第四十一話 幕間三
トレント王国首都ルートン。
その一角にある、元帝国武将の屋敷の、そのまた一角。
来客用の寝室で、銀髪碧眼の少女、ミリアは目を覚ました。
朝だ。暦の上ではまだまだ秋だが、すこし肌寒い。
「やっぱり、このあたりは故郷の村に比べると寒いです」
ごそごそとシーツの中で身繕いしてから、起き上がると、ミリアはベッドから降りた。
半眼の無表情だが、整った顔立ち。
銀色の髪は絹糸を思わせる。まるで白磁の人形のような姿だ。
姿見にその姿を映して、ミリアはちょっとだけ満足そうに口の端を曲げた。
「ふふ。今日もいい感じです」
ミリアが着ているのは、彩り豊かな裾長の上衣だ。
王城健吾の身の回りの世話をしており、さまざまな有力者と顔を合わせることが多いため、見栄えのする衣服を与えられている。
身だしなみにも気を使っているため、どこぞのお姫さま、というのは言い過ぎとしても、貴族の娘と言っても通るだろうとミリアはひそかに自負しているのだ……まあ、ミリアはエヴェンス王家の血を引くれっきとした元貴族なのだが。
なにしろ父であるアウラスが、臣籍に降りた元王族である。その娘なのだから、ミリアはまぎれもない貴種だ。
もっとも、少女が幼いころに国は滅び、その後は鄙びた村に隠れ住んでいたせいで、ちゃんとした教育を受けていないのだから、ミリア個人は単なる「きれいな田舎娘」でしかない。しかも発育不全で感情表現の乏しい、と形容詞がつく。
「おっと。いけません」
気づいて、ミリアは目を細め、笑顔を作る。
さいきんは感情を面に出すことに慣れてきたが、油断すると半眼無表情に戻ってしまうのだ。
「さあ、ケンゴさんのために、今日も頑張るのじゃです!」
ミリアは気合を入れると、とてとてと駆けだした。
◆
「あー。いいにおいー」
厨房で、料理人とともに朝食を作っていると、匂いに釣られたのか、天掛美鳥が寝ぼけ眼でふらふらとやってきた。
年のころは、十四、五歳。耳が隠れる程度の短い黒髪。
ゆるい表情をした、かわいらしい少女だ。着古した短衣がまったく似合っていないのは、彼女が健吾と同じく日本人だからだろうか。
「美鳥さん。おはようございます」
「ミリアちゃん。おはよー」
ごく自然に炙ったハムをつまみ食いしようとした美鳥の手を、ミリアははたき落とした。
「朝食までだめです」
「ぶー。けちんぼー。いいもん。ご飯まで寝て待つからー」
口を尖らせてから、少女はあくびをして去っていった。
怠惰で気ままな少女だが、ああ見えてミリアたちの敵――帝国八王を凌駕する武装使いだ。
まあ、ミリア自身にとっても、許されざる大敵ではあるのだが。主に胸のサイズ的な意味で。
「――失礼します」
調理を終え、出来上がった料理を部屋に運んでいくと、部屋の主はすでに起きていた。
年のころは十七、八。ぼさついた黒髪に、野獣めいた容姿の男は、テーブルで静かに腕を組んでいる。
王城健吾。
それがミリアが身の回りの世話をしている男の名だ。
肩書きは、大陸解放軍大将軍にして七王国連合会議主座、全国領鉄儀官。
大陸解放軍大将軍は、所属する七王国から集まった大陸解放軍の最高司令官だ。
七王国連合会議主座は、七王国の解放軍代表による会議の長。
全国領鉄儀官は、武装使いの鉄量を左右する神聖なる“鉄”を司る地位で、これは帝国に集められた膨大な鉄の再分配を裁量できる。いずれも極めて重要な地位だ。
加えてエヴェンス王国解放軍の長であり、オルバン王国の指導者。さらにはノルズ解放軍も、完全に健吾の指揮下にある。
そして、長門かえで、天掛美鳥、ミリア。超八王級の武装使いを従える、自身も超八王級武装使い。さらには“鉄塊の王”の異名を持つ、大陸解放の象徴的英雄だ。
はやい話が大陸で一番強くて、しかも武力と権力と名声を握っている人間なのだ。本人にその自覚はまったくないが。
健吾に命を助けられて、ミリアの人生は変わった。
それがいいことか、悪いことかはわからないが、ミリアは健吾のそばに居られれば幸せである。
「ようミリア、おはよう」
ミリアが運んできた料理の香りに鼻をひくつかせながら、健吾が笑いかけてくる。
獣のような笑みも、ミリアの目には王子様の微笑みだ。
「おはようございます、ケンゴさん」
ごく自然に笑い返してから、ミリアは配膳にかかろうとして、凍りつく。
「あの……ケンゴさん……それ」
ミリアはベッドのふくらみを指差す。
「美鳥だよ。こいつ、いきなり潜りこんできて、ベッド占領しやがってよ」
食事が健吾の部屋に運ばれてくるため、そこで待つことにしたらしい。
ミリアから見ればありえない破廉恥行為である。まったくうらやまけしからん。
心の平衡をかろうじて取りながら、ミリアは配膳を続けた。
どうせこの怠惰少女は、なにも考えていないに決まっているのだ。気にするだけ損である。
それに。
「おはよ、みんな」
見計らったかのように、黒髪の美少女が部屋に入ってきた。
年のころは、十六、七。長い黒髪に、勝気な瞳。均整のとれた美しい姿の少女だ。
長門かえで。
王城健吾の相棒的存在である。
性格は、行動的かつ律儀で生真面目。面倒見がよく、ミリアもよく相談に乗ってもらっている。
「……また健吾くんの布団にもぐりこんでるのね。ほら、起きて。ご飯よ」
「うにゃー。ごはんー」
手慣れた様子でシーツをひっぺがすと、寝ぼけ眼の美鳥をテーブルにつける。頼もしい限りである。
「よっし、いただきますだぜっ!」
