないだろうと思った。


「そろそろ将来の事も考えて、もう少し広い所に住もうと思いまして……」

 

 と、そこまで話した時に、俺は何故か言い様の無い気持ちに襲われてババアから目を逸らす。

 最初は『してやったり!』とか「ざまみろババア!」とか思いながら口を開いたものの、話すうちに自分でも訳の分からない感情が湧き上がり、尻すぼみに勢いを無くしていく俺の言葉。膨らんでいくもやっとした気持ち。

 何故かと自身に問う前に、答えはその自分の口から飛び出した。


「長い間本当にお世話になりました」


 気付いたら頭を下げていた。

 それは、気付きながらも、どこか知らないフリをしていた素直な気持ち。

 いつも暴虐の限りを尽くすババアにイラだちながらも、身元も何もわからない、素行だってわからない冒険者である俺を入居させ、厳しくもきちんとスジを通してくれたババアに対する感謝の気持ちだった。


 少しだけ、ほんの少しだけこみ上げた想いに、これまた少しだけ目尻を熱くしている俺に対して、ババアは優しく微笑んだ。

 それは、厳しくも優しいとうちゃんが、高校受験に合格した日に見せたような、巣立つ我が子を祝福するかのような思いが籠る、温かい笑顔だった。


 ババアもきっと祝福してくれている、そんな確信めいた思いで俺の胸が熱くなる。

 そして、今まででは考えられない穏やかな雰囲気の中、ババアが笑顔で俺に告げた。




「保証金が足りないねえ」





 ……


 …………


 ………………は?





「え? ちょ、ええ? ほ、保証金?」


 ババアが笑顔を崩さず言った。


「そうだよ、保証金が足りないと言ったよ」


 俺は思わず左手で額を押さえて横を向くと右手でババアを遮った。


「ちょ、ちょっと待ってくださいババアさん。おそらく俺の聞き間違えだと思うんですが今『保証金が足りない』って言葉が聞こえたんです。ははっ、情けない話です。どうやら私は最近仕事がうまくいっているので舞い上がってしまったようだ、そうでしょう?」


 それに対するババアの返答はこうだ。


「いいや、あたしゃ足りないって言ったよ」

「殺ったんぜゴラババアァァァ~~~っ!!!」

 

 瞬時に戦闘態勢に移行。

 老人に何てことを! と嘆く人がいるかも知れないが、ババアは化け物なので問題無い。

 

 俺は自身で編み出した迫撃用超短期移動魔法『縮地』でババアの背後に回―――

 居ない!! どこだ!!


 ゾワッと背筋を走る悪寒を感じた刹那、俺はガシっと腰をロックされる。

 そして何が起きたのかわからぬまま襲い来る浮遊感。

 何故俺は今、天井を見ているのだろうと思った次の瞬間、俺は豪快にバックドロップを決められていた。

 

 ババアはブリッジのまま地面を蹴ると同時に俺の上半身を引く。うつ伏せになる俺、そして軽やかに俺の背中に跨る様着地するババア。

 混乱し反撃も儘ならない状況のままババアはキャメルクラッチに移行。俺は思わず叫んだ。


「ギブギブギブギブギブっ!!!!」 

「はんっ もう終わりかい、情けないねえ」


 俺はパンパンと手を払いながら立ち上がるババアを呆然と見上げることしか出来なかった。 

 俺は最強の勇者だぞ! いったいどうなってんだこのババアはっ!! 

 

「入居時に入れた保証金10万ギル、それだけじゃ足りないのは本当なんだよ」


 ババアがやれやれと言った風に続ける。


「あんたが勝手に入れたあの畳、固定させちゃってるんでしょうよ、どうすんだい?」

「い、いやそれは次の人が使え―――」

「誰もが部屋で靴脱いで生活すると思ってんじゃないよまったく」

「……すんません」


 そうだった……

 俺は東方から来たという畳職人に畳を作ってもらったはいいが、ただ部屋に並べただけではズレたりするので落ち着かず、簡易なものとはいえ勝手に改造工事をしてしまったのだ。


「それに、あの物置スペースを勝手に改造して作った浴室、あれどうするんだい?」

「い、いや! あれこそ次の人が使え―――」

「上水道が無いこのアパートで水はどうすんだい!? お湯はどうやって沸かすんだい!? 排水はどうすんだい!? そんなことより、入口より風呂釜が大きいじゃないか! 入口壊せってのかい!? みんながみんなそんな高位魔法使えるわけじゃないんだよっ!!」


 正直グウの音も出ない。

 正論過ぎて死にたくなった。


「安く見積もっても50万ギルはするよ、覚悟しておきな!」


 先程の笑顔はどこえやら。

 吐き捨てるように言ってスタスタ帰るババア。

 すると、ババアは何か思い出したように踵を返し、こちらにまた戻ってきた。

 なんだよ、何の用だよ…… これ以上俺の精神を削らないでくれよ……

 俺が泣きそうになっているとババアが言った。



「忘れるところだった。家賃払いなっ!」

 


 そうでしたね本当にすみません。



 

