第十五話 皇帝
「うわあ……これはきっとケンゴさんの仕業ですね」
オルバン王国首都ボルソン。
破壊された城門をくぐりながら、銀髪碧眼の少女はつぶやいた。
通りのあちこちに、破壊の痕跡がある。
その規模の大きさと破壊の形は、ミリアの記憶にある、王城健吾のものと一致している。
「城門は、カエデ殿でしょうなあ」
と、ミリアにつき従いながらつぶやいたのは、ギルダー。湾岸都市タッドリーの豪商だ。
わけ知り顔の二人に対して、いっしょに来た男たちは、その破壊規模に目を白黒させている。
これが一人の人間が起こした破壊だとは、到底信じられないのだろう。
タッドリーに居たはずの彼らが、なぜここに居るのか。
理由は簡単だ。
首都エアのエヴェンス解放軍首脳陣からの、健吾への使者。
この使者が、オルバン王国へ向かうのに、タッドリー経由の海路を選んだため、同じく長門かえでを心配したタッドリーの商会連合、三老会がギルダーを同行させたのだ。ミリアもこれ幸いと、それについてきている。
「ギルダー! よく来てくれたわね!」
一行の来訪を長門かえでは喜び、風の宮殿の正門前で出迎えた。
「おお、カエデ殿、喜んでいただけで光栄ですぞっ!」
「うんうん。部下も何人か連れて来てくれてるのね、よくやったわ!」
感激するギルダーの手をとりながら、黒髪の少女は上機嫌で言う。
そのまま、まったく同じ表情で。長門かえでは、地獄の亡者が道連れを見つけたような歓喜を目口の端からこぼしながら、言った。
「――ようこそ、地獄へ」
「ですぞ?」
その意味を、ギルダーは執務室に積みあげられた書類の山を見て、思い知ることになる。
◆
地獄へ引きずり込まれたギルダーたちはさておき。
解放軍の使者とミリアは、健吾と面会するため、奥に案内された。
ひさしぶりに健吾に会える。
喜びに、無表情を微妙に蕩かしながら、ミリアは扉をひらく。
そこで、彼女が見たものは。
ベッドに横たわった健吾をかいがいしく世話する、ローブ姿の美女の姿だった。
女と少女、二人の目が合う。
ひと目で相容れないと確信する出会いがある。
ミリアにとって、魔女シスとの出会いは、まさにそれだった。
「どなたでしょうか」
銀髪の少女、ミリアは、年齢不詳の美女に対して警戒もあらわに尋ねる。
「妾は魔女シスという」
「ああ……あなたが、ケンゴさんが助けたいって言ってた女のひとですか」
「左様。娘よ。そなたは何者じゃ?」
「わたしはミリアです。ケンゴさんのお手伝いをしている人です」
「ほう? 御苦労じゃな。頑張るがよい」
「なんですか、その超上から目線は」
猫であれば、全身の毛を逆立てながら、尻尾を立てていることだろう。
対する魔女シスは、物理的な身長差によって天然でミリアを見下している。こちらは意図していない。
「上から目線であったなら、すまぬな。妾はこのような言葉遣いしか出来ぬものでの」
「……年だから?」
「ふ、無礼なっ!? ちがうもんっ! 妾は年じゃないもんっ!」
「でも、わたしくらいの年の子供とか居ても、おかしくなさそうですよね?」
ぐわん、と、ハンマーで殴られたかと思うほど、頭を揺らす魔女シス。
健吾があわててフォローにはいる。
「い、いや、大丈夫だぜ。魔女さん、見た目は若いしよ」
魔女シスはもう一度、ハンマーで殴られたようにのけぞった。
トドメである。
「だがよ、ミリア。タッドリーに居たはずのお前が、なんでここに?」
「あっ。それは、父さんからのお使いです!」
ミリアは思い出したように、あわてて使者を健吾に紹介した。
完全に放置されていた使者は、紹介を受けて、深い礼とともに、健吾に手紙を手渡した。
封を解き、目を通すと「いいからとにかく帰ってきてくれ」、と彼らしくもない悲鳴のような言葉が書き連ねてある。
「マジィなこれ、やっぱ帰った方がよさそうだ」
頭をかきながら、健吾は長門かえでに相談した。
話を聞くと、黒髪の美少女は微妙に頬をヒクつかせながらも、帰国を勧めた。
「いいわよ。政治的にも物理的にも、帰らなきゃいけない事情はわかるし。でも、こっちはこっちで放置できないから、あたしは残る。というか、逆じゃ余計に話がややこしくなるから、選択権なんてないんだけど」
たしかに。
エヴェンス解放軍としては、健吾の帰国が最低条件のようなものだ。
それが果たされず、湾岸都市解放軍を束ねる長門かえでが帰国すれば、解放軍は湾岸都市側に吸収される危機を迎える。
オルバン王国にしても、健吾が残れば、最低限度の安全保障は果たせるものの、かえでが現状進めている体制の掌握がご破算になってしまう。
