第三十七話 戦場の賢者
ロードラント首都ローザリア。
かつての王城、宝玉宮に、やっとのことでたどり着いた天掛美鳥は、ふらふらになりながらも長門かえでをミリアに引き渡し、そのままばったりと倒れ込んで寝息をたてはじめた。
「ちょ、ミトリさん!? というかカエデさん!? ひどい怪我のじゃです!?」
顔色は蒼白。黒シャツ一枚ひっかぶり、腹には血のにじんだセーラー服が押しつけられている。
一見して重傷のかえでを見て、ミリアは青ざめる。
「……ごめん、怪我しちゃった。ミリアちゃんに“繋げ”て欲しいんだけど、出来るかしら?」
必死のミリアに支えられ、身をベッドに横たえながら、少女はか細い声で頼んだ。
それで、ミリアの動揺は納まった。長門かえでに頼られているのだ。子供扱いされずに。その事実が、ミリアを激しく叱咤したのだ。
「……やってみるのじゃです!」
「……なら、ごめん。沸騰させたお湯と、清潔な布を……傷口を洗わなきゃ、観えにくいでしょ?」
血で固まった、包帯がわりの健吾のシャツを外しながら、かえでは声を絞り出した。
湯を一瞬で沸かせる武装使いにはあてがある。ミリアは宝玉宮に居る彼に湯と清潔な布を用意してもらい、かえでの治療にとりかかった。
「……これを取るのは……勇気が要るわね……」
血の塊のようになったセーラー服を見ながら、かえでがつぶやいた。
内臓までは傷ついていないのか、出血はそれほどでもない。
それでも、傷口を巻き込んで血が凝固しているのはわかるし、取る時激痛が伴うのも、容易く想像できる。
「ミリアちゃん……もう握力ないから……ひと思いにやってちょうだい」
「え……でも」
「にひ……ちゃんとしてくれないと、あたし死んじゃうかもしれないんだから……ごめん、がんばって」
ミリアは血のにじむセーラー服を湯で濡らし、出来るだけふやけさせてから、そうっとはがした。
「――っ! っんっ!!」
それでも、激痛を伴っているのだろう。かえではシーツの端を必死で噛みしめ、悲鳴をこらえている。
かえでの肌にこびりつく血を清潔な布でふき取って、ミリアは傷口を確認する。
肋骨の下。脇腹を深くえぐるような傷が、かえでの白い肌に刻まれている。
「ま、ず、内臓……まだ死んでないから、たぶん大丈夫だけど……」
「……わかりました。かえでさん。傷口に“魔法の杖”が触れるのじゃです」
ミリアは“魔法の杖”を具現化させ、かえでの傷口にあてた。
「くぅっ!」
「“空間接続”……“座標固定”……」
杖を伝うように、赤い液体が流れ落ちる。
それに構わず、ミリアは目を閉じながら、杖を横にずらしていく。
「んっ……くっ……」
「“接続解除”……ハラワタには傷はないみたいです……外傷の治療に移るのじゃです」
ほう、と息をつくと、ミリアは傷口を“繋げ”る。
しばらくして、傷口は奇麗に閉じあわされた。“繋げ”ただけなので痕跡は残っているが、傷口が鋭いのが幸いした。治れば痕はほとんど残らないだろう。
「んっ……ありがとう……血が……足りてないから……鉄分とビタミン……肉とレバーと、果物、おねがい」
治療が終わって安心したのだろう。
少女はそれだけ言うと、ふっと気を失った。
慌てたミリアは、ごく浅い寝息を確認して、安堵のため息をついた。
「あたりまえですけど、かえでさんも傷つくんですね……」
なんとなく、健吾も、かえでも、死なないものだと思っていた。
だが、この人たちも、自分たちと同じように傷つき、倒れるのだ。
そう思うと、トレントで一人残って戦っているだろう王城健吾のことが気にかかる。
しばし、彼方に思いを馳せて、ミリアは首を横に振った。
「心配しても始まらないです。みんなのためにも、わたしは、わたしが出来ることをやらないと」
