第三十一話 決闘
「よう、かえで。行ってくるから、あと頼むぜ」
「わかったわ、健吾。ケリつけて来なさい」
“車輪の王”からの決闘状を受け取った後。
そんな短いやりとりを交わして、二人は別れた。
そのことが不満だったのだろう。
あとからミリアが心配げな様子で尋ねてきた。
「……よかったんですか? カエデさん。止めなくて」
「よくはないけど、どう考えても止まらないし」
ミリアの問いに、かえではため息をつきながら答える。
「――それに、男の勝負を邪魔するわけにはいかないもの」
「……わたしには、わかりません」
銀髪の少女は、それでも不満を隠せない。
「――わたしは、ケンゴさんが無事なのが一番なんです。だから、なんでわざわざ危ない真似するのか、わかりません」
「べつに、わからなくてもいいんじゃない? 好きな人だといっても、他人なんだから、理解できないことくらいあるわよ」
かえでは勝気な瞳を優しく細めながら、銀髪の少女に声をかける。
「――ただ、健吾くんにも譲れない自分がある。それだけ知って、できれば認めてほしいかな。二人のためにも、ね」
にひ、と笑う長門かえで。
それでも心配なのだろう。ミリアの表情は、まだ晴れない。
「でも、もし相手がケンゴさんを殺すために、待ち伏せとか卑怯な手を使ってきたら……」
「大丈夫よ、ミリアちゃん。その時は――あたしが車輪の王を後悔させてあげるわ……死ぬほどね」
ミリアに向かって優しく微笑みながら、その目は笑っていない。
ぞっとするほど冷たい瞳は、はるか北西の彼方に向けられていた。
◆
ロードラント王国首都ローザリアの北西、火竜山脈の麓。
岩塊がごろごろと転がる赤い荒地に、その男は居た。
年のころは三十過ぎ。
精悍な顔立ちに、黒豹を思わせるしなやかな長身。
流れるような長い黒髪を、後頭部で結んでいる。
“車輪の王”イール。
そう呼ばれる帝国の英雄は、赤い岩塊に腰をかけ、小さな木樽を膝に乗せてそこに居た。
「――よお」
「やっ。ひっさしぶりだなぁ、鉄塊の王!」
歩み寄りながら王城健吾が声をかけると、車輪の王は口の端をつり上げて、手をあげ応じた。
「来てやったぜ」
「いやいやありがたいっ! まさかあんな手紙で来てくれるとは思わなかった大した男だっ!」
立ち上がり、マントの裾を払う。
そうしてから、車輪の王は手に持つ木樽を指の背でコン、と叩いて笑顔を見せた。
「――酒だ! 戦う前に、どうだ? 飲もうじゃないの!」
「すまん。酒は飲めねェ」
「なぁんだ。敵の酒は飲めないってかぁ!?」
「……いや、オレの国じゃあ、酒は二十歳になってからだ」
健吾が答えると、車輪の王は一瞬きょとんと眼を見開き――爆笑した。
「はっはぁ! なんだぁ鉄塊の王! お前、獣みたいな顔して、律儀に外国でも郷里の法律守ってんのかぁ?」
「おい、笑うなよ」
「いやいや失敬。く、くくくっ……しかしあれか? 鉄塊の王、お前まだ二十歳行ってないのか?」
「悪かったな。18歳だよ」
「いやあ、若い。若いなあっ! 若いことはいいことだ拙者も18の頃は、我が愛しの君の臣下として統一戦争で殺したり殺されかけたりしてたなあっ! いやあの頃は迷うなんてことは無かった! 一心不乱に戦って功績をあげて我が愛しの君――皇女シス殿下に求婚するんだってなぁっ!!」
「求婚? 告白か? したのか?」
「気になるかい? 鉄塊の王」
イールがいたずらっぽく尋ねてくる。
気にはなるが、そう言われては、健吾は素直にうなずけない。
だが、車輪の王はお構いなしに言葉を続けた。
「――したさ八王になったときにな。そして盛大に振られた! わかっちゃあいたが、殿下は拙者のことなど端から眼中になかった。いや、拙者がってんじゃない。惚れたはれたってのをあの方は一切理解しなかった! 知ってるかい鉄塊の王! あの方が拙者の求婚を断った時のセリフってのがまた傑作でなぁ!」
車輪の王はまくし立てる。
――阿呆が。英雄となり、王となったおのれの立場を考えよ。王に求婚するものがあるか。皇女なら他にもおるであろう。
「わかるか鉄塊の王! 我が愛しの君、皇女シス殿下というお人は、昔っから自分のことなどお構いなしで、帝国のことを思い考えてきた! あの暴虐の二世皇帝にも、命をかけて挑んだ気高く美しい方だった! その、帝国への思いを! 拙者は受け継いでしまった! だから鉄塊の王、拙者は帝国に仇なすお前に、帝国の英雄として勝負を挑む!!」
指を、まっすぐ健吾に指し示す車輪の王。
指先を向けられた王城健吾は、どうしようもない胸騒ぎを覚えながら、尋ねた。
「……おい、魔女さんはどうしてる?」
「そいつを知りたきゃ拙者を倒すことだなぁっ! さあ勝負だ鉄塊の王! 廻れ廻れ拙者の“絶影鉄輪”!!」
車輪の王が、木樽を背後に放り投げながら武装を顕現させる。
八王級武装“絶影鉄輪”。
鉄の車輪を持つ戦馬車は、うなるような回転音を響かせながら、大地に降り立った。
「……上等だ。ぶっ倒して吐かせてやるぜ! 出ろっ! オレの“鉄機甲腕”!!」
巌のごとき極大の機甲腕と、腕にはそれを模した鉄手甲。
大小二対の鉄腕を顕現させながら、王城健吾は獣のごとく吼える。
「うおおおっ! 喰らいやがれえっ!!」
「させるか当たるかっ! 概念凌駕っ!!」
迫りくる大鉄腕の一撃。
直撃かと思われたそれを、車輪の王は紙一重で躱す。
直後、健吾の眼前に、渦巻く輝きを帯びた鉄の車輪が迫る。唸る回転音は、たやすく死を連想させる。
――やべェっ!?
