第三十話 戦略
一日、泥のように眠ってた健吾は、空腹で目を覚ました。
起き上がると、側にミリアが控えていて、「そろそろ起きるころだと思ってました」と、準備していたのだろう。料理をテーブルに並べてくれた。
香ばしい香りのパンに、ミルク。鶏肉のシチュー。
簡素だが、シチューは選び抜いた野菜がじっくりと煮込まれている。
健吾はそれをかき込んだ。
「――美味ェ」
一日ぶりの食事だ。
そのうえ料理上手のミリアが、情熱を込めて作った料理である。
しびれるような幸福感に身を震わせながら、健吾は思わずつぶやいた。
「えっへん」とでも言いたげなミリアに、あらためて「美味いぜ」と笑顔を送りながら、健吾はもしゃりとパンにかぶりついた。
そうしているうち、健吾が起きたのを聞きつけたのだろう。
長門かえでが、「もっと寝たいー」と嫌がる天掛美鳥を引きずって現れた。
黒髪セーラー服の少女は、健吾と顔を合わせると、長髪を揺らして笑顔を見せた。
「おはよう、健吾。体調は?」
「おう、ばっちりだぜ! かえでたちもメシ食うか?」
「うん、たべるー」
「こら、天掛さん、あなたはさっき食べたでしょ?」
ふらふらと食卓に向かおうとする美鳥の首根っこを掴んで、かえでは健吾が寝ていたベッドに腰をかけた。
怠惰な少女は「おふとんだー」と、むしろ喜びながら、寝転がってしまう。
「あっ!? ……まあいいわ。健吾、そのまま聞いてくれる?」
「待ってくれ。もう食い終わる……ふう。美味かったぜ、ミリア」
「それはよかったのじゃです」
口元をほころばせて片づけにかかるミリア。
健吾は視線で感謝を表しながら、かえでに目線を向ける。
「すまん、かえで。食い終わったから、とりあえずテーブルで話すか」
言いながら、健吾は大理石のテーブルに、とん、と指を落とした。
かえでが応じてベッドから立ち、健吾の隣に腰をおろす。もうひとりの少女はテコでも動かなかった。
「もう……健吾、話ってのは、今後どうするかってことなんだけど」
寝息をたてはじめた美鳥に眉をひそめてから、黒髪の少女は健吾に顔を向け、言った。
「――現状を説明するわね。まずは南の脅威――帝国領クラウリーからの侵攻の恐れは、完全に無くなったと言っていいわ。なにせ、この間の戦いで、クラウリーの敵戦力の過半が消失。おそらく帝国は領土の維持が出来なくなるわ。各地で解放運動が起きて、クラウリー王国は早晩独立する」
ただ、と、かえでは話を続ける。
「戦斧の王は、クラウリーの武装使いたちを、かなり厳密に潰してたみたい。武将級以上の武装使いはたぶん民間では居ないでしょうね。だから、ひょっとしたら相当長引く」
「……つまり、どういうことだ?」
健吾は首を傾けた。
かえでの言ったことが難しくて、いまいち理解できていないのだ。
「……こっちに影響は無いけど、南は荒れそうってこと。おーけー?」
「おう!」
めげない少女のわかりやすい説明に、健吾はうれしそうにうなずいた。
「で、この国は……もうちょっと戦力を集めたいわね。あたしたち抜きで国内の帝国勢力と戦っていくには、武将級の武装使いが、あと十人ほど欲しいところ」
「集まるか?」
「大侠のお爺ちゃんのつながりを使って有志を呼び寄せる……十日あれば、なんとかって感じかしら? それだけの時間があれば、この国も、なんとか自力でやっていける」
「ってことは、いよいよ」
「ええ。動くべき時よ。大陸横路の街道周辺都市を解放しながら、北の帝国領トレントに攻め入る……ちょっと待ってね、地図が、たしかこの辺りに……」
勝手知ったる他人の部屋とばかり、ごそごそと棚を漁りだすかえで。
そうするうち、銀髪の少女ミリアが食器のかたずけを終えて戻ってきた。
小さな手に持つトレイの上には、ポットと人数分のカップが乗っている。
