「どうか、彼らを愛する者たちのためにも、一人でも多くの者を救ってくれ」
※
フィーレンベルグ――――王国南東部の港町。温暖な気候で王族の冬の間の保養地として栄えている。
だが、その南方に聳えるアシュガル山脈を挟んだ向こう側、クーリンゲルには蒼人たちの王国が存在している危険な地域でもある。
この町を守るために周辺には多くの砦が築かれ、数千の兵が常駐していた。
「ここがフィーレンベルグか。綺麗なところだな」
街を見下ろす丘の上―――眼下に広がる緑の絨毯に、オレンジと白を基調とした海沿いの街、そして向こう側にはエメラルドグリーンの海がはるか彼方まで広がっている。
「おっきいな~、あれが海なんだよね?」
アンヘルはその光景に目を輝かせていた。王国西方の山間の村出身なので海を見るのは初めてなのだ。
「そうだ。あのもっと向こうにいくつもの大陸があって、人の王国が数十も存在してるんだ」
「へぇ~、いつか行ってみたいね」
「そうだな。俺も行ったことはないし、大人になったら一緒に行ってみようぜ」
王国の東にはいくつかの港町が存在し、航路が開かれ、交易の拠点となっている。そこから世界中に旅立つことが出来た。
「うん」
小さく頷いて見上げてきたアンヘルに、ヒロムはほほ笑んで返す。
「お前ら何やってんだーーー!!行くぞ!!」
「はい!」
アンヘルの手を引いてヒロムは駆け出す。
王都を出て5日。ここまでの道中では何の問題もなく、やってくることが出来た。
立派な街道の要所要所に駐屯地が置かれ、常時警戒に当たっているからだ。
道中、第二王子のアステム殿下に呼ばれて対面することがあった。ヒロムより身長は低いが同年代にしては高いほうで、拳闘に興味があるというリヒトの情報通り、かなり鍛え上げた肉体の持ち主だった。王族だというのにとても気さくな人物で、フィーレンベルグに到着したら一戦やることを約束させられたくらいだ。
ヒロムの事は噂に聞いていたらしく、魔法の腕前の方も見せるように言われている。
「殿下との手合わせ、ガチでやるつもりか?」
丘を下りながらフリックはヒロムに訊ねる。
「もちろんですよ。手を抜こうものなら怒られるのは判り切ってますから」
「殿下相手にガチでやる勇気は俺たちにはねぇな。72柱って立場は大きいよな」
「フリックさんもそう変わらないじゃないですか。リーベルモストが72柱なんですから」
「分家と本家じゃ全然違うだろ。うちには陛下との謁見の権利はねぇし」
「俺も四人兄弟の末弟だし、将来的には分家ですよ。家督を継ぐのは一番上の兄ですから」
「カズマ=カルディアか。王国最強って噂だし、カルディア家次期当主として相応しいよな」
王国最強の戦士―――そんな噂が出始めていることは聞いていた。
光の勇者リヒト=ルカインと共に行動することが多いので目立つ、というのもあるが、戦場でも最前線で先陣切って突っ込んでいく、その闘い方が王国の戦士の士気を上げていたからだ。
だが、そんな闘い方で、いつまで無事でいられるのか―――ヒロムにとってはカズマの王国最強の戦士という噂は決して誇らしいものではなかった。
「まあ、兄は兄ですから。どうせ俺はカルディアの傾奇者、なんて噂になるくらいなんで何をしても大目に見てもらえますよ」
「それもそうだな。ま、楽しみにさせてもらうぜ」
「余興じゃないんですが」
「楽しむのはこっちの自由だぜ?どのみち拳闘場は俺たちが用意することになるしな」
確かにそうなのだが、暇つぶしにされるのはあまり嬉しくはない。
「フリックさんも俺と勝負しましょうよ」
戦士である以上、教導院や士官学校で拳闘や漢闘の訓練はしていたはずだ。
「残念ながら任務中なんでな。この任務が終わったら休暇があるし、その時になら勝負してやるぜ?」
「約束ですよ」
「おう」
