第四十六話 天
北へ。北へ。
人の波が延びてゆく。
どこまでも。どこまでも。大陸横路をひたすら北に。
20万の人の群れは、寒風吹きすさぶ大地をほとんど身一つで歩き続ける。
疲労。悲痛。絶望。怨嗟。
あらゆる悲鳴をあげながら、人々はそれでも地獄の行軍を続ける。
玉座の武装“龍鳳皇座”。
世界と繋がり、強化された“支配”の武装は、彼らに一切の反抗を許さない。
「喉が乾いた? 泥を啜るがよい。飢えに耐えられぬ? 枯れ草を食むがよい。進め、進め」
輿の上から上機嫌で指図する皇帝に、皇女シスが美しい眉をひそめながら馬を寄せた。
「皇帝陛下、下賎の者に言葉をかけ過ぎではありませぬか?」
「我が姉シスよ。よいのだ」
柔和な笑みを浮かべながら、皇帝は言う。
「――下賎と言葉を交わす程度で穢れるのであれば、しょせんその者はその程度。浄室に篭もっているのが相応の愚か者よ。だが、余は違う。天地と繋がり、高みに登った余からすれば、諸人はすべて等しく凡愚。ゆえに、余に身分による区別などなし」
「……さすがは陛下。御賢慮でございます」
地獄の行進は続く。
赤子から。老人から。
弱ったものから倒れてゆく屍の道は、北へと延びてゆく。
その、おぞましい光景を、はるか高みから視る者があった。
◆
「てえへんだてえへんだー!」
帝国皇領ヴィン国境、ハドリア砦。
空から駆けこんできた天掛美鳥は会議室に押し通った。
「どうした、美鳥」
一同の注目が集まる中、奥に座っていた健吾が問うと、美鳥はぴっと敬礼の姿勢をとる。気まぐれだろう。
「大将軍にほうこーく! 帝国首都ヴィンより北に30キロ。大陸横路上に敵軍見ゆ。数は数え切れないくらい! トレントで戦った軍の10倍は居そう!」
「10倍!? そりゃあ間違いじゃありませんかい!?」
あまりの数に、トレントの野心家ウィストンが問い返すが、美鳥は首を横に振った。
「間違いないよー! むっちゃいっぱいいる! ものすっごく強そうな武装使いも!」
「どうなってんだ?」
健吾が首をかしげていると、ミリアの父、アウラスが発言を求めた。
「兵は……おそらく皇帝の武装を使って無理やり動かした帝国市民――ではないかと。でなくばそのような数が絞り出せるはずがない。強い武装使い。これはおそらく皇帝直属の護衛ではないかと思われます。つまり――これは皇帝親征かと」
中年の美丈夫は、推測をみなに告げる。
ふと気づいたように、健吾が美鳥に顔を向けた。
「美鳥、その中に魔女さんは居たか?」
「たぶんいたよー」
「なるほど。そっか。魔女さんは無事か」
「あ、健吾にぃうれしそうー」
「馬鹿野郎。からかうんじゃねェよ」
からかわれて、健吾は頭をかいた。
事実、内心では胸をなでおろしているのだが、指摘されれば気恥かしいのだ。
平和なやりとりをしている健吾と美鳥に、アウラスがこほん、と咳払いした。
「ケンゴ殿、20万という数はいかにも多い。しかも相手は市民です」
「……かえで、どうにかなんねえか?」
健吾は即座に長門かえでに話を振った。
市民をなるべく傷つけずに、ということだ。その意はきっちりとかえでに伝わっている。
黒髪の少女は困ったように眉根を寄せた。
「気軽に言ってくれるわね」
「そこを何とか、たのむぜ」
「う……し、しかたないわね」
拝むようにして頼みこむと、少女はなぜか顔を赤らめながら了解する。
会議について来ていた銀髪碧眼の幼い少女が警戒を露わにしている。
「――と、いってもね……飛行機で本陣に斬り込んで皇帝を狙い討つ、くらいしか思いつかないけど」
