第四十五話 天壇
◆これまでのあらすじ
鉄の支配を布く帝国に怒りを抱き、戦う王城健吾と仲間たち。
大陸全土の解放を目指す健吾の元に、各地の解放軍が集結した。
解放軍の代表たちに推され、大陸解放軍の総大将となった健吾は、“帝国の剣”剣の王ソード率いる帝国軍の総力と戦い、これを破る。余勢をかってミーガン王国を解放し、ここに旧七王国の解放は成った。
ミーガン王国南部。
大陸横路を抱えるブリマス地方の要衝、ロンド。
健吾たち大陸解放軍は帝国本領ヴィンに攻め込むため、この地に集結していた。
ロンドの旧太守の館。
その大広間に、解放軍の幾人かが集まっていた。
エヴェンス解放軍の、健吾の腹心アウラス。
ロードラント解放軍の、元王臣セオドア。
トレント解放軍の、愛国的野心家ウィストン。
クラウリー解放軍の、ホルン族の少女ネリー。
「みなさんに集まってもらったのは、他でもありません。帝国攻めについてお話したいことがあったためです」
アウラスが言った。
この中年の美丈夫は、取りすました様子で三人に視線を送る。
「ふむ……聞かせてもらおうか」
促したのはロードラントの元王臣セオドア。
ウィストンとネリーもうなずく。
「まず、帝国本領に攻め込む大陸解放軍から、武装使いを選りすぐり、先鋒部隊を作り、ケンゴ殿に率いてもらいます」
「む。なぜだ?」
ネリーが率直に聞いた。
「解放軍による帝国の民の虐殺を防ぐためです」
アウラスは言った。
「我々旧七王国の者にとって、帝国は怨敵です。そして、我々解放軍は圧倒的に錬度が足りない。いや、兵士にすらなりきれていない者が多い。統制のとれていない軍を敵地に放てば、意図せぬ虐殺の嵐を呼ぶでしょう」
「悪かったですねぇ」
ウィストンが口を曲げた。
急ごしらえで軍を整えたトレント兵は、ろくに訓練がされていない。
「――ですが、それのどこが問題で?」
「問題あるに決まっておろう。敵とはいえ将兵ではないのだぞ?」
セオドアの言葉に、ウィストンが顔を皮肉にゆがめた。
「そう思えるのは、お宅がお上品な生まれだからでしょうな。手前からすれば帝国兵も民も変わるもんじゃない。さんざん同胞を殺し凌辱し奪ってきた仇だ。帝国の民なんぞ焼いて殺して蹂躙してしまえばいい。いや、いいこととは思いやせんが、仕方のないことでしょう? それに、虐殺を我慢させれば、味方の恨みは間違いなくこっちに向きますぜ」
「ウィストン殿の意見は承服しがたい。恨みがあるとはいえ、無辜の民だ。だが、アウラス殿。これはやはり、許容すべきことではないかと思う」
ウィストンとネリーは、積極性は違えど虐殺を許容している。
だが、アウラスとしては、これはけっして許容できないことだった。
「ケンゴ殿は弱者への暴虐を忌まれます」
「帝国人も等しく、と? 敵ですぜ」
「もとよりケンゴ殿はこの大陸の人間ではありません。私たちを助けるのも、帝国による暴虐あってのことです」
「信じがたいですな。いや、手前の様な下衆にゃ理解できないが……もとよりあの方は実力も思考形態も規格外だ。つき合いの長いアウラス殿が言うのであれば、そうなんでしょうな……こんなことを言い出して、貴方にメリットがあるわけでもなし」
「しかし、皇帝を討った後の統治を考えれば、賢い選択だ」
ウィストンとアウラスの会話に、老臣セオドアが口を挟んだ。
ネリーがなるほど、という表情になった。目ざとく表情の変化を見たウィストンが、ネリーに残念な娘を見るような表情を向けた。
「ともあれ」
ウィストンが口を開く。
「――アウラス殿、理解しましたぜ。つまり、大陸解放軍の行動をケンゴ殿の意に沿うようにしよう。そのために、制御しきれない兵卒を切り離し、精鋭を選りすぐろう、と、そういうわけですな」
「まさに」
アウラスはうなずく。
「――加えて言えば帝国は“力こそ正義”の国。弱者に落ちた帝国に、各都市がいつまでも従っていられるものではないでしょう」
「先鋒隊だけで皇帝を討つ。たしかに帝国にまとまった戦力はもうあるまい。それも可能であろう。だが、本隊を帝国本領に入れずに戦を終えるわけにもいくまい?」