もうじきフィーレンベルグへとたどり着く。
フリックの操る馬は真っ直ぐに丘を下っていった。
「準備は良いな?」
「はい」
拳に布を巻き上半身裸になった二人は囲いの中で向き合う。
アステムの身体はルディによく似た感じの筋肉がついているが、ルディより一回り大きい。身長もルディより高く、ヒロムとそれほど違わないのでリーチの差もない。
かなりの強敵であることは間違いないだろう。
冬の風が二人の身体を冷やしていくが、身の内から湧き上がる熱に湯気が立っている。
「よし、来い!!」
二人同時に一歩を踏み出す。
様子見のヒロムに対してアステムはガンガンと突っ込んでくる。
「くっ!ふぐっ!!」
牽制のジャブは早い上に確実にヒロムの鼻先へと届いてくる正確さ。
ひたすら距離を取りながら、自分の立ち位置を意識してロープに追い込まれないよう回っていく。
「どうした!!?手が出てないぞ!!!」
「くっ!!ぐうっっ!!!」
一気に踏み込んだアステムの重いボディブロー。
迷いのない踏み込みは自信の表れなのか―――
ヒロムはジャブで返しながら距離を取ろうと下がり続ける。
「来ないなら行くぞ!!!」
「なっ!?ぐうっ!!!」
ヒロムのジャブを掻い潜ってのボディに、ヒロムは顔を歪める。
ライノほどではないにしても重い。
「ぐふっ!!!うぐうっ!!!ぐっ!!!うぐっっ!!!」
密着され打ち返すことも出来ず、ひたすら腹を殴られ続けるヒロムの背がロープに触れた。
「うぐうっっ!!!ふぐっ!!!ぐうっ!!!くうっっ!!!」
腹筋に全力を入れ、耐え続けるヒロムに、アステムの拳は威力を増していく。
「うおおっっ!!!」
大きく拳を引いたわずかな瞬間―――
「ぐぶうっっ!!!」
ロープに思い切り背を押し込んだヒロムが放ったストレートがアステムの鼻面を押し潰した。
鼻血を噴きながら二歩下がったアステムに、ヒロムは攻勢に出る。
「ぶっ!!べほっ!!!ばっ!!!べっ!!!ぼぶっ!!!」
ガードが下がったアステムのがら空きの顔面を上下左右に振っていく。
飛び散る血と汗と唾液がヒロムの顔に散るが、構わず打ち込み続ける。
「ふんっ!!」
振りかぶってからの左フック―――
「べぶうっ!!!」
交差するように入ってきたカウンターに、ヒロムの視界は激しく揺らされた。
「ぶべっ!!!ばっ!!!ぼっ!!!へぶうっ!!!ぐっ!!!」
「ぶべっ!!!ぐうっ!!!」
足を止め、その場に立ったまま殴り合い続ける二人―――
その様子に観衆は大盛り上がりだ。
「ぶべっ!!!ぐうっ!!!」
「ぼぶっ!!!うがあっ!!!」
腫れ上がって徐々に狭くなっていく視界。腕を上げることすらもう重く感じる。
それでも眼前の男を倒すためにひたすら腕を振り続ける。
「うがあっっ!!!うごっ!!!」
振った拳が空振って地面へと転がるヒロム。
「ぐうっ!」
見るとアステムは顔面から地面に突っ伏していた。
後は立ち上がった方の勝利―――
ヒロムは拳を地面に突くと、残った力を振り絞り上半身を上げる。
「うおおおおっっ!!!」
声の限り叫びながら肘の高さまで上げた。が――――
「ぐうっ!!!」
それ以上は上がらず、地面に這いつくばる。
「こりゃ引き分けだな」
そんな声が聴こえ、二人へと駆け寄る複数の影。
「しっかりしろよ」
その声を聴いたヒロムはすぐに意識を失った。
「あれ?」
目を覚ますとそこは宿舎の部屋。
体を起こしてみるが、痛みも疲労感も全くない。
「お、ようやく起きやがったな」
声の主はフリックだ。
「大丈夫か?」
「俺・・・」
「殿下と拳闘で相打ちになってここに連れて来たんだ。怪我はアンヘルの奴が治した」
「そうですか・・・」
激しく殴り合ったことは覚えているが、そこからの記憶はあいまいだ。
「殿下は?」
