第四十三話 激突
トレント王国北部。隣国ミーガンの西海岸に至る北海街道。
国境を越えてミーガンから侵入してきた帝国軍は、復讐の怒声をあげながら、街道筋の村々に襲いかかった。
「トレント人どもよ……帰って来たぞ」
率いるのは帝国領トレント副王ハルマン。
白髪交じりの古つわものは、巨躯をどしりと据えながら、ひとり語る。
「思い出させてやろう。統一戦争での戦火の日々を。帝国軍の強さを。帝国兵の力を。かつてその身に刻まれた恐怖を! 聞け、我が将兵よ! 帝国北路軍2千の将兵たちよ!」
騎上で手を振り、ハルマンは叫ぶ。
「焼け! 奪え! 殺せ!」
「応! 応! 応!」
兵士たちはハルマンの命に三度応じて別れ散っていく。
凄惨な虐殺と火炎の蹂躙が始まった。
木の焼ける匂い。
土の焼ける匂い。
髪の焦げる匂い。
肉の焼ける匂い。
満腔からそれを取り込んで、ハルマンは郷愁を覚えた。
かつての統一戦争で、日常だった香り。敵の街でも味方の街でも、当たり前のようにあったこの香り。
「十年ぶりの、戦場の匂いか」
破壊への衝動に駆られて、ハルマンはかろうじて自制する。
ハルマンは将なのだ。兵卒のように我を忘れて暴れまわるわけにはいかない。
「暴力は我が兵たちに任せるとしよう。わしが、武将がすべきは、ただひとつ」
鉄塊の王、オウジョウケンゴ。
その伴侶たる破壊の武装使い。
いずれかの命を奪うことだけだ。
帝国軍による蹂躙劇の最中。天よりふいに異様な音が響いてきた。
なんともいえぬ無機的なその音の源。空を飛ぶ金属塊を見て、ハルマンは口の端を曲げた。
「来たかっ!」
空から響く音に、獣のごとき声が加わった。
咆哮。それも怒りを伴った。しだいにはっきりと聞こえてくるその声に、ハルマンは聞き覚えがある。
忘れられない。忘れもしない。
ハルマンに屈辱を呑ませた張本人の声に違いない。
「オウジョウケンゴっ!!」
「うおおおおっ! 許さねえぞっ! 帝国野郎どもっ!!」
はるか上空、鉄の塊から飛び降りながら、反乱軍の首魁――王城健吾はこちらめがけて一直線に飛び降りてきた。
――感謝するぞ。四路のうち、このハルマンの居る北海街道を選んでくれてな。
ハルマンは間違っている。
王城健吾は大陸横路以外の二道をすでに制してここにあることを。
その誤解を正す人間はこの場に居ない。
健吾も、ハルマンも、戦う前に語り合うには、おたがい恨みを結び過ぎている。
「いくぞ我が将兵ども! たった一人でもいい。己の武装をオウジョウケンゴの命に届かせるのだ!!」
ハルマンが部下たちに叫ぶ。
迫りくる無数の武装を弾きながら、王城健吾は。
この手負いの獣のような男は怒りとともに咆哮する。
「外道ども……テメェらじゃオレの命にゃ“届”かねェよ!!」
死刑宣告だった。
だが、それを覚悟していない武将は、この場には一人も居ない。
よく見れば鉄塊の王、王城健吾は、すでに何か所かの手傷を負っている。
◆
長門かえで率いる大陸解放軍は、大陸横路を異常とも言える行軍速度で西進していた。
電撃的な進軍だ。
隊伍は崩れに崩れており、兵は疲れ切っている。
この状態で敵軍に接しても、とてもではないが戦えない。
だが、長門かえでは別にそれでもいいと思っている。
――どの道、軍隊として十全に機能するのはオルバン軍5千だけ。エヴェンス軍やノルズ軍は武将の数が足りない。ロードラント軍やトレント軍は、そもそも兵の錬度が足りない。
「とにかく数を国境に揃えるのが先決。戦力はあたしが補強する!」
長門かえでの武装“超弩級戦艦”は、その圧倒的巨体ゆえ、陸上では具現化が難しい。
だが、威力が五分の一ほどに落ちるといわれる“空想”状態でさえ、彼女の武装は超絶した破壊力を誇るのだ。
そしてミーガン、トレント国境で、帝国軍と解放軍は邂逅する。
先立つこと半日前、敵軍を補足していた長門かえでは、兵たちに休息をとらせた。
国境の砦を越えて広がり来る軍の数は1万5千近い。四路に分けてなお、解放軍よりも優勢だ。
「おかしいですな」
はるか彼方に見えるその陣容を見て、口を開いたのはトレント人の野心家ウィルソンだ。