「お疲れ様、ミリアちゃん」
「はい。カエデさんも、果物を絞ったジュースをどうぞ……話はどうですか?」
「ぜんっぜん進んでない。とりあえず現状を健吾に説明して、あと、この国が自力でやってけるようになったら、攻めに転じようかって話をしてたの」
ジュースを配り終えると健吾の逆どなりに座ったミリアに、かえでが簡単に説明してやる。
それから、とりだした地図をテーブルの上に広げ、黒髪の少女は言葉をつづけた。
「――で、地図を見て。首都ローザリアから火竜山脈を迂回して、帝都ヴィンまで半円を描いてる、大陸横路。ここを、途中の都市を解放しながら北に向かって、帝国領トレントに攻め入ろうと思ってるの」
「攻め入って、どうするんですか? 急ぎ過ぎじゃないですか?」
ミリアが首をかしげた。
魔女シスから知識を受け継いだ彼女には、ある程度の戦略眼がある。
「会話が通じるって素敵」と小声でつぶやきながら、長門かえでは地図に指を落とす。
「ま、魔女さんも助けなきゃいけないしね。最短で行くなら、帝国領トレントのグラッセン地方。帝国領ミーガンのブリマス地方……大陸横路が通るこの地方を解放し、帝国本土に攻め込むのが一番早いわ」
にひ、と笑って、かえでは言った。
「――ミリアちゃんは知ってるでしょ? これは統一皇帝の大陸統一。その東征北路を逆にたどる形なの。最短であると同時に、帝国に与える精神的ダメージは計り知れないわ」
壮大な征西計画だ。
しかも、帝国を物心両面で追いつめられる。
――だが、時間がかかりすぎる。
健吾は思う。
「……それをやんのに、時間はどれくらいかかる?」
健吾にとって重要な問いだ。
なにせ彼の恩人、魔女シスは、帝国に囚われている。
あまり悠長に時間をかけているわけにはいかないのだ。
問われて、長門かえでは考え込む。
そして、しばらくしてから、彼女は答えた。
「三十日……いえ、通り道の八王二人は放っておけないから、倍は見積もっといた方がいいわね。あたしたちの戦力なら、それくらいで駆け抜けられるわ」
「もうちっと早くなんねェか?」
「いや、これでも馬鹿みたいなスピードなんだけど……そうね、武装使い。それも武将級、将軍級の人間がもっと居れば、さらに侵攻速度を早められる、と」
言いながら、説明が必要だと思ったのだろう。
黒髪の少女は語調を転じて、あらためて健吾に問いかけた。
「――健吾、わたしたちの、と言うか解放軍の強みってなんだと思う?」
「なんだ?」
思考を投げ捨てた健吾の返答は早い。
長門かえではくじけない。
「……わたしたちの強みはね、これから攻める都市に住んでる民衆が味方だってこと」
「当たり前だろ?」
「いいから聞いてて。帝国なら、攻め落とした都市を維持するためには、そのための兵士が必要になる。解放都市を奪還しようと思えば、どうしても大軍を動かす必要があるのよ。逆にこっちは、ひとつ都市を解放したら、即座につぎの都市に行ける。ま、防衛用に戦力が必要だとしても、武装使いの数人も居れば事足りる……」
けなげに説明してから、黒髪の少女はひとつ、ため息を落とし、それから言い聞かせるように言葉を続けた。
「――簡単に言えば、民衆が味方だから、兵隊が必要無いのよ」
「おう、わかったぜ。エヴェンス王国を解放した、あんな感じだな」
「そう、そんな感じ。だから武装使いの数さえそろえば、どんどん解放してけるの」
健吾の、思いのほかしっかりと理解した様子に、少女はほっと胸をなでおろした。
こう見えても王城健吾、大雑把に本質をつかむことに長けている。野生の勘とも言う。
「でもよ、かえで。こうすりゃ、もっと早いんじゃねェか?」
健吾は首都ローザリアから、帝都ヴィンに向けて、まっすぐ指を引いた。