 ◇ ◇ ◇ ◇




「首が痛い……」


 ギルドに向かう道すがら、首をさすりながら少し捻った。

 頭の上から、ノリちゃんが心配そうに覗き込む。


「ノリおもかったー?」

「重くないよ! ノリちゃんは全然重くない! 乗ってていいんだよっ!」


 頭から降りようとするノリちゃんをホールドしながら焦る俺。自分の不注意が招いた事態に、ノリちゃんまで不安にさせてたら世話無い。それだけは避けなければならなかった。


「あんなー ノリなー 歩きたいきぶんかもしれーん」

「の、ノリちゃん……っ!」


 あまりの優しさに涙が出そうになる。

 彼女の優しさの分だけ、自身の不甲斐無さを詰りたくなるが、今は彼女の成長を素直に喜びたい気分だった。

 そんな気遣いも出来るようになったんだねマイエンジェルノリちゃん。あるじ頼りなくてごめんね。


「じゃあお手々繋ごう!」

「つなごー!」


 ギルドに向かって二人並んで道を行く。とても幸せな気分だ。


 といっても、もはやコールド試合並に積み上がった黒星の数を考えると辟易としてしまう。

 大体、どこの世界にバックドロップから空中コンボ的にキャメルクラッチをキメてくるババアがいると言うのだ。少なくとも日本にそんなババアはいなかった。その内絶対「筋肉バスター」とかカマしてくるに違いない。

 

 まあともかく、ノリちゃんにあの醜態を見られなかった事だけが唯一の救いだ。

 ノリちゃんは、外ではちょっとの物音で起きてしまうが、家では安心しきっているのか、俺に起こされないとよほどの事が無ければ起きないのだ。


 嬉しそうに歩くノリちゃんを横目に、今日もギルドの扉を開ける。

 最近は『魔境』から出てくる魔獣の数が増えているので、ギルドも朝から賑わっていることが多い。

 今日もまだ午前中だと言うのに、右手の酒場では何らかの祝勝会が行われているらしかった。


「あっ! イサオさん! 今日も見繕ってありますよ! こっち来てくださいね!」


 マイラさんのカウンターには相変わらずの行列だ。

 きっと半分以上は彼女を口説きに来てるのだろうが、彼女は全く意に介して無い様だった。

 でもその状態で名指しはやめていただけませんか。他の方々が怖いです。


 俺は掲示板を一通り見て、めぼしい依頼を探すが、やはり討伐以外で割のよさそうなものは少なかった。ベルトさん系の話もまだ流れては来ていないようだ。

 俺はとりあえずマイラさんの列に並び、順番を待った。彼女なら掘り出し物の依頼を把握してることが結構あるからだ。ノリちゃんとお話しながら順番を待つ。ノリちゃんは依頼説明の時は、まだ内容が理解出来ないらしく、いつも大人しくしているから、今の内に成分補給だ。

 10分くらい待つと順番がやってきた。 


「マイラさん、結構今月は入用なんだ。割のいい仕事は無いかな。討伐以外なら何でもやるよ」


 保証金を稼がなければ、新しい家を借りるにも費用が足りない。

 俺は、大家に引っ越す宣言をしてしまった以上、いち早くお金を稼がなければならないのだが、この期に及んでも、俺の心が、根深いところで「殺し」を拒絶する。


 放っておけば、より多くの命を奪う存在なのだとしても、それだけで俺の心の枷を外す材料にはなり得ない。俺は別に平和主義でも博愛主義でも何でもない。

 例えば知り合いが盗賊を殺していたとしても、別に思うところは無い。それがこの世界の常識であるかぎり、俺は出来るだけその常識に従うし、そうして生きている人を軽蔑しようなどとも思わない。

 人様の庭で自分の常識を叫んで正義面するほど厚顔無恥ではないつもりだ。

 ただ「俺が」命を奪う行為に及びたくないというだけの話なのだ。


「イサオさん、本当に討伐嫌いですよねえ。そういえば、先週から報酬が高いんですけど微妙にアレな依頼が入ってまして……」


 俺は身を乗り出した。


「え! 何!? どんな依頼!? 俺やるよ! ガンガンやるよ!」

「ええと……、内容はこの通りでして……」


 前置きをしてマイラが差し出した依頼書の表題にはこう書いてあった。



 ―――変態を討伐せよ!!!



 俺は、ふうっとため息をつき、手の甲で目を擦ると再度依頼書に視線を戻す。

 やっぱり「変態を討伐せよ」であった。

 俺は戦慄する。


「え? マイラさんこれ、捕縛じゃなくて討伐依頼なワケ?」

 

 間違いが絶対に無いとは言い切れないが、準公的機関たるギルドが依頼を受注したということは、それは国法に抵触しないということだ。

 ギルドが、盗賊を討伐せよ! という依頼を受注するのは、国法が盗賊の討伐を合法と認めているからだ。

 という基準に照らしてみるとこういう結論になる。


「え? 変態って討伐されちゃうのこの国?」

「いや、別にそういうわけじゃないんです!」


 俺はどういうわけだと思いつつも、発注者の欄に目を落として再度驚愕する。


「ちょ、これ! ゼプツィール含めた周辺4地域の女性部の連名って! ホントどうなってんのこの依頼!?」


 皇都含め、各地域には市民団体として「男性部」「女性部」「青年部」といった組織がある。その中で一番発言力があるのは、言うまでも無く「男性部」であるが、一番敵に回したくないのが「女性部」だ。

 学校だろうが会社だろうが、どこのどんな組織においても、女性を敵に回した者の末路など口に出して語る必要も無い。

 

