「よお、カズマの弟」
※
事の始まりは千年ほど前―――
それ以前、フレイヤ王国があるこのバルムンド大陸は異人たちの世界だった。
世界で最も広大なこの大陸は様々な種族の異人たちが闘争を繰り返す、混沌とした世界―――
そこに現れたのが魔王だ。天を裂き、地を砕くほどの力を持つ魔王は異人たちを制圧、支配統一し、配下とした異人たちと人間が住む大陸へと侵攻を始めた。
圧倒的な力を持つ魔王とその配下の侵攻に人間は抗うことも出来ず瞬く間に多くの国が滅ぼされ、もはや人には滅びの道しか待っていない―――
そんな時に突如現れたのが勇者と呼ばれる一人の青年だ。
その青年は唯一にして絶対の神、アルカイドの加護を受け、その力を以って魔王とその配下を退けたという。
青年は退けるだけではなく、人間の軍勢を立ち上げると徹底的に異人の軍勢を追い込み、ついにはバルムンド大陸にまで侵攻し、魔王の右腕であったキレフという魔人を討つとその所領を人間の物とすることを宣言した。
化け物どもを駆逐すると青年に従う多くの者が移住し、その青年―――勇者フォンデウスを王とする国家フレイヤを建国したのだった。
ここまでは誰もが知っているフレイヤ王国建国譚だ。
この後、勇者は魔王を討ち取って世界に平和をもたらした、という話で締めくくられている。
「勇者フォンデウス、そして魔王『アーリヤ』。彼らの登場とともに、それまでの歴史に存在していなかった“魔法”という存在が表舞台に登場した。人類のみならず、異人に関しても同様であることは確認してある。これが意味することは勇者と魔王がすべての魔法の基礎を用意したという事実だ。人類に、そして異人に、魔法という摂理をもたらしたのは一体なぜなのか。私はついにその真実を突き止めることが叶ったので、この場で皆に伝えることにしたのだ」
老師の言葉に講堂内はざわめきが支配する。
「静かにし給え。皆はこのバルムンド大陸に人の住まう地があったことを知っておるかね?もちろん、王国建国以前の話だ」
その問いに一人の男が手を挙げる。
「それはムーリヤアーリヤのことでしょうか?」
男の言葉に老師は頷いた。
「良く知っておるな。そう、『ムーリヤアーリヤ』。伝説にある楽園の名だが、これは実在していたことが確認されている。伝説には南海の孤島にあるということになっておるが、存在していたのはこのバルムンド大陸。その遺跡がハルマイアで6年前に発掘された。ここから集められた遺物や遺構の写しから魔法式様のものが大量に見つかっている。それを分析してみた結果、やはり魔法式の前身であることが確認された。ここまではおそらく知っておる者も多いだろう」
いつの間にか講堂内はしん、と静まり返っている。
「この情報がいったいどこから齎されたものなのか。世界中に残されている古文書のあらかたには目を通しているが、これらの情報に接点のある物は見つからなかった。となると、魔法が生まれたのはムーリヤアーリヤであると見て間違いない。この場所は一体何があったのか―――これを見て欲しい」
老師が舞台袖に視線を移すと、数人がかりで大きな板を運び込んできた。
そこに描かれていたのは二人の赤子が太陽と月を抱いて寝転んでいるものを描いたのであろう図。
「これはムーリヤアーリヤの政治の中心部であるとみられる神殿から発掘されたものを写したものだ。太陽と月をモチーフとした信仰は古代文明においては珍しくはないが、この絵には現在の魔法に通じるものが記されていた。ここを見たまえ」
指揮棒を手にした老師が指した場所―――二人の赤子の肩。そこには紋章のようなものが描かれている。
「これは簡略化されているのであろうが魔法式が織り込まれた紋章であることは間違いない。読み取れる範囲で構成要素を確かめてみたが、全く違う要素で出来ておるようだ。ただ、魔法式の中核となるこの中心部分に関しては正確に描かれているようで、これに該当する情報を世界中にある文献から探してみたところ意外なものが該当した」
太陽を抱いた赤子の肩にある紋章の中心部―――それがなんなのかはヒロムにもすぐにわかった。