飛来する車輪を左の鉄腕で弾きながら、健吾は右の大鉄腕をイールに向け、放つ。
高速で放たれた鉄腕は、しかし躱される。
高速で回転するもう一つの鉄車輪が、車輪の王の体を一瞬にして弾いたのだ。
「拙者がなぜ“戦馬車の王”ではなく、“車輪の王”と呼ばれていると思う!? 戦馬車は、あくまで移動手段! これが拙者の全力時の姿なのだあっ!!」
言う間に戻ってきた二つの“絶影鉄輪”は、車輪の王の、くるぶしの外側に装着された。
脅威だった。
速度は戦馬車時よりもはるかに早く、飛び道具としての鉄車輪の威力は、手甲で覆われた健吾の左腕を痺れさせるほどだ。
「強ェな。車輪の王」
「ああ、そうだろう、そうだろうさっ!」
心底からつぶやいた健吾の言葉に、車輪の王がうなずいた。
「最初は、我が愛しの君を守るために……次には武功をあげ、我が愛しの君に求婚する資格を得るために……そして、我が愛しの君が愛する帝国を守るために、拙者は戦ってきた――そんな拙者が弱いはずがないっ! そうだろう鉄塊の王っ!!」
「認めるぜ! テメェは強ェっ!!」
叫びながら、両者はふたたび鉄拳を、鉄車輪を撃ちつけ合う。
そうしながら。必殺の一撃が紙一重の距離を吹きぬけていく死の暴風の最中にありながら、二人は笑う。笑いかつ叫ぶ。
「そんなに魔女さんに惚れてるのかよっ!」
「当たり前だろう!? 惚れてなくて命が賭けられるかよっ! あれは忘れもしない18年前、ダアッ! 皇女殿下にお仕えするために挨拶に行ったその場所で、天使のような少女を見て、拙者は恋に落ちた! ひと目惚れだった! コノォッ! 思いを、拙者は生涯貫くっ!!」
叫びながら、拳を打ち出す。
それを高速で避けながら、鉄の車輪を叩き込む。
両者の激しい応酬は、わめき声を交えながら、次第に激しくなっていく。
威力も、性能も、健吾の“鉄機甲腕”がはるかに上回る。
だが、速度だけは、イールの“絶影鉄輪”が圧倒している。それが両者の攻防に、ある種の拮抗をもたらしていた。
「信じらんねえぜ! 魔女さんが天使!?」
「若いころの皇女殿下は凄かったぞぉ!? 絹糸みたいに細く、繊細な金髪! ヴィン王族特有の紫水晶みたいな瞳! 12やそこらだってのに幼さなんてカケラもない、おっそろしく整った顔立ちの、絶世の美少女だった! あれこそ天使と呼ぶにふさわしいっ!」
「だから惚れたのかっ!?」
「ああっ? 違うなぁっ! ひと目見た瞬間、魂をわしづかみにされた! 理屈なんて後からだ! そういうもんだぜ違うか鉄塊の王――お前も殿下に惚れてるんだろうっ!?」
「ああん!?」
思いもしない言葉を叩きつけられ、健吾は戦いながら眉根を寄せた。
車輪の王はかまわず、なおも言いつのる。
「違うかそれとも気づいてないのか鉄塊の王! 同じ女に惚れた身だ。拙者にはわかるっ! 鉄塊の王! お前はシス殿下に惚れているっ!」
斬り結び、別れ、着地した先で、びしっと指差しながら、車輪の王は宣言した。
「惚れてる? オレが? 魔女さんに?」
いぶかしみながら、王城健吾は思い返す。
初めて出会った時。あの宵闇の森で、フードを目深にかぶった、老女のような言葉遣いの女の姿を。
恐ろしく奇麗で、胸が大きくて、どこか浮世離れしていて、だが、一本筋の通った凛とした自称魔女の姿を。
健吾の命を守るために、鎧の王に進んで囚われ、健吾の武装を完成させるために、三人もの王を相手にした彼女の姿を。
そして健吾はかぶりを振った。
「――よくわかんねェな! 恥ずかしながらこの王城健吾、恋愛にゃとんと縁がなかったもんでな!」
慕わしく思う気持ちはある。
年の離れた、姉のような人だった。
孤独で、どこか寂しげで、放っておけない人だと思っていた。
しかし、彼女に惚れているなど、健吾はいままで思いもしなかった。