「殿下もアンヘルが怪我を治して、今はお食事をとられているはずだ。お前よりも殿下のほうがタフだな」
「はあ」
「にしても、中々の見ものだったぞ。俺らの中でも、あそこまでやれる奴は稀だ。殿下もお前も天神祭の拳闘大会に参加してみろよ。絶対上位だぜ」
「考えておきますよ。アンヘルは?」
「メラニー姫のご指名で話をしてるはずだ。殿下の治療をしているところを見て、神聖魔法がいたくお気に入りになられたらしい」
確かにアンヘルの使う神聖魔法は見た目が他の神聖魔法の魔導士とは違っている。発動の際に光が降り注ぐのが神聖魔法に共通した現象だが、アンヘルの場合、光輝がより澄んで柔らかな光が降り注ぐ。これが教会や軍に所属する他の魔導士になると目を刺すような強烈な光になる。
「アンヘルの奴、緊張で固まってなきゃいいけど」
「まあ大丈夫だろうよ。殿下の治療の時も特に緊張してるような様子はなかったしな」
「この部隊って、神聖魔法の魔導士が二名いるんですよね?」
「うちの隊員じゃないが、今回の任務ではそうだな。とはいえ第五位相までしか使えないから、アンヘルを呼ぶことになったんだ。王族の護衛ともなればせめて第六位相は欲しいからな」
「第五位相まで?」
「元々精霊魔法を専門にしていたそうだ。軍で必要とされるのが神聖魔法だから習得したそうだが、専門外の魔法を覚えるのって難しいらしいな」
「そうですね。アルフレイドくらいになるとどの系統も使いこなすみたいですけど」
とはいえ、実際に教導院でウォーレンの様子を見ているヒロムには、アルフレイドのからくりはすべて見えてしまっている。全系統を扱えるよう調整された高価な法具に、マジックイーター。無論、魔導士の紋章との相性の良さは抜群なのだが、72柱として崇められている裏にあるのは金の力だ。
「お前の専門はなんだ?」
「まだ決めてないです。みんな決めるのは四年くらいからだって話なので」
「そういや、お前ってまだ14なんだよな・・・もう最上級かと思ってたよ」
そう言ってフリックが肩を竦めたところで扉がノックされた。
「誰だ?」
扉を開けたフリックの前にはアステムがいた。
「殿下。どうなさいました?このようなところへ」
ここは王族の別荘の裏手、護衛に就く軍人が宿泊する宿舎だ。
「ヒロムと話がしたくてな。すまないが少し外してもらえるか?」
「かしこまりました。ここなら危ないこともないでしょうからごゆっくりなさいませ」
フリックと入れ替わりに入ってきたアステムはベッドの傍らに座る。
「どうだ?身体の調子は」
「アンヘルのおかげで上々ですよ。殿下こそすっかりお元気なご様子で」
「アンヘル=グランデの魔法は凄まじいな。『天意の恵み』でここまで完全に治してくれるとは。鍛錬でも頻繁に怪我はするが、教会の正魔導士でも『天意の恵み』では痣も消えん。『祝福の祈り』でようやく痣まで消える程度だ」
神聖魔法第四位相『祝福の祈り』。『天意の恵み』の上位魔法で、教会での治療にもっともよく使われている魔法だ。
「まさに神聖魔法の天才、なのだな。そなたら、教導院で出会ったのだろう?カルディアの異端児に神聖魔法の天才。どのような経緯があって仲良くなったのだ?」
「単に寮で同室になっただけですよ。アンヘルは西の山村の生まれで極貧だったので、一緒に寮の食堂の手伝いをしたりしていたら仲良くなったんです」
「ふむ。そういう出会いもあるのだな。私も本当は教導院に通いたかったのだが、父上が許可してくれなかったのでな」
「殿下が?教導院に通わずとも、専門の教師がおりますでしょうに」
「勉学については不満はないが、剣術も体術も不満だらけだな。まったく本気で教えてはくれぬ。怪我をさせぬように、それだけ考えておるのだろう」
それも仕方のないことだろう。王子にもしもの事があれば自分の首が物理的に飛ぶことになる。