フレイヤ王国国旗―――その中央にある王家の紋章。ツタや花で飾られているが、それらを取り払うとあの図形になる。
「こちらの太陽を抱いている者の肩にある紋章は、フレイヤ王家の紋章に酷似している。勇者フォンデウスがムーリヤアーリヤと何らかの形で縁があることを示していると考えられる。そしてこの月を抱いた者の肩にある紋章―――」
老師は指揮棒を斜め下へと動かす。
「古代文明に興味のある者ならば一度は目にしたことがあるのではないかと思う。誰か分かる者はおるかね?ヒントは千年前の遺跡、だ」
千年前―――となると、勇者と魔王に関係のある場所だろう。
ヒロムは子供のころから良く目にしていた勇者フォンデウスの伝承が描かれた絵図を思う。
聖廟の廊下に長く、長く描かれた絵図の端。十本の塔に囲まれた、妙な形の城―――魔王城。
ひょっとしたらあれを上から見ると、この図形になるのではないだろうか。
思考を終え、チラッと目線を上げると、老師と目が合った。
「では、こちらから指名させてもらおうか。ちょうど目も合ったことだし、ヒロム=カルディア」
「えっ」
まさかの指名にヒロムはたじろぐ。
「なにか、思い当たる物があるかね?」
「え~っと・・・その・・・」
「間違っていて良いのだよ。まだ院生なのだから」
「あ、はい・・・その・・・千年前の魔王城が、上から見たらその図形になるんじゃないかと。もしかしたら、ですけど・・・」
「そう推測する根拠は?」
「その・・・聖廟の廊下に勇者フォンデウスの伝承が描かれていますよね?最後は勇者フォンデウスが魔王城まで攻め入って、魔王を討ち取って終わります。そこに描かれている魔王城が十本の塔に囲まれていたので、その図形の外周にある小さな円と合致するのじゃないかと思ったんです。すみません・・・単純な発想で」
小さくなるヒロムに老師は微笑みかける。
「構わんよ。正解なのだからね」
「え?」
「これを見て欲しい」
老師が再び舞台袖を促すと、もう一枚の板が運び込まれる。
その板には月を抱く赤子の肩にある紋章の中心部分と同じ図形が描かれていたが、どうやら設計図のようで、様々な寸法も記載されていた。
「これは70年前、勇者ドレイトンによって魔王アタバスカが討たれた後、現在インベスタが支配する地域で行われた旧魔王城の発掘調査の結果だ。見ての通り、千年前の魔王城はこの紋章をなぞらえた形状で作られていた。この紋章がどのような意味を持つのか、魔王は知っていたということだ。勇者、そして魔王。双方ともにムーリヤアーリヤになんらかのルーツを持っていることは明白だ。ムーリヤアーリヤから発掘された魔法式の前身と呼ぶべき魔法式の存在。この地になんらかのルーツを持つ勇者と魔王。そして楽園とされていたムーリヤアーリヤが滅びた理由―――これらの答えとなるであろうものが昨年、遺跡から発掘されたのだ」
老師の言葉に講堂内はどよめいた。
「白狼より降誕せし双曲あり。双曲が奏でるは真なる理。満ちし曲、虚ろなる曲、万感をもたらす。真影、奏らる双曲、蒼穹を揺るがす。朗々と奏らるは虚ろなる曲。煽りし蒼炎、万象を灰塵へと帰す。地に堕つ満ちし曲の想念、明けの空へと失せり」
老師が読み上げた詩のようなもの。
「これは発掘された状況から、ムーリヤアーリヤが滅びた後に残されたものと推測される。この文献に出てくる、“双曲”。これはこの太陽を抱く者と月を抱く者を指していると考えてよかろう。それまでもムーリヤアーリヤには摂理に干渉する術、つまり魔法が存在していたのだが、この二人が生まれたことによって真理、この世の正しい摂理を手に入れた、とこの文献は語っている。しかしある日、満ちし曲、おそらく太陽を抱く者と、虚ろなる曲、こちらは月を抱く者だろう。この二人が争った。その結果、虚ろなる曲、月を抱く者が勝利し、その結果ムーリヤアーリヤは滅びたのだ。敗北した太陽を抱く者はバルムンド大陸を去り、月を抱く者がバルムンド大陸を支配した。この時敗北した太陽を抱く者が勇者フォンデウス。勝利した月を抱く者が魔王アーリヤ。白狼は言うまでもなく天頂に座す白狼星のことだが、この白狼星は実は双子星であることが最近の研究で明らかになっておる。双子星から降誕した双曲、つまり勇者フォンデウスと魔王アーリヤは同じ血から生まれた双子だったのだ」
