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「どうしたの?ヒロム」 「いや、なんでもない」


「くあ~っっ!!!」

汗を流したヒロムは伸びをすると浴場を出た。

身体にまとわりつく水滴を拭き取りながら、鏡の前に立つと己の身体を見る。

兄たちには遠く及ばないが、なんとか一般的な戦士並みの肉体にはなれた。しかしこのところあまり成長を感じていない。

すでに最上級生。これ以上の飛躍的な成長は望めないことは解かっているが、ルディやアステムは今もなおぐんぐん肉体の強度を増し、その実力を伸ばしているのを見ていると、やや焦りも感じるところだ。

最近ではルディとの手合わせでも勝つことがあまり出来なくなっているし、アステムとではもはや歯が立たないほどに実力に差がついてしまった。

とはいえヒロムは魔導士である、というスタンスを変えるつもりはないので致し方ないことであることは理解している。単純に負けず嫌いをこじらせているだけだ。

「おう、ヒロム。『蘇芳の団』の第十一部隊から依頼が来てるぞ」

教導師が顔を出して依頼書を振っている。

「う~っす。受けるって伝えといてください」

「じゃ、依頼書はここに置いとくからな」

ヒロムは服を着ると、置いていかれた依頼書を拾い上げた。

依頼内容は『深淵の谷』から侵攻を続けているワーウルフとの戦線の支援への同行だ。

去年まではあくまでアンヘルのおまけとしての依頼だったが、今はヒロム個人へ依頼が来るようになった。


四年前、アンヘルが『悠久なる光壁』を使ったことは瞬く間に王国中の噂となった。

新たな大賢者の登場―――

教導院どころか教会、そして王家までを巻き込む大騒動となったが、結局、セルデガルフとリヒトによって、“特定の条件下においてのみ扱うことが出来る”ということにされ、その条件の一つとしてヒロムの存在が挙げられていた。

アンヘルへの依頼には、必ずヒロムが同行することとされ、ヒロムとアンヘルは院生でありながら数多くの戦場へと連れ出されることになった。

四年前のようなことはあれから起こっていないが、ここ数年、異人たちの攻勢が激しくなってきているのは戦場に向かうようになって肌で感じている。


ヒロムが部屋に戻ると、アンヘルは疲れた顔をして熟睡していた。

結局、あれから遅くまで練習していたアンヘルをヒロムが無理やりやめさせて部屋に連れ戻ったが、長旅の疲れもあるのだろう、すぐに熟睡に入ってしまった。

初めて出会った頃からあまり変わらないアンヘルの体格。

この小さな体でどれだけのものを背負っているのかと思うと、ヒロムにも何か背負ってやれないかと思ってしまう。それがアンヘルを侮辱しているのと変わらないことは理解しているから、何も言い出せないだけだ。

光の勇者の同行者―――それだけでかかる重圧は相当なものだろう。

最上級生となった春―――実際にリヒトが正式なパ-ティーメンバーとしてアンヘルを選んだ時の、アンヘルに対する教導院内での誹謗中傷は酷いものだった。

神聖魔法こそ天才といえるが、それ以外の魔法は一切使えない落ちこぼれ―――

それをこそこそと言うならばまだしも、面と向かって言う者すらいたのだ。

主にはウォーレンの取り巻きではあったが。

リヒトがわざわざ教導院に赴きアンヘルを選んだ時に、ヒロムはリヒトになぜアンヘルなのか、と訊ねた。ウォーレンは法具の助けがあるとはいえ六系統を第六位相まで使いこなせる。魔導士としての使い勝手ならば、ヒロムから見てもウォーレンの方が上だと思うからだ。

「ずっと前に、お前には話したことがあったな。お前こそが王国の未来にとって最悪の事態を避けるためのキーマンだと。そして事態の中心にいるのはアンヘルであるとも」

「えぇ」

「もうお前には教えておく。アンヘルは・・・アンヘル=グランデは魔王の転生体―――生まれ変わりだ」

「え――――?」

「勇者ある限り、魔王は生まれ来る。それもお前は知ってるだろう?勇者フォンデウスの血がある限り、魔王アーリヤも滅びない。それは同じ血の元に存在しているからだ。その事実を知ったお師匠さんはある対策を立てることにしたんだ」

