第十三話 鉄塊の王
風の宮殿。
オルバン王の居城であった場所。
王城健吾と長門かえでのふたりは、その中をうろうろと歩いていた。
鎧の王との戦闘で負傷した健吾は、黒髪の少女――長門かえでの肩を借りている。
「痛っ……」
「大丈夫?」
ふいに走った痛みに、健吾が小さく呻くと、聞き咎めたかえでが、すこしだけ心配そうに尋ねた。
「あんま平気じゃねェなあ……なんせ、鎧の王のタックル、喰らっちまったからよぉ」
「……なんで生きてんの?」
「おい、ひどくねェか?」
心底不思議そうな表情のかえでに、健吾は抗議する。
「いや、武装が防御主体とはいえ、八王級武装の攻撃を食らって生きてるって……呆れたタフさね」
「親に感謝だぜ。丈夫に産んでくれてよ……にしても広ェな。魔女さんはどこに居るんだ?」
「気配は近くなってるんだけどねー……と。噂をすれば、かな?」
かつ、かつと、大理石の床を叩く音。
通路の向こうから響いてくるその音は、確実に、こちらに近づいている。
「かえで、サンキュな。自分で立つわ」
健吾はかえでに礼を言うと、彼女から離れた。
なんとか自力で立ったものの、ダメージが深いためか、両の足は小刻みに震えている。
「……大丈夫?」
小声で尋ねてくるかえでに、健吾は口の端をつり上げ、笑う。
「みっともねェとこ、見せらんねェからな」
「呆れた意地っ張りね」
そんなやりとりをする二人の前に、通路の奥から、彼女は現れた。
淡い金髪に紫の瞳。
年齢不詳の、恐ろしく整った顔立ちの女だ。
黒のローブを目深にかぶり、鈍色の杖を突きながら、女は見通すような瞳で二人を見やる。
「へへっ。ひさしぶりだな、魔女さんよ」
膝を震わせながら、王城健吾はそれでも胸を張り、言った。
「――助けに来たぜ」
「やれやれ……助けなど不要だと申したというに……ともあれ、礼を言わせてもらおう。助かったぞ、健吾」
ふわりと、年齢不詳の美女は視線で謝意を表した。
それから、彼女は視線をわずかに横にずらす。
「――それに、まさかお主がここに来るとは思わなかったぞ。久しいのう、かえでよ」
「……あなたのあたしに対する認識について、ちょっともの申したいんだけど……ま、後でいいわ。あたしにも、あなたに聞きたいことができたのよ。いろいろとね」
腕組して、挑むような視線を向けるかえで。
「あらためて、ふたりとも、礼を言わせてもらう」
「魔女さんよ。礼なら要らねェぜ」
礼を述べる魔女シスに、健吾は笑って返す。
「――オレはあの宵闇の森で、あんたに助けられた。だから、助けるのは当然ってもんだぜ」
「それで、それだけで、八王が一角に挑んだと? たしかに武装を覚えたなら、可能であろうが……妾などのために、王に挑むとは……」
「顔が赤いわよ……年甲斐もなく」
「聞こえておるぞかえでっ! 余計なことを言うでないっ!」
かえでの小声の突っ込みを聞き咎め、魔女シスが必死の表情で返した。
あまりに必死な彼女の様子に、かえでは可哀想なものを見る目になっている。
その視線に気づいたか、年齢不詳の美女は、こほん、と咳払いして誤魔化した。
「――ともあれ、主らは王を倒した。この意味、わかっておるか?」
「ああ。王をぶっ倒すってことは――」
「力こそ正義である帝国の統治。その一国のトップを倒すってことは、国内の体制を麻痺させるってこと」
かえでの言葉に、えっ、そうだったの? という表情になる健吾。
それを尻目に、黒髪の美少女は言葉を続ける。
「――あたしたちも考えてるわよ。帝国に敵対することの意味くらい。だから聞かせてほしいの。あなたが、なぜ皇帝を倒したいと考えたのか」
挑戦的な瞳は、まっすぐ魔女に向けられている。
年齢不詳の美女は、見通すような紫の視線を返す。
「……すこし、長い話になる。健吾も辛いであろう。奥に部屋がある。そこで座って聞いてもらおうか」
軽く息を突き、魔女シスは応じた。
王城健吾は生まれたての子鹿のように、足を震わせている。
◆
三人は宮殿の一室に場所を移した。
豪奢な椅子に、それぞれ体重を預け、小さな円卓を囲む。
そして、魔女シスは語り始めた。帝国の歴史を。
かつて、大陸には八つの王国があった。
八王国は離合集散を繰り返しながら、たがいにしのぎを削っていた。
その中に、“鉄の支配”を打ち出し、国内を鉄血で洗い、強勢となったひとつの王国が存在した。
ヴィン王国。大陸の最も西に位置する、貧しき強国。
その王は十代で即位した後、20年の歳月を改革に、その後の15年を各国との戦に費やし、10年前、ついに八王国統一を成し遂げた。
八王国を統一したヴィン国王は、自らを皇帝と称し、己の治める国土を帝国と名づけた。
空前絶後の偉業を成し遂げた、帝国初代皇帝。統一皇帝と呼ばれる不世出の英雄。その嫡男が、現在の皇帝だ。