 今回はただでさえおっかない女性部が、4地域合同で、連名としてこの依頼を発注しているのだ。

 その事実がもたらす意味を想像して俺は青くなった。


「一体何やったんだよこの変態は……」

「下着ドロボーなんだそうですよ」


 俺は絶句する。

 もちろん下着ドロボーもれっきとした犯罪行為だ。衣料が高額なこの世界で、何より女性の最後の鎧を、盗まれた側の心情としては許しがたいものがあるのだろう。怒り狂ってギルドに駆け込んでくるのだって十分理解できる。 


 だが、言い方が適切ではないかも知れないが、あえて言うと

 たかだが下着ドロボーが、どうやって4地域もの女性部の怒りに火をつけたのか。しかも連名での血判まで押されている。

 俺が立ちすくんでいると、マイラさんが苦笑しながら説明した。


「発注に来た時は凄い剣幕だったらしいですよ、『討伐しろっ!』って。もちろん、下着泥棒を討伐では受注できないので、内容としては「捕縛」若しくは「成敗」ですけど、表題を「討伐」にして怒りを伝えることでなんとか落ち着いたみたいですよ」


 どんだけ怒らせてんだよこの変態


「成功報酬は200万ギルです」

「に、にひゃくっ!! 破格にもほどがあるでしょう! ホントなにしてんのこの変態!」

「額が額なので、受託する冒険者の方が結構いるんですが、みんな返り討ちにあっています。相当な手練れみたいですよ。内容はですね……」


 俺はマイラさんが差し示す内容欄に目を落とす。


成功報酬:200万ギル

達成条件:変態を「成敗」若しくは「捕縛」し、

     両手両足をこの上なくキツく縛った

     上、猿ぐつわをし各女性部代表者団

     の前に突き出すこと。

備考  :ちょん切ります




 超怖ぇぇっ!!

 なんだよ「ちょん切ります」って!


 俺は無意識に股間を押えながら質問した。


「あの…… ちょん切るのは、その…… アレなの……?」

「合法です」


 合法なのかよ

 また一つ異世界ファンタジーの厳しさを知った俺は、哀れな変態のために祈った。

 

 だが、同じ男性として深く同情しつつも、俺には俺の生活がある。変態の変態自身とノリちゃんとの生活のどちらが大事かなど一考にすら値しない。何より報酬が魅力的だ。

 よし! とっ捕まえよう。その後のことは知らん。

 そう思って捕縛対象を確認するため、対象特定欄に目を落とす。



対象:変態

特徴:見たらわかる



「見たらわかるって何だよっ!」


 俺は思わず突っ込んでいた。 

 突っ込み属性持ちではないが、我ながら綺麗に決まったと少しだけ満足する。


「いや、女性部団の人たちが帰り際に吐き捨てるようにそれだけ言って帰ったそうですよ」

「いや、冤罪とかシャレにならないんじゃないのコレ?」


 日本でも痴漢冤罪とかが話題になった。当時はあまりよくわからなかったが、今では冤罪で刑事手続きに入ることの悲惨さを理解できる。仕事が無くなるということはノリちゃんと暮らせないということだ。

 だから俺は、捕縛依頼の場合は、必ずウラを確認された依頼しか受けないようにしていた。自分の手で無実の他人の生活を壊すなんて、考えるだけでも恐ろしい事だ。

 いくら報酬が高かろうが、俺の中に超えてはならない一線は存在するのだ。

 それを知ってか知らずか、マイラさんが説明する。


「それが、本当に見たらわかるみたいで、みんな同一人物らしき人物に返り討ちにあっています。返り討ちにあった人も何故か頑なに人物像を語らないんですよ。どうしてでしょうかね?」


 おそらくは悔しいのと、自分が失敗した依頼の情報を明け渡すのがイヤなのだろう。それを基に誰かが成功したら実質踏み台だ。

 逆に言えば、放置しても深刻な危機には陥らないということが言える。力を合わせて協力しなければ皆が危ないという話なら、さすがに利己的な冒険者だって協力するからだ。

 

「特に期限もペナルティも設定されていませんし、明らかにそうだとわかる人物がいたら捕まえるくらいの気持ちで受けてみたらどうですか?」


 そう考えると、別に問題はなさそうだ。見つからなければ、見つかりませんでしたで終わる話。他の冒険者のように、コイツに違いない! というヤツを発見したら捕まえればいいということだ。


「うーん、それでは受託します」 

「わかりました。じゃあ手続きしますね。成功したらご飯ご馳走してほしいなぁ~?」


 いきなり色っぽい流し目を送ってくるマイラさん。

 中高野球漬けで異世界にブッ飛ばされ、女の子とあーだこーだする余裕も無く生きてきた俺には、綺麗で巨乳な女性の流し目に上手いこと返すなんて芸当は出来ない。

 ここで気の利いたジョークの一つでも言えばモテるのだろうが、ただ赤くなって俯くしか出来ない自分が我ながら情けなくなった。ドットのことなんか言えねえじゃねえか。

 

「え? あ、ああ、よ、喜んでご馳走しますよ!」


 その時俺は閃く。そうだ、俺は知っていた!


「あ、そうだ! すっごい美味しい店があるんだ!」

「えー、行きたいです! どんなお店ですか!?」

「出る料理全部美味しくてさ、この前オルテナと行ったんだけ―――」



 ―――ズンッ!



