第三話 アウラス
村を襲った突然の惨劇と、その元凶たる暴君、副王グートの死。
生き残った村人たちは悲しみと喜び、両方をうまく消化しきれず、泣き、かつ騒ぐ。
村を救った英雄、王城健吾は、しかし、その騒ぎを避けるように、村の一軒家に腰を下ろしていた。
ミリア――健吾が救った少女の家だ。
版築造りの質素な家だった。
間取りは、健吾の感覚から見れば広い。
だが、年季を重ねたひなびた民家。内装も寂びたもので、わずかにひとつふたつ、新しい木製の調度が目に入るのみ。
銀髪の幼い少女の、精いっぱいの歓待を受けながら、王城健吾はひとりの男と、テーブルを挟み相対していた。
足が不自由なのか、杖をつきながら健吾を出迎えた少壮の男。
「父さんです」
少女は男を、そう紹介した。
切れ長の目は柔和に細められており、整った顔には、わずかに皺が刻まれている。
そして、白い。抜けるような白い肌、と言うのは、およそ中年にさしかかった男にたいする評価ではないが、目の前の男の肌を、健吾はそう評するしかない。
――似てるなぁ。
ミリアに、だ。
ただし、似てるのは外見だけで、中身は別物だ。
突けば倒れそうな外見に反して、波に打たれ続けてなお動かぬ巌のごとき性質を、健吾は男から感じている。
「アウラス、と申します」
男はそう名乗ると、まずは娘と村を救った健吾に対し、深く頭を下げ、礼を述べた。
それから、支度した料理をてきぱきと運んでくる少女がテーブルに着くのを待って、食事となった。
「このように楽しそうな娘を見るのは――初めてです」
「父さんっ!」
柔和な笑みを浮かべて言う男に、ミリアはあわてた様子で抗議する。
そんなやりとりをしながら、健吾は食事を楽しんだ。
ミリアの腕がいいのか、粗末な食材ながら、美味い。
「――ケンゴ殿」
人心地ついた頃合いを見計らったように、男――アウラスはゆっくりと切りだした。
「なんだい。おやっさん」
「ケンゴ殿は、我が娘を助けてくれた恩人です。だから、下手に言葉を飾らずに問わせていただきます。ケンゴ殿は――この国の人間ではありませんね?」
「ああ」
健吾はこだわりなく肯定する。
それを確認してから、男は重ねて問いかけた。
「では、帝国の“鉄の法”は――ご存じでない?」
「いや、知ってるぜ? あの副王とかいうヤツも言ってたしな……“力こそ唯一絶対の法なり。その地位を襲うは力によりてのみ、その地位を守るは力によりてのみ”、だっけか?」
「よくご存じで」
アウラスが褒めると、健吾はバツが悪そうに頭をかいた。
「ご存じっつーか、叩き込まれたっつーか――まあ、知っちゃあいるさ。で、おやっさん。こりゃ前置きだよな? 早いとこ本題に入ってくれよ」
「失礼しました。結局――遠回しになったようです」
頭を下げてから、壮年の優男は言葉を続ける。
「――では、率直にお尋ねいたします。ケンゴ殿、貴方は副王グートを倒したことで、彼の持つ地位――帝国旧七王国が一、エヴェンス王国の副王に就く資格を得ました。その上で、貴方はこれから――どうされるおつもりですか?」
それは重要な意味を秘めた問いだ。
王城健吾はアウラスの表情から、それを察した。
察しながら、しかし王城健吾はそれ以上深く考えない。
おそらく親切心からだろう、健吾の考えを導かんとするアウラスの言葉を無視して、単刀直入に答えた。
「どうもしねェさ。とりあえずは人探しだ」
「ふむ……人探し?」
「あぁ。助けてェ女と倒してェ男が居るんだ」
助けてェ女、という言葉を聞いて、ミリアが妙に動揺した。
健吾は気にもかけず、アウラスも密かに苦笑を浮かべるだけだったが。
「差し支えなければ、お探しの両名について――教えていただけませんか?」
「いいぜ。女は、三十歳くらいっつってたか? くそ長い金髪に紫の眼で、自分のことを魔女とか言うヘンな女だ」
女の年齢を聞いて、あからさまにほっとする少女はさておき。
「――男の方は、あれだ。顔はわかんねーけど、とにかくデカイ図体で、雷みてェな声の――鎧の武装使いだ」
「ふむ……鎧の武装、ということは、間違いなく将軍級以上。そして、雷の様な声……」
アウラスには、思い当たるものがあるようだった。
「心当たりがあンのか?」
「男のほうの特徴に引っかかりが……その武装使いに出会ったのは、もしや南隣の国――オルバンで、では?」
アウラスの問いに、健吾は頭を横に振る。
「いや、違う。出会ったのはこの国――宵闇の森ん中でだ」
「では、私の勘違いです。失礼……ともあれ、ケンゴ殿はこれから二人を探して国中を?」
「あぁ。とりあえず、ひと巡りしてみるつもりだぜ」
健吾は気楽にそう言った。
彼を取り巻く事情は、実は相当に面倒になっている。
しかし、それをなんとなく理解しながら、王城健吾は構わない。
「……ケンゴ殿、貴方に厚かましいお願いをして――よろしいでしょうか?」
健吾の様子を見定めながら、ゆっくりと、少壮の優男は切りだした。その表情は、深刻そのものだ。
「お願いによるぜ?」
健吾は男にまっすぐ視線を返しながら、応えた。
このまま村をずっと守ってくれ、などという願いは、さすがに受け入れられない。
「十日……いや、八日でいい。この地に留まっていただきたいのです」