「ミーガンの解放軍が、背後で蜂起する手はずになっているんですが。背後に兵を割いたにしちゃあ、敵の数が多すぎますぜ」
「先に潰されたか、兵でなく武将を裂いたか……まあ、とりあえず兵が多かろうが関係ないわよ」
長門かえでは不敵に笑う。
「――なにせこっちには、最強の武器があるんだから」
「はて……それは?」
「距離よ」
長門かえでは端的に答え――架空の武装を展開した。
見えざる41センチ連装砲が、彼方に見える帝国軍に向けられる。
「てーっ!」
かえでが指を振り下ろす。
爆発的な幻音。しばらくして、敵陣やや手前で爆発が起こった。
自陣から歓声が沸き起こる。
ふたたび、敵を指差しながら、長門かえではウィストンに顔を向ける。
「敵が手を出せない距離から、一方的に殴れる……超有利でしょ?」
その、化物じみた威力に。
ウィストンは引きつり笑いを浮かべながらうなずいた。
だが、敵の進軍は止まらなかった。
巻き上げられた土煙の中から、一糸乱れぬ帝国兵の姿が現れる。
その先頭集団が掲げているものを見て、かえでは眉をひそめた。
「……ウィストンさん。物見役を呼んでもらえないかしら?」
「ちょうど控えて居ますよ――おい」
「はっ」
ウィストンが背後に声をかけると、控えていた物見役が素早く前に出て膝をついた。
かえでは帝国軍を指差しながら、物見役に問う。
「帝国軍の先頭集団、変なもの掲げてるっぽいんだけど、見える?」
「ははあ……あれは、首ですな。竿掛けにされております」
目を凝らしながら物見役の男は言葉を続ける。
「……首のひとつにはミーガン王家の旗がくくられております」
「――カエデ殿。おそらくはミーガン解放軍の首。それも長であるウルスター王子のものかと」
「趣味が悪いわね」
ウィストンの言葉に、かえでは眉をひそめた。
大陸解放軍にはウルスター王子の息子、アーサーがミーガン解放軍を代表して加わっている。敵の士気を挫くためとはいえ、悪趣味極まりない。
「蜂起したミーガン解放軍は潰されたんでしょうな」
「そうね」
かえではそっけなく言い、そして怒りとともに言葉を紡いだ。
「――仇は討つわ」
黒髪の少女は帝国軍に、ふたたび指先を向ける。
そして、怒りとともに、砲撃を放った。
幻の爆音。
“超弩級戦艦”の主砲が斉射される。
だが、不思議と爆音は起きなかった。
破壊の嵐を産むはずの架空の砲弾は、爆発を起こさなかった。
――なぜ?
その疑問に応じるように、一騎の騎馬武者が駆け出た。
青銅の鎧兜を纏う騎士だ。手には長大な剣が握られている。
「あれは」
「剣の王……でしょう」
ウィストンが言うと、長門かえでは不敵に笑う。
「大将首ってことね」
かえでは、馬上の騎士を指差す。
そして、かけ声とともに、ふたたび主砲を発射。
やや遅れて剣の王が剣を横薙ぎに払う様が、かえでの目にも見て取れた。
爆発は、起こらない。
「あれは」
「斬ったんです。武装を」
「ミリアちゃん」
銀髪の少女、ミリアがかえでの元に駆け寄ってきて説明した。
「武装を斬る……“斬る”ことに概念特化した武装ってこと?」
「そこまでは分かりません。でも、気をつけてください。剣の王ソードは魔女シスが知る限り、当代最強の武装使い。形のないものすら切断する規格外、のじゃです」
二人が語る間に、騎馬は駆け来る。
その後ろには、騎兵が続々と従っている。
帝国兵に視線を戻して、長門かえでは叫ぶように命じる。
「出るわ。オルバン大将軍バート、軍をお願い!」
「はっ! 各部隊武装使い前へ! 敵騎馬群の攻撃に備えよ!」
腹心に軍を預けて、かえでは前に出る。
解放軍の、味方の歓声が、ひときわ高く上がる。
戦列から一人前に出て立つ長門かえでに対するように、剣の王が馬を止めた。
そして、解放軍の歓声に眉をひそめると、虚空に向けて剣を閃かせる。
穴を開けられた風船のように、たちまち歓声がしぼんでいった。
「……剣の王。なにをやったの?」
かえでは驚き問う。
歓声は不自然に消えた。この男が何かをやったに違いない。
「軍気を斬った」
よく通る声で、剣の王は当然のように答えた。
