外伝3 長門かえで
新たな大陸国家樹立にむけて、各国首脳が慌ただしく会合を重ねる白の宮殿。
豪奢極まる壮大な建築物の新たな主となった鋼帝、王城健吾は、ある日の午後、王宮の一角にある長門かえでの部屋を訪れた。
「かえで、入るぜ」
そう言って、なんの気なしに部屋に入る。
中の様子を見て、健吾は後味の悪いため息をついた。
きらびやかな部屋の真ん中に置かれた、大理石の大机。
そこに山と積まれた書類に埋もれるように突っ伏して、長門かえでは眠っていた。
その目には、くっきりとクマが出来ている。
――やべ。これぜったい他人に見られたくねェだろ。
軍務、政務、そして経済方面に申し分ない資質を持ち、実際一つの国家を破綻なく運営していた長門かえでだが、年齢にふさわしい少女らしさも持っている。
とくに王城健吾には、徹夜続きでくたびれきった顔など見せたくないに違いない。
もっとも、健吾はかえでのこんなところも嫌いではないが。
まったく、返事も聞かずに部屋に入るものではない。
健吾はそうっと後ろ足で部屋を出ようとして――半ば開いた彼女の眼と眼があった。
「あ……健吾くん……」
まだ寝ぼけているのだろうか。ふわふわした口調。
「おう、起こしちまったか。悪ぃ。疲れてんだろ? もうちょっと休んでろ」
健吾は焦って声をかけ、出て行こうとする。
だが喋る間に、かえでの瞳ははっきりと開かれていく。
それから、自分のありさまに気づいたのだろう。気まずそうに目元をかばった
「ごめん。いまのあたし、ちょっとみっともない」
「馬鹿言うな。言ったろ? お前のそういうとこ、かっこいいってよ」
元気づけるように、健吾はかえでに笑いかける。
「なに言ってんのよ」と、少女は照れくさそうに返した。
「……はあ、一時間くらい寝ちゃってたか。それで、健吾くん――っと、健吾。なんの用かしら?」
油断して普段の呼び方がでたかえでが、あわてて取り繕った。
が、健吾は気づいていない。むしろ彼にとっては最後の言葉がひっかった。
「なんだよ。用がなくて来ちゃ悪ぃのかよ?」
「いや、うれしいけど……でも、用があって来たのよね?」
当然のように聞いて来るからやりにくい。
「……おう。アウラスのおやっさんがな? ちょっと書面にするのはマズイ相談があるから来てくれって」
「……あの腹黒ヤサオヤジ、ガンガンあたしを巻き込んで来るわね……まあ、あたしたちの国のことだし、いいんだけど」
若干やさぐれた声音で、少女がつぶやく。
なかなかディープなところにタッチしているらしい。
「じゃあ、健吾。あたしはアウラスさんとこに行ってくるから……」
と、言いながら立ち上がったかえでは、やはり半分寝ぼけていたのだろう。
手元にあった墨汁を、地面に落としかけて。
「あっ!? とっ! と、とっ――ああっ!?」
地面に落とすまいと二、三回、お手玉したあと――健吾の頭に、ぶちまけた。
◆
「ほんっとうにごめんなさい!」
平謝りに謝りたおす少女に請われるまま、健吾は風呂場に向かった。墨汁を洗い流すためだ。
服を脱いで浴場に入ると、熱い湯を頭からかぶって汚れを洗い流す。
「……ふう、なかなか落ちねェな」
なにしろモノが墨汁である。
柔らかい布でかなり強くこすったが、なかなか落ちない。
「ま、だいたい落ちたし、こんなもんでいいだろ」
まったくよくない。
健吾の顔は、いまだ半分ほどが浅黒い。
それが獣めいた容姿と相まって、異様な雰囲気を醸し出しているのだが、健吾は気にしない。
汚れ落としはそれまでにして、湯船にざぶんと浸かった。
「……ふう、いい湯だぜ」
心地よい熱気とともに、疲れが湯に溶け出ていく。
