1,【雨に隠れてこんにちは】
「うわあ、今日も酷いなぁ」
クリーム色をした壁の外を窓から眺め、少女は呆れ果てる。
窓を伝う黒い雫はへばりつき、それが本当に水なのか錯覚するほどだ。
「掃除が大変なのに」
少女の限りなく銀に近い白髮が揺れる。
腰掛けていた椅子から降りてキッチンへと向かう。
奥にある戸棚に手を伸ばし、あ、と声を零した。
少女の顔に一気に影が差しちらり大雨が降る外を見て、大きな溜息をわざとらしくついた。
「…三時のおやつに紅茶が無いなんて」
そんなの認めないんだからね。
そう一人呟いた彼女は、そのまま玄関前にかけられているコート、分厚い手袋、そして、上に取り付けられた似合わないガスマスクを手に取り、自らの頭を押し込んだ。
外に出るとまさに地獄絵図だった。
黒い雨が視界を遮り、数m先だって定かではない程だ。
ゴーグルに伝う雫を拭う為につけた手袋は最初は桃色だったのに、今じゃすっかり黒が染み付いてしまっている。
ガスマスクも黒ずみ、コートは最初から真っ黒だったみたいだ。
横を歩く僅かな人々も皆似たような姿で、相も変わらず不気味だと愚痴を零した。
カツカツとブーツの音を鳴らしながら歩く大人を通り過ぎながら、馴染みの喫茶店へと足を運ぶ。
片眼鏡の店主は短気で、少しでも黒い雫が店内に落ちようものなら怒鳴り散らしてくる。
少女はポッケに無理やり詰め込んだタオルを確認し、雨の日は必ず「CLOSE」と掛けられた板を目印に、視界の悪い外を進む。
何分歩いただろうか。もうすぐお目当ての場所に着くだろうかと目を細めた時だった。
少女は何かに躓いてしまったのだ。
普段は何も無い道路に突如出現したソレに為す術も無く、濡れた地面へ倒れこむ少女。
鈍い衝撃音と共に奇声を上げる。まるで猫が威嚇する時の声のような唸り声を上げる少女に、躓いた原因のソレは怯えたのか引っ込んだ。…引っ込んだのだ。
「……っだああああ…もー!何!?昨日まで何にも無かったじゃない!」
地面に怒りをぶつけながら立ち上がった少女は、先ほどの異常に気づく。
躓いた場所に何も無い事に、ソレが移動した事に。
コートに染み込んだ水を少しでも絞りだしながら、少女は目を細めて辺りを見渡した。
そこには、壁にもたれ掛かりながら足を折りたたんでいる、アンドロイドが居た。
「…なんだ、珍しい」
少女は特に驚く素振りを見せずに、アンドロイドをまじまじ見つめた。
この世界でアンドロイドがいることは珍しくない。
寧ろ居て当たり前だ。今はお掃除ロボットやメイドロボット、介護ロボット仕事ロボット、そしてアンドロイド、発展し過ぎた科学のせいで、最早一家に一台、いや二台三台は当然の様な扱いを受けている物もある。
ロボット法、なんて奇妙なものが法律で通ってしまったぐらいには、ロボットやアンドロイドは一般的な道具になっていた。
勿論、故障して廃棄処分されるのもこれまた当たり前の事である。
少女が珍しいと感じたのはそこではなく、ただたんにこの場所にいることが珍しいという感情だった。
「どうしたの?迷子?」
少女がそのアンドロイドに声をかけると、アンドロイドは首を横に振る。
人間にしか見えないが、その片腕から何本もはみでる千切れたコードが、彼は人間では無いことを少女に告げたようだ。ちなみに、圧倒的な体格差からして、このアンドロイドは男性型らしい。
少女はゴーグルのレンズを指で拭いながら、一歩、また一歩とアンドロイドに近寄る。
アンドロイドは一歩も動こうとはせずに、ただ目だけ少女に向けている。
やはり機械といったところか、その目は感情を映さない。
「…喋れないの、君」
アンドロイドは視線を少女から動かさず、小さく頷いた。
嗚呼、じゃあ君捨てられたんだね。そう膝を折って言うと、また小さく頷いた。
意思疎通が不可能になったアンドロイドの価値は0に等しい。
どんなに便利になったとしても、人間は弱いものだ、会話が成立しない機械を手元に置くという行為をする者はいないであろう。
壊れたアンドロイドは何故か腕組みをして唸っている少女を見つめ、少しだけ視線を落としたようだった。
「ねぇ、君さ」
大げさな身振りでアンドロイドの手を掴んだ少女。
雨音で消される程度の機械音を上げながら、アンドロイドは首を傾ける。
分厚い手袋をしているからなのか、それとも握ったその手が鉄で出来た物だからなのか、感じるのはただ冷たさだけだった。
「動ける!?」
突然大きな声で言われたからか、アンドロイドが僅かに後ろに引いた。
その姿を見てガスマスクの中で小さく笑った少女は、手を添えたまま立ち上がる。
手だけ上に動かされたアンドロイドは、まだ座ったままだ。少女は早く、早くとアンドロイドを急かすように腕を動かす。
それに合わせてアンドロイドの腕も振られる。アンドロイドは変わらず少女を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「あ、やっぱり下半身に異常は無いんだね。良かった」
手を繋いだまま嬉々として話す少女。アンドロイドはただただ少女を見つめる。
「捨てられたってわかってんなら丁度いい、憧れだったんだよねぇ!」
一度手を離し、くるくると二回踊るように回ったかと思えば、またアンドロイドに手を伸ばした少女。
アンドロイドは故障していない人工知能で少女の行動を認識しようとしたが、彼のプログラムの中に出た文字は「エラー」。
少女の行動は余りに突飛で、不可思議なものだと判断せざる負えなかった。
少女はこちらに手を伸ばしたまま動かず、アンドロイドは必死にその意図を汲み取ろうとした。
が、やはり何処まで計算しても「エラー」しか出てこない。
棒立ちして自分を見つめ続けるアンドロイドに、少女は唸った後咳払いをして、ガスマスク越しにニコリと笑った。
「初めましてアンドロイドさん、私の名前はレイ。もし良かったら、私の家に来てくれないかな。」
変わらず手を伸ばし続ける少女の言葉を聞いて、アンドロイドは僅かながらに思考停止状態に陥る。
そのような事を言う人間が居るとは予想だにしなかった。
レイと名乗った少女は手を伸ばしすぎたのか、震えてしまっている。
しばしの沈黙が二人の間に流れた後、アンドロイドは何もわかっていないかのように、自分から少女の手を握った。
ざあざあと雨は強さを増して、お互いの顔もろくに見えていない状況であるにも関わらず、少女はやけに嬉しそうに、「これからよろしくね」と捨てアンドロイドに笑いかけたのであった。