「――だが、テメェがそう言うんならそうなんだろうさ! オレは魔女さんに惚れてるっ! だったら、同じ女に惚れたモン同士!!」
「ああ! 拳で、決着をつけようじゃないかっ!」
両者、獣の笑みを浮かべ――吼えた。
「うおおおおっ! “届け”! “鉄機甲腕”――概念凌駕っ!!」
「おおおおおっ! “疾風れ”! “絶影鉄輪”――概念凌駕!!」
必中と神速。
概念を込めた渾身の一撃が、両者の手から放たれる。
先に届いたのは、イールの“絶影鉄輪”だった。
しかし瞬閃の一撃は、健吾の左腕に阻まれる。
だが車輪の王の攻撃は途切れていない。
「だあああっ!!」
地を這うように鉄腕をくぐりぬけ、車輪の王は健吾に肉薄する。
左腕は攻撃を防ぐために使ってしまい、右腕はストレートを放ったまま、すぐには動かせない。
だが、王城健吾はあきらめない。
己の拳を、相手に届かせる。この概念は。
魔女シスを助けるために生み出されたこの概念は、まだ生きている。
「うおおおおおおっ! “届け”ぇっ!!」
健吾は吼えた。
その、強烈な意志に応じるように、右の大鉄腕は超高速で弧を描いて車輪の王に襲いかかった。
「なにっ!?」
一瞬。
ほんの一瞬だけ、概念の篭もった鉄腕の速度は、“絶影鉄輪”のそれを凌駕し――車輪の王にぶち当たった。
「がっ!!」
人身事故のような一撃に、車輪の王は二度、三度、赤い大地に打ちつけられながら吹き飛ばされ、地に倒れた。
静寂が、あたりを支配した。
健吾も、紙一重の勝負に、背筋を凍らされていた。
健吾の右頬には、僅かながら擦過傷が刻まれている。
回転する鉄の車輪の一撃は、健吾に届いていた。あと10センチで、おそらくは健吾の命にも。
動かないイールの元に、王城健吾はゆっくりと歩み寄る。
車輪の王は横向きに倒れたまま、動かない。
が、息はあった。あくまで、まだ、だが。
「よう」
「っはぁ、やられ、た、か」
血を吐きながら、男は苦笑を浮かべた。
血を吐いた、ということは、内臓を損傷している。
肺も潰れているのだろう。酸欠で顔が紫色になってきている。
死の兆候を間近に見ながら、健吾は車輪の王に問う。
「ああ。ぶっ倒した。約束通り、魔女さんがどうしてるのか、教えろ」
「我が、愛しの、君は……死んだ」
「なにっ!?」
「だから、お前が、助け、て、くれ……頼む……“託した”ぞ」
「おい、どういうことだ!? おい、しっかりしろ! おい!」
健吾は必死で声をかける。
だが、車輪の王は答えない。
もう永遠に、答えられなくなった。
「……死んだか」
王城健吾は知らず、手を合わせていた。
なぜかそれが、この男に払うべき礼儀のような気がした。
だが、疑問が残っている。
車輪の王イールの最後の言葉だ。
――我が愛しの君は死んだ。だから、お前が助けてくれ。
この矛盾だらけの言葉の意味が、まるでわからない。
「死んだけど助ける? どういうことだ?」
考えても、わからない。
しかし答えなど、確認しようがない。
ふと、健吾は思い出して、あたりを見回した。
彼の武装、“絶影鉄輪”は、なぜか消えずに残っている。
すこし離れた場所に、探していたものを見つけた。イールが放り投げた木樽だ。
「酒……最後に、飲ませてやるか」
思い立ち、歩いて行って木樽を拾い、振り返ったところで――健吾は凍りついた。
目深にかぶったフードの端からこぼれる、絹糸のような金髪。
紫水晶のような瞳の、恐ろしく顔の整った絶世の美女。
懐かしい魔女シスの姿が、そこにあった。
だが。
――魔女さんじゃ……ない?
健吾の目には、無言でたたずむ彼女が、まるで別人に見えている。
武装:戦馬車の武装“絶影鉄輪”
使い手:イール
特化概念:“疾走る”
鉄量:S
威力:S
備考:高速で移動可能な、帝国最速の戦馬車の武装。分解可能。