王城健吾がエヴェンス王国へ帰り、長門かえでがオルバン王国に残る。
結局これ以外の選択肢は存在しないのだ。
「――行って来なさいよ。留守は、あたしとギルダーに任せて」
「ですぞっ!?」
巻き込まれたギルダーが悲鳴を上げたが、ともかく。
「なんかよぉ……世話になりっぱなしでこんな言葉使うの、バツが悪ぃんだけどよ」
すこしだけ、照れたように、頬をかいてから。
王城健吾はかえでの目の前に拳を突きつけ、言った。
「――頼むわ。相棒」
その、拳に。
少女は不敵な笑みを浮かべて、拳をぶつける。
「あたしにも、あたしなりにやりたいことがある。負担じゃないわよ。こんなことはね」
言いながら、にひ、と、少女は笑う。
クマの浮かんだ疲れた顔に、魅力的な笑顔を浮かべて、長門かえでは言葉を返した。
「――任しといて、相棒」
◆
長門かえでをオルバン王国に残し、健吾たちは海路で首都エアを目指した。
湾岸都市タッドリーで、かえでから託された書類を三老会に手渡し、そのまま首都エアを目指そうとしたところで、三老会の代表たちに呼びとめられた。
――湾岸都市解放同盟の、エヴェンス解放軍への合流を願います。
代表たちの申し出はそれだった。
急な申し出に、健吾は戸惑ったが、話を聞いていた魔女シスが笑って言った。
「かえでが帰れぬ以上、そうするしかないであろうよ。解放軍にとって損はない。受けておくがよい」
彼女の助言に従い、これを承諾すると、健吾たちはあらためて首都エアに向かった。
首都エア。
帝国領エヴェンス王国の首都であり、解放軍行政の中心地でもある場所だ。
その、旧王城。執務室。
およそ一月ぶりに、王城健吾はアウラスと再開した。
「ケンゴ殿! 待ちかねておりました!」
壮年の優男は、この男には非常に珍しいことに、満面に喜色を浮かべながら、健吾の手をとった。
健吾不在の解放軍をまとめ上げる作業は、この男にとっても神経を削るものだったのだろう、以前より痩せている。
「よう、おやっさん。すまねェな。しんどかったか?」
「いえいえ。ケンゴ殿の命とあれば、火中にでも身を――投じてみせますよ」
「馬鹿言うな。オレはそんなこと言わねェよ」
「自ら真っ先に火の中に飛び込む方ですからね」
アウラスが苦笑する。
その、顔色が。健吾の背後から現れた、黒いローブに身を包んだ美女の姿を見て、一瞬で真っ青になった。
「ん? どうしたおやっさん?」
「その、方は……そいつはっ!」
一瞬のことだった。
低く、低く身を沈ませた白皙の優男は、ばね仕掛けのように女――魔女シスに向かって駆けだし。転んだ。
自らの動かぬ足に、恨みの視線をやってから、アウラスは魔女シスをにらみつける。
健吾もミリアも、アウラスの突然の激発に、呆然として声が出ない。
魔女シスが、至極落ち着いた様子で、地に伏した男に問いかけた。
「妾を、知っておるのか?」
「知っている? ああ、知っているとも! 忘れるものかっ!」
普段からは考えられない大音声。
その、殺意さえ込もった視線に、健吾は驚きかつ危ぶむ。
「おやっさん……」
「ケンゴ殿。この女は――この女こそ、帝国領エヴェンス初代国王、“杖の王”シス……我々エヴェンス人の怨敵ですっ」
声が、執務室に低く響いた。
怒声を押さえつけたのは、他の人間に聞かせまいという配慮からで、その気遣いがなければ、絶叫していてもおかしくはない。
「妾の顔を、名を、知っておるとは……お主、何者じゃ?」
「貴様の国が、エヴェンスを滅ぼした。貴様の失踪が、あの暴虐の副王グートの専横を――招いた」
問いには答えず、アウラスは女を責める。
「――なにより、なにより貴様はっ」
「すまぬ……やむを得なかったのじゃ」
と、突然。魔女シスは頭を下げた。
健吾は驚きに目をみはった。魔女シスは、人に軽々しく頭を下げるような人間ではない。
「やむを得ない? なにがです?」
アウラスの問いに、年齢不詳の美女は一瞬だけためらって、それから口を開いた。
「妾は皇帝を討とうとした。そして失敗したのじゃ」
「皇帝を? あなたが?」
信じられない、という、アウラスの表情。
対する魔女シスは、ゆっくりと、首を上下させた。
「うむ。無論そなたたちのためではない。妾は帝国の行く末を憂うがゆえに、皇帝を討って、その苛烈な支配体制を正そうとしたのじゃ」
彼女は続ける。
「――反逆者として逃げる事になった妾は、人の寄りつかぬ宵闇の森に居を構え、ある実験を行った。皇帝を倒すために」
「実験?」
「……異界より、強きものを召喚する実験じゃ」
