第十九話 形成
――それは、すべてのエヴェンス人にとって記念すべき日だった。
首都エアに住む、あるエヴェンス人は、その出来事を、歓喜を爆発させながら、殴り書きのように記している。
その出来事、とは、エヴェンス王国全土の開放である。
強大化する一方の解放軍相手に、帝国側もよく持ちこたえたが、見る間に削られていく味方勢力に、ついに雪崩をうって崩壊したのだ。
快事である。
つい数ヶ月前のエヴェンス人にとっては、叶わぬ夢でしかなかった。
十年前、すでに国土を半分以下に擦り減らされていた王国が、憎むべき帝国軍にすべての国土と、国王を奪われてから、エヴェンス人は泥をすすり地を這うような生き方を強いられてきた。
明日に希望を持てぬ。
子供に希望を託せぬ。
精いっぱいに生きる今日すら、帝国人のきまぐれで奪われる。そんな毎日だった。
身をすり減らすような毎日の中で摩耗した彼らの感情に、強烈な熱湯を浴びせたのは、ひとりの男だった。
その男は、長年自分たちを苦しめた悪逆の副王グートを倒し、さらには帝国不沈の象徴とも言える“八王”の一角、破城鎚の王ラムをも下す。
そうしてあっという間に数都市を帝国から解放した男は、首都エアをも開放し、さらには南のオルバン王国をも短期間のうちに解放した。
男の見せた、破天荒とでも呼ぶべき英雄的武勲の数々は、人々に戦う勇気と、明日への希望を与えた。
――オウジョウケンゴ。
讃え謳うその名に冠して、人々は呼ぶ。
――鉄塊の王。
鉄塊の王、王城健吾、と。
もはやそう呼ばれることを止められそうもないことに、健吾は苦笑を浮かべるしかない。
もとより、王と呼ばれる覚悟は、オルバン王国を解放した時からできている。
だが、鉄塊の王、という、どうにも野蛮人っぽい名称はどうかと思うのだ。
自分が野蛮人に分類される人間だという自覚は、健吾にはないのである。
ともあれ、首都エア王城にある、健吾の部屋。
応接を兼ねた広くも質朴極まる空間に、二人の解放軍要人が同じテーブルを囲んでいる。
解放軍=エヴェンス王国の政務を一手に担う健吾の補佐役、アウラスと、帝国の元八王、“杖の王”にして、解放軍に協力する魔女シスだ。
「王だのナンだのは、どうでもいいさ。おやっさん、そんな肩書が必要になったら言ってくれ」
「ええ。将来のことを考えれば、いまは逆に王を名乗らないほうが――よいかもしれませんし」
健吾の言葉に、壮年の優男は苦笑交じりに応じる。
エヴェンス、オルバンの二国に加え、ノルズの一部。
国家の壁を跨いだ広大な国土が、すでに解放軍、ひいてはその長である王城健吾の支配下となっている。
このまま帝国と戦い、さらに多くの国を解放していくつもりなら、一国二国の王として立つべきではない。
他国の民衆に、「新たに来た他国の征服者」と見られる恐れがあるからだ――というのが、アウラスの主張だ。
「――現状だと、いっそ帝国全土を解放してから王位に登った方が、角が立たないでしょう。当分このままでよいかと」
「うむ。妾も同意見じゃな」
アウラスの意見に、魔女シスが賛成した。
「じゃあ、それはそれでいいさ。かえでの話も聞いといた方がいいとは思うけどよぉ」
長門かえでは、オルバン王国をいまだ離れられないでいる。
というか、オルバンから離れたいがために、部下や官僚連中の教育に時間を割きまくっており、いまだデスマーチ中だ。ドツボである。
それはともかく。
健吾はテーブルに身を乗り出して言った。
「それより、さきに考えなきゃなんねェ問題がある」
「車輪の王……の、ことですか」
アウラスが難しげに眉をひそめた。
車輪の王、イール。
八王の一角にして、高速の武装使い。
あの男は、健吾と戦い、その武装を、身をもって知った
再戦は避けられない。そして、つぎは必ず対策を練ってくるだろう。
「妾があやつならば、つぎは複数の王で当たる」
口を開いたのは魔女シスだ。
年齢不詳の美女は、絹糸のような金髪を撫でながら、健吾に自らの考えを語る。
「――車輪の王の武装。あの高速の八王級武装“絶影鉄輪”の機動力を最大限に活かすなら、少数の超精鋭をかの武装に乗せて、電撃的に妾たちを襲い討つ。本来八王を軽々に動かすことなど、リスクを考えれば言語道断なのじゃがな、現状が現状じゃ。考慮には値するじゃろう」
「ふむ……では、どう対策しますか……」
