第三十三話 ホルン
◆これまでのあらすじ
鉄の支配を布く帝国に怒りを抱き、戦う王城健吾と仲間たち。
南から大軍を率いてきた“戦斧の王”エクスを撃破し、車輪の王”イールを決闘で破り、攫われた魔女シスと再会した健吾だが、彼女は皇帝の武装によって洗脳されていた。
彼女の正気を取り戻すためにも、健吾は大陸全土の解放を、改めて決意する。
分厚い雲に天を覆われ、皇都ヴィンは異様な暗さに包まれていた。
夜かと疑うような闇の帳は、皇帝の住まう大宮殿――白の宮殿の内部をも侵し、廷臣たちの憂色に不吉の色をそえている。
白の宮殿、奥宮。
天の座かと錯覚するような高みに腰をすえた皇帝の前に、皇女シスは跪いていた。
帝国領七国のうち、すでに四国が解放、またはそれに近い状態にあり、さらにもう一国も、帝国の支配力が喪失している。
殺された王、七人。
帝国領エヴェンス“破城鎚の王”ラム。
同じくエヴェンス“戦車の王”鉄轍也。
帝国領ノルズ“盾の王”ルース。
帝国領オルバン“鎧の王”メルヴ。
帝国領ロードラント“弓の王”ボルグ。
帝国領クラウリー“戦斧の王”エクス。
帝国領ミーガン“車輪の王”イール。
大陸統一の英雄やその子ら。そして日本人。
帝国の至宝というべき八王級の武装使いが、そして帝国兵たちの血が染み込んだ征服地が、いっそ爽快なほど短期間のうちに失われた。
その、皇女シスの言葉を聞いて。
玉座の主はただ不快げに鼻を鳴らした。
「神聖にして不可侵である余の耳を、かような不祥で穢すとは……貴様が姉でなければ自裁を命じているところだ」
歌うような抑揚。
現実からひどく乖離したその声は、皇帝を世界の異物にさせている。
「よい。地上の雑務は貴様がこなせ。余を煩わせるな」
ただし。と、精神を天上の高みに登らせた皇帝は言葉を続ける。
「――貴様は皇都に残れ。余が真に至高の存在となるために」
それは、帝国再起のためには、最悪と言っていい選択。
だが、たとえそれがわかっていたとしても、皇帝は眉ひとつ動かさず、鼻で笑うだろう。
皇帝は、すでにその精神を神の、あるいは怪物の領域に至らせている。そしてじきに、肉体もそれに従うことだろう。
その事実を、皇女シスは既定のものとして受け止めながら、玉座の主に向けて跪き、叩頭した。
◆
「雨か」
にわかに鼻さきを濡らした水滴に、少女はつぶやいた。
ごく淡い金髪に、翠緑の瞳を持つ少女は、鹿皮のフードを目深にかぶっている。
目鼻立ちも、そしてよく見れば耳も鋭く尖っており、それが少女に険のようなものを与えている。
ぽつ、ぽつと地を叩きはじめた雨を避けるように、フードの奥に顔を引っ込めながら、少女は街道を歩く。
ひたすらまっすぐに延びる大陸横路と、その奥に見える首都ローザリアの赤い城壁。少女にとって見なれぬ異国の風景がそこにある。
少女の名はネリー。
祖国はクラウリー王国。
かつての王国を復興せんとする解放運動に身を投じている一人である。
いや、正確にはネリーは祖国の解放を心から望んでいるわけではない。
なぜなら、ネリーの祖国はすでに取り返しがつかないほどに――滅びているのだ。
かつてホルンという民族があった。
龍江イシズの西南の広範な地域に住んでいた異民族だ。
集まらず、王を持たず、しかし剽悍無比であり、河を挟んだ対岸の王国――クラウリーなどは、たびたび侵入してくるホルンに手を焼いていた。
そのホルンに、あるとき偉大な指導者が出て、ホルンはまとまり――そしてクラウリーに敗れ、併合された。
クラウリーの大領主となったホルンの長たちは、後の帝国、ヴィン王国を相手にして、これを大いに悩ませた。
