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「おかえり」「ただいま」

高く抜けるような青い空―――

庭を吹き抜ける風が暑気を払い、秋の訪れを感じさせている。

「今日も平和だねぇ」

ヒロムはよく手入れされた芝の上に仰向けになったまま感慨深そうにつぶやいた。

辺境では今日も異人どもの侵攻が続いているらしいが、王都レグリアは今日も平穏なこと限りない。

ヒロムが読みかけの書物を手に取ろうとしたとき、むわっと悪臭が漂ってきた。

汗臭さを凝縮したような腐臭―――

顔をしかめると、視界にぬっと黒い影が伸びてきた。

「またこんなところでさぼりやがって」

巌のような肩の線―――兄のカズマだ。

上半身裸で汗を拭っている。

顔だけ黒く焼けて色白の身体とのアンバランスさが何度見てもおかしい。

「もう帰ってきたんだ。早いね」

「なにが、“もう”だ。半年ぶりに会うお兄様にねぎらいの言葉はないのか?」

「あんま近くに寄んないでよ。臭すぎる」

ヒロムは顔をしかめたまま鼻をつまむと、手で払う仕草をする。

重戦士である兄は分厚い鎧をまとって闘う。当然中は汗だく、その汗が蒸れて酷い臭いを発するのだった。

「国のために闘ってきたお兄様に向かってそういう言い草か。そういうお前には・・・こうだ!!!」

カズマはヒロムを抱え上げると抱き締めた。

上半身裸の筋骨隆々の肉体に押しつぶされてヒロムの顔は瞬く間に真っ赤に変わっていく。

「くるっ!!!苦しい!!!!はなっ!!!!せよっ!!!!」

必死でもがくがカズマの腕力には到底及ばない。

なんとか振りほどくと、自分の全身から立ち昇る腐臭に悶絶する。

「臭せぇ!!!!!」

長期間、鎧をまとうような任務に就くと腐臭が身体に染み込んで体臭そのものが腐臭を発する。

「ふっふっふっ。お前もいい加減にカルディア家の伝統を思い知れ」

カズマは日に焼けた顔に白い歯をこぼして笑う。

ヒロムの家、カルディア家は代々優秀な重戦士を輩出することで有名な家だ。

祖父も父も重戦士として王都防衛部隊の副長を務めたことのあるエリートで、カズマは当代最強の戦士と噂されるほどの重戦士。

カズマ以外にも兄二人がいるが、そのどちらも士官学校の重戦士養成科で首席をとり、期待の新人として辺境軍重戦士部隊で活躍している。

長期間の任務から帰ってくると皆同じような腐臭を放っているのでヒロムは重戦士という職種を嫌っていた。

「勘弁してくれよ。俺は汗臭いの嫌いなんだって」

ヒロムは臭いが染みついたシャツを脱ぎ棄てる。

細身だが、ほどほどに筋肉がつき良く引き締まった均整の取れた肉体―――

「結構筋肉ついたじゃないか。やっぱお前も重戦士目指せって」

父も重戦士だったので、体質として筋肉質は遺伝している。

「やなこった。俺は臭いのも痛いのもお断り。なんのために魔術師になったと思ってんだ」

ヒロムは魔導士の育成をしている魔導教導院の最上学年だ。来年からは士官学校の魔導士養成科に入ることが決まっていた。

「魔導士なんてなよなよした連中ばっかじゃねぇか。やっぱ男は肉弾戦してなんぼだろ」

分厚い胸の筋肉をヒクヒクと上下させるカズマ。

「兄貴みたいな筋肉バカを一方的に甚振れるから魔導士を選んだんだぜ?俺の実力、見せてやろうか?」

「なんだと!?」

カズマのこめかみに血管が浮かび上がる。

「法具もなけりゃまともに魔法を使えない魔導士風情が素手でも闘える俺より強いってか?思い上がるな」

「御託は良いからよ。かかって来いよ」

手まねきするヒロムにカズマの顔から色白の上半身までが紅潮していく。

「貴様ァっっ!!!!!」

カズマが踏み出そうとしたその時―――