「対策・・・ですか?」

勇者ドレイトンが魔王復活を阻止するために打った対策。

「転生する先を指定しようと、そのための魔法式を編み出したんだ。アタバスカを討ち取る際に、その魂に魔法式を打ち込んでおく。そして生まれて来たのがアンヘルだ」

「もしかして・・・」

魂に打ち込まれた魔法式―――


―――確かに何らかの魔法のようだ。


そう老師は言っていた。

「そうだ。お前が老師に見せたアンヘルの肩の後ろにある痣。あれが“転生先を人間に指定する”魔法式。そして魔王の生まれ変わりであることを示す証となる」

世界が暗転したかのような感覚に襲われる。

まさかアンヘルが魔王の生まれ変わりだなどと―――

「俺はお師匠さんから、魔王の生まれ変わりを探し出すように言われていた。いつ、どの時代に生まれてくるわからないが、生まれてくれば痣と、魔王としての莫大な魔力で判別できるはずだと。そして生まれ変わりを見つけたなら、勇者として生まれ変わりを守り通せと」

「守る?」

「生まれ変わりは魔王としての力の片鱗は持っているが、人として生まれ育つ以上、人として生きることになる。人に対して叛意を持つようなことにならなければ、魔王としての記憶は戻らないはずだとね。だから自分のそばに置いて、人の絶望に染めさせぬよう、気を配れと。それが勇者の役目なのだと、そう言われてきたんだ。だが、見つけ出した生まれ変わりには、もうすでに庇護してくれる相手がいた」

リヒトは優しく微笑みながらヒロムを見る。

「お前がいる限り、アンヘルが絶望に染まるようなことはない。お前こそが魔王復活を阻止することが出来る、唯一の存在なんだよ」

「俺が・・・?じゃあ、まさか、老師があの時―――」

ヒロムは気付いてしまった。

四年前、ラウ老師が公表した、勇者と魔王が双子であったという事実。

なぜ公表したのか、その理由を。

「そうだ。もし、魔王としての記憶をアンヘルが取り戻すような事態になった時、お前とアンヘルが争うようなことにならぬよう、魔王との共存の道を選べないか、問題提起するためだったんだ。その真意を汲めたものはいなかったけどな」

「俺が・・・俺がアンヘルと争うようなことにならないようにって・・・そのために?」

魔法研究の第一人者とまで呼ばれた人物が、それまでの実績の全てを投げ打ってまでヒロムとアンヘルの関係が崩れないよう、対策を打とうとしてくれたのだ。


―――どんな真実が待っていても、自分の気持ちを信じるように


老師から受け取った手紙の最後の一文。

待っていた真実は想像出来ないほどに巨大なものだったが、ヒロムが信じるべきはヒロム自身の心だ。

アンヘルは大切な友人で、もしかしたら生まれ落ちた時に欠けてしまった自身の片割れかもしれない―――そんなかけがえない気持ちを。

自然と涙が溢れてきた。

いったい、どれだけ多くの人々に護られていたのだろう。

護られていることにも気付かずいた自分が恥ずかしくて、悔しくて、仕方がなかった。


「最近教会の動きが色々と怪しくてな。アンヘルを囲い込みたい気持ちはわかるんだが、お前と引き離されるわけにはいかないだろ?そこで俺があらかじめ手を付けて置こうって、セルデガルフ様とも相談して決めたんだ」

