第四十九話 拳
皇帝の言葉が毒の矢となって皇女シスを射抜いた。
そう錯覚させるように、彼女は身をのけぞらせる。
「魔女さんっ!」
跳ねるように痙攣する彼女の体を抱きとめながら、健吾が叫ぶ。
その、声に。
力を失いつつある彼女は、視線を返す。
瞳の色は、健吾がよく知る魔女シスのものに戻っている。
どこか遠くを見るような、眠るような、柔和な表情を浮かべながら、彼女は声を絞り出す。
「すまぬ……健吾、うれしかったぞ」
その、表情のまま、彼女はゆっくりと目を閉じた。
健吾の足の車輪が、狂い叫ぶような回転音を立てる。
「魔女さん! 魔女さん! おい起きろよ! 寝るなよ! 寝る……」
すでに、彼女は呼吸を止めている。
つい先ほどまで生きていた彼女は、そのぬくもりを急速に失いつつある。桜色の頬が、色を失っていく。
死ぬ。
死んだ。
魔女さんが……誰の手で?
健吾は乱れる思考で考える。
「我が姉ながら往生際の悪いことだ」
皇帝の声。
それが、健吾の思考を一本の巨大な感情に収束させた。
そうだ。
こいつだ。
こいつが魔女さんを殺した。
――許さねえ! ぶっ殺す!
「ぅおおおおおおおおおっ!!」
怒り吼える。
獣のごとき怒声、溢れ迸る殺意に、この地に居る20万人すべてが畏れ、動きを止めた。
例外は、眼前に相対する皇帝のみ。
健吾の殺意をそよ風のごとく受け流して、皇帝は大地に降りた。
輿を担いでいた者たちが、健吾の殺意に残らず意識を吹き飛ばされたのだ。
「――殺すっ!!」
言葉とともに飛ばされたその強烈な殺意よりも速く。
怒りの唸りをあげて“絶影鉄輪”が飛び出した。
皇女シスを愛していた。想っていた、その妄執が乗り移った八王級武装は、彼女を殺された怒りに猛り、皇帝に襲いかかる。
だが。
「無様な妄執よ」
皇帝には届かない。
はるか手前で押しとどめられるように、鉄の車輪は虚しく空転を続ける。
「――“消えよ”」
命令が、鉄車輪を襲う。
直後、八王級武装“絶影鉄輪”はその言葉にかき消されるように……消滅した。
「なっ!?」
健吾の驚愕を尻目に、皇帝は微笑を浮かべ、言った。
「よくぞここまで来た賊軍の首魁よ。余と戦う資格十分と認めよう」
魔女シスのことなど、まるで眼中にないような言葉だった。
怒りが滾り、脳が沸騰する。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなあーっ!!」
雄叫びながら、拳を繰り出す。
鉄手甲と同期した“鉄機甲腕”の大鉄腕が、皇帝に襲いかかる。
だが、届かない。
“絶影鉄輪”と同様に、皇帝のはるか手前で、“鉄機甲腕”は押しとどめられている。
「これはっ!?」
「控えよ。我が力、我が玉座の前に!」
皇帝が、ゆっくりと天を指差す。
その頭上に現れた幻像が、しだいに実体へと変わっていく。
そして武装は顕現する。きらびやかな装飾が施された、鉄の玉座。象るは絡み合う龍と鳳。
左手で天を指差したまま、皇帝は言う。
「もとより皇帝は神聖にして不可侵。その象徴たる我が超武装“龍鳳皇座”の概念を侵すことは、何者も敵わぬ……そして」
右手で地を指差しながら、皇帝が宣言する。
「天地合一。あらゆる武装の礎たる鉄の祭壇――天壇を通じて世界と繋がりし我が拳の重みは……大地の重さと知れ」
ゆっくりと。
右手で握り拳を作り。
皇帝はそれを前に突き出した。
大気が歪むような異音。
拳に概念の光が纏い、それは“鉄機甲腕”をはるかに超える巨大な拳の形を描く。
拳圧が“鉄機甲腕”を一瞬にして吹き飛ばし、余波が健吾の体を、容赦なく襲う。
暴風のごとき衝撃。
ひとたまりもなく、意識がズレた。
体は数メートルも後方に吹っ飛んでいる。
意識が体に追いつく頃には、さらに10メートル以上吹き飛ばされ、衝撃は全身の自由を奪っている。
ただの、拳の一撃で。
――なんだ……これは。
混乱しながら、健吾は五体を叱咤して立ち上がる。
あまりにも理不尽な力だった。
あまりにもケタ違いの暴力だった。
台風に、津波に、火山の噴火に相対する心境。
黒い、絶望的な予感が、健吾の体に重くからみついて離れない。
だが。
同じようにして吹き飛ばされてきた魔女シスの亡骸を前に、健吾は歯を食いしばる。
許せない敵がいる。許してはいけない仇がいる。健吾の正義に反する巨悪が、そこに居る。
「――っうおおおおおおっ!!」
両の鉄手甲を打ち鳴らし、健吾は前に出る。駆ける。拳を放つ。
だが、届かない。
不可侵という、皇帝が当たり前に備える概念が、“鉄機甲腕”を寄せ付けない。
だが、それでも健吾は前に出る。
届かぬ拳を繰り出しながら、届かぬ思いを空回りさせながら。
王城健吾はあきらめない。鉄の拳を放ち、振るい、叩きつけ続ける。
だが、それとて。
皇帝の前では蟷螂の斧。
「喜べ。ふたたび我が拳をくれてやろう――“天地神拳”」
光り、唸る拳が健吾を襲う。
その、圧倒的な一撃の、ただの余波で。
健吾の体ははるか後方、先ほどとほとんど同じ場所まで吹き飛ばされた。
「ままならぬものよ。大陸随一の使い手すら、我が拳に触れも出来ぬか」
直撃を食らっていれば、微塵を通り越して灰燼と化していただろう。
悲しいかな、実力のなさゆえに、王城健吾はかろうじて生き延びることが出来た。
だが、全身を襲った衝撃は、確実に健吾を蝕みつつある。
手足は自由を失い、五体は痺れ、意識は寸刻みに刻まれ続ける。
それでも、健吾は立ち上がろうとして。
しかし、体は健吾の意思には従わない。
連戦に次ぐ連戦。
全身の火傷に裂傷。
そして神のごとき拳の衝撃。
酷使し続けてきた体は、健吾の意思に反逆した。
――もう、無理なのかよ?