老師が導き出した結論に、どよめきのみならず怒声や罵声が上がり始めた。
それも当然だろう。始祖たる勇者が、よもや魔王と双子などと。
しかし、千年前の魔王の登場とともに世界に魔法が広がったというのは事実であり、勇者フォンデウスも魔法を使える者であったことは明らかだ。相対する者同士が同時にそれまで存在していなかった魔法という摂理を知るなど、無関係であればありえない話。だが同じ血を分かち合った者だとすれば、どちらも魔法が使えていて不思議なことはない。
しかし、この事実はフレイヤ王国の王政に大きく影響をもたらす可能性があることは、誰の目にも明らかだった。
その時、突然演台へと兵士たちが上り、老師を拘束した。
「ラウ老師、あなたを不敬罪で拘束します」
その言葉に静かに頷く老師。その様子でこうなることを覚悟した上でここに立ったのだとヒロムは理解していた。
混乱する講堂内―――結局そのまま講演会は終わり、ヒロムたちは教導院へと連れ戻された。
「あれってどういうことだよ」
「わかんねぇって」
院生たちの声が教室のみならず廊下でも響いている。
教導院に連れ戻されたヒロムたちだったが、院生の間の動揺は酷いものだった。
「ヒロムは、老師のあの話、どう思う?」
声を潜めたアンヘルがヒロムに訊ねる。
「真実かどうかは別として、筋は通ってると思う。千年前の魔王登場まで魔法って概念がなかったってのは定説だし、魔法って概念がなかったはずなのに勇者は魔法を使ってたわけだろ?魔王が広めたなら勇者が知るはずないし、逆でも同様。なら二人とも知っていた、と考えるのが自然だろ」
「双子っていうのも?」
「それは判んねぇよ。二人がムーリヤアーリヤ出身ってのは確かなんだろうけど、双子だって確証は何もないしな。だってムーリヤアーリヤの人たちは原始的とはいえ魔法を使えてたんだろ?ってことは魔力は持ってたはずだ。老師が仰ったあの文献にある双子が、現代魔法を周囲に広めてたかもしれない。そのうちの一人って可能性もある」
「そう・・・だね。でも、どうなるんだろう」
不安そうにつぶやくアンヘル。ラウ老師は教導院の理事でもある。教導院にも何らかの影響が出ることは十分に考えられた。
「大丈夫だって。不敬罪っても老師は魔法研究の世界的第一人者。王室も迂闊なことは出来ないって」
「ならいいんだけど・・・老師がヒロムに目をかけてることは知られてるから、ヒロムにまで・・・」
そう言われると確かにその可能性はあった。だがヒロムは不思議と不安は感じていない。
「老師が院生を巻き込むような真似をされるわけがないだろ?心配すんな」
「そう・・・だね」
結局その日は全員帰宅させられ、天神祭が終わるまでは教導院は閉鎖されることになった。
「よお、カズマの弟」
老師の情報がなにか得られないかと実家に帰っていたヒロムの肩を背後から抱く男。
「り、リヒト様!!!?」
光の勇者、リヒト=ルカイン。老若男女、王国中の憧れの人物がヒロムに密着していた。整った顔がヒロムの顔のすぐそばにある。
「しかしデカいな。本当にまだ14なのか?」
「な、なんで・・・・」
「カズマに招かれてな。弟も帰ってくるからって」
「あの・・・」
「やっぱカルディアの血はすごいよな。お前って魔導士の紋章をつけてるんだろ?それでこの体格ってありえないと思うんだが」
そして声を潜めると耳元で囁く。
「お前、ラウ老師と親しいそうだな」
「えっ!?あ、はい・・・」
「今、不敬罪を巡って陪審会議が紛糾してる。下手すりゃ極刑の可能性もあるようだ」
「極刑!!?」
ヒロムはリヒトを振りほどくと、その胸ぐらを掴んだ。
「どういうことだ!!!?」
「落ち着けって。可能性もあるって話だ。実際に結審がどうつくかは王室次第ってところだな」