泣き止んだヒロムは、リヒトと教導院の裏庭にいた。

「そういうことでしたか。確かに、リヒト様のパーティーメンバーとなれば教会も手は出せませんしね」

「そういうことだ。ただ―――教会の狙いはそれだけじゃないような気がしてるんだよな」

わずかな迷いを含んだリヒトの言葉。

「どういうことです?」

「確証があるわけじゃない。ただ、キナ臭い噂をちらほら聞いてるんだ。ほとんどは王都ではない、地方の街でだ」

「キナ臭いというと?」

「王家に関する良くない噂の出どころが教会らしいんだよ。老師が公表した事実で紛糾した後からだ。まあ、今現在はその程度の話で、世間話の域は出てない噂だな。お前が気にする必要もないさ」

「アンヘルの事、よろしくお願いします」

「おう、任せとけ。お前の方はあまり無茶をするなよ?現場の兵からはかなり支持されているみたいだが、お前にもしもの事があれば、王国の未来に影響が出るってことは理解しておいてくれ」

「・・・はい」

とてつもない重責を掛けられたが、老師がすべてを賭けた願いに応えるためにも、何としてもヒロムは生き延びねばならない。

「周囲にはこう説明しておいてくれ。攻撃魔法ならば俺が使えるから攻撃要員としての魔導士は必要ない。回復支援要員としての魔導士が必要だからアンヘルなんだ、とな。ウォーレンを選ばなかったのはウォーレンは将来魔法騎士としてこの国の魔導士を背負っていく立場になるからだ、とでも言っておけば納得はするだろう。しっかり持ち上げてやってくれ」

「わかりました」

「今回の任務はおそらく半年近くかかると思う。その間、我慢できるか?」

「子供じゃないんですから」

ニヤッといやらしい笑みを浮かべるリヒトに、ヒロムは肩を小突いて返した。

「まあ、アンヘルの方もお前がいないと使い物にならないとは思うがな」

「そんなことは・・・」

「使えて『天譴の護法壁』までだろ。本当はお前も連れていきたいんだが、カズマに続いてお前も入れるとカルディアと癒着してるんじゃないかなんて話が出てくるからな」

王下72柱の間では表立っては見えないものの激しい権力争いが存在している。カルディアは当主自ら最前線に立ってきたので、そういった争いには縁が薄いが、全くの無関係というわけにはいかなかった。

「色々と面倒ですね」

「仕方がないさ。お前がアステム殿下と親しいことも、他の72柱にとっては警戒すべきところだろうからな」

アステムとはずっと拳闘の練習相手としての関係を続けている。

あれからアステムは父である国王陛下を説得してバルバリシア教導院の戦士養成科へと編入した。

第二王子という王家の中心に近い人物が戦士となることを志したとあって、戦士たちの士気は沸騰し、下降しかけていたフレイヤ王家の人気もそれと同調するように上がっていったのだった。