ちいさな拳をぎゅっと握って、ミリアは厨房へ向かった。
廊下では、消耗しきった美鳥がすやすやと寝息を立てている。
◆
帝国領クラウリー北部、リバリー。
王城健吾により殲滅された“戦斧の王”エクス率いる北伐軍の残党が篭もる、北西の都市だ。
この都市に逃げ込んだ帝国の武装使い数十。非武装使い、およそ千。
武装使いが枯渇しているクラウリー解放都市を叩くには、十分な戦力だ。
だが、彼らは動かなかった。動けない理由があった。
生き残った帝国の武装使い。
そのうち武将級は八名。将軍級は居ない。
その上、王直属の武装使いは全滅している。
暫定的にも兵を率いる権限にある者はなく、また階級が横並びであるがゆえに、だれも主導権を握れず、にらみ合いと権力闘争の小競り合いで、動くに動けなかったのだ。
「だが。それもじきに終わる。奴らは南に攻めてくる」
高みより、はるか北にリバリーの城壁を見やりながら、壮年の男がつぶやいた。
ほっそりとした顔に、端正に整えられた顎鬚の、君子然とした男。
七賢者ロビン。
そう呼ばれる男は、全身武装で腕組みしている。
「養父さま、なぜですか?」
背後から尋ねたのは、ごく淡い金髪に、翠緑の瞳を持つ少女。
鋭く尖った耳目を持つ彼女はホルン族の生き残り、ネリーだ。
「飯がないからだよ。ひとつの都市に、千以上の無為徒食の輩……もはやリバリーの蓄えは尽きかけている」
ロビンは言葉を続ける。
「東の都市は、自分たちの手で殲滅した。西は火竜山脈が広がるばかりだ。そして北はといえば、戦斧の王すら殺した恐ろしい鉄塊の王の領域だ。奴らが食を求めて南に進むは自明だよ」
「……リバリーの民は、悲惨なことになっているでしょう」
「ネリー。わしらはあまりにも非力だ。たった数十の武装使いに為す術がないほどに、非力だ」
痛ましげなネリーに、ロビンは言い聞かせる。
「数で押すにも、志願の兵を鍛えねば、行軍もままならない。富も食料も帝国に吸い上げられ、余裕があるわけではない。わしとて、このような綱渡りなど言語道断だと思っている。思った上で、それ以外に手段はないのだよ」
少女は見た。
ロビンの拳が、屈辱と怒りに震えているのを。
それでも、養父の心中を察したうえで、ネリーは自らの不安を口にした。
「……鉄塊の王は、子供を泣かすな、と申していました」
「子供を泣かすな、か……この生き辛き世では。この国では、無理難題よ」
ため息をついてから、ロビンは言う。
「いざとなれば、この首を差し出そう」
「鉄塊の王は、そのようなことを喜ぶ人とは思いませんでしたが……それよりも養父さま。見えました」
「うむ。来たか」
ロビンは城門から出てくる帝国軍の姿を確認して、振り返った。
そこにはネリー以下、100人近い男たちが整列している。
いずれも目立たぬ色で染められた皮革製の鎧兜に短弓を装備している。これが、ロビンたちが捻出できる、最高最適の兵力だ。
「――では、始めよう。せいぜい目立ちながら逃げるとしようか」
手を振って、クラウリーの旗をあげさせながら、ロビンは退却を指示した。
◆
リバリーに篭もっていた帝国軍は、混沌の極みにあった。
「逃げのびたはいいが、これからどうする?」
「郷里に帰ろう」
「帝国本土へおめおめと逃げのびるのか?」
「左様。しょせん武装使いを欠いたクラウリー人など、雑魚に過ぎん。まずはクラウリーを取り戻して」
「お、オレは嫌だぞ。すぐ北にはあの鉄塊の王が居る」
「それに我らの数では、せいぜい数都市を維持するのが精いっぱいだ」
王を失い、将軍を失い、戦略眼を欠いた武将級武装使いたちは、結論の出ない議論の果てに、驚愕の報に接した。
――クラウリー解放都市、鉄塊の王と同盟。
「あの鉄塊の王が、クラウリー人と同盟だと!?」
