第三十六話 槍の王
一瞬のことだった。
音もなく背後から飛来した黒い刃は、長門かえでの空想装甲を貫き、その脇腹を抉った。
「――っ!」
「かえでェっ!!」
にじみ出す鮮血。
こらえようとするが、少女はそのまま膝を地につく。
「短剣の武装“黒槍”」
槍の王がつぶやくように言う。
朱塗りの長柄には、いつの間にか、血で濡れる黒い刃が装着いている。
「八王級の域まで磨き上げた、この貧弱な武装こそ、我が牙だ……空想の防御で致命の一撃を防いだのは驚きだがな……まったく、超人め、超人どもめ」
「てェんめえええっ!!」
吐き捨てる槍の王に、王城健吾は怒りの声とともに、鉄腕を振るう。
洞窟の天井をこすりながら、機械腕の武装“鉄機甲腕”が槍の王めがけて飛ぶ。
だが。
「当たらぬよ」
槍の王は横っ跳びに逃げる。
横路に隠れた槍の王を追い切れず、鉄の巨腕は壁に突き刺さった。
「この国でずいぶんと暴れてくれたようだが――ここからはそれがしの……独壇場だ」
朱の輝きを放ちながら、黒い刃が閃く。
鉄の巨腕の影を縫うようにして走る黒い刃は、探照灯の光を受けて、影のごとく健吾に迫った。
「――“届か”ねぇよっ!」
鉄の左腕でかえでを庇い、健吾は空いた右腕で無理やり“黒槍”を殴りつける。
瞬転。
黒い刃はひるがえり、健吾の腕を逃れて――長門かえでを狙う。
鉄の異音。
黒い刃は、かえでに届かなかった。
鉄の車輪、“絶影鉄輪”が黒い刃を防いだのだ。
魔女シスを助ける。
この一念によって王城健吾と同期している車輪の王の武装は、かえでの命をかろうじて繋いだ。
「……テメェ。かえでを狙いやがったな?」
ぶち切れ寸前の様子で、健吾は“槍の王”ランスに声をかける。
「灯りを作っているのはその女だろう。ならば先に狙うは当然だ」
「怪我した女を、狙いやがったな?」
「健吾……気をつけて」
セーラー服を脱ぎ、それで傷口を抑えながら、かえでが、か細い声で忠告する。
「槍と言いながら、その本質は、高速で自在に動くナイフ。しかも超精密な動作……馬鹿みたいに練磨された武装よ」
「かえで、無理すんな。黙ってろ」
「……ごめん、意識を保つのでいっぱいいっぱい。でも、灯りは死んでも点けとくから」
「死んでもとか言うな。テメェが死んだらオレが泣くぞ」
「……にひ」
額から脂汗を浮かべながら、なお笑顔を作るかえで。
会話の間にも、健吾は洞窟の奥から目を離さない。
黒い刃は横穴の影に吸い込まれて姿を見せない。
「よう。テメェ。槍の王」
「なんだ。結社の王」
「オレはよ、頭が悪ィからよ。苦手なんだよ……我慢するってやつが。泣いてるガキが居てよ。泣かしたヤツがわかっててよ。そんでもぶん殴れる距離に居ねェ。ムカつきすぎてどうにかなりそうだったぜ……だから、感謝してるぜ? ぶん殴れる距離まで来てくれてよおおっ!!」
健吾は右腕を振りまわす。
洞窟に突き刺さった巨大な鉄腕が、土を岩肌を削り横穴にめり込む。
その異音に、槍の王が悲鳴のごとき声をあげた。
「正気か!? 洞窟が崩れるぞ!!」
「だからどうしたぁ!? かえでだけは死んでも守るがテメェは死んでもぶっ殺すっ!!」
鉄の左腕で長門かえでを守りながら、右腕は全力で障害を叩き壊す。
地が揺れる。壁が崩れる。洞窟そのものが致命の傷を負い、悲鳴をあげ続ける。
そして、その、当たり前の配当として。
「ぐぅっ、うう……」
“槍の王”ランスは、健吾の鉄腕に蹂躙された。
腕をもぎ取られ、足を削がれ、その巨腕で横穴の壁に縫いとめられていた。
「万一を考えて……洞窟を崩れるように、細工していたのが、災いしたか……」
朱塗りの柄は折れていた。
木を削って出来たそれは。槍の王が己の短剣を槍に見せていたそれは、消えることもなく、ただ無残に折れている。
「だが、貴様の命も貰っていくぞ……結社の王。“黒槍”、概念凌駕」
地に落ちていた黒い刃が、朱の輝きを帯びて健吾に向けてまっすぐ飛ぶ。
それを、王城健吾は、右の拳で。槍の王を壁に縫いとめる巨腕にリンクした右の拳で――握り砕いた。
天井が、崩れる。
崩れる天井を睨んで、王城健吾は獣のごとく叫び吼えた。
「うおおおおおーっ!!」
◆
大陸横路の重要基点に存在するヴァ―プール砦。
跡形もなく崩れ去ったこの砦を遠くに見やりながら、トレント副王ハルマンは馬上でつぶやいた。
「さらばだ、槍の王。貴方は良い王ではなかった。いや、暗君と言うべき存在だった……だが、最後の最後に、帝国のために自らを囮としてくれた」