そのまましばし、心地よさに浸っていると。
「健吾? 入るわよ」
唐突に扉が開き、裸の少女が入ってきた。長門かえでだ。
「お、おい!?」
湯気にまぎれたかえでの裸身をちらと目にして、健吾はあわててそっぽを向いた。
同年代の少女だからだろうか。妙な後ろめたさがあって、まともに見られない。
「なによ。いいでしょ? いちおう……夫婦なんだから」
そうは言いながらも、かえでもかえでで恥ずかしいのだろう。頬を朱に染めて、微妙に体を庇っている。
それがみょうな色気を出していて、健吾は黙って太ももを閉じて湯船の中で体育座りになる。
「つってもよ……気になるのは気になるって。魔女さんとだっていっしょに風呂入ったことなんてねェのに」
健吾の言葉に、黒髪の少女は湯船に滑り込みながら、いたずらっぽく微笑む。
「なら、あたしが一番乗りね……にひ」
照れくさそうなその微笑みに、目を奪われる。
まぶしいばかりの裸身は美しい曲線を描いており、髪が巻きあげられたおかげで見えるうなじがひどく魅力的だ。
残念なことに、体の起伏は、魔女シスに比べてかなり乏しいが。
「……ちょっと、いま魔女さんと比べたでしょ。あげくにちょっと残念がったでしょ」
「す、すまねェ。つい」
ぎろり、と目を眇めるかえでに、健吾は頭を下げる。怖い洞察力である。
その瞳で、少女は健吾の顔をじっと見てから、申し訳なさそうに口を開いた。
「墨、まだ取れてないわね」
「だいたい落ちたろ。これでいいだろ」
「いいわけないでしょ、もう。国のトップが墨被った顔で人前に出られるわけないじゃない――もう少し温まったら上がって。あたしが洗うから」
「あいよ。サンキュな」
裸の状態で顔を洗うとなると、いろいろ見えたりくっついたりするのだろうが、健吾は気づかずにかえでの申し出を受けた。
それからしばし。
二人は肩を並べて湯船に浸かる。
「近いうち、一度日本に帰らなきゃね」
ふいに、かえでが口を開いた。
「おう。落ちついたらいっぺん帰んねェとな」
「落ちつく前に、日本でいろいろ仕入れたいものがあるのよ。政治とか、経済関連の本とか、歴史系、製造系の専門書とか、野菜とかの種とか」
「そんなもん、なんに使うんだ?」
「国づくりの参考にって思って。なかなか難しいんだけどね。そのまま採用は出来ないし、影響がとんでもなそうだから、アウラスさんや魔女さんと相談して探り探りでやるつもり」
「大丈夫なのか?」
「ま、やってみるわ。いきなりいろいろは変えられるわけないけど……それでも、ちょっとでもみんなの暮らしを楽にしたいしね」
その思いは、健吾も同じだ。
思いを同じくするかえでが、共通の夢に近づくために頑張ってくれている。こんなにありがたいことはない。
「……サンキュな、かえで」
「なによ。あらたまっちゃって」
「政治とか、そのあたりのこと、オレはまださっぱりだからよ。そのぶんかえでに苦労かけてる」
「いいわよ。好きでやってるんだから」
かえでが、肩を預けてくる。
「――それに、健吾、あなたがそばで見ていてくれてる。それだけで、心強いんだからね」
健吾もまた、かえでに肩を預ける。
おたがい支え合うかたちになって、それから、ふたりはどちらからともなく、拳をぶつけあう。
「ねえ、健吾……日本に帰ったら、健吾くんのこと、あたしの旦那さまだって紹介していい?」
「……親父さんにぶん殴られそうだな。まあ、いいけどよ」
頭をかきながら了承する健吾に、かえでは目を細め。
少女は見惚れるような笑みを浮かべ、言った。
「好きよ。健吾……にひ」
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