「そんな・・・」
「とりあえず手は放してくれるか?」
「あ・・・」
反射的にとはいえ、勇者の胸ぐらを掴むとはなんと愚かな行動をしたものかと、ヒロムは小さくなる。
「まあ、安心しろ。いざって時には俺が実力行使で老師を救い出すんでな」
「リヒト様が?なぜです?」
「老師には色々とお世話になってるんだ。俺のお師匠さんと老師は幼馴染でな、お師匠さんも俺も、魔法関係では本当にお世話になってるってわけさ」
「そう・・・ですか」
勇者が自ら救い出すとまで言ってくれるなら、もう恐れる必要など全くない。
「しかし、カルディアの末弟だというのに、魔法に関してかなりの英才だそうじゃないか」
「は?」
「老師がべた褒めしてたからな。俺の勇者の座も危ういんじゃないかって言われたぞ」
「そんな!」
「魔力不足はマジックイーターでも使えば補えるからな。重要なのは魔力の強弱よりも魔法を使うセンスだが、お前のセンスは最高レベルだとさ」
「そんな・・・ことないっす。理屈だけはこねることが出来ても、まだ全然使えねぇし・・・」
「なら、試してみるか?」
リヒトはヒロムの腕を掴むと屋敷を出る。
「ちょ、何処へ!!!?」
「なぁに、すぐだ」
速足どころか小走りで向かった先はユーデンシア教導院―――リヒトとカズマが出た教導院だ。
その教練場へと出たリヒトはヒロムの手を離す。
「こいつを使え」
そう言って指から指輪を抜くと投げて寄越した。
「これ・・・」
それはマジックイーターだった。魔力を吸収できる法具―――100万ガルデは下らないはずの高級品。
「俺の魔力を使え。お前が知ってる最高位相の魔法は?」
「覚えてるのは地水火風と闇の第五位相ですけど・・・」
「暗記してるのか?すごいな」
「でも、使ったことがないので・・・」
「魔法式の構築にさえ失敗しなけりゃ魔法は発動する。落ち着いてゆっくりでいいからやればいいさ。そいつの起動の仕方は知ってるか?」
「知ってますが・・・」
マジックイーターは起動に血を使う。それゆえに一度起動すると簡単には外せない。
「気にすんな。俺は使ってないんだ」
「え?」
「俺は剣の方が性に合ってる。魔法は補助的には使うが、どのみちパーティーを組んで戦うんだ、魔法の役割は魔導士に任せる方が良いからな」
リヒトはまるで少年のように笑う。
それを見てヒロムの心にもやもやしたものが生まれて来た。
「あの・・・リヒト様」
「ん?」
「俺・・・」
ヒロムは自分が目指している“前衛も出来る魔導士”についてリヒトに話した。
「俺、中途半端なこと、しようとしてるんでしょうか?」
「そういうわけじゃないだろ?お前は前衛に立って戦士や重戦士の援護をするわけで、役割としては魔導士であることに変わりはないんだ。別に剣で戦おうってわけじゃないんだろ?」
「あぁ、そうか」
「着眼点は良いと思うぞ。大規模な戦場でなければ当たり前の戦術だ。生存率は格段に跳ね上がるだろうし」
そう言われると少人数のパーティーで行動する場合は前衛も後衛も大差ない。前衛になる重戦士や戦士が後衛を護ることに変わりはないが、後衛の支援もすぐに出来る。
「パーティー組むのって結構大変なんだ。魔導士ってそもそも戦士や重戦士に比べると人数が少ないだろ?パーティーで行動するときって後衛でも危険なことに変わりはないから、パーティーに参加してくれる魔導士はあまりいないんだよな。だから参加してくれるような奇特な魔導士は争奪戦だし、大規模な戦場に出ることがない。それに大規模な戦場と少人数での戦闘とじゃ勝手も違う。お前みたいに大規模な戦場に調整した魔導士ってのも必要だと思ってる。ま、お前の努力次第だがな。にしても・・・」
実に意地悪そうな笑みをリヒトは浮かべる。
「お兄ちゃんが大好きなんだな」
「なっ!?そ、そんなわけないじゃないっすか!!別に兄貴だけってわけじゃねぇし!!」
「はいはい、そういうことにしておいてやろう」
「本当ですって!!!」
ヒロムの抗議の声をサラッと躱したリヒトはヒロムの頭に手を置く。