「相手は八王じゃ。対するには八王級の武装使いが居らんでは話にならぬよ」
思案するアウラスに、魔女シスが声をかけた。
しばし、思案してから、王城健吾は顔をあげた。
「城とか都市じゃなくて、狙いはオレか?」
「うむ。まず間違いなかろう」
魔女シスがうなずく。
ここまで広がった反乱を鎮圧するのに、その首魁である王城健吾を討つことは、ほとんど必須条件だろう。
「なら、別に国のみんなを巻き込むことぁねェな。ヤツらが狙いやすいところに行ってやろうぜ」
「……ふむ。ならば、西のロードランドとの国境、リムリック砦などはどうじゃ?」
「魔女さんが、そこがいいってんなら、そこでいいさ。そうと決まりゃあ、行くとするか」
「お二人とも、お待ちをっ」
やや焦った表情で、アウラスが健吾と魔女シスの相談を遮った。
「ケンゴ殿、民衆を思うあなたの性分は存じているつもりです。素晴らしいと思いますし、非常な感謝と敬服を抱いております……ですが、すこしは自分の身を――大事にしてください」
すがるような口調で、壮年の優男は言葉を続ける。
「――ケンゴ殿は、我々にとってかけがえのない方です。微力なれどもケンゴ殿をお助けしたいという私たちの思いも、できれば酌んでいただけないでしょうか」
幸い、エヴェンス全土を解放したことで、十人単位で武装使いを割く余力が生じている。
彼らをすべてつけようとするアウラスの好意に礼を言いながら、健吾は、見張り用に、と感知能力に優れた三人だけを預かることにした。
その手配に、アウラスは急ぎ席を立った。
部屋には魔女シスと健吾、二人きりである。
といって、二人きりで話すこともない。健吾は堅苦しい話で凝った頭をほぐすように揉んでから、大きく伸びをした。
「さて、と、当面は砦で待ち構える感じか」
「うむ、そうなるであろうな」
「ついでに、やりかけだった“形成”でもやっちまうか」
「待てい」
近所に遊びに行く、程度の気楽さでつぶやいた健吾に、魔女シスが突っ込んだ。
「いやいや、マジあり得んじゃろう。囮になるのはよい。“形成”をするのもよい。でも、なんでいっぺんにやるのじゃ。“形成”途中に襲われたらどうする? 複数の王を相手とするのは、さしもの妾とて難しいぞ?」
「あ? そんときゃ作業止めて戦うだけだろ」
「……健吾よ、お主、“形成”を軽く見とりゃせんか? 武装使い一生の大事じゃぞ? かえでが戻ってきてからでも遅くはあるまいに」
オルバンで修羅場中のかえでも、あとひと月ほどで帰ってくる(と本人は申告している)。
だが、魔女シスの忠告に、健吾はかぶりを振った。
「それじゃ遅ェ。車輪の王も馬鹿じゃねえ。きっちり対策して来やがるだろうよ」
わずかに手を合わせただけだが、健吾は車輪の王を強敵と認めている。
すくなくとも、今のままでは、健吾の武装は車輪の王には通じない。
「――だから、作りてェんだ。オレの、オレだけの武装をな」
「健吾だけの武装……ふむ、どのような?」
問う魔女シスに、王城健吾は獣のごとき笑みを浮かべ、答えた。
「――わかんねェ!」
魔女シスはずっこけた。
「あ、なのなあ健吾よ……」
「わかんねェがよ。作った武装で手に入れてェものは、決まってるぜ」
転んだ魔女シスに手を差しのべながら、健吾は笑って言う。
「――ガキンチョが、笑って生きてける世界だ」
◆
即日、首都エアを離れた王城健吾は、リムリック砦を目指した。
従うのは、魔女シスにミリア、そしてアウラスが手配した武装使い三人。加えて十数人の従者。最低限の人数だ。
リムラック砦。
エヴェンス王国と、西の隣国、帝国領ロードランド王国。
二国間を繋ぐ主要街道のひとつを抑える、重要な防御拠点だった場所だ。
かつて帝国が陥とした折に破棄され、十年ほどは無人だったが、エヴェンス王国全土が解放された折、ロードランドへの備えとしてふたたび重要拠点として整備され始めている。
かつての姿を取り戻しつつある砦に着くと、責任者への応対もそこそこに、健吾はさっそく“形成”の作業に入った。
どのような武装に“形成”するかは、魔女シスと道中、話し合って決めている。
“形成”は時間がかかる工程だ。
空想の槌をふるい、鉄塊を鍛え、形作る。
鉄塊が巨大であればあるほど、手間と力が必要なのは当然だろう。
八王級の鉄量であれば、一週間かかることもざらだ。長門かえでの“超弩級戦艦”などは“形成”に一月もの期間を要している。