「私は我が始祖、勇者フォンデウスの伝説を聞いて、幼少のころから戦士になりたくてな。だから戦士となるべく教導院に進みたいと父に願ったのだ。兄もおるし、構わないだろうと思ったのだが・・・」
「バルバリシアでも駄目だったんですか?」
貴族階級専門の白兵技能を教える教導院、バルバリシア。設備も充実しており、警備も厳重、王族でも末端の者が通うことがあると聞く。
「お前自らが戦士となり闘う必要などないと仰って・・・ヒロム、私がそなたに訊きたかったのはこのことなのだ」
「このこと、と申しますと?」
「我らフレイヤ王家は勇者フォンデウスの末裔でありながら、自らは戦わない。私はそれは間違っていると思うのだ。我らが率先して戦場に赴き、戦わねば民は我らの王者としての資質を疑う」
そこまで言ったアステムは、やや声のトーンを下げた。
「そなた、ラウ老師と親しかったと耳に挟んだ。これは事実か?」
「はい。魔法式のことで色々と指導していただいてましたから」
「ならば、老師が告げたあのことについての真偽はどう考えておるのだ?」
あのこと―――勇者と魔王が双子だという件についてだろう。
「本当の事だと思います。あの時、講演会で老師が仰られた内容だけでは、おそらくそうだろう、というだけでしたが、老師が何の確証もなくあのような結論に至るとは思えません。あの時、話さなかった、確定するに至るだけの事実が何かあるはずなんです」
「では、そなたも我々、フレイヤ王家は魔王と同じ血を継いでいると考えておるのだな」
アステムの瞳にははっきりと迷いが浮かんでいた。
勇者に憧れ、自身も戦士となることを願っているアステムにとって、魔王と勇者が双子だという事実は認めがたいことなのだろう。
「あぁ、そのことですか。天神祭でも暴れていた阿呆が多くいたと聞いておりますが、勇者と魔王が同じ血を持つ双子だとして、決別し、人の王国をこの地に建て、兄弟である魔王を討ち取り人の世界に安寧をもたらしたことは事実です。いったいどのような問題があるというのでしょうね?」
ヒロムの言葉にアステムは困惑の表情を浮かべている。
「勇者と魔王が双子、という部分だけ切り取って、現在に至るまでの経緯を見ないようなありさまで王室批判をする連中の気が知れませんよ」
「そう・・・か。そうだな」
ヒロムの言葉に安心したのか、表情を緩めるアステム。
「老師の件では父上も貴族たちもかなり紛糾していたと聞く。なぜ老師はあのようなことを申されたのだろうな?」
「自分もそれを知りたくて、大賢者セルデガルフ様に伺ったのですが、ラウ老師がなぜ、この時期に、あのようなことを公表したのかという理由は教えていただけませんでした。ただ、老師が示したことはすべて事実だということだけは教えていただきましたが」
ヒロムはあの日、セルデガルフから聞いた、魔王アタバスカの口から語られたという話を伝える。
「なんと・・・そんなことをセルデガルフ様が?」
「ラウ老師は勇者ドレイトンと幼馴染と聞いていますし、その話も聞いていたのだと思うのです。おそらく、老師はずっとその話の裏付けを進めていたのだと」
「70年も前からか?」
「ムーリヤアーリヤの遺跡が見つかったのが6年前。ここから発掘された発掘物の調査を考えると、妥当な時期でしょう?ただ、老師は裏付けが取れたからといって、国を揺るがしかねないような事実を迂闊に公表する人物ではありません。なにか、公表しなければならない理由があったはずなんです」
「それは?」
「わかりません。ただセルデガルフ様も、リヒト様もその理由をご存知のようでした。この国の未来のためだ、とだけしか教えていただけませんでしたが」
「この国の未来のため・・・それはなんなのだろうな?」