「頑張ろうな。俺も、お前も」
「・・・リヒト様?」
「ほれ、試してみようぜ」
背を押され、教練場の真ん中へと進んだヒロムはマジックイーターを起動させる。
ちくッとした痛みと同時にはめた指輪が光った。
「よし、じゃ、やるぞーー!!」
叫んだリヒトは火魔法第五位相『蒼炎咆哮』を放つ。
「えっ!?」
慌てて手を翳すと、巨大な蒼い炎の塊が指輪の中へと吸い込まれていった。
「これで第五位相までは使えるだろーーー!!そこの巻き藁狙ってみろーーー!!!」
第五位相を詠唱破棄で使えるなど正魔導士でもそうはいない。これが勇者たる所以なのだ。
ヒロムは目を閉じると魔法式を思い描く。詠唱を伴うと魔法を正しく理解出来なくなるので、ヒロムは直接魔法式で覚えていた。
「『黒き刃』」
目を開き巻き藁を見つめ呟く。
すると巻き藁の背後に真円の影が現れ、そこから数mはあるであろう巨大な刃が突き出し、巻き藁を貫いた。
「ふう」
思っていたより上手くいった。
「お見事!!いやいや、詠唱破棄で第五位相を使える二年なんて他にいないぞ?」
手を叩きながら歩いてきたリヒトにヒロムは頭を下げる。
「こんな貴重なものを貸していただいたからです。でもどうしましょう」
一度血を吸ったマジックイーターは、一度吸ったその血が尽きるまで外れない。
「俺は使わないし、お前にやるぞ?」
「いやいや、こんな高級品もらうわけにはいきません!!!」
「カルディアが何言ってんだ。72柱ならその程度、簡単に贖えるだろ」
「俺のわがままで魔導士になるって決めたんです。家の力は使わないって決めてますから」
ヒロムがそういうと、リヒトは苦笑に近い笑みを浮かべた。
「カズマの言う通りだな。自立心の強い末弟。手は焼くが、可愛くて仕方がないらしいが」
「はあ?!気持ち悪いこと言わないで下さいよ!!!」
「兄貴としては弟の将来が心配なのさ。カルディアとしては明らかに向いていないと言われていた道に進んだから。まあ、杞憂なのも明らかだが」
「まだわかりませんよ」
「老師があれほど買ってるんだ。杞憂だよ。まあ、あえてカズマの奴には老師がお前を高く評価していることは教えてないが」
リヒトはヒロムの肩に腕を回す。
「弟が心配でオロオロしてるあいつを見てるのは面白いからな。なんか、あったかくて。俺がカズマの事が気になったのってたぶん、ああいうところなんだと思うんだ」
ヒロムにはリヒトの言っていることがいまいち良くわからなかったが、リヒトはカズマの事を信頼しているのだなということは伝わってきた。
「はあ・・・」
家に戻ったヒロムは自室でベッドに横になる。
老師の事はリヒトが何とかしてくれるだろう。
しかし気になることはまだある。
老師はなぜ不敬罪で捕まることを覚悟してまで、あの話をあの場でしたのか―――
勇者と魔王が同じ血を継ぐ双子だなどと―――
それに老師にしては結論の導き方が強引な気がした。
ヒロムでさえ別の可能性を提示できるようなまだ穴がある説を、老師ほどの人物が人前で話すとは到底信じられない。
となると答えは一つ。老師にはあの場で話さなかった、あの結論に導くだけの確証があるのだ。
だが、なぜあの場で話さなかったのか。それは王室に対する不敬罪より、もっと重大な混乱を引き起こす可能性があるものだから、ではないだろうか。
例えば新たな魔王の誕生―――しかし、それを老師が隠す理由は何もない。魔王が誕生したならば対策を講じるのは軍の仕事だし、判明するのが早ければ早いほど対策も打てるのだ。
いったい老師は何を隠しているのか、そして老師が得た確証とはなんなのか。
それを知り得ていそうな人物―――いるとしたらただ一人。
大賢者セルデガルフ―――
かつて勇者ドレイトンと共に戦った人物ならば、何かを知っているのではないだろうか。
真っ当な方法では会うことは出来ないだろう。
ヒロムは一つの覚悟をして家を出た。
王都外れにある高級な別荘地。
この一角に大賢者セルデガルフの邸宅がある。
だが、周囲は厳重な警備が敷かれ、さらに結界も張られていると聞いていた。