テオドアが白い髭をしごきながら問う。
「大陸横路沿いの要衝、ミーガンと帝国本領ヴィンとを隔てるハドリア砦。兵をここまで進めます」
「解放軍に帝国首都ヴィンの地は踏ませないと?」
「帝国を終わらせた。みなにそれを実感させる儀式の必要性は認識しておりますよ」
「なるほど……ケンゴ殿を敵に回すわけにはいくまいな。協力させてもらおう……しかし、アウラス殿、貴殿も人が悪い」
「おや、なにか?」
「これは大陸解放軍やエヴェンス王国の利を考えて、というよりは、ケンゴ殿を慮ってのことであろう?」
「はは。私はね、テオドア殿。ケンゴ殿に娘と村を救われたその時から、彼個人に忠誠を捧げているのですよ」
「たとえ、自ら汚名を被ったとしても、か」
「まさに」
テオドアの言葉に、アウラスは破顔した。
「そういえば」
ついでのように、ネリーが口を開く。
「――近頃、カエデ殿がケンゴ殿に、妙によそよそしいようなのだが、大丈夫なのだろうか」
今度はその場に居る全員が、ネリーに生暖かい視線を送った。
◆
天は乱れた。
地は墜ちた。
大陸を統一した偉大なる帝国は、五体たる七王国をすべて失い、もはや辺土の一国でしかなくなった。
帝国宰相グラッドは絶望に呻いた。
帝国軍の強さ。
帝国八王の不敗神話。
そして帝国の永遠性。
帝国人にとって当たり前だったそれは、あっという間に崩された。
反乱軍の首魁――“鉄塊の王”の手によって。
「もはや、他に手はない」
老宰相はつぶやく。
天を仰ぎ見ながら。
日を跨いで降り続ける雨は、無情に彼の体から体温を奪い続ける。
帝国軍2万の敗北。剣の王ソードの死。
この報せは帝国皇領ヴィンに特大級の衝撃をもたらした。
帝国軍の精鋭を滅ぼした敵が来る。帝国八王を討ち果たした化物が攻めてくる。
「“力こそ正義”。であれば弱い帝国は悪だ!」
恐怖から。あるいは弱者に堕ちた帝国を見限って。
独立や反乱を起こす都市が出始めた。
「いったい帝国はどうなってしまうのか……」
不安に包まれた主都に、敗残兵が帰ってきた。
戦塵にまみれ、また敗戦に肩を落とす帝国兵たちの姿を見た時、首都ヴィンの民は実感した。
――ああ、帝国は滅ぶのだ。
治安が乱れ始めた。
盗賊が横行し、放火騒ぎが起こり、人々は酒色に逃避する。
些細なことで喧嘩が始まり、それを止める気力を警吏は喪失していた。
「偉大なる我が君、初代統一皇帝よ」
帝国宰相グラッドはつぶやく。
仰ぐ天からは一筋の光さえこぼれてこない。
夜かと錯覚するような闇の中、老宰相は亡き主君に語る。
「――この老骨に、皇帝を夢から覚ます力を!」
帝国首都ヴィン、白の宮殿。
大陸の首都にふさわしい、広大極まりない宮殿を、宰相グラッドは奥へ、奥へと、進み続ける。
その背後には、無数の人が続いている。
半数以下に数を減じた大臣、高官、そして宮殿を守る近衛。さらには身分の低い官吏や庶民。
国を憂い、皇帝に窮状を訴えんとする憂国の行進は、人が人を呼び、白の宮殿を人で埋めながら、なお長蛇を成す。
それは帝国が自らの存続のためにあげた悲鳴だったのかもしれない。
一団の先頭。
帝国宰相グラッドは、奥宮へと足を踏み入れた。
うす暗く、ひと気のない空間。その闇から滲むように、影が現れた。
目深にかぶったフードの端からこぼれる、絹糸のような金髪。紫水晶のような瞳の、恐ろしく顔の整った絶世の美女。
「だれじゃ」
「……皇女シス殿下。宰相グラッドでございますじゃ」
玲瓏たる声に、老宰相は応える。
応えながら、グラッドは心中、ため息をこぼした。
血統的にも実力的にも皇帝に替わりうる、それゆえ老臣たちにとっても希望の存在だった彼女は、皇帝の武装によって洗脳されている。
「宰相が、ぞろぞろと人を連れて何用じゃ」
「皇帝に対し、陳情奉りたく」
「無礼な」
皇女シスが鉄杖で地を突いた。
超八王級武装“魔法の杖”が、淡い燐光を帯びる。
「皇女殿下。せめて陛下に一言!」
「無用」
燐光が赫色を帯びた、その時。
おごそかな声が、奥宮に響いた。
『止めよ。我が姉シス』