ハルマンは馬を走らせる。
西へ向けて、一直線に。
「――貴方は帝国に最後の希望を残してくれた……たとえ稼いだ時間が、ほんのわずかであったとしても」
砦の跡には、人影がある。
鉄の巨腕を従えるその背の主は、確認するまでもない。
王城健吾と、その手に抱きかかえられた少女は、生きている。
だが、彼らの進撃の足は、確実に止まった。大きすぎる犠牲を対価にして。
◆
「まったく、ミリアちゃんは人使いが荒いんだからー。こちら紫電改天掛機ー。長門さーん」
戦闘機の武装“紫電改”の操縦桿を握りながら、天掛美鳥はトレントの空を飛ぶ。
短い黒髪にゆるんだ表情の少女は、ミリアに尻を叩かれて、ぼやきながらもそれなりに勤勉に、トレントとロードラントの往復を繰り返している。
いつもならば適当に進んだところでかえでからの無線をキャッチできるのだが、この日はいっこうに、あちらからの返信がない。
「おっかしーなー。へんだなー。長門さーん? おーい。おいおいおーい。最近お風呂入る時ずっと自分のオッパイ揉んでる長門さーん?」
『……悪、質な、デマを流すな―っ!!』
無線機の向こうから、ふいに怒鳴り声が聞こえてきた。
『おい、かえでっ! 無茶すんじゃねえっ! おい美鳥、聞こえるかっ!?』
「健吾にぃ? どうしたのー?」
『かえでが大ケガしたんだよ! お前が来るのを待ってたんだ! いいから来てくれっ! 場所は――ここだあっ!』
「――了解っ!」
その尋常でない様子に、さすがに事態が切迫しているのだとわかって、美鳥は機体を旋回させた。
視界の先では、“鉄機甲腕”の大鉄腕が、左右に手を振っている。
着陸すると、すぐに上半身裸の健吾がかえでを抱え、駆けつけてきた。
健吾のTシャツを着たかえでの腹は、健吾の黒シャツだったもので、かえでのセーラー服もろともぐるぐる巻き。しかもそこから血がにじんでいる。
「犯罪!?」
「違ェよ!?」
どう見ても犯罪的な絵面なのはともかく。
「……脇腹をやられたわ……応急処置は済んで、たぶん死なない……でも、万一内臓が傷ついてたら危ないし、膿むのも怖い……だから、ミリアちゃんに“魔法の杖”で“繋げ”て欲しいの……」
浅く息を切りながら、かえでが説明する。
“魔法の杖”。“繋げる”ことに概念特化したあの超八王級武装なら、傷口を繋げて癒すことも可能だ。
「わかった。じゃあ、すぐにミリアちゃんを連れて来て……」
「ダメよ……ここはまだ最前線だし、あたしとミリアちゃんを抱えながらじゃ、健吾が自由に動けないうえに負担が大きすぎる……それに、もうじき追いついて来るトレントの人たちに、こんな姿を見せたら、解放の盛り上がりに水を差すことになるわ……」
頑ななかえでの態度に、健吾が頭をかきながら、美鳥に顔を向けた。
「かえでがそう言って聞かねェんだよ。悪ぃが、お前の飛行機に乗せていってやってくれねェか?」
「健吾にぃ……本気で言ってる? っていうか飛行機のG知ってる? まあ、安全運転で行けなくもないだろうけど、ぼくの飛行機一人乗りだよ?」
「知ってるさ。だからこうして頼んでんじゃねェか」
「え?」
健吾の言葉に、美鳥は首をかしげる。
それから説明を聞いて、美鳥は顔を青ざめさせた。
「むりむりむりむりーっ! 死んじゃう死んじゃう! ぼく死んじゃう!」
「大丈夫だって、ちょっとくらい我慢しろ!」
「いやーっ! 無茶言わないでーっ!」
戦闘機の武装、“紫電改”は、機械ではなく、あくまで武装。
それゆえ搭乗せずとも操作は可能であり――長門かえでを操縦席に座らせ、美鳥を風防の後ろに縛り付けて戦闘機を飛ばすこともできるのだ。
砦から掘り出したのだろうか。縄はあらかじめ準備されていた。
「大丈夫だ。お前が死なねェように飛行機飛ばしゃ、かえでも無事だろ……頼む。かえでをよろしく頼んだぞ」
「健吾にぃのおに! あくま! けだものーっ!」
機体に縛りつけられた美鳥は、叫びながらも健気にプロペラを回し、“紫電改”を発進させる。
その機中で、失血により蒼白になったかえでは、浅く息を切りながら、健吾に向けて「大丈夫よ」と手をあげた。
南東に向かって飛びあがってゆく紫電改を、健吾は見送る。
その、さらに南では、もうひとつの戦が始まろうとしていた。
【武装データ】
武装:短剣の武装“黒槍”
使い手:ランス
特化概念:“貫く”
鉄量:D
威力:S
備考:自在に飛び、あらゆる武装を貫く最強の短剣。槍の王はこれを朱塗りの柄の先につけて、槍に見せている