魔女シスは語る。
統一皇帝には思想があった。
理想があった。確固たる信念があった。
それゆえ、国内を鉄血で洗い、不退転の覚悟を持って全国を統一した。
「だが、現皇帝は違う」
無能だというのではない。
それならば、どれほどよいか。
統一皇帝の死後、即位した現皇帝。
才あふれ英知に富み、さらには不可侵と評して不足ない、超越的な武装使いだ。
それゆえか、はたまた生来のものか。
皇帝は、信念を持っている。確固たる――いや、狂的な。
――皇帝は至尊であらねばならない。人を越えた、神であらねばならない。
そんな、歪んだ信念だ。
そして、至尊の冠を戴く狂人は、自らの信念を現実のものとすることを、ためらわない。
魔女シスは確信している。
若き皇帝は己の尊貴を信じすぎるがゆえに、滅ぶと。
他のすべてを下賎と見下し、触れることすら厭い、帝国を巻き込んで自滅すると。
「そのようなこと、見過ごせぬ」
長い説明の後、魔女シスはそう言った。
「――それゆえ、妾は皇帝を倒さねばならぬのだ」
なぜ、彼女が。
とは、健吾とかえで、双方が思ったことだ。
思っただけではない。実際、口にして尋ねた。
年齢不詳の美女は、ただ「定めじゃ」とのみ答えた。
答える魔女シスの瞳に、健吾は確固たる信念の光を見た気がした。
「主らはどうじゃ? これからどうするつもりなのじゃ?」
魔女シスは問う。
「――主らは、王を倒した。たとえ望まずとも、主らの動きは王に等しい影響力を持っておる。その自覚を持って、答えよ」
女の頬から、汗が伝っている。
理由は明白だった。目の前の少年少女。
年若い二人の動向は、信じられないことに、大陸の興亡に直結しているのだ。
王城健吾と長門かえでは、たがいに目配せし、無言で語り合う。
口を開いたのは健吾だった。
「まずは、エヴェンス王国だ。国ん中から帝国野郎を叩き出す」
言った瞬間、魔女シスの顔から血の気が失せた。
おそらくそれは、魔女シスが最も恐れていたことだ。
「その、後は?」
震える唇で。
年齢不詳の美女は、かろうじて言葉を紡ぎ出す。
「その後? おやっさんに国ん中まかせて……」
「おやっさん? いや、説明はよい。任せるあてはあるのじゃな? で、任せて……その後はどうするんじゃ?」
魔女が問いかけた。
王城健吾はさして考える様子もなく、返じる。
「別に? 後は考えちゃいねェさ。ま、なるようになるだろ」
「ならんわばかちんがーっ!!」
椅子を蹴立てて立ち上がりながら、魔女シスが頭を抱えて絶叫した。
「どうしたんだ、魔女さんよ?」
「お主は、お主というヤツはーっ! 一国を解放しておいて、他国に影響がないわけなかろうっ! 解放運動は王不在のノルズやオルバンに、必ず飛び火するわっ! そうなれば、あっというまに帝国全土を巻き込む大戦乱じゃっ!! いま! さっき! ちゃんと考えろと申したではないかーっ!!」
「おう。じゃあ、どうすりゃいい?」
「考えろと言ったそばからこれかーっ!? すこしは、脳を働かせいっ!!」
肩を怒らせ叫ぶ魔女シスの言葉に、健吾とかえでは口をそろえて言った。
『そんな不可能なことを』
その言葉を聞いて、魔女シスはがくりと肩を落とした。
怒鳴りすぎたためか、ぜいぜいと肩で息をしている。
「大丈夫? 水汲んできてあげようか? それとも背中さする?」
「心配するくらいなら、もちっと考えてくれい。あと年寄り扱いせんでもらおうか。妾はまだ若……若……とにかく未婚じゃ」
心配げに覗き込むかえでに、金髪紫眼の美女は、どこか投げやりに言った。
後半の言葉を聞かなかったことにして、まだ十代の美少女は、魔女に告げる。
「まあ、あなたは皇帝の首をすげ替えて、国内の混乱を最小限に収めたいんでしょうけどね……それは無理だって言っておくわ」
「ふむ、なぜじゃ?」
「エヴェンス王国七十都市のうち、半数がすでに解放、あるいはそれに準じる状態にある。そして彼、王城健吾は解放軍の長。あたしもそれに噛んでる……あたしたちの言葉で表現するならね、すでにルビコン川を渡っちゃってるのよ」
一言で表すなら、手遅れ。
魔女シスはその表現を知っているらしく、呆けたように口を開けっぱなしになってしまった。
「……悪ぃこと言ったか?」
「いや、事実だし。実際帝国側の人間から見たら、悪いことしてんのよ、あたしたちは」
頭をかく健吾に、黒髪の少女も、バツが悪そうに答えた。
「――それに、皇帝の頭をすげ替えたところで、結局、国が良くはならないと思う。統一皇帝の鉄血政策もそうだけど、“力こそ正義”って帝国の根本原則がおかしいのよ。
