第一話 王城健吾
「オウジョウケンゴ、さん」
「健吾でいいぜ。そいつが名前だ」
村に向かう道筋、ふたりは言葉を交わす。
ミリアは恐る恐る。
王城健吾はぶっきらぼうに。
ただ、二人の間を流れる空気は、けっして悪くはない。
ミリアが助けられ、健吾が助けた。その事実が、二人の間から壁を取り払ったのだろうか。
いずれにせよ、まだ幼さの残る銀髪碧眼の美少女と、獣の笑みを浮かべる異様異装の男、という取り合わせは、犯罪を匂わせるものでしかなかったが。
「ケンゴさんは、どちらから来られたのですか?」
「ああん?」
健吾のチンピラっぽい反応に、ミリアは思わず肩をびくつかせた。
それを見た男はバツが悪そうに頭をかくと、あー、と言葉を探すようにしながら、答えた。
「ここから東……たしか、宵闇の森ってとこだな。そっから来た」
「……あんな所からですか?」
「おかしいかよ」
健吾が不思議そうに眉をひそめる。
その態度こそ、ミリアにとっては不審そのものだ。
「おかしい、です。あそこは、人が住めるような場所じゃないと聞いています」
「住んでたぜ? まあ、ほんの十日かそこらだけどな。ま、たしかにのんびりとはできねェ場所だったな」
「すごく……お強いんですね」
普通ではありえない。
なにしろ、数多くの野獣どもの住処となっている広大な森なのだ。
一般人であれば、森に入って半日経たずに白骨化しているような危険な場所である。
だが、この男がミリアを助けた時に起こした災厄を考えれば、彼の言葉が真実だとしても、納得はいく。
「――でも、よかったのですか?」
「なにがだ?」
「帝国の兵士を……その、殺してしまって」
ミリアは男の身分を知らない。
だが、失礼かもしれないが、どこからどう見てもこの粗野な男が、身分の高い人間とは思えない。
耳慣れぬ名前といい、海を渡った異国の人間なのかもしれない。だが、それにしても、帝国の兵士を殺す危険は変わらない。
「あん? 帝国だからナンだってんだ? オレぁヤツらが気に入らねェ。気に入らねぇからぶっ潰した。なんか問題あんのか?」
――この人に助けられて、果たしてよかったんでしょうか。
むくむくとわいてきた疑問を、ミリアは振り払った。
たとえ彼が危険人物で、しかも圧倒的な力を持っている人外だとしても、恩人には変わりないのだ。
「それに、テメェだ。なんだあの面ぁ」
「はい?」
と、ふいに矛先を向けられて、ミリアは思わずうわずった声をあげた。
「お前いくつだ? まだ小学生――10歳くれぇだろ」
「13歳です」
そこは譲れないと、ミリアははっきりと訂正したが、男が認識を改めた様子はない。
「悪ぃ。まあどっちにしろガキだ。それが、あんな悟りすましたような諦めきった面して足掻きもしやがらねぇ。オレはそれにもムカついた――よお、ガキ、ミリアよぉ。話してみろよ……そんなテメェにしたのは誰だ?」
健吾の問いに、ミリアはしばらく答えなかった。
健吾も重ねては問わなかった。幼い少女の表情に、ひどく深刻なものを見たためだろう。
「……帝国です」
ややあって、ミリアは口を開いた。
その声音には、致死量の毒が含まれている。
帝国。
かつて大陸に存在していた七つの王国を滅ぼし、併呑した、一帝八王が支配する強大な国家だ。ミリアの母国も、十年前に滅ぼされた。
当時の記憶など、少女にはない。
だけど、その時に母は殺された。父は片足の自由を失った。
気ままに村にやって来る兵たちは、税と称してわずかな蓄えを強奪する。
勝手気ままに犯し、殺め、人々から、なけなしの誇りまでをも奪ってゆく。
そんな光景を目にし続けて。
それでも、営みをあきらめない村人の姿を見続けて。
ミリアは、いつしか早めにあきらめることを覚えてしまった。
期待するだけツライから。
希望の数だけ、絶望しなきゃいけないから。
「――ふん、テーコク。帝国ねえ……」
「ケンゴさん。今日のところは、そんなこと忘れましょう。とびっきりの御馳走を用意します」