 上にやっていた視線を戻すと、カウンターにナイフが刺さっていた。根元まで。

 え? 何? 何が起こった系?


 マイラさんが、薄い、本当に薄い笑みを浮かべながら言った。


「あのアバズレの話は聞きたくありませんよイサオさん……?」


 レイプ目。圧倒的レイプ目。本能的恐怖に震えが走った。

 え、やっぱマイラさん、そっち系の素養がおありで……?

 何その背後の瘴気、触手?


 どうやら彼女はオルテナのことを好ましく思っていないようだった。

 理由はわからないが、おっかないので、これからはその辺配慮しようと思った時、何ともタイミング悪く当の本人がやってきた。

 入口であたりをキョロキョロ見渡して、俺を見つけたオルテナが、真っ直ぐこちらに歩いてくる。

 

「おはようノリちゃん、イサオ。今日は何の依頼を受けるんだ?」

「オルテナさん、今私が応対中ですので、列に並んでいただけませんか?」

「私は依頼ではなく、イサオと話しているだけだ」



 ――――ゴゴゴゴゴゴゴゴ 

 

 

 やめて! ほんとやめて!

 色んなものが縮み上がった俺は、ベストではなくベターでこの場を切り抜けようとした。


「あ、ああオルテナ! 捕縛依頼を受けたんだ! 手伝うか!?」

「いいぞ、手伝おう」

「じゃ、じゃあ行くぞ! 早く! ここは危険だ!」

「あ、ああ…… ???」


 俺は逃げるようにギルドを飛び出した。

 死ぬかと思った。

 ほっと胸を撫で下ろし、後ろからトコトコついてきたオルテナに依頼内容を説明する。

 何やら彼女は「へ、変態……!?」と顔を青くして震えていた。ちょっと気になるも、まあオルテナさんだし大丈夫かと思った時、俺は気付いた。


「やべェ メインの依頼受けてねえ……」


 そうだった。そう簡単に女性部が血眼になって探している変態が見つかるわけも無く、半ばお遊びで受けた依頼だったので、他にも依頼を受けなくてはならない。

 だけど、正直戻るのが怖い。次はきっとちびってしまうに違いない。ほとぼりが冷めるまで待つべきだ。

 

 こうなったら、随時受け付けの薬草採取でもやるしかないかと思い、東門に向かう。オルテナはやっぱりトコトコ付いてきた。なんだ、可愛いなこの生き物。

 とにかく、今から薬草採取に行くので、嫌だったら付いてこなくていい旨、告げようと口を開いた時だった。



 ―――キャ~~~~っ!



 背後から聞こえた耳を劈く女性の悲鳴。そして続く叫び。


「ひったくりよ! 捕まえてぇぇ~~~っ!」


 振り返ると、刃物を持ち、バッグを抱えた人相の悪いオッサンがこっちに向かって猛ダッシュしてきていた。


「どけぇ!殺すぞ!」


 刃物を振り回しながら走るオッサン

 悲鳴を上げて割れる人ごみ。誰かが斬りつけられたわけでは無いようでホッと胸を撫で下ろす。

 オルテナを見ると、背中から後背(ハロウ)のように黒光が噴き上がっていた。

 あーあー可哀想にあのオッサン

 オッサンが段々こちらに近づいてくる。それを確認したオルテナが一歩踏み出したその時


 

 オッサンが宙を舞った。



 俺は何事かと、空を飛んでるオッサンから視線を戻すと息を呑む。

 

 その肉体を一言で評すなら「筋骨隆々」

 鋼鉄の繊維を依って編んだ様な筋肉層が幾重にも折り重なり体の隆起を象っている。太ももは丸太のように太く、腕も女性の腰ほどは優にあり、贅肉の存在を憎悪するとでも言うかのようにソレが排された背中はもはや芸術的とも言い得るほどの筋肉の起伏を描いていた。

 無駄に筋量を追い求めた姿ではない。肉体を引き締め、締まった肉体にまた締まった筋肉を重ね、練磨し、鍛練し、血を吐くような修練の果て、人が辿り着いた種族としての限界、それを知らしめる完成された肉体だ。

 見ただけでわかる。聞くまでも無い。想像する必要すらない。

 その実力、推して知るべし。

 

 そこには一人の修羅がいた。


 だがそれだけではない。その修羅は……




「キャ~~~!!!!! へ、変態よぉぉぉぉぉぉ~~~~!!!」




 変態だった







◇ ◇ ◇ ◇








 そこには一人の修羅がいた。


 修羅が激高する。


「貴様っ! か弱き婦女子の下げ物を強奪するとは許しがたい蛮行っ! その罪、その身で償えっ!」


 そして顔を右に向けながら両手を上に力瘤をつくり、右足だけを爪先立ち。そんなポーズを決めた。

 そこでようやく、宙に舞い、貴様と呼ばれたオッサンが地面へドサリと落下する。

 すると修羅は両手を腹の前で構えるサイド・チェストのポーズに移行。


 修羅はひとしきりアピールをして満足したらしく、ひったくりが持っていたバッグを拾い、持ち主へと歩き始めた。

 ひったくり犯が刃物を振り回していた時以上の勢いで割れる人垣。

 彼は尻もちをつく女性の前で跪くと穏やかな声音で言った、


「ご婦人、悪党は退治しましたよっ 気を付けてくださいねっ! ところでパンツは何色ですか?」 


 ヒイッ と悲鳴を上げて逃げ出したご婦人。至極真っ当な反応だと思う。

 異様な出で立ちのマッチョにパンツの色を聞かれたら誰だって逃げ出すに決まっている。


 異様な出で立ち、それを細かく指摘していけばキリがないので、俺がパッと見る限りで、客観的に彼が身に着けているものを下から挙げてみる。

 

