第三十二話 皇女
「テメェ……なにモンだ?」
野獣の目を細めると、王城健吾は身構えた。
絶世と評されるべき容姿。絹糸のような金髪に紫水晶の瞳。
目の前に居るのは、間違いなく魔女シスだ。健吾が助けようとしていた女だ。
だというのに。
無言でたたずむ女は、健吾の眼には、まるで別人に映っていた。
女はゆっくりと、紫の視線を落とした。
その先にあるのは、こと切れ、赤い大地に伏した車輪の王だ。
「ふむ」
冷たい目だった。
まるで物を見るような、態度と声。
しかし、その声音も、間違いなく魔女シスのもの。
「独断専行のあげく、死んだか」
だが、死体に歩み寄った彼女の行動は、予想外。
「――役立たずめ」
彼女は車輪の王を。彼女を愛し敬い続けた男の死体を――足蹴にしたのだ。
無感情な声で、吐き捨てるように罵りながら。
瞬間。
健吾の思考は沸騰した。
「おい、いまナニやった……」
木樽を地に叩きつけながら、健吾は言葉をぶつける。
「――ナニやったって聞いてんだよ、おい」
目を剥きながら、口を歪めながら、怒りを露にしながら、王城健吾は魔女シスのような誰かに歩み寄る。
「そいつはなぁ……オレがタイマン張った……オレが殺した……オレの友達だ! ナニ踏んでやがんだ――その足退けろクソ女ぁっ!!」
健吾は怒り吼えた。
吼えながら武装を、“鉄機甲腕”を顕現させる。
顕現させながら、その地を裂く鉄の拳を、眼前の魔女に叩きつけた。
轟音とともに、圧倒的な質量を持つ鉄の拳が、その半ばを地に沈める。
手ごたえは――なかった。
「――っ!」
背後に気配を感じ、健吾は焦り身をひるがえす。
魔女は、冷たい視線を健吾に向けて、超然とそこに立っていた。
「おい、答えろ! テメェ、ナニもんだ!?」
「……皇女シス」
心中の焦り、あるいは怯えにも似た何かを察したのだろうか。
魔女のごとき女は、ぞっとするような表情を向けて、名乗りあげる。
「――神聖にして不可侵たる皇帝陛下の姉にして、八王を統べる者」
手に持つ鉄杖が、赤く輝きだした。
火焔山の溶岩弾。
かつてリムリック砦を溶岩で埋めた魔女シスの奥の手だ。
「敵にナンかされてやがんのか……」
健吾は漠然と察して舌打ちする。
洗脳か操り人形か。およそそんなところだろう。
しかし。承知してなお、健吾は怒りの鉄拳を女に向ける。
「だがよぉ、操られてんだかなんだか知らねェけどよぉ、車輪のおっさん蹴りやがったのは許せねェぞ! テメェ、ぶん殴られんのを覚悟しやがれェっ!!」
「笑止……“魔法の杖”――概念凌駕」
対する魔女シスは、無表情で杖を横に振るった。
その軌跡を追うように、錆びたような赤い光が尾を引く。
赫光の線が広がる。さながらそれは口を広げた龍の顎。
灼熱の溶岩が火竜の口蓋より怒涛のごとく溢れ――なかった。
突如、疾風のごとく飛来した鉄の車輪が、魔女シスの“魔法の杖”に衝突する。
鈍い異音とともに、空間接続が途切れたのだろう。溶岩を吐きださんとする赫光は、消失した。
「おっさん!?」
健吾は思わず車輪の王を見た。
だが、車輪の王は死相を顕わにしたまま動かない。
間違いなく死んでいる。動いているのも、車輪の片方だけだ。
ごく稀に、武装に篭もった思いが、持ち主の死後も武装を動かすことがある。
そのような知識を、健吾は持ち合わせていない。
だが、車輪の王イールが王城健吾に向けたメッセージは、明白だった。
――お前が助けてくれ。頼む。“託した”ぞ。
車輪の王の言葉を思い出して、王城健吾は口の端をつり上げた。
「わぁったよ、おっさん。おっさんに免じて……とりあえずはぶっ飛ばして連れて帰る!!」
さして変わったとも思えない結論だが、いくぶん冷静になっている。
その、戦意に反応するように、戦車の王の武装“絶影鉄輪”は、魔女シスを狙うように静止する。