「美鳥の“紫電改”で山を越えて、魔女さんや、帝国野郎の親玉が居る帝都に、直接特攻む」
「無茶よ」
健吾の意見に、かえでが首を横に振った。
「なんでだ?」
「あのね……火竜山脈の標高、どれくらいだと思う? 推定だけど、場所によっては5千メートル級の山が連なってるのよ? たしかに紫電改ならそれを越える高度は出せるけど……健吾、高度5千メートルの気温、どれくらいだと思う?」
「あー」
まあ、健吾にわかるはずがない。
「間違いなくマイナス10℃近くにはなってるわよ! 時速300キロで飛んだとしたら、体感温度はマイナス30℃以下よ! 酸素濃度も半分近いの! いくら健吾が人間離れしてるったって、無茶よ無茶!」
かえでがまくし立てる。
もし健吾が上空で力尽きて、火竜山脈の露と消えるハメになったら、正直シャレにならない。
「じゃあ、ぐるっと回りながら低いとこ飛んでけば……」
「だめよ。高かろうが低かろうが、飛んでる飛行機につかまっていくなんて無茶が出来るのは、健吾くらいだし……帝都には、あたしも行くんだから。まさか相棒を置いてくとか言わないわよね?」
かえでがにらむように目を細めた。
いままでさんざん彼女を置いてけぼりにしてきた健吾としては、強く言えない。
「じゃあ陸路だ」
「はぁ……健吾。あなた自分がこの国でやったこと覚えてる? 虐げられてる民衆を見て見ぬふりできるなら、こんな全部を巻き込むような方法考えてないわよ」
ぐうの音も出なかった。
「――わたしも反対です」
大人しく二人の話を聞いていたミリアが、唐突に口を挟んだ。
「帝都には、帝国皇領ヴィンの守護者、剣の王が居ます。それに、皇帝の周りには、選りすぐりの武装使いが控えてるんです。魔女さんを助けるにも、皇帝を倒すにも、最低限、この四人がそろってなくちゃダメです」
「四人って……ミリア、あなたは」
「わたしも行きたいのじゃです」
言いかけたかえでに、銀髪の少女ははっきりと自分の意思を示した。
だが。健吾には、ミリアを危険にさらすことなど考えられない。
「ダメだ。あぶねェ」
「その危ない所に、ケンゴさんは行こうって言ってるんですよ? それに、わたしだって戦えます。この“魔法の杖”があるのじゃです」
ミリアは、身の丈にあわない長大な鉄杖を手の中に具現化させた。
超八王級武装“魔法の杖”。
“繋げる”概念に特化し、空間接続による変則的な攻撃手段を持つ、魔女シスから受け継いだ武装だ。
「ミリアちゃん。あたしは別の理由で反対よ」
今度はかえでが話す。
「――たしかに、ミリアちゃんには戦う力がある。でもね、ミリアちゃんを戦力として数えることは、あたしたちにとってリスクが高すぎるの」
「なぜですか。わたしが子供だからですか?」
ミリアの問いを、黒髪の少女は否定する。
「違うわ。ミリアちゃんはその“魔法の杖”といっしょに、魔女さんから受け継いだものがあるわよね?」
「……知識のことですか?」
「いいえ。あたしたちが日本に帰還する手段――そうよね? 魔女さんがあなたにその武装を継承させた理由なんて、それしかない。魔女さんが敵の手に囚われている現状、ミリアちゃん、その力が、あたしたちにとってどれほど大事か、わかるでしょ?」
教え諭すような口調で、長門かえでは言った。
その言葉に、銀髪の少女は何ひとつとして反論できない。
「……カエデさん、その言い方はズルイです」
「そ。あたしは健吾と違ってとってもズルイの。だから、ミリアちゃんには帝国は分けてあげない」
にひ、と笑う黒髪の少女。
王城健吾も、獣の笑みをミリアに向ける。
「……ミリア。オレはよォ、毎日お前の飯を食うのを楽しみにしてる。ミリアの飯があるから、オレは戦えてる。これってよ、スッゲー助けになってんだぜ?」
