第十六話 王家の血
鉄の塊を“空想”する。
脳裏に浮かんだ重厚きわまる鉄の巨塊は、虚空にその姿を浮かべる。
圧倒的な質量を持つ、鉄の巨塊は、しかし、ひどく現実感がない。いつもならば、このまま顕現させる鉄塊を、王城健吾はそのまま維持する。
エヴェンス王国首都エア。
かつての王城の庭園にあって、健吾は虚空に浮かべた空想の鉄塊を、じっと見つめる。
側では、銀髪の少女ミリアがその様子を、固唾を飲んで注視しているが、まるで眼中にない。
そして、しばし時が過ぎ。
ふいに、鉄塊がその形をゆがめた。
思い浮かべる形という槌に打たれ、岩塊のごとき鉄の巨塊は、派手に形を変えていく。
だが、唐突に。
思念の槌は、その動きを止めた。
空想の鉄塊は、中途半端に凸凹だらけの姿で、虚空に漂う。
その様を、じっと見つめながら。
ややあって、王城健吾はつぶやいた。
「どんな武装にすりゃいいんだ?」
「このばかちんがあああっ!!」
ふいに、怒涛の勢いで駆けてきた黒いローブ姿の美女が、金髪を振り乱しながら、焦りに焦った様子で健吾にタックルをぶちかました。
「……おう、魔女さん。どうした、そんなにあわてて?」
健吾はまったく平気な様子で首をかしげる。
「焦りもするわいっ! お主、いま何をしようとしていたっ!?」
「……? なに、って、魔女さんに教わった“形成”ってのをやってみようかと思ってよ」
「思ってよ、じゃないわっ! “視”ておったが、お主適当に形を変えて遊んでおっただけじゃろう!? 乱暴に変形させよって! 鉄塊が壊れたらどうするつもりじゃった!?」
「壊れたら? どうなるんだ?」
「“教え”たじゃろうがこのばかちんっ! せっかく“鍛造”した鉄塊は失われ、もう一度最初の鉄塊からやり直しじゃぞっ!」
「ああ……そういやそんな情報が叩き込まれてたな……ま、いいじゃねェか。何事もやってみねェとわかんねェ。壊れたら、ま、そんときゃそんときだ」
「お主は、お主という奴はーっ!」
魔女シスがたまりかねたように声を張り上げた。
「いいか? 主の“鍛造”は思考の槌を使わず、極上の概念を持つ鎧の王の武装、“無敵甲冑”により打ち鍛えられた、二度と再現できぬ最高の鍛造工程を経たものじゃぞ!? それを軽々しく無にするなど、もったいないにもほどがあるわっ!!」
ぜい、ぜいと肩で息をする年齢不詳の美女に、健吾は冷や汗を駆けながら労わりの声をかける。
「……あー、大丈夫か? 魔女さん」
「お年ですか?」
「お年じゃないもんっ! お年じゃないもんっ!」
ミリアのつぶやきに、魔女シスは敏感に反応した。複雑なお年頃なのだ。
「――とにかくっ! “形成”するにあたっては、妾が全力で補佐する! じゃから、頼むから勝手に武装を鍛えてくれるな!
素材でいえば、かえでの“超弩級戦艦”を凌駕し得る、超々弩級の可能性の塊なんじゃぞ!」
「お、おう、わかったぜ。これからは魔女さんといっしょじゃなきゃ武装を鍛えたりしねェよ」
涙目になりながら必死で主張する魔女シスに、すこし引きながら、健吾は約束した。
「あ。だったら、わたしもいっしょに教えてほしいです!」
と、ミリアが口を挟む。
さっきの今で、なかなかいい度胸をしている。
「主がか?」
「ええ。わたしも武装使いの素質はあります。ケンゴさんのお力になりたいんです」
「ふむ……主、健吾の身の回りの世話をしておるな?」
「はい、いろいろと」
「ならば、健吾がまたこんなことをやらかさぬよう、主も見張ってくれぬか? ならば、この絶世の天才と呼ばれしこの妾が、手ずから武装構築を手伝ってやろう」
取引を始めた二人を尻目に、健吾は頭をかきながら天を仰ぐ。
すこし遠くなった、褪めた青空に、健吾は季節の巡りを感じた。
◆
王城健吾の帰還は、エヴェンス解放軍を沸かせた。
帝国の苛烈な支配にあえぐこの国に、突風のごとく現れた英雄は、オルバン一国の開放という途方もない土産をともなって帰ってきたのだ。
熱狂に沸いたのは、エヴェンス解放軍だけではない。
各地で独自に旗揚げしていた独立勢力たちも勢いづく。
エヴェンス王国の開放がごく近い将来の既定の事実だと、皆が認識し始めた、そんなとき、ひとりの男が首都エアを訪れた。
「ケンゴ殿」
アウラスが健吾の私室を訪れたのは、日も傾きはじめた午後のことだった。