途方に暮れたようなアステムのため息に、ヒロムも同じようにため息を吐いた。
「セルデガルフ様は魔王の対となる存在、勇者フォンデウスの血があるから魔王は復活するのだと仰っていました」
「それは我らフレイヤ王家が存在するから魔王が復活すると言いたいのか?王家が途絶えれば魔王は復活しないと?」
アステムの声に怒りからかやや熱がこもる。
「いえ。『祝福されし者』も勇者フォンデウスの末裔であると仰っていましたし、それらをすべて途絶えさせるなど不可能な話です。この国の未来のため、というのは魔王が復活しても脅威とならないようにセルデガルフ様やリヒト様は準備をされているのではないでしょうか?それがどのような方法なのかはわかりませんが」
「ふむ・・・その話が本当であれば、我らはやはり紛い物なのだな」
歯を食いしばったアステムは一粒涙を落とした。
「ずっとおかしいと思っていたのだ。勇者フォンデウスの末裔でありながら、王家には戦う力を持つ者がいない。王下72柱には連綿と戦う力が受け継がれているというのにだ。おかしいではないか。勇者の血を継ぐのであれば、勇者としての力も受け継がれるはずだ。王家にはもうこの数百年、『祝福されし者』は生まれておらぬ。もう勇者フォンデウスの血は我らには残っていないということだろう?」
拳を握りしめ、肩を震わせるアステムをヒロムは抱き寄せる。
「憶測で決めつけてしまうのは止めましょう。王家が勇者フォンデウスの末裔であることは事実なのですから、『祝福されし者』が生まれないのは何か理由があっての事なのかもしれません。アンヘルも『祝福されし者』ですが、アンヘルは特別な存在だとセルデガルフ様は仰っていましたし、勇者の血を継ぐ以外にも『祝福されし者』は生まれるということでしょう?ならば勇者の血を継いでいても『祝福されし者』が生まれないということもあるのかもしれません。それに―――」
ヒロムは体を離すと、アステムの握りこまれた拳に拳をぶつける。
「闘う力ならばお持ちではありませんか。殿下の拳は本当に強い。それは身を以って体験した俺が、保証しますよ」
ニカッと笑ったヒロムにアステムは腕で涙を拭うと、ヒロムを強く抱きしめた。
「私はもっと強くなる。そのためには競い合ってくれる相手が必要だ。そなた、私のライバルとして認めても良いか?」
「もちろんです。光栄の至りですよ」
「よし!」
体を離したアステムは立ち上がるとシャツを脱ぎ捨てた。
「早速鍛錬だ!行くぞ!!」
「は?今からですか!?」
「私は夕食後の鍛錬を日課にしている。そなたも付き合え」
有無を言わせぬアステムに、ヒロムは空腹のまま引き摺られていった。
カンカンカンカン――――
夜陰を割く甲高い音。
敵襲の知らせだ。
「な、なんだ!?」
跳び起きたヒロムは、寝ぼけ眼のアンヘルを小脇に抱えると詰所へと急ぐ。
「隊長!!何事ですか!!!?」
隊員たちはすでに全員が集まり、戦闘準備に入っていた。
「蒼人の軍勢が攻め込んできている。すでにホーンラム砦とビッシュ砦が落とされた。お前たちはここで王族の方々の身を護れ」
「山脈を越えてきたのですか!?」
ホーンラムとビッシュ。この二つの砦は王国最南端、アシュガル山脈の中腹に存在する砦だ。
アシュガル山脈は天険と称されるほどに天高くそそり立つ険しい峰の連なりで構成された山々から成っている。
海沿いか数か所ある峰の切れ目かでしか行き来できない難所で、ワーウルフのような森林、山岳地帯に特化した、高い身体能力を持つ異人ならばともかく、身体能力そのものは人と変わらない蒼人が越えてくるなどありえなかった。実際にこれまでの記録では、蒼人が王国へと攻め入ってきたのは海沿いか王国南西部の山脈が途切れた『深淵の谷』からだ。
「俺たちも行きます!」
「何を言っている!!これは遊びではないんだ!!」