「それじゃ駄目なのか?」
「敵に遠距離攻撃系の強力な武装使いが居る可能性。二十万もの大軍、しかも行軍中で縦に伸びてるから、飛行距離がかなり伸びる。だから健吾以外は移動できない。伏兵やっても見つからないでいる自信ないし。で、本陣に飛び込めたとしても、健吾と天掛さんの二人だけじゃ、一般市民に包まれる前に護衛の武装使いと魔女さん抜いて皇帝を倒すまで行くのは、かなり厳しいと思う」
「はい! のじゃです!」
「はい、ミリアちゃん」
「“魔法の杖”の概念凌駕で溶岩を大量召喚すれば、皇帝と軍の間を分けられます!」
少女が半眼でぐっとガッツポーズしながら発言するが、かえでは黙って首を横に振る。
「洗脳された人たち、止まってくれると思う?」
「れみんぐすー」
美鳥が集団自殺的な習性がある動物の名前をあげた。
ミリアはしょぼーんとなる。
「じゃあ、どうしましょう」
難題だった。
当然、民衆への被害を考慮しなければ、問題ない。
だが、王城健吾にとって、それは不可能と同義だ。
みなもそれを承知している。
全員しばし、考え込む。そんな中、ひとりの少女が手をあげた。
クラウリーの代表代理、ホルン族の少女ネリーだ。
「私に案があるのだが、よいだろうか」
◆
一万以上の兵の篭もるハドリア砦はにぎやかだ。
砦の各所で土地の言葉が飛び交い、笑い声が聞こえてくる。
夜だ。
漏れ見える火の灯りが、喧騒とあいまって祭りの中に居るような錯覚を起こさせる。
「あっ! 大将軍!」
「いっしょに酒どうですかい? 我が祖国の一級品だ! あのタッドリー商人、いいもんそろえてくれてますぜ!」
「よぉ。いや、酒はいい。ちょっと散歩してくっからよ」
野営の兵士たちに声をかけながら、健吾は砦の外に出た。
とたん、冷たい冬の風が頬を撫でた。
健吾は空を仰ぐ。
中天にかかる月は、青褪めた光で枯れた大地を照らしている。
自然は、どこも変わらない。
ふいに、元の世界に戻った錯覚を覚えて、健吾は口の端を皮肉にゆがめた。
――くそったれな街だと思ってたけどよぉ。故郷がこんなに懐かしいなんてな。
ふいに覚えた郷愁に、健吾は妙なおかしさを覚えた。
日本では、王城健吾はどうしようもなく外れていた。
自分なりに持っていた正義感。それを押し通す手段を、腕力しか知らなかった。
馬鹿で、喧嘩っ早くて、どうしようもない自分が、こちらではありのままで英雄で居られる。
それでも、健吾の故郷は日本なのだ。王城健吾を王城健吾たらしめたのは、故郷たるあの大地なのだ。
――へっ。あっちに戻っても、喜んでくれる奴なんて、居なくなっちまったってのによ。
苦笑を浮かべながら、健吾は月を見る。
美しい月だ。日本では、月に居るのはウサギだと相場が決まっているが、こちらでは少し違う。
フードをかぶった魔女の横顔。
王城健吾をこの世界に連れてきた、王城健吾が惚れた女。
彼女は、きっと同じ月の下に居る。この大陸横路を南へゆけば、きっと彼女に出会える。
敵として。
救うべき女として。
そして、惚れた女として。
ふいに、健吾の足についた鉄の車輪が急回転して自己主張した。
“絶影鉄輪”。車輪の王イールが健吾に託した武装。おそらくは、魔女シスを助けるために。
発破をかけられた気がして、健吾はにやりと笑い、鉄の車輪をぽんと叩いた。
そうしながら、また魔女の横顔を仰ぐ。
「なにを見てるの?」
「――っ、かえでか」
ふいに、声。
驚き振り返ると、長門かえでが立っていた。
に、ひ、と、ややぎこちない笑みを浮かべてから、黒髪の少女は健吾の傍らに立つ。