「だけど、わたしは見たいんです。魔女さんやカエデさんのように――ケンゴさんと同じ高みに立って、一緒に悩んだり、苦しんだりしたいんです」
「だったらよ、早く大人になんな。そしたら、大人扱いしてやるよ」
心の内を打ち明けたミリアの頭に、健吾はぽん、と手を置いた。
しかし、ミリアの顔は晴れない。少女は恐る恐る、尋ねてくる。
「……本当に待ってくれるんですか? わたしが大人になるまで、ケンゴさんたちは、ずっとこの世界に居てくれるんですか?」
「戻るさ。オレもいろいろと、向こうにしがらみがあるからな」
それは、おそらくミリアがもっとも恐れていた返答。
だが、ミリアがそれに対し、なにかを返す前に、王城健吾は笑顔とともに、言った。
「――だけどよ。喚んでくれるんだろ? またオレを」
「……え?」
予想外の言葉だったのだろう。
ミリアの半眼が、珍しく全開になった。
笑顔もそうだが、そうしていると、ひどく魅力的な瞳だ。
健吾は苦笑しながら、もう一度、ミリアの頭を撫でる。
「おいおい、帰ったら永遠に別れるとか思ってたんじゃねェよな? オレも十分こっちにしがらみが出来ちまってんだ。戻って来ないわけねェだろ」
その、言葉を聞いて。
ミリアはふいに、目の淵から涙をこぼし始めた。
いきなりの涙に、健吾は慌てた。
「おいどうしたミリア!? なんか悪いこと言ったか? すまん……そうだ、ジュース飲もう! な?」
「それ、あたしの……まあいいんだけど」
小声で抗議するかえではともかく。
銀髪の少女は涙をぬぐうと、健吾に泣き笑いの表情を向けた。
「いえ、違うんです。うれしくって……ずっと、ずっと、帝国を倒したら、お別れだって思ってたから」
「へっ、妙な勘違いもしたもんだぜ」
「以前、ケンゴさんが、わたしたちの国が安全になるまでは居てくれるって言ってたから、その後のこと、ずっと不安だったんです。だから、わたし、うれしいのじゃです……勝負の舞台に乗れそうですし」
「ちょっと、なんでこっちを見て言うの」
かえでが抗議する。
最後の台詞は、かえでを見ながらだった。
「いや、だって……あっちは寝てるのじゃです」
ミリアが、後ろを指差した。
健吾のベッドでは、天掛美鳥がすやすやと寝息を立てている。
なんかもうダメな感じの少女に、長門かえでが声を張り上げ突っ込む。
「……天掛さん、せめて起きときなさいよっ!」
「すぴー」
平和な少女だった。
◆
この翌日。
王城健吾にあてた手紙が、大侠シスリーから届けられた。
何人かを挟んでもたらされた、厳重な封が施された手紙。
それを読んで、健吾は目を見開き――獣のごとき笑みを浮かべた。
“鉄塊の王よ、一日以来。すでに帝国八王のうち、五人までが討たれた。もはや帝国の浮沈に関わる存在となった貴殿とは、個人的にも因縁がある。ついては一対一で決着をつけたく、密かに来られたし。場所は――”
差出人の名は、車輪の王イール。
魔女シスを攫った張本人からの――決闘状だった。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー12
名前:ダンジョー
武装:鉄釜の武装“爆裂釜”
備考:芸術への造詣が深い帝国領クラウリーの将軍。白い覆面をかぶり、青い皮鎧を纏った老人。口癖は、「芸術は爆発だ」。元はクラウリー王国の将軍だったが、帝国に寝返った。爆発という現象をこよなく愛し、試行錯誤の結果、ついに爆発する武装を編み出した。なぜか鉄釜型。爆発しても釜自体は破損しない。戦斧の王のロードラント攻めにも参加していたが、年甲斐もなく各所を爆破しまくってファイアーアップを探していたところを、長門かえでの41cm連装砲の砲撃を食らい、チュドった。本人は満足。