今年、士官学校に入学したがその人気は絶大で、アステムの姿を一目見ようと士官学校の運動場を囲う柵の外には常に女性が群がっているほどだ

「出来る限り早く片付けて帰ってくる。その時はおそらく落ち込んでいるであろう、アンヘルをしっかり慰めてやれよ」

「わかってますよ。アンヘルの事、お願いします」

こうしてリヒトに連れられ任務に発ってから五か月ほど―――

ようやくアンヘルは無事に帰って来たのだった。


部屋を出たヒロムは、依頼書の受諾を正式に教導院に申請するために寮を出る。

「ヒロム先輩!!」

そう叫んで走ってきたのはルディだ。身長こそヒロムよりまだ低いが、体の幅も厚みも、すでにヒロムを上回っている。

ルディはヒロムとの勝負の後、父親に直談判してリベルガルトへと編入することになった。重戦士の紋章を宿した今ではすっかり立派な重戦士候補生だ。

「どうした?」

「俺にも任務の依頼が来たんです!しかも先輩と同じ任務だって聞かされて!!!よろしくお願いします!!!」

「俺が受けるかどうかも聞いてないのに、何喜んでんだ?」

ヒロムがそう返すと、ルディは今にも泣きだしそうな顔をした。

「えっ!?断っちゃうんですか!!?」

「受けるよ。激戦区だし、少しでも助けが必要だろうしな」

「なんだぁ~」

「お前は前には出られないからな?院生の仕事は負傷者の回収だ」

「そうなんですか?」

「院生を盾役に出来るわけねぇだろ。親父さんに頼んで出来る限り良い装備を整えてもらっとけよ?矢が降ってきて頭に当たれば一発であの世行きだからな」

実際にこれまでも戦場に出て、そういった場面を何度も目撃した。『疾駆する天輪』が重宝される理由を思い知らされたものだ。

やや引いた様子のルディをヒロムは小突く。

「その程度でビビッててどうするんだ?お前は異人どもの真正面に立つ重戦士になるんだろうが」

「そ、そうっすね。でも兜は新調しておきます」

「そうしとけ。じゃ、俺は今から教導院だからまたな」

「はい!」

ルディと別れ、教導院に着いたヒロムは掲示板の前が騒がしいことに気付いた。

「どうした?」

「あ、ヒロム先輩!!大変なんです!!」

「だから何が?」

「今度の天神祭で王女の皆さんが教導院に来るそうなんです!!!」

「王女の皆さん?どの王女様だよ」

「第一王女のエスフィリア様、第二王女のハルメル様、第三王女のタニア様、第四王女のメアリー様、第五王女のラステア様です」

王家に王女は9人。そのうち公務に出られる年齢の15歳以上の王女殿下揃い踏みということになる。

「天神祭にうちに来る?よその教導院ならイベントも多いが、うちは何もないぞ?」

白兵戦技能を教える教導院であれば拳闘、漢闘、その他さまざまな運動系のイベントが行われている。それらの教導院の頂点を決める頂上決戦はバルバリシア教導院で行われており、集まった観衆で大盛況だ。ちなみに軍に所属する戦士や重戦士、剣士が参加する大会は日程がずらされており、多くの観衆を連日熱狂させている。

「なんでも、アンヘル先輩の神聖魔法が見たいのだとか。昨日戻って来たって話を聞いて、決まったらしいです」

「あぁ・・・なるほどな」

アンヘルの神聖魔法は見ているだけでもそれなりに見ものになる美しさだ。王都の中では教会の正魔導士がいるので、アンヘルの魔法を見る機会は少ない。第四王女のメアリーはアンヘルが使った『悠久なる光壁』を見ているはずなので、その話でも聞いたのだろう。

あの日、アンヘルが使った『悠久なる光壁』はフィーレンベルグどころか、蒼人たちの王国にまで光が届いていたという。その光輝に苦しんだ蒼人たちはここ数年、侵攻が停まっていた。

「すごいですよね~。ヒロム先輩はどの王女様がお好みですか?」

王女は揃って絶世の美女ではあるが、第一王女のエスフィリアはその際立った美貌から国民からの好感度は極めて高い。

「さあな。んなもん語ったところで手なんぞ届きゃしねぇんだ。もっと身近の女に目を向けとけよ」

「え~、でも先輩って72柱の家柄なんだし、上手くやれば行けるんでしょう?」

「お前な、俺は末っ子だぞ?上に三人も兄貴がいるんだし、家督は一番上の兄貴が継ぐ。俺が釣り合う立場になれるわけねぇだろ」

「そういうものなんですかね?」

「そういうもんさ。それに俺は天神祭の最中は任務で出てる。正直どうでもいいわ」

「えっ!?もったいない!!」

「お前らがのほほんっと祭りを楽しんでいられんのも、命懸けで異人どもの侵攻を食い止めてる王国兵たちのおかげだって解かってんのか?」

だからこそ、この時期になると最前線に立つ兵士たちに休暇が与えられる。あくまで一時的にだが、そうして休暇を与えた穴埋めに国内の各所から戦力補填のための部隊が送られることになる。その際は抜けた部隊分、他の地域が手薄になるので、士官学校から学生が送り込まれるのが常だった。院生が呼ばれることは稀だ。アンヘルとセットだったとはいえヒロムには実績があるので良く呼ばれるが、ルディが呼ばれたということは、その才能が非凡なものであると認められたということになる。