「アンヘルは『疾駆する天輪』を使えます!!軍勢で攻め入ってきている、その上魔法を使う蒼人が相手ならば、必要な魔法でしょう!!?」
「『疾駆する天輪』を!?第八位相、正魔導士でも使える者は少ない魔法だぞ!?」
声を裏返した隊長にアンヘルは「使えます」とはっきり答えた。
「しかし―――」
隊長が迷うのはよくわかる。ここにいる魔導士には第六位相『天譴の護法壁』を使える者がいない。ここまで攻め込まれたら、王族を守る手段がないのだ。
「行くが良い」
落ち着いた声が扉の方から聴こえた。そこに立つのはアステムだ。
「殿下・・・」
「母上と姉上は私がこの手で護って見せる。ヒロム、アンヘル。そなたたちは行って、民を護るために戦う兵たちを助けてやれ」
「よろしいのですか?」
「兵たちにもその帰りを待っている者がいるのだ。我らが命を惜しんで無為に失わせるわけにはいかぬ。アンヘル。神聖魔法の天才にして神の寵を受けし者よ。どうか、彼らを愛する者たちのためにも、一人でも多くの者を救ってくれ」
その言葉に、その場にいた全員が敬礼で返した。
「よし、二人とも急ぐぞ!!」
「はい!!!!」
「フリックとアッシュは二人の援護に徹しろ!アンヘルは山岳地帯に入り次第、『疾駆する天輪』を使ってくれ。少しでも早く援護が必要だ」
「わかりました」
「よし!!出るぞ!!!!」
武装した男たちはいっせいに馬に飛び乗ると、手綱を振った。
まさに疾風のごとく駆けていく騎馬は半刻もしないうちに山岳地帯へと入る。
「清明なる火、清澄なる水、清涼なる風、清浄なる地、万象を包みたる御霊、其の真理、其の歓喜、其の信義、其の寛喜、駆け、駆け、縒りて護法たる神気を下せ。『疾駆する天輪』!!」
アンヘルが詠唱を終えると天が眩く輝き、無数の光輪が降りてくる。これだけの兵が戦場に出ているということだ。
「なんだこの範囲の広さ!!スゲェな!!」
馬を走らせながら空を見上げたフリックは笑う。目前の山脈、それを左右まで首を振ってもまだ『疾駆する天輪』の効果範囲が広がっている。
「アンヘルは天才ですから!アンヘルはこの先の砦で後方支援だ!!俺は前に出る!!!」
並走する騎馬に叫ぶと「そんな!」と震える声が返ってきた。
「心配すんな!!マジックイーターもあるし蒼人相手なら無双出来るだろ!!!」
魔法を使わない異人相手では魔力を補給する術はないのでマジックイーターも宝の持ち腐れだが、魔法を得意とする蒼人が相手であれば、マジックイーターの戦略的な効果は高い。
「砦の先の谷が主戦場のはずだ!!かなりの乱戦になってると思うが、本気で出るつもりか!!?」
「戦線が広がってないならその方が好都合です!!蒼人なら魔法が攻撃のメインでしょうし俺がマジックイーターで盾になれますから!!!」
「わかった!!!しっかり掴まれよ!!!」
フリックが手綱を一振りすると、グンッと速度が上がる。天輪の効果があるとはいえ、リッカー家だからこそなせる技だろう。
砦の方へと逸れるアッシュの騎馬を横目に見送り、フリックとヒロムは真っ直ぐ戦場へと駆けていく。
「見えた!!!あそこだ!!!」
フリックが指す先、峰から急角度で斜めに切れこみが入るように100mほどの幅の谷が山の上の方へと続いている。
そこでは天輪に守られた戦士たちと、様々な魔法を打ち出す蒼人の軍勢とで混沌としていた。
「連中随分前に出てるな!!天輪で護られてるから、近づかないと魔法が当たらなくなったんだろう!!行けるか!!!?」
「行きます!!!」
フリックが駆る馬は断崖の壁へと向かうと駆けあがり、戦士たちの頭上を越えて激しい魔法による攻撃の最中へと着地した。
「喰らえ!!!マジックイーター!!!」
ヒロムはマジックイーターを翳す。