紫の視線が、王城健吾に向けられる。
その瞬間、アウラスの表情に理解の色が生じる。
同時に、男にまとわりついていた、鬼気のようなものが薄まり、姿を消した。
「……では、ケンゴ殿は」
「その、成果と言ってよかろうよ……もっとも、それがゆえに、玉座の主のみをすげ替えんとする我が望みは、潰えてしもうたが」
魔女シスは天を仰ぎ、つぶやいた。
深い感慨が、言葉には込められている。
「杖の王……いや、魔女シス。私は貴女を許さない。我が祖国を滅ぼしたのは、貴女の居た――帝国なのだから」
壮年の優男は、ゆっくりと言葉を吐いた。
その声音には、先ほどと違って怒りの色は無い。
「――だが、私はすでにケンゴ殿の家臣です。ケンゴ殿は否定されるかもしれませんが、私はそれを喜んで自分に課しています。
だから、ケンゴ殿が助けたという貴女が今ここに存在することに、異議は挟みません」
凪いだ海のような、静かな言葉だった。
そんなアウラスに、王城健吾は静かに、頭を下げた。
「おやっさん。すまねェな。恩人なんだ」
「謝らないでください。私の絶望を救ってくれたのは貴方です。貴方のそんな顔など――見たくはありません」
アウラスの言葉に、健吾は内心でふたたび、頭を下げた。
恨みがある。
深い、深い恨みが。
これをぬぐい去ることは、けっしてできないに違いない。
だが、アウラスは、それを押し殺して魔女シスを、杖の王を、言葉の上だけでも許した。それが、どれほど困難なことか。
「杖の王、貴女に尋ねたい」
健吾に向けた微笑を、静かに払って。
壮年の優男は魔女シスに向き直り、問うた。
「八王の一人であった貴女が、それほど恐れる“皇帝”とは、いったい何者ですか」
アウラスの問いに。
魔女シスは、たった一言、こう答えた。
「――狂人じゃ」
◆
帝国首都、ヴィン。
かつて王国だったころの国名と同じ名を持つ都市。
その北端に、白の宮殿と呼ばれる、皇帝が住まう巨大な宮殿がある。
その奥宮。皇帝が寝食する場所の入り口で、豪奢な官服を纏った初老の男が、地に頭をつけていた。
エヴェンスの反乱。オルバンの失陥。
ともに帝国にとって重要な案件を、彼は皇帝に伝えた。
「……帝国大臣、ダルム」
ややあって、おごそかな声が、男の頭上から降る。
「――神聖にして不可侵たる我が耳を、不祥の言で穢した罪は重い。自らを罰するがよい」
男――ダルムが蒼白な顔になる。
さらに言葉を重ねようとする男に「消えよ」と声がかかった。
同時に、金細工入りの豪奢な鎧を纏った屈強な男たちが、男を左右から抱え、奥宮から追い出した。
奥宮から追い出されたダルムを、複数の男たちが迎えた。
いずれも初老から老年の、身なりの整った男たち。帝国を支える重臣たちだ。
彼らは、ダルムの蒼白な顔を見て、沈痛な表情で息をついた。
「凶報を届けた結果、死を賜った」
務めて平静な声で、ダルムは告げた。
「――わしは死ぬ。それはいい。だが、このままでは帝国が滅ぶ。統一皇帝の偉業をたった二代で終わらせてはならぬ。頼む。卿らも帝国のため、恐れず力を尽くしてくれ」
そう言って、蒼白な表情で去ってゆく男の背を見ながら、老臣たちは、深いため息をついた。
「八王は皇帝以外の命に従う根拠を持たず、また、八王級の武装使いを四人も葬る敵が、向こうには居る」
「せめて……せめてあの方が居てくれたら」
「やめい。言っても詮無いことじゃ」
年老いた、ひときわ豪奢な官服に身を包んだ男が、重臣たちの愚痴を止める。
訪れた通夜の静寂の中、老人は静かに語った。
「――ダルム卿の言う通り、我らは帝国のために己の身を投げ出すのみだ。みな、責任は宰相たるワシが被る。全土に解放軍打倒の触れを。加えて列王とも、叶う限りの情報を共有し、共に危機にあたるよう要請するのだ」
老人の言葉に。
重臣たちは静かに、だが、たしかに、首を上下させた。
帝国の苛烈な支配が大陸に落とした、深い闇。
その闇は、帝国本領すら覆い尽くし、人々の未来を喰み、育っている。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー5
名前:ティシィ
武装:筆の武装“鉄志直筆”
備考:帝国の歴史を記す武装。かつて、時の王の悪行を、筆を曲げずに記し、殺された書記官の武装であり、主が死んでなお、この書記官が信じる正しい歴史を記し続けている。客観的に見て正しいかどうかはわからない。放っておくと柱や机にまで書き続け、止められないのでとりあえず紙などを与えて、好きにさせている。書いたものを燃やすと同じ文章を書きなおす。