これだけ手間をかけたとしても、壊れれば一からやり直しだ。
工程は慎重にも慎重を重ねなければならない。健吾にとっては最も苦手な作業と言える。
だが、健吾はひたむきに、ひたすらに、武装を鍛え続けた。
ミリアが毎食欠かさず、部屋に食事を持っていくが、手をつけていないこともざらだ。
ミリアが部屋を訪れたことすら、気づいていないふしがある。恐るべき集中力だった。
「ケンゴさん、ちゃんと寝てるんでしょうか?」
「寝てはおるじゃろう。あの男に睡魔に抗うという概念はなさそうじゃし。ただ、たびたび寝るのを忘れておるようじゃ」
健吾の“形成”を手伝いつつも、ずっと警戒を続けている魔女シスが言った。
武装使いに見張らせてはいるが、やはり魔女シスの感覚には劣る。
寝るとき以外は、彼女は常に神経を尖らせている様子だった。
「じゃが、それも今日までじゃ。今夜、健吾は武装を鍛えるのにもっとも重要な工程――“固定”に取りかかる。名を与え、概念を付与し、己の武装を固定化する工程じゃ。
作業中は、ろくに会話もできんじゃろうし、また、すべきではない。純粋に己の武装を向きあわねば、事は為せぬからの……小娘、主も邪魔するでないぞ。大人しく己の武装を鍛えておくがいい」
「わかりました。絶対にケンゴさんの邪魔したりはしません」
半眼のまま、胸元においた両手をぐっと握るミリア。
これでも全力でやる気を表現している。
「……それにしても、ここに来て十五日ほどか」
ふと、魔女シスがつぶやいた。
「――奴ら、来ぬな」
「このまま攻めてこないってことは」
「考えにくい。まあ、準備に手間取っておる、というところじゃろうな」
「と、いいますと?」
銀髪の少女がこくり、と首をかしげる。
「妾と健吾がこの場所に居ることは、おそらく敵も認識しておる。じゃというのに攻めて来ぬ理由は、敵の戦力が整っておらぬからじゃろう。
八王の連中は、そろいもそろって偏屈変人変態ぞろいじゃからのう。車輪の王も、他の王の説得に手間取っておるのであろう――じゃが、この手間取りが致命傷となる」
「致命傷、ですか」
「うむ。もう十日もすれば、こちらに長門かえでが合流する。そのころには、健吾も完全なる武装を手に入れておる。そうなれば。八王を越える万全の三人がそろえば、八王など束になっても敵いやせぬよ」
「三人?」
「……小娘の妾に対する評価って、ちと厳しすぎやせぬじゃろうか……」
天然で首をかしげるミリアに、絶世の天才と評される杖の王は、しょぼーんと肩を落とした。
それから、いくらも経たぬうち。
「にゃ!?」
魔女シスが、がばっと顔を起こした。
「にゃ?」
「わ、わすれてくりゃれ!」
「りゃれ?」
「ええい、いまはそんな場合ではない。来たぞ!」
失言を、顔を真っ赤にしながら誤魔化しつつ、魔女シスは叫んだ。
ミリアの顔も、無表情ながらどこか厳しいものに変わる。
「王ですか」
「その通り、王じゃ。しかも、しかもこの感覚は!!」
叫びながら、魔女シスは深刻な視線を彼方に向ける。
その、はるか先に。街道を爆進する戦馬車があった。
車上の影は、三人。
「ふむ。この気配……まさしく杖の王」
気難しげに片眼をつむる、長大な鉄弓の担い手。
「なぜだ。ただでさえ領国経営でいっぱいいっぱいな凡人であるところのそれがしが、なにゆえこの上厄介事を背負いこまなくてはならんのだ……罠だ。そう、これは罠だ。きっとそれがしを陥れようとする結社がどこかに居て、それがしを狙っているに違いない……」
と、神経質そうに肩を揺らす、朱柄の槍使い。
そして、車輪の王が、ひときわ大きな声をあげながら、戦馬車を走らせる。
「さあ、さあさあさあ! 準備は万全だ拙者のテンションはマックスだ! 行っきますよ我が愛しの君―っ!!」
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー6
名前:ウルフ・ザ・ハリケーン
武装:鉄球の武装“操鉄球”
備考:帝国領ノルズ王国の解放都市の武将。自在に動く鉄球の武装を使う。鉄量も概念も、特に秀でているわけではなく、凡庸な武将級武装使い。クールな眼差しにホットなハートを持つ、ウワサのナイスガイ。「消えろ、ぶっ飛ばされんうちにな」というセリフを吐いたのち、車輪の王に吹っ飛ばされる。再起不能。