「俺も、お前らも、将来的にはそういう立場になるんだ。ま、だからこそ、今をしっかり楽しんでおけって話なんだけどな」

「先輩・・・俺も早く呼ばれるように頑張ります!!」

「あんま気負いすぎんなよ。魔法の発動に一番重要なのは心の余裕だからな」

「はいっ!!」

元気よく答えた後輩に手を振り、ヒロムは教導師室へと向かう。

「失礼します」

「おお、ヒロム。例の依頼、受けるんだって?」

「はい。『深淵の谷』への支援ですから。神聖魔導士も揃っていますし、俺の力も多少とはいえ役に立つと評価してもらえているんでしょうから」

「しかし良いのか?正式な任務として受諾すれば、お前の評価に繋がる。今のままでは、どれだけ活躍しても公式な記録には残らないというのに」

軍の統合本部からの依頼が正式任務。その統合本部からの命令を受けた部隊からの依頼を傭職任務と言って、これは公式な記録には残らない。

成績に反映させるためには正式任務でなければならないのだが、ヒロムは傭職任務として受けていた。

「本部を通したら時間がかかりますからね。院生への依頼も良い顔はしないでしょうし」

本来、教導院の院生はまだ修練が足りていないものとみなされ、依頼の対象とはなっていない。アンヘルのように明らかに規格外である場合は依頼がなされるが、仮に本部からの直接の依頼であっても基本的には“本部は把握していない”非公式の依頼として扱われることになる。