とたん、皇女シスの動きが止まる。
“魔法の杖”から赫光が消え失せた。
『――余はいま、気分がよい。拝謁を許す。案内せよ』
「……ついて来やれ」
皇女シスは杖を降ろし、うながした。
老宰相はそれに従い、ゆっくりと歩を進める。
――皇帝は、変わられたか。
ひさびさに聞く皇帝の声に、老宰相は異様な変化を感じていた。
以前は自らを尊からしめんという気負いから、過ぎた作為があった。
さきほどの皇帝の声は、自然体でありながら、途方もない存在感を持ち、一種の神聖さすら感じられた。
奥宮を進む。
通路が左右に折れ、正面には庭園が見える。
その中央に、金色の複雑な装飾が施された、巨大な太短い円柱が立てられている。
「あれは……鉄の柱?」
「“天壇”という。余のために造らせた鉄の祭壇よ」
声は、鉄の柱――天壇の上から聞こえてきた。
老宰相は見上げた。5メートルほどの高さの鉄柱の上部から、強い光が発せられている。
概念凌駕の光だ。しかも強烈な。
――なんたる無駄よ。
“天壇”も、皇帝の武装もだ。
大陸中の鉄をすべて使ったかと疑うような鉄量の祭壇にも、帝国のために一度も振るわれた事のない武装も、なんと意味のないことか。
「……陛下。帝国は滅びようとしております」
「だから反乱を起こした、か?」
声には諧謔の響きがある。
「陛下! 目をお覚ましあれ! もはや帝国を存続させるには、陛下御自らが陣頭に立って指揮いただくしか手はございませぬ! そのために、我ら臣下一同、臣民に至るまで願いに上がった次第!」
雨が降る。
地に身を投げ出しながら、老宰相は悲痛な叫びをあげた。
しばし、雨音のみがあたりを支配する。
無限にも思える時が流れ、ふいに皇帝は――笑った。
「くくくくく、くはははははっ! そんな瑣末をよくも深刻に申し立てたものよ! だが、許す。許してやろう。余はいま最高に気分がよい!」
「……狂われたか」
雨の中、天壇の上で笑う皇帝に、老宰相は絶望とともに言葉を落とした。
「無礼な」
口を挟んだのは、皇女シス。
冷たい雨でローブを濡らしながら、女は鋭い視線を老宰相に向ける。
「――皇帝陛下ははるか高みに登られたのじゃ。お主らごときでは理解できぬ高みにのう」
「シス殿下! いったい、いったい陛下はどうされた!」
どう見ても皇帝はまともではない。
異常を通り越した、おぞましいまでの超越性。
間違いなく皇帝の身に、なにかが起こっている。
「“天壇”を軸として、妾の武装“魔法の杖”の概念凌駕にて“繋げた”のじゃ。陛下の望みでのう」
「な、なにと繋げた……」
「“世界”とじゃ。もはや陛下の武装、玉座の超八王級武装たる“龍鳳皇座”はその名の通り世界を制するものとなった」
「……もはや余は武装を通して世界そのものとなった。帝国の興亡など取るに足りん瑣末事よ」
皇帝は言う。おごそかに。
「――だが、余が生まれ落ちた聖地であるこの帝国の乱れは、たしかに正すべきである。我が臣民どもよ。“跪き、聞け”」
声が響く。異常なまでに。
雨音を退けて、白の宮殿を圧した声に、人々はみな跪いた。おのれの意思とは無関係に。
――この強制力!
宰相グラッドは驚愕する。
意思を侵し、命に従わせる。
それは間違いなく皇帝の“龍鳳皇座”の効果。
だが威力が、範囲が、異常極まりない。
それも、世界と繋がったゆえか。
「貴様らの無礼は許す。かわりに戦え。戦だ。反乱軍を根絶やしにしてやれ。“老若男女問わず立ち上がれ、列を為せ、そして反乱軍と戦え”」
青白い顔で、人々は一斉に立ち上がった。
老宰相が、陳情に加わった数千の臣民が、絶望の表情を浮かべながら動き出す。
いや、それだけではない。事情も知らぬ首都20万の民衆も、反乱軍と戦うために、一斉に都の外を目指して歩き始めた。
雲霞のごとき人の波を、はるか高みから見下ろしながら、皇帝は声を響かせる。
「ゆくぞ、我が姉シスよ、禁衛七騎よ。座興の見物に、な」
雨は止まない。
老いた者、幼い者にとっては、死の行軍となるだろう。
だが皇帝は顧みない。
◆登場人物
帝国宰相グラッド……白ひげ忠臣お爺ちゃん。




