夢か現実か
目が覚める。 いつの間に眠ってしまったのだろうか・・。
張り切って、水奈と2回戦をしたのは覚えている。 そのあと、もう少しだけモンティ・ホール問題について話し会ったのも。 夜明けが近かったし、凄く眠たかった。 話の途中で眠たさがピークに達して、そのまま眠りに落ちてしまったのだろうか。
いや、まてよ・・。
ふと考える。
そういえば、眠りにつく前に何か大きな音がしていたような気がする。 いや、していた。 あの音は何だったのだろうか。 声も聞こえたような気がする。 いや、聞こえた。 叫び声のような・・ 大きな音だった。 そして、そうだ、何かが飛び跳ねていた・・。 あれは何だったんだ。 何かが僕の回りにいた。 奇声を発しながら・・ そう、何かが飛び跳ねていた。 あれは・・ 飛んでいたのか? 何があった? そう、頭が割れるような大きな音だった。 奇声・・? 叫び声・・? あれは言葉だったのか? 意味のある言葉だったのか? それとも・・。 抑揚のある音だった。 波というか・・ うねりがあった。 そう、何かがいたんだ。 何かが飛び跳ねていた。 いったい、いったい何が起きていた? 何がいたんだ? 何が起きていたんだよ・・。 何が・・ いや、落ち着け。 落ち着け。
水奈の姿が見えない。
心臓の鼓動が早まっているのが分かる。 軽い吐き気さえ覚える。
・・いや、まてよ。 あれは・・
ああ・・ もしかして・・
思考が少しずつクリアになってきた。
ああ・・ そうだ・・
そうなんだ・・
そう、あれは、音楽だった。 歌声だった。 そうだ。 思い出した。 カラオケだ。 水奈がカラオケで歌っていたんだ。 そうだ。 思い出した。 何のことはない。 ただのカラオケだったんだ。 椎名林檎の歌だった。 曲名は知らない。 しかし聞いたことがある歌だった。 それを水奈が歌っていた。 繰り返し何度も何度も歌っていた。 ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねながら。
ふぅーっと息を吐く。
「起きた?」 唐突に、どこからか水奈の声がする。
僕はほっとした。 いつもの水奈の声だった。 そういえば変な夢を見たような気がする。 その夢と現実がごっちゃになっていたのかもしれない。
「うん、起きたよ。 今何時?」 僕は平静を装って尋ねる。
「もうすぐ10時。 あと15分くらいかな」
「おい!!」 僕は飛び起きる。 「何時までだっけ、ここ? 10時じゃなかった?」
「うん。 でも大丈夫でしょ? 気持ち良さそうに寝てたし、起こすの可哀想だったし。 それに15分あれば余裕でしょ?」
「いや・・」 僕は早口で答えながらバスルームへ向かう。 「15分あるって言っても、準備したり、着替えたり、下に降りる時間も・・ まあ、いいや、とにかくシャワーを浴びなきゃだ!」
バスルームの前の洗面台のところに水奈がいた。 既に着替え終わっていて、化粧も終わり、部屋を出る準備が整っている。 かたや僕は・・ 鏡に映る自分の姿をみる・・ 下着もつけずにバスローブ一枚じゃないか。 髪もボサボサだ。
ミラー越しに見る男女ふたりの対比が面白いな、と思う。 これは・・ そう、まるで・・ いや、そんなことを考えている時間はないのだ!
「5分前には出ないと」 僕は水奈に言う。 時計を見る。 「あと8分。 まじか・・ 」
「シャワー、2分で浴びればいいだけじゃん?」 水奈が冷たく言い放つ。
「に、2分?」
「うん。 そうだよ。 そして、ドライヤー1分。 トイレ1分。 歯磨きは1分でするでしょ?」
「い、いや、そんな短い時間ではできない・・」
「できない? え? 今、何か言いましたか?」 水奈の声が半音上がる。 いや、下がったのか。 「できないの? できるよね? できますよね? あれれれれ? いや、できないとか、あり得なくないですか? それに、できたら着替える時間が3分もあるんだよ。 3分ももらえるの。 3分。 もう一度言うね。 3分。 ご褒美、欲しくないの?」
「ご褒美?」 何を言っている? てか、こんな時にドSモードなのか・・ いや、こんな時だからなのか・・
まあそれはいい・・ というか時間がない。 てか、ご褒美っておかしいだろ。
「今、心の中で何か文句言ったでしょ?」
どきっ。
水奈には全て見透かされているのだろうか。
それからしばらくの間、僕があたふたするのを水奈は楽しそうに眺めていた。 「ほれほれー、頑張れー、 ご褒美だぞー」 とか言いながら。
彼女の名誉のために書くが、普段の彼女は穏やかで人当たりが良く、常に笑顔を回りに振り撒いている心優しい女性なのだ。 理知的だが、それをおくびにも出さず、また、仕事に対しても非常に真面目な態度で望んでいる。 そういう彼女に好意を持っている人は少なくはないはずである。
しかし、何かの拍子にドSになることがある。 困ったことに。 いや、困ってはいないのかもしれない。 そう、僕はそれを楽しんでいる。 そういう彼女が好きなのだ。 そして、実は僕は知っている。 彼女の本当の・・、いや、その話はここではやめておこう。 いつか機会があれば話すかもしれない・・ でも、今はその時ではない。 しばらくは僕だけの秘密にしておこう。
そんなこんなで、とてもバタバタしたけれど、僕たちはなんとか時間内にチェックアウトすることができた。
狭く薄暗いロビーに備え付けられた色付きの重たそうな自動ドアを抜けて外に出る。
春の陽気を感じる。 今日はポカポカしていて、とても気持ちが良い。
こじんまりとした駐車場の前を通り、ビニール製のカーテンのかかった門を抜ける。
目の前に突然、桜の木々が現れる。
美しかった。
驚くほど美しかった。
その木々を覆い尽くす鮮やかな白桃色の花々の先には、深く澄んだブルーの空が広がっていた。
(了)
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【筆者 あとがき】
最後までお読み頂きありがとうございました。 この物語を書こうと思い立ったのは、つい2週間ほど前なのですが、実はかなり前からマイクロソフトのエクセルを使った題材で・・
・・・
・・ エクセル
・・
・・
何かを忘れてはいないだろうか・・
僕は水奈を見る。 楽しそうに何かを呟いている。
「エクセルか・・ エクセルか・・ 」
あ、エクセルだ。
(第3話に続く)