すると、蒼人たちから放たれた魔法はすべてヒロムのマジックイーターへと吸収されていく。
突然の乱入に一瞬場が停まったが、「今だ!!出るぞ!!!」という掛け声とともに、戦士たちは前に出始めた。
「フリックさんはすぐに下がって!!!俺はここから皆を援護します!!!」
ヒロムは馬から飛び降りるとフリックを促す。
「しかし!!!」
「ここで騎馬の機動力は役に立たない!!!早く!!」
「くっ!!死ぬなよ!!!!」
手綱を引き、再び断崖へと駆けあがると押し寄せてくる戦士たちの向こうへと跳んでいくフリックを見送って、ヒロムは魔法式の構築を始める。
地魔法第四位相『咆哮する大地』、そして火魔法第四位相『大爆発』。普段なら使えないが魔力はたっぷり吸収できた。
「『煉獄』!!!」
蒼人たちの足下の地面が突然砕け、そこから火柱が噴き出していく。
魔力が高く、魔法に対する耐性も強い蒼人だが、神聖魔法の放つ光に次いで、火に弱い。
蒼人たちの阿鼻叫喚の中、戦士たちはヒロムを追い越し突っ込んでいくと次々と蒼人たちを切り伏せていく。
「怪我人の回収を!!!」
「おうっ!!!」
戦士たちは蒼人たちの足下に倒れた仲間を担ぐと数人がかりで運び出しては、第二陣で攻め寄せ蒼人を切り伏せていく。これほど混乱した状況にあって、ここまで統率が取れているのはやはり練度の高さゆえだろう。やはり院生や学生とは次元が違う。
ヒロムは蒼人たちの後方から放たれる魔法をマジックイーターで吸収しながら、戦士たちの目前の、さらに向こうにいる蒼人たちへと火魔法を放っていく。
既に100mは押し戻した。戦士たちの士気はさらなる高まりを見せ、次々と蒼人を切り伏せていく。が―――
突然天高くから無数の黒い刃が降り注ぐ。
「うぎゃあああっっ!!!!」
「ぐああああっっ!!!!!」
ヒロムたちの後方の陣から戦士たちの悲鳴が響き渡った。
天輪を貫き、戦士たちの肉体をも貫いたそれは―――
「『深淵よりの刃界』!?」
闇魔法第八位相『深淵よりの刃界』―――現存する魔法の中で、もっとも長い魔法式を持つ魔法。
「全員下がれぇっっ!!!!!」
天輪を貫くほどの威力―――確実にヤバい蒼人がいる。
再び天に不穏な気配が漂う。
「喰らえ!!!マジックイーター!!!」
ヒロムはマジックイーターを天へと翳す。
次の瞬間降り注いできた黒い刃をマジックイーターは吸収していくが―――
「なっ!?」
ピキッという音と同時にマジックイーターは砕け散った。
吸収できる容量を超えたのだ。
「ぐあああああっっっ!!!!!」
残っていた黒い刃がヒロムの肩から腕を貫く。
経験のない痛みに絶叫するヒロム。
周囲では同じように刃に貫かれた戦士たちが苦痛に顔を歪めているが、ヒロムほどのダメージは受けていない。
「下がれぇっっ!!!!」
号令がかかり、戦士たちはいっせいに下がっていく。
「しっかりしろ!!!」
こめかみから血を流す戦士がヒロムを肩に担ぐと走り出す。
これを機と見たか、再び蒼人たちの魔法がヒロムたちへと撃たれ始めた。
「うぎゃああっっ!!!」
「ぐああああっっ!!!」
背後からの攻撃に、満身創痍の戦士たちは次々と倒れていく。
「くっ!!」
ヒロムを担いだ戦士の足取りは重い。当然だろう、負傷している上にヒロムを担いでいるのだ。
「俺を・・・置いて・・・逃げて・・・」
今のヒロムにはそう懇願するしか出来ない。
「馬鹿野郎!!!仲間を置いていけるか!!!!心配すんな!!!必ず―――」
次の瞬間、火魔法第三位相『火球』が二人を襲った。
「うぐぅ・・・・」
全身に響く痛みに目を開けると、目の前には黒く焦げた戦士の手があった。
その向こうに見える黒く煤けた顔には白目を剥き、かなり危ない状態だ。直撃したのは戦士の方なのだろう。
「くうっ!!!」
ヒロムは何とか上半身を起こすと、目を閉じる。