 パンツ  ブラジャー パンツ  ブラジャー


 ポル†レフの気持ちが今ならよくわかる

 多分、俺が何を言ってるかわからない人もいると思うが、正直俺だってわからない。

 

 なぜ妙齢のガチムチ男性がブラジャーを装備しているのかとか、しかもなぜ2セット装着という暴挙に出てしまったのかとか言いたいことは山ほどある。

 だがそれは本質ではなかった。


 男は、世のガチムチ好きの方々にとってデフォである青いブーメランパンツを履いて………… から両サイドを肩にかけている。

 その佇まいは古き良き時代のアマレスユニフォームが裸足で逃げ出すくらいの前衛的なフォルムを織り成し、もちろん乳首など隠れてはいない。

 おそらく、その問題を解決する為に装備されたブラジャーだが、あまりにパンプアップされた大胸筋のおかげで役目を全うするに至っておらず、波平さんやマスオさんとそのメガネの関係を如実に表現しているかのようだった。

 だがそれすらも本質ではなかったのだ。 


 もちろん、それだけでも異常事態だし、変態と呼ぶに値すると俺は思う。

 しかし目の前の修羅はそれだけでは満足しなかったらしいのだ。


 頭部。

 一言で言うと、パンツを被っている。だがそこには青少年が陥るような躊躇いなど一切無い。

 パンツは一度かぶり、もう一段回下に引き下げて顎にかけるという手続きを経た状態であり、鼻と口が隠れ、目とその周りだけが露出されている。それはもう下着ではなく「マスク」であった。

 だがそれだけではない



「ブラ耳……だと……!?」



 俺は絶句する。

 獣人が闊歩し、猫耳がまかり通るこの世界で、修羅はブラジャーの登頂部を頭にのせ、喉元でホックを止めることによってブラを獣耳に見立てるという、神をも恐れぬ蛮行に及んでいたのだ。


 最早、間違えなどは起こらない。冤罪などは有り得まい。

 まごう事無き変態だった。


 周辺の女性陣はみな逃げ出しており、男性陣の多数も既に逃走している。対応力の無い少数の男性だけが、唖然と修羅を眺めているようだった。

 

 それにしても、今なら彼に撃退された冒険者が人物像を語らなかった理由がよくわかる。

 こんな純度100%の変態に戦闘で負けたなんて末代までの恥だ。俺だってきっとそうする。

 

 助けた女性に逃げられた修羅は、数秒間、跪いたまま固まっていたが、やがて何事もなかったかの様に立ち上がり、スタスタとこちらに歩いてくる。何気にハートも強い変態だった。

 こちらに向かって歩いてくるが、別に他意は無さそうだ。帰る方向がこっちなだけだろう。

 

 俺は戦闘態勢に移行…… しようとして躊躇した。

 この男は俺から見ても、間違いなく相当やる(・ ・ ・ ・)。そんな男とガチバトルなんか繰り広げたらえらく目立ってしまう。

 尾行し、人がいなくなったところで捕縛するのが最善手だ。そう考え、俺は体の力を抜いた。


 すると、いつも誰よりも早いノリちゃんが、パタパタしながら目をキラキラさせて声を上げる。


「かっこいー!」

「ちょ、ちょっと待ってノリちゃんダメよ! あれはダメよっ!」


 そうなのー? と首を傾げるノリちゃん。

 俺がノリちゃんに教育の必要性を感じ、いかに変態がいけないものなのかを語ろうとした時、耳ざとくノリちゃんのセリフを聞きつけた変態が、今度は目の前でサイド・チェストのポーズをとった。


「あるじー あるじもあれやってー!」

「まかせてノリちゃん! ふんっ!」


 キャッキャッキャッ


 変態と張り合う俺。 

 譲れないものがあるのか、今度は頭の後ろで両腕を交差させるアブドミナル&サイを見せつける変態。

 すかさず俺も追随するが、思いの外、変態から良い香りが漂ってきて若干怯んだ。

 

「ぱんつのおじさんすごいなー!」

 

 これはマズい、非常にマズい。

 ノリちゃんが俺のポージングより変態のポージングにキャッキャしてるのがマズイ。

 変態のほうが見栄えのする肉体であることは明らかだが、このままでは主の沽券にかかわるのではないか。ノリちゃんのことをよく知りもしないポッと出の馬の骨に負けるわけにはいかない。


「ノリちゃん! こっち見てこっち! あるじ見て! フンッ!!」


 一際大きな声で喜ぶノリちゃん。その声を聴いて、あるじすごいでしょとノリちゃんを見た俺は、奈落の底に落ちるような感覚に陥った。彼女が変態を見ていたのだ。


「の、ノリちゃん……っ!」

 