だからだろうか。初代統一皇帝はクラウリーの王に封じた戦斧の王に、ホルンを強烈に締め付けるよう、厳命したのだ。
戦斧の王は統一皇帝の命に忠実だった。
火竜山脈の麓に住んでいた山岳のホルン、龍江イシズ周辺および南部森林地帯に住んでいた森のホルンを、物理的に抹消した。
ネリーは偶然難を避けたが、民族としてのホルンはすでになく、またホルン狩りも大規模かつ執拗に行われたため、彼女は地下に潜みつづけねばならなかった。
だが、一人の人間が、状況を一変させた。
それが、彼女が今から会うべき相手だった。
「クラウリーから来たホルンのネリーだ。鉄塊の王に会いたい」
首都ロードラントを訪れたネリーが門衛の男に告げると、驚くほどの速さで宝玉宮に案内された。
疑われることはなかった。
なにせホルンは特徴的な容姿だ。
そして、ホルンであれば帝国に好意を抱くことはあり得ない。
それもあって、鉄塊の王への使者に、ネリーが選ばれたのだが。
鉄塊の王は、会いたいと望むものがあれば、時間を問わず通すよう言っているらしい。
聞くところによれば暗殺騒ぎもあったらしいが、以後も彼はその姿勢を変えていない。
――傑物と呼ぶべきか……あるいはよほどの自信家か。
そう思うが、八王をつぎつぎと討ち倒した実力者だ。ただの慢心家ではあるまい。
そんなことを考えながら、ネリーは促されるままに健吾の私室に案内された。
鉄塊の王。オウジョウケンゴ。
エヴェンス王国、オルバン王国をつぎつぎに解放し、いままた元王臣テオドア、大侠シスリー両名を助け、ロードラント解放軍に協力している。
そのことに、ネリーは淡い反感を覚えている。
ロードラントの実質の王は鉄塊の王に違いないのに、そうやって外面を取り繕っている。大いなる野心を隠した計算高い人物だと見ていいだろう。
「ケンゴ様、客人を案内してきました」
案内の者が言うと、中から「おう」という声が返ってきた。
それが想像していたものより荒っぽいものだったので、ネリーはおやと首をかしげた。
扉が開く。
ネリーは驚いた。
かつて“大陸の王宮”と謳われた豪奢極まりない宝玉宮。
その実質的な主のものとしては、この部屋はあまりにも虚ろだった。
大理石のテーブル。豪奢な椅子。そしてベッド。
室内にあるのは、あとは簡素な本棚くらい。そのほかは徹底的に装飾が省かれていた。
「よう」
そして、椅子に腰をかけた殺風景な部屋の主は、軽い調子でネリーに声をかけた。
――この男が、鉄塊の王。大陸解放の英雄。
奇妙な男だった。
漆黒の髪に、獣のごとき風貌。
ひと目で大陸のものでないとわかる、異様な装い。
ネリーが頭に思い描いていた狡猾なる王者のイメージなど、カケラもない。
むしろ場末の酒場に行けば、ダース単位で見つけられそうな男だ。
鹿皮のフードを脱いで、ネリーはまっすぐに問いかける。
「ホルンのネリーだ。お初にお目にかかる。あなたが鉄塊の王か」
「その名前で呼ばれんのは好きじゃねェけどよ」
かぶりを振りながら、野獣のごとき男は口の端をつり上げた。
「――察しの通り、オレが王城健吾だぜ」
「他に、人は?」
「たぶんもうすぐ来るぜ。あいにく元王臣の爺さんは留守でね。大侠のじいさんと、かえでのやつを呼んでるところだ」
ネリーが尋ねたのは、護衛も無しでいいのか、ということだったが、勘違いしたらしい男はそう説明した。
――呑まれていたか。危うくこの男の本質を見逃すところだった。
ネリーは心中で息をのんだ。
この期に及んでロードラント代表を同席させるポーズを崩さない。まごうことなき曲者だ。
あらたに心構えをしている間に、禿頭黒髭の老人と、健吾同様、異装の少女が部屋に入ってきた。