「こらこら。王国最強の戦士様が何やってんだ」

割って入った声にカズマが目を泳がせる。

そこに立つのはそれほど背は高くないが十分に鍛えられていることが窺えるがっしりした体格の男。

「リヒト様・・・」

その男のことを知らぬ者はこの国にはいない。

勇者リヒト=ルカイン。

世界各国に存在する勇者の中でも当代最強と謳われる光の勇者。

実力が抜きんでていることもあるが、70年前、魔王アタバスカを討ち取り異人の勢力を一気に弱体化させ世界に平和をもたらした勇者ドレイトンが唯一のその才を認め育てた勇者ということで知られている。

「王国最強の戦士が弟とはいえ学生に手を挙げたとなれば醜聞になるぞ」

「それは・・・その・・・すまない・・・」

「ヒロムもだ。お前のスタンスは知ってるが、あまり煽るような真似をするんじゃない」

「すみません」

「よろしい。少しカズマと話があるんだが、良いか?」

ヒロムが頷くとリヒトはカズマを連れていった。

リヒトは体格的にはヒロムとそれほど変わらない。

だが知性を感じさせる端正なマスクは老若男女を惹きつけ、時には果敢に力強く、時には舞うように、相手を打ち倒していくその実力はヒロムのみならず王国中の若者の憧れだ。

勇者と呼ばれるには剣技、体術、魔法、すべてにおいてSランクの実力を持ち、さらに戦功を挙げなければならない。

才能のみならず並々ならぬ努力も要求されるその高みに登りつめることが出来るものは極僅かだ。

カズマはカズマで名門の長子として多大な努力を払った上で『王国最強の戦士』と呼ばれていることは知っている。

だが所詮重戦士など壁役に過ぎない。

汗と血と泥に塗れ、後衛を守るために自らの肉体を盾として戦う重戦士には剣士のような派手さはないので『筋肉達磨』などと揶揄されることも多かった。

たゆまぬ努力の末に王国の盾となるべく戦いつづけている彼らを揶揄するような連中のために自分を犠牲にするなどヒロムには考えられない。

だからヒロムは魔導士となることを選んだ。

魔導士は後方からの支援を主とする職種だが、魔法で出来ることは多岐にわたる。

攻撃や防御、補助までをこなす地水火風の精霊魔法に、結界や治癒の効果を持つ神聖魔法、そして攻撃に特化した闇魔法の6系統があり、自身が適性を持つ魔法を選び修得する。

修得自体決して容易なことではなく、通常は選んだ系統のみに注力し、その専門魔導士として軍に入ることになる。

修得が難しい理由は『魔法式』の存在だ。

魔法を使うには『魔法式』という式を魔力で組む必要がある。

世界の摂理に干渉し、本来ありえない結果を導き出すためのものなのだが、その仕組みは複雑で一朝一夕に身につくものではない。

要は魔導士は魔法式の構築と起動までに時間がかかるから後方支援をしているわけで、そこを克服すれば遠近どちらでも十分に闘えるはずだ。

重戦士のように壁になるのではなく、どんな状況下においても闘えるようにと考えた結果が魔導士という職種だったのだ。


ヒロムも身体から発する腐臭を何とかしようと屋敷に戻っていると、リヒトとカズマが話していることが聴こえた。

「戦勝記念のパーティーをやるそうだが、出られるか?」

「俺は問題ないぞ。それよりお前は出るつもりなのか?ああいうのは苦手なんだろ?」

「たまには貴族連中に媚び売っておけってベロニカに言われたんだよ。今回は陛下がお出でになられるそうだから仕方がない」

半年前、王国の西の要衝バウデールがワーウルフを中心とする異人どもに攻め落とされた。

辺境軍は南方からの異人侵攻に対処するのに精いっぱい。

そこでリヒトはカズマ、そして『鷹の眼』と呼ばれる腕利きの弓兵であるベロニカ、ヒロムと教導院の同期である魔導士見習いアンヘルを連れ、バウデール奪還に向かったのだった。

