第四十四話 剣の王
ヴィン王国。
大陸西辺の王国の第八子として、男は生まれた。
上には兄が三人。長男とは15歳も離れている。
男が生まれたころ、長男はすでに玉座についていた。
力を尊ぶ王家にあって、後継者争いに加わることも出来ないまま、男は別の生き方を求められた。
――強くあろう。最強の武装使いになるのだ。
そう志したのは、やはり男に流れるヴィン王家の血ゆえ、だろうか。
六歳のおり、男はかくありたいと兄王に語った。
「最強を求めるか。それでこそヴィンの男よ。早う大きくなってこの兄を助けてくれよ」
兄王は“力こそ正義”の法を打ち出している。
兵を鍛え、武装使いを養い、民を教えに染める。
その企図は遼遠であり、当時の大陸興亡の主役であるトレント王国とクラウリー王国の争いを尻目に、ヴィン王国はひたすら隠忍を強いられていた。
乱世を肌で感じながら、男は己を鍛え続けた。
遮二無二体を鍛え、ひたすらに技を磨き、一心に武装を構想する。
そして齢15にして……男はそれがまったく無意味な行為だと知った。
肉体の成長とともに自然と強くなった力に、鋳造の青銅剣は耐えられず、一振りで曲がってしまう。
鉄でさえ、男の力に耐えられるとは思えず、武装は強度に特化させる以外考えられなくなってしまった。
素手の男相手に並みいる武装使いは相手にならず、師と呼べる強者はすぐに居なくなった。
男は生まれついての強者だったのだ。
おりしも、王国が大陸統一を目指した大戦争を起こす直前のことだ。
――力こそ正義、ならば、我こそ真に王たるべきではないか?
男は思った。
思っただけでなく、兄王にその疑問をぶつけた。
「ほう。では戦うとしようか」
意外だった。
兄王は実力で王座を勝ち取っただけあって、強い。
強いが、男ほどではない。それを承知の上で、失うものばかり多い戦いをあえてしようという兄王の存念を、男は量りかねた。
「わしが勝てば、弟よ。ぬしはわしに終生仕えよ。わしが負ければ逆だ」
望むところだった。
男は戦った。
そして、負けた。
実力、ではない。
決闘のおり、兄王は足場に罠を仕掛けていたのだ。
「卑怯な」
「だが、勝った。正面からぶつかるだけが力ではない。知の力。弟よ。これも力の内だとは思わぬか?」
その言は、詐術に等しい。
だが、男は納得した。男の武力が兄王の知力に敵わなかったのは確かだからだ。
「約束だ。我が弟ソードよ。ぬしは我が剣となれ」
そして男は将として統一戦争に立つ。
戦の中で、男は己を磨き続けた。
――我は兄王の剣。であれば、我が極めるのは武のみでよい。
知に敗れ、なお、男は力を求めた。
年を重ねるごとに体に力が満ち、技は冴え、鳳眼に捉えた敵はみな切り捨てた。
そして男は剣を極めた。
幾多の手練と戦い、無形のものを捉える観を養い、これを斬るすべを感得するに至った。
幼き頃、志した通り、男は最強の武装使いとなった。
たとえ兄王が知を巡らせようとも、一対一であれば、もはや負けることはない。
だが、男は二心なく、なお兄王に仕え続けた。
昔の約束を守って、ではない。そんなものはどうでもいい
ただ、兄王が大陸に描きつつあった大帝国。兄王の力の象徴ともいえるそれを上回ることなど、とても出来ない。男はそう感じたのだ。
兄王は大陸を統一し、皇帝を称した。
大陸最大にして最強の国家を築きあげた偉大な存在。
男はその剣であることを誇りに思う。そして兄が死に、その子が皇帝になった時、男は思った。
――類まれな力の主だ。兄の帝国はより光輝に包まれよう。
その幻想は地に落ちた。
国土は荒れ、反乱が起こり、それでも皇帝は宮殿の外に関心を示さない。
重臣たちは櫛で梳くように消えてゆき、帝国本領内でも不穏な空気が立ち込めている。
帝国は弱っている。
“力こそ正義”の法は、逆に帝国を覆さんとしている。
だが、男は思う。