健吾は体を叱咤する。
――あきらめるなよ! 目の前に居るんだよ! 魔女さんの仇が! 人を人とも思わねェ腐れ外道が! だから言うことを聞いてくれよっ!
体は、動かない。
闇が、健吾の意識をようしゃなく食む。
意識の最後のひとかけを、闇が覆い尽くそうとした、その時。
「ケンゴさんっ!!」
銀髪の少女――ミリアの声が、耳を打った。
夢か、幻か。
かろうじてつなぎ止めた意識に、少女の幼くも透き通った声が響く。
「ケンゴさん、しっかりして下さい!」
「健吾くんっ! しっかりしてっ!」
「健吾にぃ! 起きてー!」
夢ではない。
ミリアの声が聞こえる。
長門かえでの声が聞こえる。
そして、天掛美鳥の声が聞こえる。
健吾は必死に歯を食いしばり、闇の淵から意識を引きずりだした。
「……お前ら、なんで」
目を開けると、三人の少女が、健吾の顔を覗き込んでいる。
「空間転移、のじゃです」
“魔法の杖”に概念凌駕の燐光を纏わせながら、ミリアが説明する。
「こっそりマークしてたんです。戦艦で閉鎖するポイントを、いっしょにチェックした時に」
健吾は必死に身を起こした。
ミリアの背後。狭隘部を閉鎖する“超弩級戦艦”の上では、金髪の貴公子ヘンリーをはじめとした味方武装使いが、寄せ来る民衆を押しとどめている。
「健吾にぃ。健吾にぃはひとりじゃないよ」
見透かしたように、美鳥が笑う。
「――みんながいる。みんなの心が、健吾にぃといっしょにある」
「にひ、健吾」
かえでが手を差し伸べる。
その手を取って。引き起こされて。健吾は立ち上がった。
「――戦うわよ。いっしょに!」
言って、かえでは味方の武装使いたちに注意を送る。
「わたしは、わたしに出来ることをする、のじゃです」
そう言って、ミリアは魔女シスの遺体を守るように抱く。
そうしながら、概念凌駕の緑の燐光は消えずに留まり続けている。
「じゃあ、おっさきにー! 舞いあがれ! 戦闘機の武装“紫電改”!」
宙に舞い上がりながら、天掛美鳥が武装を顕現する。
空を駆ける若竹色の金属塊。世界の規格から外れた戦闘機の超武装“紫電改”は、空中で弧を描くと、皇帝に向かって加速しながら20mm機関銃を浴びせる。
だが、届かない。
雪崩のような機銃の掃射はすべて不可侵の概念に阻まれる。
「機銃で無理なら……食らいなさい! 41cm連装砲の威力を!!」
味方の避難を確認してから、長門かえでは主砲を零距離発射。
直後、衝撃波が頭上を駆け抜け、爆発。地が震えるような轟音と爆風が、しばしあたりを支配する。
「これならどうっ!?」
衝撃波で髪を、スカートをはためかせながら、かえでが言った、その直後。
爆風の陰から、皇帝の姿が垣間見えた。
愕然とするかえでを尻目に、爆風がおさまる。
皇帝は無傷で、そこに居た。
いや、皇帝だけではない。きれいに境界線を描くように、爆発の影響は皇帝の背後には微塵も見られない。
すべて防がれたのだ。不可侵の概念で。
「理解したか。余は神聖にして不可侵。世界と繋がりし絶対皇帝なり!」
謳うように、皇帝は天地を指差す。
ただそれだけで、凄まじい重圧が健吾たちを襲う。
「そんなはずはない」
身構えながら、かえでがつぶやくように言った。
「世界と繋がった? たしかにそうでしょう。相対してるだけで世界中ににらまれてるようなこのプレッシャー。皇帝があたしたちよりはるか上のステージに在るのはたしかよ」
健吾を奮い立たせるように、かえでは不敵に笑う。
「――でも、それだけ。ちょっと人間の領域を越えちゃった超人なだけ。神じゃないし、ましてや世界そのものでもあり得ない」
だから。少女は言う。
「健吾、信じて。あなたの拳が皇帝に“届く”ことを。あなたの力が皇帝に“届く”ことを……あたしは信じる。信じて託す。みんなも、そして、大陸中のみんなが、あなたが皇帝を倒すことを願い、信じてる!」