「アンヘルの奴は出るのか?」

「いや。着るものがないから遠慮しとくってさ」

「しかしなんでお前はあんな役立たずを選んだ。神聖魔法は随一かもしれんが、戦闘じゃあの様だ。足手まといにもほどがある」

「理由は話しただろ?戦力って言うなら俺とお前がいれば事足りる。必要なのは回復役だって」

「それならアルフレイド家の息子でよかったじゃないか。あいつなら神聖魔法だけじゃない、精霊魔法も闇魔法もAランクだ。戦いの中でもビビるタマじゃない。どう考えても人選ミスだろ」

「ウォーレンは将来魔法騎士を率いる立場だぞ?なにかあったらどうするんだ」

「それはそうかもしれねぇけどさ・・・」

ウォーレン=アルフレイド。魔術師の名門、アルフレイド家の次男。神童と呼ばれ教導院でも常に主席を維持している。

「それに戦力として選ぶなら俺はヒロムを選ぶよ」

「ヒロムを?あいつ教導院始まって以来の問題児って言われてんだろ?成績も良くないって聞いてるぞ。第四位相までしか使えないんだろ?」

魔法には難易度別に第一位相から第十位相までのグレードが存在する。

位相が下がれば下がるほど構築する『魔法式』は短く構造も単純で、上がれば上がるほど長く複雑になっていく。

第四位相までの魔法は教導院での基本課程を修了すれば使えるようになる可能性があるが第五位相以上は一つの系統を専門的に学ばなければ扱うことが出来ない。

一つの系統を極めた正魔導士で第八位相まで、賢者クラスになって第九位相が使えると言われている。第十位相は大魔導士と呼ばれるような極々一部の者しか使えない大魔法だ。

「まあ、魔力が弱いからな。どうしても他の者と比べると上限は限られる。だがあいつは神聖魔法以外の5系統を第四位相まで使えるんだぞ?ろくな法具もなしでだ。法具なしで5系統使えるってことはかなりの才能だろ。魔力の弱さって問題を除けばあいつはウォーレン以上の逸材だと俺は思う」

「そうか?」

「それにお前は知らないだろうが、去年の対戦試験でウォーレンはヒロムに手も足も出ずに敗北してる。アルフレイド家の醜聞になるからって教導院内部で秘匿されたがな」

「マジか?」

「あぁ。元々重戦士って職は魔法防御に優れてる。ってことは魔法適性も高いってことだ。その名門の血を継いだヒロムも魔法適性が高くて不思議なことはないだろ?」

「でもうちで魔法を使えた者がいたって話聞いたことないぜ?」

「そりゃ重戦士の紋章を宿した時点でマナはすべて肉体強化に回るからな。重戦士の紋章との相性がずば抜けて高いのがカルディアの血だ。わざわざ魔導士の紋章を宿す奴はいないだろ。ヒロムみたいな変わり者でない限りな」

この国では軍務につく場合、それぞれの職種の『紋章』を宿すことになっている。

剣士ならば『剣士の紋章』、戦士ならば『戦士の紋章』、重戦士ならば『重戦士の紋章』、魔導士なら『魔導士の紋章』といった具合だ。

この紋章を宿すことで、人の体内の生命力『マナ』を変換しそれぞれの職種に適した肉体へと変えてくれる。

剣士ならば反応速度と瞬発力が向上し、戦士ならば筋力と瞬発力が、重戦士ならば肉体の強度と筋力が、魔導士ならば魔力が向上するというわけだ。

生まれ持った素質から宿すことの出来る紋章には限りがあり、相性も大きく影響するので自分に最も適した職を選ぶのが普通だ。

しかも成長期に宿すことになるので、最初に宿した紋章の影響が一生を通じて最も大きく働くことになる。一度決めた職種を変え、違う紋章を宿すことになってもその効果は極めて低い。