そのうえ10年に渡る苛烈な支配で、帝国は旧七王国の国民全員から恨みを買いすぎた。帝国から暴力を奪って、その上で旧七王国を支配することなど不可能だってほどに。魔女さんが目指してた改革は、結局手遅れなのよ」
「なら、どうすりゃいい?」
問う健吾に、黒髪の美少女は、人差し指を立て、答える。
「一から組み直すことね。新しい国を」
「いかんっ! それはいかんぞっ!」
ふいに、魔女シスが復活して叫んだ。
「――共和制だの民主主義だのわけのわからん思想を持ちこまれては、国内の混迷はさらに深まるではないかっ! この国から王を除いてはならんっ! 民を牧す者がその根拠を失えば、国は迷い人は相争うことになるぞっ!!」
「……かえで、魔女さんがこんなに言ってんなら、マズいんじゃねェか?」
悲鳴交じりの魔女シスの言葉を聞いて、健吾もやや否定的になる。
そんな二人に、長門かえでは大きなため息をついた。
「あのね、二人とも。あたしがいつ近現代の国家体制をこの中世ド真ん中にぶち立てるって言ったの? ていうか魔女さん? あたしがそんな馬鹿に見えるの?」
「……違うのか?」
「あのねぇ……人口、産業、経済、技術力に国力。それに応じた、望ましい国家形態ってものが存在するってのは、ちゃんと知ってるから。あたしはそんな無茶しないから」
「なら、どうすりゃいいんだ?」
脊椎反射で尋ねる健吾。
そんな彼に、美女と美少女がちょっと冷たい視線を向けた時、ふいに喧騒が耳に入った。
「ん? なんだ?」
首をかしげていると、音と気配は宮殿中を動き回りながら、次第に近づいてくる。
ややあって、部屋の中に騒音の主が現れた。複数の、武装した男たちだ。
「なにモンだ?」
健吾が構える、その前で。
男たちは、一斉に膝をついた。
「それがしバートであります!」
「拙者はオーカス!」
「小官はマシュー!」
先頭で膝をつく、岩の塊のような髭ダルマの大男が名乗ると、続く二名が次々と名乗りを上げる。
「我ら! 帝国領オルバン王国十三将軍! メルヴ様を倒したあなた様に従う所存でありますっ!」
「十三将軍って……三人しかいねェじゃねえか。残り十人は?」
「恥ずかしながら八名は御夫人に討たれ申した! 残る二名は任務にて不在であります!」
御夫人、と言われて、かえでがすごくもの申したそうな表情になった。
健吾は気づかず、将軍たちの言葉に眉をひそめる。
「鎧の王は死んじゃいねェだろ? だってのに、オレに従う?」
「いえ、鎧の王はすでに何者かに討たれ申した」
「……そりゃホントか?」
「西街道の真ん中に、これ見よがしに打ち捨てられし我らが主の死体を、部下が確認しております。帝国の手の者は、すでに国内に居ります」
切羽詰まった声で、将軍たちは伝える。
「――我ら、いや、オルバンの将兵や官僚、有力者の多くが、鎧の王メルヴ様の元、帝国への反逆を志した身。たとえ罪が知られていないとしても、いまさら帝国の犬には戻れませぬ!」
「その鉄塊の武装! エヴェンスに名を轟かす解放軍の大将とお見受けしました! なれば、帝国に反する心は同じはず!」
「どうか、どうか我らの新たな主となっていただきたく!」
土下座せんばかりの将軍たちに、健吾はものすごく嫌な顔をした。
「面倒、ってのは、健吾の本心なんでしょうけどね」
と、口を開いたのは、長門かえでだ。
「――ここでこの人たちを助ければ、あなたの手は、このオルバンの民衆に届く。あなたの一声で、彼らを助けることができるようになるわ」
そのかわり、とんでもなく面倒だけど。
つけ加えて、黒髪の少女は挑むような表情で問いかける。
「どうする?」
健吾は、将軍たちに向き直る。
そして、さして風もなく、言った。
「わぁったよ。今日からテメェら、オレの舎弟だ」
爆発したように謝意と健吾を讃える言葉を連ねる将軍たちを尻目に、健吾はかえでに目を向ける。
「――よう、かえで。民衆に届く手ってやつを手に入れたぜ? 責任は自分がとる。だから使い方を教えてくれ……まずは、国中のガキどもの笑顔を取り戻す方法だ」
健吾の言葉に、魔女シスは目を丸くし。
長門かえでは呆れたように肩をすくめた後……にひ、と笑ってうなずいた。
エヴェンス半国に、オルバン一国。
途方もなく巨大な勢力圏をその手に納めた王城健吾は、いつのころからか、こう呼ばれるようになる。
――“鉄塊の王”、と。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー4
名前:ユダ
武装:銭の武装“鉄貨投銭”
備考:帝国領オルバン王国十三将軍、十三人目の男。必ず当たる鉄銭の武装使い。自らを妖星と呼び、鎧の王メルヴともっとも息の合った将軍だったが、裏切る前にかえでの砲撃で吹っ飛ばされた。美しいもの大好き。ホモではない。