部屋、というより、広間と称すべき空間で、二十人は並んで座れるだろう巨大な一枚板のテーブルに、ずらと並ぶ無骨なつくりの木製椅子。
健吾が「居心地が悪ぃ」と金銀宝石で飾り立てられた調度類を放り出したせいで、かなり閑散としているが、その分大勢の人間をつめ込める。
健吾が来る者は拒まずなので、解放軍の首脳陣から主要メンバーから入れ替わり立ち替わりで、対応しているミリアは結構忙しい。
対する魔女シスは、机の一角を占領して、どこからか引っ張り出してきた書物を読みふけっていた。
「おやっさん。どうしたんだ?」
「ケンゴ殿、お手数ですが、会っていただきたい者が居ります」
「ん? 誰だ? 解放軍のやつなら、気にするこたぁねェよ。連れて来てくれ」
健吾の言葉に、アウラスは「いえ」と首を横に振った。
「今回は謁見の間で、お会いして――いただきたいのです」
健吾が面倒そうに眉をひそめた。
「格式ばらなきゃいけねェ相手か。誰だ?」
「剣の武装使い、ヘンリー。エヴェンス北部の二都市――エイブリッジおよびチェダーを解放した代表者」
一呼吸おいて、ため息とともにアウラスは言った。
「――エヴェンス王家の血を引く王族です……自称ですがね」
最後の言葉には、多少の毒が含まれている。
旧エヴェンス王家。
エヴェンス王国を支配していた王族は、そのほとんどが、殺されるか、帝国本土に連れ去られ、抑留されている。
それゆえ、現在帝国領エヴェンスに存在する“王族”は、公的には存在しない。
王族を自称する北部都市解放軍の代表も、その素性は非常にあやしいと言うほかない。
エヴェンス王城、謁見の間。
玉座の前にしつらえられた席で腕組みしながら、王城健吾は客を迎えた。
左右にはアウラス、解放軍中核三都市代表の面々、それに魔女シスまで並んでいる。
「オウジョウケンゴ殿、お初にお目にかかります。エイブリッジのヘンリーです」
そう言って、エイブリッジのヘンリーは優雅に一礼した。
長身の美丈夫だ。
年のころは二十歳前後か。
銀髪碧眼。線の細い顔立ちだが、目元には意思の強さが感じられる。
挙措には華があり、人の目を集めずには居られない。それも、好感を伴って。
「王城健吾だ。よろしくな」
健吾は返した。
視線は彼の銀髪を捉えている。
ほとんど白に近い、艶のある見事な銀髪だった。
「お気づきですか?」
と、どこか誇らしげにヘンリーが言った。
健吾は別に気づいてなどいない。
「銀髪碧眼は、エヴェンス王家の代表的な特徴です。分けても、ヘンリー殿のように見事な銀髪は、王族でも――少ない」
側に控えていたアウラスが、健吾に助言した。
だが、そう語るアウラスも、そして娘のミリアも、色みこそ違え、銀髪碧眼だ。健吾はいまいち実感が持てない。
「そうです。僕は五代前のエヴェンス王、レイチャードの血を、わずかながら受け継いでおります。ですが、血の濃さ以上に、僕の容姿は、エヴェンス人の心をくすぐるようです」
「へェ?」
健吾は口の端をつり上げた。
その様は、獣が獲物を前に舌舐めずりするようで、銀髪の美青年は笑みを凍らせてしまった。
「おやっさん、どうだい? こいつを王様にしちゃ」
「却下です」
アウラスはにべもない。
「へェ? なんでだい?」
「ヘンリー殿の言葉に偽りはないでしょう。銀髪碧眼だけでなく、顔の特徴もエヴェンス王家のものと一致します……ですが、血統によって玉座につくには、血が薄すぎます」
「なっ!?」
言われて、銀髪の美青年は鼻白んだ。
もとより、現状彼が王座につける状態ではない。
国の半分を解放したエヴェンス解放軍が主といただく、王城健吾。王国にとって彼の存在は、あまりにも大きすぎる。
「考えてもみてください。彼が、その身に引く血により、玉座についたとします。その後、彼よりも王家の嫡流に近い人間が現れたら、どうします?」
壮年の優男は、健吾に言い聞かせる。
「いや、そんな仮定をするまでもない。帝国本土に抑留されている先の国王、リーザス陛下が、その名の下にヘンリー殿を否定すれば、血統に寄った国王の正当性など、霧散するでしょう。血統に寄って王を決めることは――危険です」
「し、しかし、国内にこれといった王族が居ない以上……」
ヘンリーが反論したのは、やはり、そんな色気がどこかにあったからだろうか。