話を聞く健吾の表情に、剣呑なものが浮かぶのを見て、ミリアはあわてて話を変える。
誤魔化すようなミリアのぎこちない笑いは、しかし、長続きしなかった。
ふたりが向かう先、村の方角。
そこから、天を衝くような轟音が響いてきたのだ。
ミリアは凍りついた。
聞いたことのある、轟音だった。
恐怖とともに心に刻まれた音だった。
「この音……あいつが来たんだ」
震える声で、ミリアはつぶやく。
碧い瞳は生気を失い、白い肌は青ざめている。
「兵士たちがあんな場所に居たのも、偶然じゃなかったんだ。あいつが来たんだ。また、奪われるんだ。また、殺されるんだ」
「どうした。しっかりしろ、ガキ。説明しやがれ!」
少女の肩をつかみ、問いただす男に、ミリアはかろうじて答える。
「……グートです。帝国から来た副王――この国で二番目に強い武装使い。冷酷で、残虐で、気まぐれに人を殺す悪魔みたいな男」
時おり息をつまらせながら、少女は言葉を続ける。
「……なぜ。なぜなんでしょうね。なぜこうなんでしょう。ただ。ただ生きる。そんなことが、なぜこんなに難しいんでしょうか。高望み、してるんでしょうか?」
泣き笑いになりながら、震える声で語り続ける。
そんな少女の様子を横目に――王城賢吾は言い放つ。
「あきらめんなよ」
「え?」
「あきらめんなよ。村が大変なんだろ? 助けてェんだろ? だったら足掻いてみろよ! めいっぱい出来ることをやってみろよ!!」
健吾に対する怒りが、ミリアの胸を満たした。
ミリアのことを、村のことを、自分たちの苦しみを、今日初めて知った人間が吐いていい言葉ではない。
「わたしに……わたしになにが出来るっていうんですか!? 関係ないのに、助けてもくれないのに、おためごかしの説教なんてうんざりですっ!!」
「馬鹿がっ! だれが助けねェって言った!?」
感情を爆発させたミリアに、王城賢吾が返した言葉。
その意味を素直に飲み込めず、少女はしばし言葉を失った。
「……で、でも、村のみんなまで助けてもらうなんて……命がけなのに……きっとまともにお礼もできないのに……」
それでも助けてくれる。そんな人間が居るわけがない。
見ず知らずの他人のために、なんの下心もなしに、命がけで戦ってくれる人間なんているはずがない。
そんな人、知らない。ミリアは知らない。
いままでずっと辛かったのに、助けてほしかったのに、助けなんてなかった。だから、助けを求めたって、無駄なんだ。
――お願いです。わたしに希望なんて持たせないで!
ミリアは心の中で懇願する。
そんな少女に、男はあきれたようにため息をつき。
それから身をかがめ、幼い少女とまっすぐ視線を合わせた。
「お前なぁ……いいかガキ。オレから見りゃお前なんてちびっこいガキンチョだ。さっきも言ったが、もっぺん言ってやる。ガキンチョからお礼をタカるほど、オレは落ちぶれちゃいねェよ」
自分に親指を向けて、一片の迷いもなしに、王城賢吾は少女に語る。
「――いいんだよ。ガキなんだから、大人に助けてもらってもよ。ホレ、言ってみろよ。“助けて”ってな……助けてやるぜ――命がけでな」
温かい言葉だった。
頼もしい言葉だった。
知らずに、涙がふきこぼれて来ていた。
いつ以来か、ミリア自身にも思い出せない涙が、知らず、溢れてくる。
「た……たっ」
湧きあがる感動に、言葉をつまらせながら。しゃくりあげながら。
ミリアはかろうじてその言葉を口にした。
「助け、て、ください」
「――了解ぃ!!」
その言葉を聞くや、王城賢吾は駆けだした。
駆けながら、ミリアに向かって言葉を放つ。
「ガキ、その副王ってのがこの国で二番目の武装使いだって言ったなぁ!? そりゃあ間違いだっ!!」
村への道を駆けながら、王城健吾はなお吼える。
「――せいぜい三番目だぜっ! いま、この場所に――オレが居るからなぁっ!!」
笑みは、獣そのもの。
だが、ミリアにとってそれは、ひどく頼もしいものに見えた。