 瞬間、腰のあたりから指の先、髪の先まで広がる例え様の無いドス黒い感情。知っている。これは「嫉妬」だ。

 嫉妬に駆られて他人を攻撃するなど、それほど恥ずかしい物も無いと頭では理解している。だが体がいう事を聞いてくれそうもないのだ。

 胸に蜷局を巻いた、黒く粘つく感情が俺の頬を凶悪に釣り上げる。視界が端から黒く染まり、力を解放しようと足を一歩踏み出したその時、後ろから声がした。


「……ううぅ」


 声のほうを向いたのは偶然だ。今から起こるだろう惨劇の前に少し気になっただけの話だった。

 冷静さを欠いた時、自分よりもさらに取り乱している人を見ると冷静になるというが、それは本当だ。

 ソレを見た俺は一瞬で冷静に戻った。


「……イヤ」


 オルテナが真っ青になり、ガクガクと震えていた。

 首をイヤイヤするように振り、腰も抜けてしまったのか、ぺたんと地面に座り込んでしまう。目に浮かぶのは涙と「恐怖」だ。そしてその視線の先には未だポージングをする変態がいた。


 どういうことだ、奴を知っているのか、Sランカーである彼女がここまで怯えるなど尋常ではない。かなりの手練れだとは思うが、それほどヤバい奴なのか。

 俺は油断なく全身に気を巡らせ、オルテナに問いかけた。


「オルテナ!」

「い、い、い……」

「一体どうした! ヤツを知っているのか!?」


 すると彼女は、その綺麗な紅目をギュッと閉じて絶叫した。

 


「イヤァ~~~~~っ! 変態ぃぃぃ~~~っ!!!!!!」



 …………え? 




 


 ◇ ◇ ◇ ◇









オルテナは綺麗な紅目をギュッと閉じて絶叫した。

 

「イヤァ~~~~~っ! 変態ぃぃぃ~~~っ!!!!!!」


 …………え? 


 何かの間違いかもしれないが、オルテナさんのほうから、彼女のものとは思えない、女の子の悲鳴が聞こえた。

 まさか屈強な戦士である彼女が、普通の女の子でもそうそう聞かないような可愛い悲鳴を上げたというのか。そこまで考えて俺は首を振った。


 はははっ 何を言っているんだ。あのオルテナさんですよ。

 数々の武勇伝を持ち、迫撃最強と呼び声高い泣く子も黙るあの闇姫様ですよ。

 きっと今尻もちをついているのだって、腰を痛めたか何かに違いないのだ。

 そう思って俺は彼女に声をかける。


「オルテナさんオルテナさん、腰ですか? 腰は一回やっちゃうと大変ですよね」

「怖いよう! 怖いよぅ……っ!」


 半泣きで頭をブンブン振りまくるオルテナさん。

 誇り高い夜魔族の戦士は、実は変態が苦手だったということが判明し、若干萌える俺。 


 すると、ポージングをしていた変態が、中腰になり周囲を警戒しながら言った。


「なに! 変態だとっ!? どこだっ! 出てきたまえっ!」


 お前だ。お前が変態だ。

 驚愕の発言に俺がおののいていると、変態はなおも周囲をキョロキョロ見わたし威嚇する。


「くそうっ! 麗しいお嬢さんを脅えさせる変態めっ! 許さんぞっ!」


 だからお前の事だって

 変態の怒声にいちいちビクッとするオルテナさん。おお、なんか可愛い生き物だな。

 俺が生暖かく二人を見守っていると、変態はおもむろに俺に向かって吠えた。

 