「こちらに攻めてくるのか!?」
「待て。南からも、クラウリー人たちが攻めてくるという話を聞いたぞ!」
「どのみち、食料がない。動けるうちに動かねば、我々は飢え死にだ!」
「なら、どうする? 東の都市は潰してしまっている」
「南だ! しょせんクラウリー人など雑魚に過ぎん! 奴らを潰して南の都市を奪い、一息つこう!」
むろん、鉄塊の王との同盟も、解放都市の進軍も、ロビンが故意に漏らしたものだ。
そんなことはつゆ知らず、浮足立った帝国軍は、南の解放都市軍に攻めかかった。
解放都市軍は、その数、100。
すでに逃げる準備を終えている彼らは、敵の姿を見ると、くるりと背を向けて逃げ出した。
「逃げたぞ! 追え! 追え―っ!」
まともに統制も取れていない烏合の衆は、陣列を醜く伸び崩しながら、解放都市軍に追いすがっていく。
リバリーから南に往くと、街道を迂回させる低い台地があり、そのなかに小さな森がある。
解放都市軍の兵たちは、つぎつぎと森の中に逃げ込んでいった。
「追えっ! 反逆者どもをぶっ殺せ!」
「わしが先だっ!」
我先に追いすがる帝国兵たちは、無警戒に森に入っていく。
彼らを迎えたのは、矢の雨だった。
「矢だっ! 伏兵かっ!?」
「くそっ、反逆者どもめっ!」
絶叫と怒号が入り混じり、それでも千を超す軍団は、後方から押されるように森へと攻め入っていく。
ロビンの用兵は巧妙だった。
いくつかの部隊に分けた弓兵と罠を併用して兵の所在を悟らせず、敵を警戒させながらも巧みに刺激して、森の奥へ奥へを誘っていく。
「武装使いとは戦うな。弓を射ながらとにかく逃げろ」
ロビンの指示は端的かつ明快だ。
一般兵が武装使いを倒すことは、可能だ。
だが、それには条件がある。
流血を覚悟して物量で押しきるか、あるいは武装使い同士を戦わせる、その横から狙い討つか。
ロビンの手元には、それが達成できる手駒はない。
だからロビンは、綱渡りとも言える博打を打っているのだ。
「頃合いだな……ネリーに合図を」
ロビンの指図で、三度、太鼓が鳴らされた。
森のホルンは遠眼が効き、耳もよい。また、本能的に山野を知悉している。
帝国の全軍が森に深く侵入したのを見計らって、迂回していたネリー率いる20の兵は、みなそれぞれに太鼓を打ち鳴らしながら、油を含ませた縄めがけ、火を放った。
背後からの音に驚き、また炎を見て、帝国兵たちは恐慌をきたした。
そこに、声が飛んだ。
「裏切りだーっ! 火をつけたのは味方だーっ!」
「きっと味方の首を土産に、鉄塊の王に降伏するつもりなんだ!」
「反逆者どもがこんなところに居たのも罠だったんだ!」
「積極的に南を攻めようと言っていたのは誰だ!?」
「ノス様とグレス様だ!」
「おのれっ! そっ首落としてやるっ!」
「貴様っ! そう言って貴様が寝返るつもりだな!?」
最初の声は、むろんロビンたちの手によるものだ。
だが、兵卒たちの混乱に引きずられる形で、指揮官たちも味方の裏切りを信じ、またそれを口実に対立していた武将に刃を向け始めた。
あとはロビンの独壇場だった。
対立する帝国の武将同士の戦いを、時に傍観し、時に横やりを入ながら、混乱の戦場をコントロールしきった。
武装使い同士を戦わせている間に、討つ。
教本通りだが、敵同士をかみあわせたところに綱渡りがあった。
「敵が軍の体をなしていなかったから出来たことだ。二度はやらんし、おそらく出来ん」
後にロビンがこう言った、リバリー南の森での戦いは、わずか100名の解放都市軍の圧倒的勝利に終わった。
搾取され、虐げられ、奪われ続けてきたクラウリー人の心に希望の灯をともす、それは大勝利だった。
◆登場人物
ロビン……森に潜んでる系軍師
 