健吾の言葉に、それぞれ口々にいただきますを言う。
とりあえず、そんなこんなで。ミリアたちの一日は始まる。
◆
基本的に、食事の支度以外のミリアの仕事といえば、来客への応対だ。以前は他に雑務全般をこなしていたが、さすがにオーバーワークが過ぎると、長門かえでが侍女を臨時で雇い入れてしまった。
健吾の服の洗濯が出来なくなったのは、ミリアにとっては不満要素だ。
そもそも長門かえでという少女、効率とか能率とかを重視しすぎて情緒や風情というものを軽く見ている。
洗濯を人任せにしては、洗う前の健吾の服の匂いを嗅いだり、下着を見てドキドキしたり出来ないではないか。
「まったく……わかってないのじゃです」
「なにがわかっていないのだ?」
「のじゃ!?」
不意に声をかけられ、ミリアは声をあげた。
声の主は、鹿皮のフードを目深にかぶった鋭いまなざしの少女。
南の大国クラウリーの解放軍首脳陣“七賢者”の代理、ホルンのネリーだ。
さきほど健吾たちとの面会で部屋に通し、茶を出したばかりなのだが、もう話が済んだらしい。
「ね、ネリーさん。なんでもないのじゃです!」
不思議そうに首を傾ける金髪翠眼の少女に対し、ミリアは内心の動揺を隠して誤魔化した。
――こんな時、無表情でよかったのじゃです。
と思っているのは本人だけで、内心の動揺は声に出ているため、まったく隠せていない。
「そうか……なんでもないというのなら、まあよいのだが」
ネリーは言って、ふと思いついたかのように軽く手を合わせた。
「そうだ。試みに問いたい。きみにとってオウジョウケンゴとはどんな人間だ?」
「え? どうしてそんなことを聞くんです? まさかネリーさんもケンゴさんのことを?」
「あ……いや、その、ケンゴ殿の人物を量りかねたので、聞いてみたのだが」
身を乗り出したミリアに、冷や汗を流しながら、ネリーが答える。
失敗したなあ、という思いが表情にありありと浮かんでいる。
「ケンゴさんはわたしの命の恩人です。すごく優しいし、強くて、見ず知らずの人が困ってるのを放っておけなくて、それにとっても格好いいです!」
「か、かっこいい? いや、まあ精悍な顔立ちではあるが」
実際のところ、精悍を通り越して野獣と評した方がふさわしい。
だが、ミリアの目には、実態以上に健吾がかっこよく見えているらしい。
「その……ミリア。私は色恋などにとんと疎いのでわからないのだが、きみとケンゴ殿は恋仲なのか?」
「え?」
「だとしたら、子供に異常にこだわるのも……“子供を泣かすな”というのも、その、そういう趣味から出た言葉ということも」
「ケンゴさんは幼女趣味なんかじゃないのじゃです! なんてこと言うんですか!?」
「え、あ、いや、その、すまない」
「すまないじゃないのじゃです! ケンゴさんはどっちかっていうと年増好きです! おっぱいがこう、ぼいんぼいんってなる人が好みなんです! 残念なことにっ!」
「そ、そうなのか……」
深刻な風評被害がなされている。
「しかし、ケンゴ殿の愛妾の……かえで殿は、その、どちらかというと、つつましやかな胸をお持ちだが」
「かえでさんはケンゴさんの愛妾じゃないのじゃです」
「そ、そうなのか? ではもうひとりの」
「あれはただの座敷わらしです」
ひどい言いようだった。
そして、ミリアの言葉は、ネリーの健吾に対する認識に、いっそうの混乱をもたらすのである。
◆
夜、みなでご飯を食べ終えると、その後は風呂の時間になる。
ミリアにとってはいまいち理解しにくいのだが、この三人の日本人は、異常にきれい好きで、頻繁に風呂に入りたがる。
しかもお湯だ。ロードラントで仲間になった武装使いの風呂技師が、「これぞわが理解者」とついて来てくれているので、湯を沸かす薪の心配をしなくてもいい。
男と女で時間を決めて入るので、ミリアとかえでと美鳥はたいていいっしょに風呂に入ることになる。
ミリアは三番手であるが、ごく近い将来二番手になるであろうことを二番手のかえでから保証されている。なんのことかはあえて語るまい。
その後、ミリアはベッドにつく。
いつもの一日、とは言えない。
なにしろ、王城健吾は次の瞬間の行動が読めない弾弓の石のようなものだ。
一ヵ所に長く留まらない、旅から旅の生活である。この屋敷に住み始めてからも、それほどの時間は経っていない。
だが、辛くない。
幼い体での旅も、仕事も、戦いも、ミリアには辛くない。
いつ殺されるか分からない。明日に希望が持てない。今日を生き残ることだけで精いっぱいだったあのころに比べれば、いまは希望に満ちている。明日を信じられる。
――なによりも、ケンゴさんといっしょだから、わたしは笑顔で居られます。
心の中でつぶやきながら、ミリアは目を閉じる。
その後もすぐには眠らず、未来を妄想して身悶えするうちに、少女は眠りに落ちるのだ。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー17
名前:ユーザン
武装:フォークとナイフの武装“鉄叉鉄刃”
備考:トレントの隠士。美食家。芸術家。帝国、解放軍どちらにも属していないが、国内での名声は高い。美食家として至高の武装を持っており、究極の武装を提唱する息子のシェロとは対立関係にある。センチュリー佛跳牆VSアンリミテッドアンキモワークスは名勝負と名高い。フルコースの平均レベルはすべて測定不能。
 