「ひょっとして、月でも見てたの? 意外」
「うるせェ。ガラでもねェのは分かってるよ」
健吾が眉根を寄せると、黒髪の少女はいたずらっぽく笑う。
「なにを考えてたか、当ててみましょうか? ……魔女さんのことでしょ」
「……わかるか?」
「魔女さん助けたい。だけど、助けた後どう接すりゃいいのか……って感じ?」
「お前すげえな。なんでわかんだよ」
「ふふ。ま、健吾って分かりやすいし」
少女はすこし得意げに鼻を鳴らす。
健吾は頭をかきながら、月に視線を移す。
かえでも、健吾に釣られるように月を仰いだ。
「……月が、奇麗だなぁ」
「――っ!? なっ!?」
健吾がぽつりと漏らした言葉に、かえではのけぞった。
顔が真っ赤になっている。
「おい、いきなりどうしたんだ?」
「あ、あんたがいきなり変なこと言うから!」
「……変なこと? なにがだ?」
健吾の怪訝な様子を見て、少女は自分を落ち着けるように息を吸い、吐いた。
その後、すこし拗ねたように、顔をそらしながら口元を尖らせる。
「……そうよね、健吾が知ってるわけないもんね」
「んだよ」
「あのね、月が奇麗だねってのは……まあいいわ」
少女が肩を落す。
アイラブユー的な意味があるのだが、健吾にそれを教えても仕方ないと思ったのだろう。
「でも、妬けるわね。魔女さん、こんなに想われて」
「妬ける? 変なこというな」
しみじみと言うかえでに、健吾は首をかしげる。
嫉妬など、かえでらしくもない。
その考えをばっちり読みとったのか、黒髪の少女は眉をひそめる。
「そんなに変かしら? あたしだって嫉妬ぐらいするわよ」
「嫉妬……ってもな。かえではオレの大切な相棒だ。かけがえのない存在だ。それこそ魔女さんと同じくらい大事に思ってるんだぜ」
「……信頼じゃないんだけどね、欲しいのは」
「ん? 何か言ったか?」
かえでがぼそりとつぶやいたのを、健吾は聞きとれず、首をかしげた。
「なんでもないわよ」
首を振って夜空を見上げるかえで。
話題はそこで打ち切りだと気づいて、健吾は黙ってかえでに倣う。
「……この、戦いが、終わったら」
しばらくして、かえでが口を開く。
「あたし、健吾に伝えたいことがある」
「なんだよ、あらたまっちまって」
「ちょっとね、その伝えたいこと、戦いが終わってからじゃ完全に手遅れかもしれない。すっごい迷惑かもしれない。でも、まあ、伏線はっとかないと本当に手遅れになるというか、現代じゃないからこそできる離れ技に期待というか……とにかく、覚えていてくれたらうれしいかな?」
「よくわかんねぇけど、わかったぜ」
青褪めた月の中では、苦笑めいた魔女の横顔が影を落としている。
「……うん!」
と、勢いをつけて、かえでが健吾に向き直る。
「――いよいよ決戦ね。かならず魔女さん、助けるわよ」
不敵な笑みを浮かべる彼女は、完全にいつも通りだ。
健吾も、いつものように口の端をつり上げ、応える。
「ああ。頼むぜ、かえで」
「にひ、こっちこそ。命、預けるわよ。健吾」
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー19
名前:バッファロー・ブロディ
武装:衝角の武装“猛牛双角”
備考:帝国領ミーガンの副王。巨大な衝角の武装を振りまわすド迫力パワーの持ち主。「力はパワーだ」が信条。馬に乗れない巨体で、行軍時よく遅れる。撤退戦では最後尾で戦うことが多かったが、遅すぎて味方拠点まで敵軍を引き連れてきたことがあった。ロングホーントレインである。
 