「くっ! 貴様だなっ! 貴様がそのお嬢さんに変態行為をっ! 恥ずかしいとは思わんのかっ!」

「おめーにだけは言われたくねぇんだよこの変態仮面が!!」

「なんだとっ! 言うに事欠いてこの私が変態だとっ!」


 すると変態は突然、戦隊モノのイエローあたりがしそうな奇怪な動きを見せ、最終的にアキレス腱を伸ばす体勢で落ち着くと、上腕二頭筋を強調した。


「見ろっ! この肉体をっ! この健全で美しい肉体に宿る私の魂はっ 健全で美しいのだっ! 貴様のような浅ましい変態と一緒にするんじゃないっ!」 


 彼の主張する筋肉ルールにおいて、どうやら変態四重装備は判断基準にならないようだった。 

 俺は、この場においてもキャッキャとはしゃぐノリちゃんを見て、世の中は筋肉ルールでは回っていない事を教えてあげなくちゃいけないと決心する。

 この場面、きっとアリアなら別の意味で悦ぶのだろうが、彼女は頭が可哀想なので仕方ない。

 だが、まだまだ世の中を知らない純真無垢なノリちゃんには、アリアのように手遅れになる前にきちんと教えてあげなければならないのだ。


 とりあえず潮時だ。

 俺は衆人環視の中で力を披露したくないし、頼みの綱のオルテナさんがこんな様子だと正直どうしようもない。

 それに実は、こうしている間にも目の前の変態からヒシヒシと伝わってくる巨大な力の気配に、俺は街中でやりあうべきではないという結論に達していた。 

 この男、恰好こそ馬鹿げているが、おそらくその実力は本物だ。


「オルテナ、とりあえず退こう。ノリちゃんもこっちおいで」

「はーい♪」


 俺が未だ尻もちをついたままのオルテナに手を差し伸べると、彼女はようやく俺に気付き、顔を赤く染めて俯いてしまった。


「あ、ああ、すまない、ちょっとつまづいてしまったんだ……」


 どうやらさっき取り乱したことは無かった事になったらしい。

 あえて突っ込む必要もなかったので「そうだな」とだけ言って彼女を立たせてやる。

 すると、無視された格好になっていた変態が声を荒げた。


「待ちたまえっ! そのお嬢さんと竜の子供を解放するのだ変態めっ!」


 ドラゴンの若頭から「淫獣」と呼ばれ、あろうことか変態からは「変態」と呼ばれ、俺は最近の俺の扱いの酷さに眉間を押える。

 火の無い所に煙はたたないとも言うし、一応自身の行動を顧みてみるも思い当たるフシが無いので、単なる言い掛かりだと気持ちを切り替えた時だった。


「うぅ……」


 なんとあの闇姫様が怒声に怯え、精一杯体を縮込めて、俺の背に隠れたのだ。

 そして俺の服の裾をギュッと掴み、脅える犬みたいに俺の背中でクゥンクゥン鳴いてさえいるではないか。

 俺は衝撃に身を震わせた。


 ―――あら、なんて可愛い生き物かしら!


 Sランクという言葉は軽くない。

 ただ依頼をこなすというだけでは到底届かない巨大な実績と強大な実力を示した者だけに与えられる強者の証だ。それは当然、楽な仕事ばかりで手に入れられるものではなく、Sランカー達はみな絶望的な修羅場を潜ってその栄誉を与えられている。

 彼女とてそれは例外ではないだろう。オルテナ・レーヴァンテインは幾多の悲劇と数多の屍を超えてきた正真正銘の猛者なのだ。

 

 そんな彼女が、たかだか変態ごときに怯えてプルプル震えるという事実は、とんでもない破壊力を持っていた。

 俺はまた世の真理を一つ知る。これが『ギャップ萌え』というやつか。

 剛速球なノリちゃんの可愛さとはまた別種の、妹的な可愛さがそこにはあった。これでまたオルテナ親衛隊に新たな派閥が出来るのは間違いない。

 

 そして俺は久しぶりに感じた感覚に、壁の向こう、事あるごとに俺に付き纏ってきた妹を思い出して苦笑した。そういえばヤツもオルテナと同い年だったはずだ

そうして感傷に浸っていると、やはり無視された格好になった変態がとうとう怒りだした。


「貴様っ お嬢さんが怯えてるではないかっ!」


 おめーに怯えてるんですよと言おうと思ったが、なんか聞いてくれそうもないのでやめといた。

 

「くっ! かくなる上はっ この私っ 成敗屋【拳鬼】がっ 貴様を成敗しお嬢さん方を解放して見せるっ! お嬢さんっ 今助けますよっ! ちなみにパンツは何色ですかっ!?」

「ひぅ……っ!」


 そーゆーところな、そーゆーところが変態だからな。と冷静に分析しつつも、俺はかなり動揺していた。オルテナの、俺の服を握る手に力が入った事にも若干動揺したが、その話ではない。

 

―――【拳鬼】だと!? マジか! 手練れだとは思っていたがそこまでのレベルか!


 俺が動揺している間にも拳鬼は数歩離れ、闘気を立ち上らせ始めた。戦闘態勢に入った剛拳使い達の特徴だ。


 俺はギリッと奥歯を噛み締める。

 やばい、このクラスを街中で捕縛するのは本格的に厳しい。ていうか無理だ。

 SSSランクの称号は伊達ではない。『超越者』を除けば人類最強だと、世界最大組織である冒険者ギルドからお墨付きを貰っているのだ。

 それでも勝てる勝てないで言ったら間違いなく勝てる。俺はその『超越者』なのだから。だが縛りが多すぎる。

 アリアもいない、生半可な魔法は通じないと来たら、残りは高位の魔法を使うか、素手で迫撃戦をするかしか方法が無い。


 高位の魔法はダメだ。目立つのはもちろんだが、何より周りの被害がデカすぎる。

 「いっぱい巻き添えを出したけど勝ったよ、戦闘だからしょうがないよね」そんな理屈で許してくれる被害者などいるはずがない。何より俺が俺を絶対許さない。そんなんだったら死んだ方がマシだ。

 そもそも俺の力の真骨頂は、圧倒的な魔力に基づく超高位魔法による殲滅戦なのだ。こういう状況に

なった時点で実力など10分の1も出せない。


 ならば徒手空拳はどうか。

 無理だ。補正魔法で身体能力を向上させたとしても限度はある。負けはしないとは思う、常時体表に展開させている32の障壁のうち6は対物理防御だ。そう簡単に破られるとは思わないが、如何せん攻撃の出力が違いすぎる。

 きっと彼の戦闘スタイルは聞いた通り見た通りその名の通り、潔いまでに『己が拳』ただひとつ。ならばそれが意味するのは何か。

 『殴る』ただそれだけで並み居る猛者を打ち据えて、凶悪な魔獣を討ち果たし人類最強たるSSSランクまで上り詰めた化け物だということだ。笑うしかないくらい迫撃特化の化け物相手に、武器も無く素手で迫撃を挑むなんて狂気の沙汰だ。

 

 睨み合いが続く。向こうも俺の実力を嗅ぎ取ったのか、油断なく構えたままだ。

 お互いの速度を考えると今の距離など0に等しい。冷や汗がシャツを濡らした。 

 そして拳鬼が距離を詰めようと、地面を踏みしめた時、通りの向こうからガシャガシャと金属同士が当たる喧騒が近づいてきた。警邏の兵士たちがこちらに向かってきているのだ。