「そこです。私が血が薄すぎる、と言ったのは。ヘンリー殿、たしかにあなたには王家の血が流れている。それは否定しません。だが、あなたは王族ではありません――王家の血族だという公の証明がありませんからね」
「……なぜ、断言できるんです?」
「私も一応、王家の血を引く者ですので……血でいうなら、貴方よりは、はるかに濃いですよ? もっとも、早々に臣籍に降りておりますので、やはり王位を継ぐ立場ではありませんが」
しれっと言うアウラス。
その言葉に、ヘンリーは衝撃を受けたようだった。
三都市代表の面々は、驚き半分、納得半分といった風情。
「おやっさん、そうだったのか?」
「ええ。まあ、武装も使えない日蔭者ですが」
壮年の優男は、淡白な様子で答える。
「元王族か。それで若くから、大臣としての高等教育を受けておったのじゃな? ……行政を破綻なく回せるはずじゃ」
うなずいたのは、魔女シスだ。
長門かえでが「化物」と評した行政処理能力。
一介の元官吏がなぜそんな力を持っているか、その理由の一端を知り、納得したのだろう。
「まあ、そんなわけで、今現在エヴェンス王国には、先王の命に対抗できる血の濃い王族など存在しません。いたずらに元王族を王に立てるのは乱の元。万一、王を立てるのであれば、八王をもしのぐ武装使い――ケンゴ殿しかありえません」
アウラスが断言する。
健吾は文句を言いたくなったが、話がややこしくなりそうなので黙っておくことにした。
それに、南の王国オルバンで、すでに一国丸ごと抱える覚悟は決めている。
王城健吾は、それが皆のためになるなら、玉座に座るつもりでいる。
もちろん、ややこしいことはアウラスたちにぶん投げる気満々だ。
「……ケンゴ殿の力、噂には聞いています……よろしければ、手合わせ願えますか?」
ヘンリーが、ふいにそんなことを言いだした。
驚きと、侮辱への怒りの視線が、銀髪の美青年に容赦なく突き刺さる。
だが、青年は胸を張り、王城健吾をまっすぐに見る。表情には、強い覚悟の色。
「健吾、こやつはアウラスの言葉の正しさを認めておる」
魔女シスが、こそりと口を挟んだ。
「――認めたうえで、納得したいのじゃ。健吾の力が、まことにエヴェンスを救い得るほどの強大なものか、その身に刻みこんで、のう」
「はいっ!」
年齢不詳の魔女の言葉に、王家の血を引く青年は、はっきりとうなずいた。
決闘は、城の庭園で行われた。
おたがい十歩の距離を隔てて、相対す。
ヘンリーは低く構え、王城健吾は拳を前に出している。
「行きます」
声とともに、ヘンリーの武装が顕現した。
その、鉄量、力強さに、魔女シスが関心の声をあげる。
「“切れ味”に概念特化させた剣の武装“斬鉄剣”……参る」
言葉と同時に踏み出したヘンリーの行き足は、疾風。
斬撃は風すら追い越し、一直線に健吾に向かう。
だが。
「!?」
斬撃は、健吾の身に届かない。
なにもない宙で、ヘンリーの武装は弾かれた。
「“空想”で僕の剣を弾いたっ!?」
放射される巨大な気配で悟ったのだろう。銀髪の青年が驚愕の声をあげた。
“具現”していない。それゆえ物理干渉能力の低い、“空想”状態の武装。それですら、健吾の鉄塊は刃の侵入を阻んだ。そして。
「いくぜヘンリー。死ぬんじゃねえぜっ!」
そんな健吾の声とともに押し出された、避けようのない巨塊の一撃は、青年の意識を、根元から刈り取った。
それから、しばらくして。
意識を取り戻し、起き上がった銀髪の青年は、妙にさっぱりとした表情で、健吾に頭を下げた。
「解放都市、エイブリッジおよびチェダー。喜んでケンゴ殿に従います」
「おう、歓迎するぜ。よろしくな、ヘンリー」
助け起こすように、ヘンリーに手を差し出す健吾。
銀髪の美青年は、顔を輝かせながら、すがるようにその手をとった。
その後、自分の素性を知ったミリアは、衝撃のあまり、半日ばかりぽかーんとしていた。
【武装データ】
武装:“ヘンな形の鍛造鉄塊”
使い手:王城健吾
特化概念:不明
鉄量:規格外
威力:S+
備考:健吾が適当に“形成”しようとしたせいで、形がいびつになった。
武装:剣の武装“斬鉄剣”
使い手:ヘンリー
特化概念:“切れ味”
鉄量:B
威力:B
備考:鋭い切れ味を持つ、よく訓練された武装。