地魔法第五位相『護りの大樹』。全天型の対魔法結界だ。
残された魔力のすべてを使えば発動できるはず。
ヒロムはすでに何度となく暗誦した魔法式を精神世界に描き出していく。
「『護りの大樹』」
そう呟くと同時に、大地から薄く発光する大樹の幻影が現れ、ヒロムたちを包み込んでいく。
「ぐっ・・・」
ヒロムの魔力では長くは保たない―――それまでに何とか打開策を見つけ出さねば、終わってしまう。
頭の中で何度も思い描いていた戦場での立ち回り。だが実戦は全く違っていた。
そもそもより高位の魔法を使える者がいれば、ヒロムの魔法など何の役にも立たないのだということすらわかっていなかった。
妄想だけでいったい何を分かったつもりでいたのか―――今更になって自分の愚かさが身に沁みる。
魔法を防がれた蒼人たちが進んでくる足音が聞こえる。
この結界が防いでくれるのは魔法だけ。中に入られてしまえば終わりだ。
アンヘル―――
ここでヒロムが倒れてしまっても、アンヘルは大丈夫だろう。『疾駆する天輪』を破ることが出来るほどの相手でも、アンヘルの魔力で発動した『天譴の護法壁』を破ることは出来ないはずだ。
だが、その後は―――アンヘルは教導院で上手くやれるだろうか。辛い思いをするのではないだろうか。その小さな体に儚げな笑顔―――ただ、幸せになって欲しいと、そう願った。
その時―――
天がまるで白昼のごとく眩しく輝く。
そして温かな光のベールがヒロムたちの周囲を包み込んだ。
「うぎゃあああああっっ!!!!」
そんな悲鳴を上げたのはヒロムたちではない。蒼人たちだ。神聖魔法の放つ光に弱いという蒼人たちが悶え苦しんでいた。
「『悠久なる光壁』・・・」
神聖魔法第九位相『悠久なる光壁』。こんなものを使えるとしたら一人しかいない。
「アンヘル・・・」
いったいいつの間に会得したのだろうか。魔法式はラウ老師の残してくれた写しがあったとはいえ、まだ一度も使ったことはなかったはずだ。
うおおおおおっっ!!!と声が響き、大勢の戦士たちが駆けてくる。
「今だ!!!徹底的に叩き潰せ!!!」
戦士たちは倒れた仲間を回収しつつ、悶絶している蒼人たちへと突っ込んでいく。
「大丈夫か?すぐに治療してやるからな」
数人の戦士がヒロムの前に黒焦げになって倒れた戦士を担ぐと、ヒロムも軽々と抱えられ、砦へと連れていかれた。
「ヒロム!!!」
砦に戻るなり、泣き顔で飛びついてきたのはアンヘルだ。
「アンヘル・・・いつの間に『悠久なる光壁』を使えるようになってんだよ」
「ヒロムを驚かせたいと思って・・・酷い怪我。すぐに治すからね」
「俺の怪我は大したことない。それよりもっと重傷の人がたくさんいるだろ。そっちを優先してくれ」
「でも・・・」
「俺たちは何のためにここに来た?」
―――どうか、彼らを愛する者たちのためにも、一人でも多くの者を救ってくれ
アステムがアンヘルに願ったこと。それは戦士たちの愛する者の元への無事の帰還だ。
「俺たちは託されてここに来たんだ。わかってるだろ?」
「・・・うん」
ヒロムは動く右手でアンヘルの頭をそっと撫でてやる。
「お前にしか出来ないことがたくさんあるんだ。俺は、そんなお前に出会えたことを、本当に誇りに思ってるよ」
小さく頷いたアンヘルはふふっと小さく笑った。
「なんかヒロムってお父さんみたいだ」
そしてヒロムに抱き着くと、一つ深呼吸をした。
「酷い臭いがするね。でも、これがヒロムが闘ってきた証なんだよね」
体を離したアンヘルはヒロムの頬に触れる。
「僕も強くなるから。みんなを助けられるくらいに」
アンヘルの決意の表明にヒロムはほほ笑む。
「おう。がんばれ」
「うん!」
大きく頷いて走っていく小さな身体―――
それはどこか不安定で、だが、とても力強く思えた。