ヒロムはすでに十分なだけの実績を積んでいるので、正式任務とすることも可能だが、それでもいくつかの手続きを必要とされた。

「また半月ほど休むので」

「わかってる。気を付けろよ」

「はい」

教導院を出たヒロムは家へと向かう。

「ただいま」

「あら、お帰りなさいませ。昨日の今日で戻られるなんて珍しい」

良く日に焼けた顔に深くしわを刻む、厳つい男―――ルーファス=ソレント。

四年前、『深淵よりの刃界』で負傷したヒロムを担ぎあげ、蒼人の魔法の直撃を喰らって負傷したあの戦士だ。

あまりにも怪我が酷く、アンヘルの魔法でも完治することが出来ずに、左足に麻痺が残ってしまい、戦士を引退せざるを得なくなってしまった。

ヒロムから負傷した経緯を聞いた父はルーファスを探し出し、屋敷の雑務と警備を任せて雇用することになったのだった。

「依頼が来たので装備を取りに。『深淵の谷』へ行ってきます」

「『深淵の谷』へ?気を付けてくださいよ?」

「わかってますよ。無茶はしません」

「カズマさんは城に向かわれましたが、ヒロムさんはパーティーには出られないのですか?」

「バウデールの戦勝記念のパーティーですよ?俺は関係ないですから」

「アステム殿下と親しいのですから、招待されてるものと思っていましたが」

「殿下は公私混同はしませんよ。アンヘルも出ないそうですし、当事者が出てないのに俺が出るわけないでしょう?」

「はあ、そういうものですかね?あ、剣は研いで油をひいてありますから」

「すみません。いつも」

「それが俺の仕事ですからね。鎧の方も磨いてあるので」

「はい」

ヒロムは自室に戻ると、棚から小箱を取り出す。

蓋を開くとそこに並んでいたのは五つの指輪。

地水火風の精霊魔法と闇魔法用の法具だ。

杖ほどの調整効果はないが、それでも発動時間の短縮にはなる。

四年前、大怪我を負って帰ってきたヒロムを見た父は、すぐに専用の鎧と、剣、そして法具とマジックイーターを作らせた。

初めて聞いた父の本気の怒声―――

防具もなにもなく最前線で戦うことの愚行を、その日、ヒロムは思い知った。

そして自分の命は、自分のためだけのためにあるのではないということも―――

この指輪を見るたび、父の怒声と、戒めを思い出して身が引き締まる。

もう一つの小箱を開け、マジックイーターを取り出したヒロムは一つずつ指にはめていく。

左手に法具をはめて、右手の中指にはマジックイーターをはめると屋敷の武器庫に向かう。

屋敷の武器庫には歴代当主の鎧や武器と一緒に、父や兄たちの装備も収められている。

「あったあった」

ヒロムは片隅にかけてあった胸当てと腰当、肩当、籠手、脛当てを拾うと袋に突っ込む。

兄たちは全身を護るフルプレートなので成長に合わせて新調していたが、ヒロムは成長に合わせて作り直すのももったいないので、急所だけを護るようにして、皮で繋ぐタイプの軽量鎧にしてもらった。

父は渋い顔をしていたが、フルプレートでは魔法を使うのも一苦労になると何とか説得しての事だ。

そもそも重戦士として鍛えているわけではないのだから、魔法を使うどころか、動くのも一苦労になる。

鎧を入れた袋を担いだヒロムは、鞘に収められた剣を取ると、屋敷を出て寮へと戻る。


「あれ?ヒロム。おはよう」

寝ぼけ眼のアンヘルは、ようやくベッドから起き上がってきていた。

「お寝坊さんだぞ。もう昼前だ。少しは疲れが取れたか?」

「うん。ヒロム・・・その恰好」

「あぁ、依頼が来てるんだ。明日から『深淵の谷』へ行ってくるよ」

「僕も行く」

「何言ってんだ。戻って来たばっかだろ?それにお前には新しい役目が出来たからな」

「役目?」

「天神祭で王女の皆様方を接待するって役目だ。お前の神聖魔法を是非、見てみたいそうだぞ」

「えぇ・・・」

露骨に嫌な顔をするアンヘル。

「メアリー様もお見えになるそうだから大丈夫だろ?もう面識はあるんだし」

「でも・・・」

ヒロムはアンヘルの頭を抱き寄せる。

「大丈夫だ。半月で帰ってくるから」

「・・・うん。待ってる」

「さ、じゃあ飯食いに行くか。あの店、行ってみようぜ」

アンヘルがバウデールに向かう前に見かけて話題にしていた店だ。

最上級生は一年から五年までの寮とは別の寮になっているので、マーサの味が期待できなくなったヒロムたちは、基本的に外で食事は済ませていた。

「うん。すぐ着替えるね」

着替え始めたアンヘルの身体を見て、ヒロムは眉をひそめた。

初めて出会った時から、身長こそやや伸びたとはいえ、相変わらず痩せすぎてあばらが浮いている。

アンヘルは決して少食ではない。平均的な院生に比べるとかなり食べる方だった。四年前の一件で奨学金が取れてから、食事の内容は格段に良くなったはずなのだが、その栄養が全く肉体に回っていない。魔導士の紋章がアンヘルのマナを使い過ぎているのだ。

ラウ老師から預かった“紋章の機能を制限する紋章”だったが、四年前の一件の後に外してしまった。任務の妨げになるからという理由だ。

ヒロムとしては機能が制限されてなお、あれほどの魔法が使えるのだからそのままで良いのではないか、と言ったのだがアンヘルはヒロムの怪我まで治せなかったことを悔いていたようで、首を振るばかりだった。

無理矢理にでも制限させるべきか―――

今のままでは身体を損なうばかりだ。

「なあ、アンヘル。やっぱり紋章を制限しようぜ。いくらなんでもやせ過ぎだって」

魔道教導院の院生は基本的に小柄でやせ形だが、アンヘルほど極端ではない。

「そうかな?かなり長い任務だったから・・・」

「兄貴と一緒に行動してて、食ってないわけがないからな」

兄のカズマは“食こそ戦士の身体の基本”という精神の元、任務中であっても食事はキッチリとる主義だ。長兄という立場からか面倒見も良いので、食べてない者がいれば、必ず食べさせる。