その様子を見て。
魔女シスは、黒のローブを翻し、健吾たちに背を向けた。
「おい、どこ行くつもりだ!?」
「帰るのじゃ。二対一では分が悪いでな」
言葉とともに、淡く輝く“魔法の杖”を振るうと、魔女シスは光をくぐり――消えた。
空間接続。
今度は武装の気配を感じることもできない。
あらかじめ“繋げ”ておいた場所への超長距離転移だ。
静寂が、赤い大地を支配する。
「くそっ――待ちやがれェーっ!!」
やり場のない怒りに、健吾は天に向かって吼えた。
応えるものは何もない。ただ、車輪の王の武装、“絶影鉄輪”の片輪だけが、託された健吾の足に寄りそった。
◆
健吾は首都ローザリアに戻った。
宝玉宮の門をくぐると、そこで、待ちかねていたのだろう。長門かえでとミリアが迎え出た。
「健吾……」
かえでが言いかけて、言葉につまった。
王城健吾は不機嫌を隠しきれない様子で、その面相ときたら、野獣を通り越して魔獣の風情だ。
「ねーねー、健吾にぃ。勝負はどうだったのー?」
それでも、臆せず声をあげたのは、天掛美鳥だった。
このあどけない顔立ちのぼんやりとした少女は、空気を読まず、健吾に問いかける。
「あぁん? ――と、すまねェ……ケリはついたんだけどよぉ、ちょっと厄介なことになっちまってよ」
「それって、健吾にぃの足についてる変なの?」
「ああ。これはこれで妙なんだがよ」
ひょいと足をあげながら、健吾は眉をひそめる。
車輪の王イールの八王級武装“絶影鉄輪”。その片輪は、王城健吾に付属している。
「それを妙で済ますって……なにがあったのよ、健吾くん」
美鳥が緩めた空気にほっと息をつきながら、かえでが問いかける。
「部屋で話す……ちょっと疲れたんでな」
そう言って、健吾はのしのしと自室へ向かった。
その後をころころと転がっていく車輪を、美鳥とミリアが興味深げに追いかけながら見ていた。
◆
部屋に戻った健吾は、ベッドに倒れ込む。
美鳥もいっしょに寝ようとしたが、必死なミリアに阻止された。
それから、長門かえでの命令で全員椅子に座り、肩を並べてベッドの健吾向き合うことになった。
「さて、健吾くん。聞かせてくれるかしら? 決闘の場でなにがあったか」
かえでの問いに、健吾はぽつり、ぽつりと語った。
車輪の王と決着をつけたこと。
勝負の場に、魔女シスが現れたこと。
彼女が皇女シスを名乗り、帝国、というより、忌み嫌っていたはずの皇帝に与する姿勢を見せるなど、あきらかに様子がおかしかったこと。
「ほんとに、わけがわかんねェよ」
「……洗脳系武装。おそらくは、それでしょうね」
しばし沈思してから、かえでが言った。
「――魔女さんの思想から、帝国に寝返るってのは、ちょっと考えられない。いや、帝国に寝返りはしても、皇帝につくってことはあり得ない。なら、洗脳で間違いないんだけど……疑問もあるのよね」
「疑問? なんだ?」
「以前、魔女さんは皇帝の暗殺に失敗してるらしいんだけど……魔女さんの超八王級武装“魔法の杖”。あれに先手を打たれて、洗脳系武装使いがしのげるものかしら?」
「……いえ、おそらく、カエデさんの推測は正しいのじゃです」
かえでの疑問に答えたのは銀髪の少女、ミリアだった。
「わたしのなかにある魔女の記憶。そこに残っているのは、本来なら絶対にあり得ない姿……旧七王国の王族――八王級武装を持つ武装使いに守られた皇帝の姿なのです」
少女は言葉を切り、続ける。
「――魔女さんの考察するところでは、皇帝の武装は相手を“支配”するものではないか、と」
「……やっかいね」
かえでが眉をひそめた。
本来皇帝に敵意を持っているはずの人間を意のままに支配できる。
魔女シスが一度はその手から逃れられたとすれば、一瞬のうちに効果を及ぼす能力ではないのかもしれないが、それでも危険極まりない能力だ。