健吾は右手を。“鉄機甲腕”の掌を見る。
帝国の暴虐に抗い、八王を倒し、そして帝国を滅ぼさんとしている最強の武装。
みなの願いに支えられて、概念はより強固になっている。
みながそう信じるから、“鉄機甲腕”の拳は、敵に“届く”。
武装に纏いついた、みなの想いを、たしかに感じて。
「行くぜ」
健吾は笑い、前に出る。
獣の笑みは、揺るがない。
「皇帝野郎! このオレのすべてを賭けて! この拳、届かせてみせる!!」
言葉を、皇帝に叩きつけ、健吾は駆ける。
駆けながら、“鉄機甲腕”に渾身の力を込めて、拳を繰り出す。
「無駄よ」
皇帝は揺るがない。
天地を指差し不動のまま、“不可侵”の概念で健吾の鉄拳を受け止める。
「“届け”えっ!!」
概念凌駕。
“鉄機甲腕”が唸りをあげる。
“届く”概念が、“不可侵”の概念をわずかに圧す。
だが、それでも届かない。
みなに希望を乗せながら。
みなの願いを背に受けながら。
鉄の拳は皇帝の体に届かない。
「うおおおおおっ!!」
それでも、王城健吾はあきらめない。
拳を前に突き出しながら、負荷に悲鳴をあげる腕の痛みに耐えながら。王城健吾はなお圧し通す。
概念が悲鳴をあげる。
唸りが、不協和音を奏でる。
そこに、ふいに緑の燐光が加わった。
“魔法の杖”の概念凌駕の光だ。
「わたしが二人を“繋げ”て――ケンゴさんの拳を届かせます!!」
「不快なっ!」
初めて、皇帝が声を荒げる。
皇女シスの武装により世界と“繋が”った。
そのあり方ゆえに、“不可侵”の概念も、“魔法の杖”の概念干渉だけは防げないのだ。
「行くぜェっ! “届け”えええええっ!!」
不可侵の領域が侵される。
健吾の拳がじりじりと、皇帝に近づいていく。
だが、それでも届かない。
あと一歩。あと一歩の距離を押し切れない。
健吾が痛恨の表情を浮かべ。
皇帝が勝利の笑みを浮かべた、つぎの瞬間。
のこり一歩を後押しするように、“鉄機甲腕”を覆う緑の燐光が、より大きく膨れ上がった。
「なにゆえだっ! なにゆえそなたが生きているっ!?」
皇帝が驚愕の声をあげる。
健吾の後方、ミリアの横で、半身を起こしながら杖を掲げる、その姿は、死んだはずの――魔女シス。
「ミリアに命を“繋げ”てもろうたのよ」
紫の瞳をまっすぐに見据えながら、魔女シスは“魔法の杖”を概念凌駕させる。
ミリアと魔女シス。
二人の武装によって、皇帝と健吾は二重に繋がれた。
それは、あと一歩の距離を縮めるのに、十分な後押し。
「まさか……“来るなっ”! “来るなっ”!」
あせる皇帝の命令に、しかし健吾の拳は止まらない。
王城健吾は帝国の人間ではない。王城健吾はこの世界の人間ではない。だから皇帝の、世界の命令など届かず――拳は、届く!
「貴様、何者だ!?」
初めて、皇帝が健吾の素性を問う。
健吾は獰猛な笑みを浮かべながら答える。
「へっ、教えてやるぜっ! 子供の涙が許せねェ! 帝国の法が許せねェ! 皇帝のことが許せねェ! 王城健吾! 自分の正義を貫かせてもらうぜえええええええええっ!!」
「や、やめろっ! 余は――」
「知るか喰らいやがれ皇帝野郎おおおおおっ!!」
咆哮とともに、健吾は拳を一気に押し込んだ。
天地が震えるような。
重い、重い音が、狭隘の地に響いた。
そのまま、健吾は前のめりに倒れ、一回転。天を仰いでぶっ倒れる。
「健吾!」
「健吾くんっ!」
「ケンゴさんっ!」
「健吾にぃ!」
心配そうに駆けよってくる彼女たちに応えるように。
王城健吾は天に向け、拳を突き上げ――目を閉じた。
「へへ……やったぜ」
【武装データ】
武装:玉座の武装“龍鳳皇座”
使い手:皇帝
特化概念:“支配”
鉄量:S
威力:規格外
備考:領域内の人間に命令を聞かせ、支配下に置く、世界の常識を破る帝国最強の武装。