――我が居る。この“帝国の剣”、剣の王ソードが居る。我が居る限り、偉大なる兄の築いた帝国は滅ぼさせん。
思って、気づいた。
けっきょく、自分は兄を慕っていた。
だからこそ兄の“力こそ正義”の信念に染まり。
だからこそ、この、もはや強者とも呼べなくなった帝国に縋りついているのだと。
そして今、帝国の敵。
七つの国を統べる絶対強者を討つために、男は陣頭に立っているのだ。
◆
「よう、待たせたな」
派手な音を立てて着地してから、王城健吾はかえでに向かって口の端を曲げた。
かえでは息をついた。狙っていたような。そしてほれぼれするようなタイミング。まるで漫画のヒーローだ。
「――鉄塊の王か」
剣の王が問うと、健吾は野獣の笑みを浮かべて名のった。
「そうだ。帝国野郎をぶっ倒す――オレが王城健吾だ!」
「“観”ればわかる。貴様は強い」
剣の王は言う。
「――強さは帝国にとって正義だ。貴様ほどの武装使いなら、帝国の法の下で、我がままに振る舞えただろう。なぜ、栄耀栄華を捨てて帝国と戦う?」
「テメェらのせいで泣いてるガキが居る」
親指を己に向け、王城健吾が啖呵をきる。
「――オレが戦うには……へっ、十分な理由だぜ」
ならば、問答無用とばかり、剣の王が剣を構えた。
王城健吾が獣のごとく身を沈める。
「まって」
それを制止したのは、かえでだった。
先ほどのやりとりは、一切合財承知できない。
「かえで」
「健吾、あいつはあたしの相手よ」
「だがよ、あいつは強ェぞ」
健吾の言葉に、黒髪の少女は口を引き結んだ。
心配そうな表情。気づかうような声音。よく見れば健吾は浅くない傷を負っている。すべてが承服できない。
「健吾、あなたにとってあたしは何?」
だからかえでは正さねばならない。健吾の間違いを。
「なんだ今さら。相棒に決まってるだろ?」
「そうよ。あたしはあなたの相棒よ。守るべき対象じゃない。背中を預け合う相手。そうじゃないの?」
健吾の表情に理解の色が浮かんだ。
それと他方を確認しながら、かえでは言葉を続ける。
「あなたは言った。この軍を任すと。残り三つはオレが叩くと。だったら、こっちの敵は、ここで対峙してるあいつは、あなたが任せた、あたしが倒すべき――あたしの敵よ」
かえでは啖呵をきった。
「……やれんのか」
「正直、さっきまでは相討ち覚悟だったんだけど……勝つわ。アンタのおかげでね。見ててちょうだい。あんたが見ててくれてるなら、勇気百倍よ」
「わぁったよ。ここは預けた。だから、勝てよ――相棒」
「にひ」
口の端を曲げて、長門かえでは剣の王に向き直る。
敵との距離は20メートル。両者を隔てるように、大地が抉られている。
船底が大地にめり込み、艦が横転したため、ショベルで掘り返したようになった窪地は、ところどころ崩れて寸断されながらも、長大な堀を作っている。
――さあ、相手が乗ってくれますか。
かえでは不敵な笑みを浮かべながら、剣の王に向き直る。
「と、いうわけで、あたしが相手よ。剣の王」
「……理解出来ん。なぜ二人でかからぬ」
「しいて言うなら……意地よ。相棒と、そう呼び合う相手と、対等で居続けたい馬鹿な女の、ね」
そう言うと、かえでは気合とともに息を吸い込み、堀の中に飛び降りる。
堀は、かえでの身長よりもだいぶ深い。ひやりとした冷気を肌に感じながら、黒髪の少女は剣の王を見上げ、手招きする。
「よかろう」
招きに応じ、剣の王が堀に向かって飛び降りた。
長門かえではその堂々たる武人精神に敬意を表する。
だが、同時にかえでは確信する。
これでこの勝負、引き分け以上は確定した。
「……なんだ?」
着地した剣の王の足元が、わずかに揺らぐ。
直後、気づいたようにかえでに鋭い視線が向けられた。
「なにをした? ……まさか毒か」
とっさにマントで口元を包んでいるが、逆効果だ。
剣の王の鳳眼が、見る間に力を失っていく。
「炭酸ガス」
かえではあえて口を開いた。
剣の王。この武人に敬意を表して。