だが、かえでの言葉にうなずきながら、銀髪の少女は言った。
「ええ。やっかいのじゃです。でも、破る方法がないわけじゃないです」
「ミリア、教えてくれ」
起き上がりながらの健吾の言葉に、ミリアはうなずき答えた。
「八王国全土の開放です」
「……なるほど」
理解したのだろう。
かえでが即座にうなずいた。
健吾にはさっぱりわからない。
「おい、どういうことだ? 教えてくれ。オレにもわかるように」
「最後のでちょっとハードル上がった気がするけど――つまりね、健吾」
ちょっと先生口調になりながら、かえでが説明する。
「――皇帝の持つ武装。その特化概念は、十中八九“支配”。ここまではいい?」
「だいたい」
「おっけー。じゃあ、おさらいね。概念を打ち破ることができれば、武装は弱体化する。これは、覚えてるわよね」
「おう!」
「なら、わかるでしょ? あたしたちのやるべきことは」
元気よく返事した健吾に、かえでが水を向ける。
理解した健吾は、口の端をつり上げ、獣のように笑った。
「……“支配”を“破る”。つまり、この大陸全部を解放しちまえば、皇帝の武装も弱くなって、魔女さんも助けられる。そう言うことだよな?」
「ええ。その通りよ」
「これまで通り、帝国野郎どもをぶちのめしていけばいいってことだよな?」
「ええ。そして、そのための準備も、整ってる」
確信めいた表情のかえでに、疑問の表情を向ける。
「実は健吾くんが居ないうちにね、エヴェンスからお客さんがあったの……ミリアちゃん、呼んできてくれる?」
「はいっ!」
ぱたぱたとミリアが駆けていく。
ややあって、少女が連れてきたのは、20人近い男たち。
その幾人かには、見覚えがあった。
リムリック砦で健吾たちの護衛にあたっていた、エヴェンス解放軍の武装使いたちだ。
「ケンゴ様!」
「おう、お前らか! どうしてここに?」
健吾が目をまるくしていると、長門かえでが「にひ」と笑った。
「アウラスさんにね、あらかじめ伝えてたのよ。どうにかまるく収まる名分たてて、こっちに武装使い送ってきてちょうだいって」
かえでがリムリック砦を発つ際に、である。
これに応じてアウラスは武装使いを募り、名目上は傭兵として、ロードラントに送り出してきたのだ。
もっとも、ロードラント解放軍に雇われる、という条件に難色を示すものも多く、人選に一苦労だったらしいが。
ちなみに真っ先に手をあげた王城健吾の信望者、エイブリッジのヘンリーは、北の友好勢力との意思疎通に欠かせない人材のため、却下された。
「アウラス殿からの伝言です。お預けします。どうかケンゴ殿の望むままに、と」
その伝言を聞いて、健吾はアウラスを思い出す。
銀髪碧眼の、壮年の美丈夫は、いつも平気な顔をして無茶を聞いてくれる。
そのことに感謝しながら、健吾は笑う。
やるべきことはわかった。
動くための条件も、整った。
なら、あとは突き進むだけだ。
皆の前で、健吾は立ち上がり、宣言する。
「行くぜ。帝国から、大陸まるごと解放してやる……そして皇帝野郎をぶっ倒して、魔女さんを取り返してやるぜ!」
つきあげられた健吾の拳に従うように。無数の拳が一斉に上がった。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー13
名前:ショルメ
武装:パイプの武装“英知のパイプ”
備考:帝国領クラウリーに住む隠者。戦斧の王の苛烈な支配から隠れながら、さまざまな事件を解決している。男と同棲していて、表に出ることはめったにない。よい子が使っちゃいけないものをパイプに詰めて吸っている。無駄に格闘の達人。居ながらにして反帝国ネットワークを形成し始めている。