「すいやせんね。テオドア殿不在のローザリアを預かっておりやす、手前シスリーってえ侠者でございやす」
「長門かえでよ」
――二人とも、ただ者ではない。
ネリーは心の中でつぶやいた。
腹をすえ直しながら、少女はあらためて三人に礼をする。
「はじめてお目にかかる。私はホルンのネリーという」
「ホルン?」
「クラウリー南部の民族よ。戦斧の王に滅ぼされた……まあ、こんなにエルフっぽいとは思わなかったけど」
「うむ。私はホルンの生き残りだ」
かえでの説明を、ネリーは引き継ぐ。
エルフ云々はネリーには理解できなかったので、聞き流す。
「――他に生き残りがいるかもしれないが、まだ会ったことはないな」
「そうか、そいつぁ……」
「同情は無用。我らの滅びは力なきゆえ。それに、本日私が鉄塊の王を尋ねたのは、ホルンとしてではない。クラウリー解放軍の使者としてだ」
ネリーが言うと、かえでがぴくりと眉を動かした。
「意外ね。クラウリーが解放軍を形成できるほどの武力と横の連携を持ってるなんて」
彼女の言葉は失礼でも何でもない。
戦斧の王により、戦力としての武装使いを厳密に潰されたクラウリー人には、まともな戦力など望むべくもない。
そのうえ北部の諸都市は根絶やしにされ、食料は奪われて、とてもではないが都市間の連携をとれるような状態ではない。
だが、喜ぶべきことに、クラウリーにもまだ逸材は居た。
「動く体力こそないものの、龍江イシズ流域諸都市はすでに解放を宣言している」
「そりゃ戦斧の王の根こそぎ北伐のせいで、都市には帝国兵が居ないんだから、解放宣言自体は簡単でしょうね……でも、それを維持するとなると難しいんじゃないかしら? とくに北の方には、あたしたちが討ち漏らした帝国の武装使いたちが集まってる都市があったはずよ」
「察するに、その都市を討ってほしいってえことですかい?」
かえでに続き、シスリーが尋ねてきた。
だが、ネリーは首を横に振る。
「私がここを訪ねたのは、鉄塊の王、貴方と同盟を結びたいからだ」
「同盟? ああ、いいぜ」
「健吾、即断はやめてねお願いだから」
軽く答えた健吾に、長門かえでが眉をひそめた。
「ネリーさん。クラウリー解放軍と同盟するのはいい。だけど、同盟してどうしようっていうの?」
「同盟した、という事実があればいい、と、我らの頭脳は言っている」
ネリーは鋭い瞳で健吾をまっすぐに見据えながら、言った。
「――むしろ加勢は無用。クラウリーの開放はすべて我らの手で行う、と」
「ま、気持ちはわからんでもないが……出来るんですかい?」
「さあな。だが我らはやれると信じている」
実のところ、ネリーとて言うほどに自分たちの未来を明るく描いているわけではない。
だが、“クラウリー人の誇り”のためにあえて困難な道を選び、それに殉じている仲間たちの気概と、そして何よりも能力を、彼女は信じているのだ。
「なら、いいぜ。このオレ、王城健吾とクラウリー解放軍の同盟だ。オレの名前は好きに使いな――ただし」
鋭い目を向けながら、王城健吾はネリーの腹に言葉をねじ込む。
「ガキは泣かすな。もしそんなことがあったら、オレがぶっ潰すからな」
――この男は、よほどの善人か、それとも稀代の悪人なのか。
そんな疑問が、ネリーの胸に生じた。
だが、どの道すぐには答えが出そうにない問いだ。
そして、彼の言葉には、ネリーは共感を抱かざるを得ない。
「わかった。子供を泣かす奴は、私も嫌いだ」
「信じるぜ。よろしくな」
ネリーと王城健吾は固い握手を交わした。
――燃えるような熱い手だ。
それがネリーの印象に、深く残った。
◆登場人物
ネリー……素クール系エルフっぽいなにか。