それがまやかしでないと、かえでは今まさに思い知らされている。
――なによ、これ。
長門かえでとて、いくつもの修羅場をくぐり抜けた一流の武装使いだ。
その彼女が、2、30メートルの距離で相対して、剣の王に勝てるヴィジョンがまるで浮かばない。
――どう考えても、あの剣のリーチじゃ架空装甲を破ってあたしの体に届くはずないのに。
達人。
剣の王がそう呼ばれる人種であると、かえでは確信した。
「ゆくぞ」
鳳眼を細めながら、剣の王が馬腹を蹴る。
手にした武装が振りかぶられるのを見て、ぞわりと、長門かえでを悪寒が襲った。
「武装――顕現っ!!」
とっさに叫びながら、かえでは己の武装を。
戦艦の武装“超弩級戦艦”を具現化させる。
全長200メートルを越える超質量超重量の巨大な船体が少女の眼前に現れ――異様な音とともにその身を地に埋めながら、ゆっくりと横倒しになった。
地が揺れる。
味方の騎馬が竿立ちになった。
歩兵とて、まともに立っていられない。
――うあ、間違いなく補修一週間コースだわ。
眉をひそめながらも、かえでは後悔などしていない。
具現化していない“超弩級戦艦”の架空装甲では、剣の王の攻撃は防ぎ得なかった。
かえでの架空装甲を引き裂き、脇腹を抉った槍の王ランスの“黒槍”。剣の王の剣から発せられる異様な気配は、あの八王級武装を上回る。
「カエデさんっ!」
「退がってなさいミリアちゃんっ!」
かえでは背中越しにミリアを制止した。
剣の王の気配は消えていない。あのような化物が戦艦に押しつぶされるはずがないのだ。
――あたしの武装……具現化せずに使用可能なのは41cm連装砲4基、14cm単装砲20門、7.6cm単装高角砲4門。あとは探照灯にカタパルト……
打てる手段を確認しながら、かえでは武装を解く。
船の形に沿って大きく陥没した大地には、二、三の馬が巻き込まれたのみ。
向かい側には剣の王を始め、武装使いたちが横に大きく展開しつつある。
それらに対し、副砲以下の架空火器を広げながら、かえでの意識は剣の王ひとりに向けられる。
「全砲門―― 一斉発射!」
津波が起こった。
そう錯覚するような幻音の狂乱とともに、敵の武将たちがつぎつぎと打ち倒されていく。
だが、剣の王が剣を振るう、その空間だけは、なにも起こらない。爆発の余波すら切り裂く様をみて、かえでは総毛立つ。
「……凄まじい武装ね」
「剣の武装“一ナル剣”」
かえでの言葉に、剣の王は応じる。
「――我が振るえる唯一の剣よ」
「唯一の?」
「力がありすぎるのも考えものでな。我しが振るえば鉄の剣とてただ一振りで曲がり用を為さぬ。それゆえ、我は武装を“不変”に特化せざるを得なかった」
「じゃあ、軍気を斬ったのは」
「技量よ」
――やばい。こいつ半端ない。
振っただけで鉄剣が曲がる腕力。
無形のものすら切り裂く超絶した技量。
強いのは武装ではなく、本人。剣の王ソードそのもの。
タイプで言えば、槍の王に近いが、それと比べても超越している。
内心冷や汗を流しながら、かえでは表面上冷静を崩さない。
――こいつに勝つには。
必死に思考を巡らせながら、かえでは口を開く。
「自己紹介しましょうか。大陸解放軍副将、長門かえで」
「なるほど。貴様が破壊の武装使いか。噂にたがわぬ破壊ぶり。帝国の法に照らせばまさに大正義……だが、我は剣の王ソード! 帝国の剣なり!!」
敵味方あわせて二万を超える軍勢をひと呑みにするような気を吐き、剣の王は宣言した。
「――より以上の強者として、賊軍の将よ。貴様は藁の様に刻んでやろう」
――肉を切らせて骨を断つ……しかない!
剣の王が歩を進めた。
長門かえでが覚悟した、その時。
ふいに、北の空から強大な武装の気配とともに、レシプロ機の駆動音が聞こえてきた。
◆
はるか上空を一直線に飛ぶ青竹色の戦闘機――“紫電改”の上で、王城健吾は獣の笑みを浮かべる。
「気配がする。すっげェ武装の気配だ――待ってろみんな! いま行くぜェっ!!」
叫びながら。王城健吾は大空へと身を投げた。
◆登場人物
ソード……軍人系超達人