ずいぶん具体的な数字だった。
そして、不可解な願いだ。八日の間に、この村に何が起こるというのか。
「……理由、教えてくんねェか?」
健吾は尋ねる。
アウラスが応じて語った。
「副王グートを倒した時、逃げ散った帝国兵たちは、王都に向かったことでしょう。彼らが旧王都にたどり着き、経緯を聞いた王は、貴方を探してこの地に駆け来る。それまでが、おそらく――八日」
「じゃあ、そん時オレが村にいなきゃあ……どうなる?」
「村は、怒れる王の贄となるでしょう」
絶望的な観測を、アウラスは口にした。
「――ミリアは逃がします。村の衆も、半数ほどは逃がせると思います。ですが、私の力ではそこまでです。逃げた者の多くは流民に堕ち、残り半数は、望んで村と運命を――共にすることになる」
そこまで言ってから。
男はぎこちない仕草で立ちあがる。
そして地面に膝を折って、頭を地に叩きつけた。
「お願いします! 私では力が足りない! 代償は何でも払いますっ! 不具の身なれど我が身命を捧げます! だから、どうか、どうか憎き帝国の王を倒して――くださいっ!!」
「お父さんっ!?」
突然のことに、ミリアが慌てて止めようとする。
しかし、アウラスの体は、その意思の強さを示すように、頑として動かない。
あまりにも必死なその姿に、健吾は疑問を抱き、問いかけた。
「……おやっさん。教えてくれ。なんでそこまで必死なんだ? アンタ、べつに村の偉いさんってわけじゃねェんだろ? いや、この家の様子を見りゃ、むしろ新参者なんじゃねェか? だってのに、なんで必死にみんなを助けようとしてるんだ?」
「……ここまで厚かましくお願いする以上、私もあえて隠しだては――いたしますまい」
壮年の優男は、そう言って、自らの素性を明かす。
「――私は旧王国で王にお仕えしていた者です。すべてを失った亡国の王臣を、この村は十年におよび匿ってくれた。その恩に、私は――報いたいのです」
はじめて聞く事実なのだろう。傍で聞いていた少女は、驚きに目を見開いている。
王城健吾は男を見る。
この男は自身が逃げる、とは言わなかった。
精いっぱいの抵抗をするつもりなのだ。ろくに動かぬ足で。
「……昔っから、そうなんだよなあ」
「ケンゴさん?」
ため息交じりの健吾の言葉に、ミリアが不安げに声をかける。
それには答えず、健吾はなお独白する。
「困ってるヤツぁほっとけねェ。泣いてるヤツぁ見過ごせねェ。悪人どもはぶん殴らなきゃぁ気がすまねェ。こっちだってヒマじゃねェのによぉ……」
「ケンゴ殿……」
「オレがあの森を出て、何日だっけか? まあ、すこしは人を見て来たさ……でもな、みんなあんまり笑ってねェんだ。笑い話ししてもよ、みんな思い出したようにため息をつくんだ。
――やってられねェなあ。やってられねェよ。こんなんじゃ、気になって人探しなんて出来やしねェ」
口の端をつり上げる。
獣の笑いとともに、王城健吾は言い放つ。
「――やってやるよ。敵の大将がわざわざ来てくれるってんだ。ぶっ倒してこの国のみんなに――笑顔をプレゼントしてやるぜ。そこのガキンチョみてェにな!」
健吾は拳を握りこむ。
強い意思を秘めたその瞳は、肉食獣のように、ぎらぎらと輝いていた。
◆
エヴェンス首都エア。
かつてのエヴェンス王国の王城、その玉座に、男は座っていた。
梟のような男だった。
細長い体、細長い手足、そして細長い首。
ぎょろりと大きな目は真円を描いており、トパーズ色の瞳にほとんど閉じたような瞳孔。
漆黒のマントを身にまとい、すべてを見下ろすその男の前に、卵のような小男が、あぶら汗を流しながら平伏していた。
「ヒーハー! ヒーハー! 王様! 我らが主たる王ラム様! ゆゆしき事態ですぞ! 謀反ですぞ! グート副王を、あろうことか弑し奉った帝国の歴史でも類を見ない大逆人の武装使いですぞ!」
打撲傷を負っているのだろう。浅く息を切りながら、小男は苦しげにまくし立てる。
その様子に、わずかに眉をひそめながら。帝国領エヴェンス国王ラムは口を開いた。
「ふん。グートめ、使えん奴だ。“国内のことはお任せあれ”と胸を張っておいてこれか」
「王様?」
「まあいい。グートめ。俺の国で気ままに振る舞ったツケだ。後任の王だと見て、つけ上がりおって」
「王様! 我らが主たる王ラム様! あまりなお言葉ですぞ! グート副王の多年の忠勤に対して、それはあまりなお言葉ですぞ!」
「――うるせえよ」
さえずる小男に、王は梟の眼光を向けた。
その瞬間。小男は縦に潰れた。
血と内臓が入り混じったものを跳び散らしながら、毛皮の敷物のようになった小男は、もはや騒ぐことも飛び跳ねることもない。
静寂の訪れた玉座の間で、国王ラムは、くぁ、とあくびをする。
あくびをしながら、梟のごとき目は変わらず真円を描いている。
「しかし、あの厄介な“大鉄城門”を破るか……その武装使い、俺の部下になるか、それとも殺し合うことになるか……いずれにせよ、退屈からは開放されそうだ」
梟の鳴き声にも似た国王ラムの笑声が、虚ろな玉座の間に響く。
国王ラムと、王城健吾。国の行く末をかけた武装使い同士の戦いが、始まろうとしていた。
◆登場人物
アウラス……女顔系美男子(三十代)
ラム……梟系針金男