「――それがこの窪地に充満している毒の名よ」
炭酸ガス。
気体の二酸化炭素だ。
大気中にも含まれる、無味無臭のそれは、少量であれば人体になんら有害ではない。
だが、空気中の濃度が3パーセントを超えると頭痛や吐き気を催しはじめ、7パーセントを超えると、呼吸不全を起こし、やがて死に至る。
長門かえでの武装、“超弩級戦艦”の消火装置から発せられた炭酸ガスは、健吾が来る以前。自己紹介を始めた時点でひそかに窪地を満たし始めていた。
炭酸ガスは空気よりも重い。戦艦で掘り起こした窪地はこれを利用するに格好の地形だった。
賭けの要素が強かった。
迷いなく踏み出せたのは、健吾が背後に居たからだ。
「おのれ……」
剣の王に逃れる法はない。
軍気を斬り、概念を斬る規格外の達人とて、空気中に混在する未知の炭酸ガスを斬ることはできまい。
長門かえでを斬ったとて、発生させた炭酸ガスは消えることなくその場に留まる。それゆえ、剣の王がこの死地に足を踏み入れた時点で、引き分け以上は確定していたのだ。
だが、それでも剣の王。
八王に冠たる“帝国の剣”は諦めなかった。
最後の力を振り絞り、窪地より逃れんと跳び上がった。
恐るべきバネは、普通であればその身を容易く堀の外に運んだだろう。
――でも、ごめんなさい。そっちも読み筋。
心中、つぶやきながら、かえでは武装を具現化する。
“超弩級戦艦”は堀に蓋するように顕現した。
無慈悲な鉄塊に跳ね返されて、剣の王は堀に落ちる。だが、それでもこの男はあきらめない。
「我は、ソード……帝国の剣なりぃっ!!」
剣の王はかえでに向かって切りかかる。
だが、その動きは、万全の時とは比べるべくもない無残な鈍重さ。
――このまま、気絶を待って捕えることもできるだろうけど。
かえでの息も尽きてきた。
めまいと戦いながら、長門かえでは心中、つぶやく。
――ごめんなさい。捕えても、あなたには処刑以外の選択肢はない。だから……あたしの手で、葬ってあげるわ。
武装解除してから、向かってくる剣の王に、かえでは架空の砲口を並べた。
閉所での全砲門斉射。爆風は四方から襲いかかり、逃れるすべはない。
爆音が、大地に響いた。
◆
剣の王を倒し、自身も地に倒れ伏したかえでを見て、健吾はとっさに機械腕の武装、“鉄機甲腕”の大鉄腕を繰り出し、堀の底から助け出す。
「や」
掴まれて、健吾の前に運ばれてきたかえでは、朦朧とした様子ながら、それでも勝気な瞳で口の端をつり上げた。
「や、じゃねェ。無茶すんじゃねェよ」
「にひ。心配してくれたの?」
「当たり前だ。オレをお前のなんだと思ってやがる……相棒だろうがよ」
その、言葉に。微笑みに。
鉄腕に抱かれた黒髪の少女は、なぜか顔を赤らめた。
「……うあ、ちょっと不覚」
「なにがだ?」
「なんでもないわよ」
「のじゃです」
後方のミリアが危機感を覚えたのはともかく。
「健吾、勝鬨を。このまま帝国軍を攻めるわよ」
「わかった。あとはオレがやる。安心して休んでろよ、相棒」
「……にひ」
剣の王は討たれた。
それを知った帝国軍は完全に崩壊した。
逃げる兵に追いすがりながら、大陸解放軍はそのまま隣国ミーガンに侵入。
街道諸都市をつぎつぎに解放していき、解放軍はついに首都チェスターを解放した。
健吾はこの地で、惨殺されたウルスター王子の葬儀を執り行い、次代の代表として王子の息子、アーサーを迎えた。
帝国軍の残党は本土に逃れ、ミーガンにまとまった帝国戦力は存在しない。事実上、七王国解放は成ったと言っていい。
帝国の剣は折れた。
これにより、帝国は支配地を奪還する手段を失った。
大陸国家、帝国の栄光と威勢は地に堕ち、泥にまみれた。
皇帝はいまだ、動かない。
【武装データ】
武装:剣の武装“一ナル剣”
使い手:ソード
特化概念:“不変”
鉄量:A
威力:S
備考:不変ゆえに折れず曲がらぬ帝国最強の剣。