カルディア家は『重戦士の紋章』との相性が最も高く、『剣士の紋章』は宿すことが出来ない。

次いで適性がないのが『魔術師の紋章』なのだがヒロムは敢えてその道を選んだのだった。

「ヒロムは才能の不足分を技能で補えるタイプだ。どんな状況に陥っても必ず打開策を見つけ出せる。これは実戦を戦う上でもっとも重要な才能だろ?」

「随分ヒロムの奴を買ってるんだな」

「現場の声があるからな。お前は知らないだろうが、辺境軍の中にはヒロムを欲しがってるものは多いぞ?それにウォーレンは確かに優れているが素質に頼っている秀才どまり。だが、ヒロムは本当の意味での天賦の才をもっていると俺は確信してる。それは実戦に於いて初めて発揮されるものだから教導院では評価されないだけだ。さっき俺が二人を止めたのはヒロムのためじゃないからな?お前のためだ」

「俺があいつに負けるってのかっ!?」

「確実にな。ヒロムの奴は第二位相までの魔法ならば法具なし、詠唱破棄で発動できるらしい。しかも恐ろしいほどに精密な操作が出来るそうだ。ウォーレンも詠唱を始める間もなく『烈火』を股間に喰らって悶絶している間に全身に『烈火』を喰らって敗北したらしいぞ」

「なんでそんなことまで知ってんだ」

「アンヘルから聞いた。アンヘルを誘った時、自分よりもヒロムの方がってずっと言ってたからな。鎧なしじゃいくらお前でも耐えられるものじゃあるまい。しかも―――」

「おうふっ!」

「ここはお前でもどうにもならないだろ?」

声しか聞こえないがどうやらリヒトがカズマの股間を叩いたようだ。

「戦力としてならばヒロムは十分に期待できる。が、肝心の神聖魔法が第一位相までしか使えないからな。回復役としてはせめて第五位相までは使えないと困るだろ?」

「だからアンヘルか」

「そういうことだ。神聖魔法に関していえば正魔導士の誰よりも上だからな。今後の成長を考慮しても実戦は早くから経験させた方がいい。だからあいつに決めたんだ。お前もヒロムは大事にしとけよ。将来的にはお前のサポートに最適だろうからな」

「そうか?」

「いずれ判るさ。じゃ、明日な」

リヒトが出ていく足音が聴こえ、カズマのため息が響いてきた。


「おかえり」

教導院の寮に戻ったヒロムは裏庭に見えた小柄な人影に声を掛ける。

振り返った今にも泣きだしそうな表情の少年―――アンヘル=グランデ。

「ヒロム・・・」

「帰ったばっかだろ?何してんだ」

そう言いながらもヒロムはアンヘルが何をしていたのか知っている。

課題や任務で失敗した時、アンヘルが特訓する場所だ。

今回は初めての軍からの依頼による正規任務。元々プレッシャーに極端に弱いので失敗することは予想していた。

「ヒロムこそ・・・実家に帰ってるんじゃなかったの?」

「お前もいないし、試験もクリアしたから帰ってただけだ。兄貴が帰ってきたってことはお前も戻ってるだろうと思ってさ。初めての正規任務はどうだった?」

「全然・・・役に立てなかった・・・」

肩を落とすアンヘル。元々小柄な体が一段と小さく見える。

「唇が震えて・・・まともに詠唱も出来なくて・・・」

「気にすんなって。リヒト様も全部分かっててお前を選んだんだ」

ヒロムはアンヘルの前に立つと抱き寄せる。

「無事に帰ってきてくれてよかった。おかえり」

「ただいま」

ギュッとヒロムの身体にしがみつくアンヘルの声が胸から響く。

あの日―――リヒトがアンヘルを選んだあの日。

ヒロムにリヒトが告げた真実。

こうして華奢な身体を抱き締めていると到底信じられない。


―――お父さんみたい


そう言ってヒロムにしがみついた小さな少年がかつて世界を蹂躙したあの魔王だなどと。


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