「でも・・・何かあった時に魔力切れじゃ、またヒロムの時みたいに助けられなくなっちゃうから」

「魔力切れの前にお前が倒れたんじゃ意味ねぇだろ?そもそも四年前だって、あれだけ広範囲で『疾駆する天輪』を使って、さらに『悠久なる光壁』使って、さらに百人以上を治療したんだぜ?普通なら『疾駆する天輪』をあれだけの範囲で使うことがまず不可能なんだよ」

『疾駆する天輪』の効果範囲はせいぜい半径数百メートル。賢者クラスになって1㎞いくか行かないかだと言われている。

それがあの時アンヘルが使った『疾駆する天輪』は5㎞以上もの範囲にわたっていたという。

いまでこそ、その魔力の高さは魔王の転生であるがゆえであると理解しているが、当時はこのままアンヘルのマナが尽きてしまうのではないかと不安だった。

「リヒト様のパーティーにいる限り、あの時みたいに大規模に魔法を使うことはないはずだ。だから普段は紋章を制限して、戦場への支援任務みたいな時だけ外そう?」

「・・・うん」

渋々とだが頷いたアンヘルに、ヒロムは老師から預かったままになっている“紋章の機能を制限する紋章”の魔導書を取り出すと、アンヘルの左手の下に置く。

「それじゃ、やるぞ」

ヒロムは魔導書に魔力を送り込む。

するとアンヘルの左手の甲にある魔導士の紋章に重なるように紋章が追加された。

「よし。外す時はリヒト様でも外せるだろ?」

魔導書を手に取り、片付けようと振り返ったヒロムの背後から抱き着くアンヘル。

「ど、どうした?」

「ヒロム・・・僕、ずっとヒロムと一緒にいたいよ」

「アンヘル・・・」

「僕、ヒロムがいてくれたら、何でも出来る。『悠久なる光壁』だって『天上の雫』だって、ヒロムが近くにいてくれると思ったら使えるんだ。でも、ヒロムがいないと『天譴の護法壁』ですらまともに使えない。僕はヒロムさえいてくれたら―――」

涙声のアンヘルに、ヒロムは掴んでくる手を解くと振り返ってしゃがみ込む。

「アンヘル。リヒト様がお前を選んだ本当の理由を教えるよ。神聖魔法の天才―――アンヘル=グランデ。教会はお前の事を囲い込もうと画策している。教会の権力は強大だ。それこそ王家に比肩するほどに。だからこそ、お前を教会から守るには、リヒト様のパーティーに入れるしかなかったんだ。すべては俺とお前が引き離されないようにするため―――だから今は待つしかないんだ。教会がお前を諦めるまで」

「リヒト様が・・・?」

「お前が選ばれた時にすべて聞いた。アンヘルが実力を発揮できるのは俺がいるからだって。俺はどう足掻いても軍属だし、もし、アンヘルが教会に入るようなことになればアンヘルにとっても、俺にとっても、良い結果にはならないだろうからって。そりゃ、俺もお前とずっと一緒にいたいさ。でも、今のままじゃ確実に離ればなれになっちまう。光の勇者ともあろう人が、俺たちの事を考えてくれてるんだ。今は待つしかないさ」

アンヘルの潤んだ瞳―――そのまなじりにそっと指を触れ、涙を拭うヒロム。

「・・・うん」

「よし、じゃ、飯食いに行くか」

ヒロムはアンヘルの手を引き部屋を出る。

理由付けとしてはこんな感じで良いはずだ。嘘は言っていないし―――まさか魔王の生まれ変わりだなどと本人に言えるはずがないのだから。


横を歩く小柄な、強く抱きしめたら壊れてしまいそうなほどに華奢な友の姿―――

放したくないし、離れたくない。

「どうしたの?ヒロム」

「いや、なんでもない」

「ふ~ん、変なの」

そう言って見せた眩しい笑顔に、世界の全てを敵に回しても良いような、それだけの価値がある―――そう感じていた。

一応ここで第一部終了です。


後は反応次第で削除しますのでご了承ください。


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