しかし天神祭のこの時期は警備にあたる兵の気分も浮かれているはず。必ず隙はあるはずだ。
ヒロムは薄暗くなるのを待ち邸宅近くまで寄ると、しばらく巡回の頻度を確認する。
巡回に回る兵たちもやはりこの時期はあまりやる気はないようで、あくび混じりに談笑しながら歩いていく。
その巡回の兵をやり過ごしたヒロムは敷地内へと入る。
結界はどこに張られているのか、わからないがマジックイーターならば結界の魔力を喰らってくれるはず。
手を翳しながら進んでいるとマジックイーターが反応した。
「ここか・・・」
一歩進むとマジックイーターの反応が消え、邸宅へと近づくことが出来た。
明かりが漏れ出す窓辺。そっと中を覗くと、目の前に人が立っていた。
「うわっ!」
「結界を破るとは随分堂々としたこそ泥だと思えば、カルディアの末弟か。儂に何か用かね」
老人ながら堂々とした体格―――賢者というよりは戦士という印象だが、これが大賢者セルデガルフその人だ。
「えっ!?なんで・・・」
「もちろん知っておるとも。王下72柱の一柱、重戦士の名門、カルディアの家に生まれながら魔導士を志す傾奇者。魔導士界隈では有名人だからな。で、こそこそと何用かね」
「あのっ、無礼を承知で伺わせていただいたのはラウ老師が仰っていた勇者と魔王が双子だったということについて何かご存知ではないかと思ったので」
早口にそう告げると、セルデガルフは肩を竦めた。
「そんなことのために来たのかね。とりあえず入りなさい」
促されて玄関から中に入ると、応接間に通された。
「まったく、まさかマジックイーターで結界を破って入ってくるとはな。呆れた使い方をする」
「すぐにお気づきになられたんですね」
「当たり前だ。自分で張った結界だぞ?ところでラウの奴が捕まったことは聞いたが、なにがあった」
ヒロムは講演で老師が話したことを伝える。
するとセルデガルフはため息を漏らした。
「ラウの奴め・・・何を考えておるのやら」
「あの・・・」
「奴の言っていることは事実だ。勇者フォンデウスと魔王アーリヤは双子として生を受けた。ムーリヤアーリヤでな。ムーリヤアーリヤでは古代から魔力を持つ者が生まれ、摂理に干渉する技、魔法が存在していた。だが、せいぜい火を起こす、光を産み出す、風を吹かせる、水を集める、程度の事で現在のような魔法ではなかった。そこに生まれて来たのが太陽と月を抱く者、勇者と魔王だ。この二人には生まれ持って莫大な魔力と世界の理が備わっていたのだ。この二人の知識によってムーリヤアーリヤは繁栄を極めた。二人の赤子は子供となり、大人になっていく過程で様々な知識をムーリヤアーリヤの民に授けながらムーリヤアーリヤの指導者となっていたが、ある日、この二人の政務の方針に食い違いが生じた。その結果が町を滅ぼす兄弟喧嘩の勃発だ。ムーリヤアーリヤは滅び、わずかに生き残った者たちはアーリヤに敗れ瀕死の重傷を負ったフォンデウス、当時の名はムーリヤだそうだが、彼を連れ海を渡った。ちなみにムーリヤは太陽、アーリヤは月を意味する言葉だそうだ。ムーリヤアーリヤに双子が生まれる前の名は『アマツムカイ』。二人の誕生で名を変えたそうだ」
「セルデガルフ様はそのことをどうやってお知りになられたんですか?」
「ドレイトンやハーマンとともに魔王アタバスカと対面した時だ。奴はこう言ったんだ。「光も魔も所詮始まりを同じくするものでしかない。互いの利のために喰らい合いを続けているだけ。そこに正義などないのだよ」とね。そしてこうも言った。「光ある限り魔は生まれ来る。それこそが世界の理。魔を討ち滅ぼしたければ光を滅せよ」とね。魔王はほぼ百年おきに登場している。そのたびに勇者が討ち取ってきたが、勇者の存在こそが魔王を産み出しているのだと、アタバスカはそう言ったのだ。勇者に多い『祝福されし者』だが、彼らは海を渡ったムーリヤアーリヤの人々の子孫にあたる。中でも特に強い魔力を持つ者はムーリヤ、勇者フォンデウスの子孫なのだろう。勇者フォンデウスはバルムンド大陸に渡る以前に妻帯し子をもうけている。その子らの子孫が世界中に登場する勇者だ」