 すると拳鬼(変態)がフッと構えを解き、俺を指さすと言い放った。


「大人しくお縄につくのだ変態めっ! これだけ多くの兵たちからは逃げられんぞっ!」 


 仰る通り、もうすでに俺たちは多くの兵士や冒険者達に囲まれていた。

 ざっと見た感じ、100人近くいるのではないか、ちょっとした小競り合いに駆けつけるには多すぎる数の人間が徐々に包囲網を狭めて来ている。確かに何事も無く逃げられる状況ではなかった。

 だが俺は、二人を連れてスタスタと包囲網に向かって歩く。当たり前の事だが、普通に素通りして人の輪の外に出た。

 拳鬼の思惑とは裏腹に、彼を中心に狭まる包囲網。


「な、なぜだっ! 君たちは街の平和を預かる義の者ではないのかっ! なぜ奴を素通りさせるっ!」


 冒険者と警邏の兵士。

 彼らは決して仲はよろしくない。取り締まる側と取り締まられる側になりがちだし、互いに互いに職務を見下しているフシもある。冒険者など野蛮で粗野な無法者だ、と。警邏の兵士なんか街に籠ってる臆病者だ、と。


「早くあの変態を捕まえたまえっ!!」


 兵たちは、巷を騒がす変態が現れた事を聞きつけて街の治安のために駆け付けた。

 冒険者は、巷を騒がす変態が現れた事を聞きつけて高額報酬のために駆け付けた。

 今回の事も、そもそも目的が違う、連携など本来は取れるハズではないのだ。

 だからそれは本来有り得ないことなのかもしれなかった、彼等はこの時この瞬間、確かに互いの壁を越え思いを一つにしたのだ。

 

「「「「「「「「「 お前が言うな!! 」」」」」」」」」


 一人一人がその口に出した思いが100からの大合唱となり、空に響き渡る。

 現場は正体不明の満足感に包まれていた。

 士気は最高潮、誰かが叫んだ。


「かかれ~~~っ!」


 異様なテンションに引きずられて鬨の声を上げた集団が突撃を開始する。

 誰もが変態の捕縛を信じて疑わなかったはずだ。だから誰もが目の前の光景を信じられないでいるはずだ。それは強者による屈服の強要だった。


 人が空を飛ぶのだ。


 2,3人の男たちが同時に空に舞っては落ちてくる。間髪入れずにまた2,3人が宙を舞う。拳鬼がまとめて殴りとばしているのだ。

 それはまさに文字通り無双状態。俺は初めて見るリアル無双に若干感激していた。

 だが、半分以上が宙に舞って動かなくなった頃、突如として攻撃が止んだ。

 俺は近くの建物の窓に足をかけて何がどうなってるのかを確認する。


 拳鬼は女兵士と女冒険者の前で拳を止めていた。

 そして彼は高らかに宣言する。


「私は女性に手は上げんっ! 何があってもだっ!」


 男として尊敬すべき見上げた精神を見下げ果てた格好で叫ぶ拳鬼(変態)

 だが修羅場はまだ終わらない。

 女兵士が悔しそうに顔を歪ませ叫んだ。


「下着泥棒め! 下着が一枚いくらすると思っているのよ!」


 実際下着は高価だ。そもそも衣料品が高いこの世界で、男のパンツですら気軽に買える値段ではない。女性用の下着ともなると、趣向を凝らし、様々な材質やあしらいがなされ、中にはシルクで織られたものだってある。彼女たちにとって下着とは、女性の秘めた決意を顕す最後の砦でもあり鉾でもあるのだ。

 今度は女冒険者が悔しそうに叫ぶ。


「お気に入りの下着が無くなったらすっごく悲しいんだからねっ!」


 男にはわからない実感のこもった言葉。

 するとそれを聞いた拳鬼がこう言った。


「私の行う『聖洗』の事を言っているならば安心したまえっ!」


 これには殺気立ってる捕縛隊のみなさんも目を点にした。

 何に安心すればいいのかわからないし、別に『聖洗』の事など誰も言っていない。

 え、コイツ何言っちゃってんの的な空気をヒシヒシと感じるが、拳鬼はそんな空気をものともせずに言い放った。


「私はっ 素材や技術、製作者等から価格を推測しっ その1.5倍の金銭、若しくは現物っ! それに種族年齢体調体型食生活などを吟味しっ きちんと使用された洗濯前の物を厳選した上っ ご褒美具…… 浄め具合を上乗せした金額をっ きちんと置いて盗…… 聖洗をしているのだっ!」

 

 金銭感覚も頭もおかしい下着ドロだった。

 現場は圧倒的なまでの、お前は一体何を言ってるんだ的空気一色に染まった。

 それにはさすがに怯んだのか、「この場は一旦退こうっ!」と捨て台詞を吐いて建物の屋根に飛び上がる。そして腕を前面で合わせるモストマスキュラーのポーズをとると高らかに宣言した。

 

「そこに隠れる変態よっ! この成敗屋【拳鬼】が必ず貴様を成敗してくれるっ 首を洗って待っているがいいっ! そしてお嬢さんっ ご褒美にパンツを下さいっ!」




 え、マジで?



 

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