「ということは俺のクラスメイトのアンヘル=グランデも勇者フォンデウスの子孫なんですか?」
ヒロムの問いにセルデガルフは顔を顰める。
「そういえばそなたはアンヘル=グランデと親しかったのだな」
それきり口を閉ざすセルデガルフに、ヒロムは尋常でない居心地の悪さを感じていた。
「あの・・・」
「アンヘル=グランデは特殊な存在だとだけ教えておこう。そなた、もしかしてラウの奴とは親しいのかね?」
「あ、はい。魔法学について直接教えていただいております」
「なるほどな・・・・ラウの奴がなぜこんなことをしたのか、何となくはわかったよ」
窓の外へと視線を移したセルデガルフは腕を組む。
「その理由を知りたくて・・・セルデガルフ様なら何かご存知なのではないかと」
「ラウとはドレイトンが健在だったころは交流があったが、今はまったくなのだよ。儂はあやつの理屈詰めの性格と話がどうにも苦手でな。あやつとまともに会話できる者が信じられんほどだ」
大賢者と呼ばれる人物がそんなことを言うとはかなり意外だが、そういえばセルデガルフもリヒトの言う“危険を承知でパーティーに参加してくれる奇特な魔導士”、なのだ。
「理由をご存知ならば教えていただけませんか?」
「そなたは知らぬ方が良いことだ。今後のそなたの歩みにとって障害となる」
「それでは何もわかりません!!」
必死に食らいつこうとするヒロム。そんなヒロムの様子をじっと見つめるセルデガルフ。
「おそらく勇者、リヒト=ルカインもラウの思惑に気付いているはずだ。そなたがアンヘル=グランデと共にあるならば、いずれは彼の口から語られる時も来よう。それまでは今の自身に課せられている命題をこなすことだけ考えることだ」
「そう・・・ですか・・・」
これ以上は訊いても答えてくれはしないだろう。
だが、アンヘルと共にある限り、ということはこの状況の中心にいるのはアンヘルということなのだろうか。その笑顔を思い出したとき、ふと、アンヘルと交わした会話を思い出した。
「あの、全く違う話なんですが―――」
「なにかね?」
「セルデガルフ様は『天上の雫』の魔導書をお持ちですよね?」
「いや、魔導書は持っておらんよ。すべてここだ」
と、自身の頭を指すセルデガルフ。
「魔導書をお持ちでない・・・どうやって覚えられたのですか?」
「ラウの奴が数冊魔導書を作ったが、その時に魔法式を見せてもらったのだよ。元々『天上の雫』は失われた魔法でな、ラウが発掘された魔導書の欠けた部分を補修して使えるようにしたのだ。あやつとは性格は合わないが、魔法式の構造に関しては紛れもなく天才だろうよ。で、『天上の雫』をどうするつもりかね?」
「アンヘルの奴が、今後の進級試験で使う魔法の事を考えておかないとなって。次の進級試験では『疾駆する天輪』で奨学金を狙うつもりなんですが」
「なるほど、第八位相を使うとなると、その後は第九位相、第十位相というわけか。しかし、第八位相が使えるとなると、飛び級で最上級に進めても良さそうなものだが・・・まあ、同学年にアルフレイドがいるのでは難しいか」
ヒロムは頷く。庶民が貴族を差し置いて飛び級などありえない。そうでなければ本来はアンヘルが主席のはずなのだから。
「魔導書ではなく魔法式の写しであればラウの奴がすべて持っているはずだが。魔法研究の第一人者だ。全系統全位相を持っているはずだぞ」
「老師が・・・」
ヒロムは唇を噛む。もっと早く気づけばよかった。老師が捕らわれた今となってはどうにも出来ない。
「不敬罪で捕まったということは家の方も封鎖されているだろうな。近いうちに儂が入ることが出来るよう、取り計らってやろう。その時に家探しでも何でもして見つけ出すことだ」
「よろしいんですか?」
「マジックイーターで儂の結界を破って入ろうなんて悪知恵が働くやつを、放置は出来んからな」
ニヤッと少年のような勝気な笑みを浮かべるセルデガルフは、心底楽しそうに見えた。