第十話 幕間
湾岸都市タッドリー。
大河と海に港を持つ、大陸有数の交易都市。
幾人もの豪商を抱え、三老会と呼ばれる商人組織が、都市を実質運営している商都だ。
街には巨大な市場が形成され、さまざまな珍品器物が商店に並ぶ。
賑やかな界隈からすこし外れた、街の北寄りの地域に、一軒の屋敷がある。
もとは帝国の都市守将が居留していた屋敷であり、現在はタッドリー指導者、長門かえでのものとなっている。
以前の持ち主の趣味か、はたまた権力のお目こぼしをいただきたい商人たちの多額の献金の結果なのか、屋敷のつくりは豪奢極まりない。
その庭園に、王城健吾は立っていた。
両腕をぶらぶらと脱力させて、静かに、虚空を仰いでいる。
深く、長く、息を吸い、吐く。
その動作には力みも、淀みもない。
そのまましばし、時は流れ。
ふいに、王城健吾のだらりと垂れた腕が緊張する。
拳が握りこまれ、そこに込められて力で、腕が小刻みに震えだす。
その拳を、前に向けて。
「ケンゴさん――んんっ!?」
ふいに、声をかけられ、振り返った健吾が見たのは、額を抑えてうずくまる銀髪の少女の姿だった。
「あ、ミリア。悪ぃ」
「平気、です」
健吾が頭をかきながら謝ると、少女は平気だ、と主張するように、ばっ、と立ち上がった。
直後、ふらふらとよろめいたが。
「でも、ちょっと、痛かったです……なんですか? これ」
ミリアが前に手を伸ばし、そこに壁がある、という風に両手をペタペタと宙に打ちつける。
「ああ、おさらいみてェなもんだ」
「おさらい、ですか?」
「ああ。武装の、な。かえでのやつが面白ェ使い方してたもんだからよぉ」
健吾が行っていたのは武装顕現の前段階。
鍛え上げた己の武装を“空想”した状態だ。
この状態でも、武装は現実への影響力を有する。
それを利用し、長門かえではスクリューの推進力で小船を動かし、巨大な戦艦の主砲を放った。
健吾とて、この性質を無意識に利用している。ミリアを助けた時、斬りかかる帝国兵をはじき返した力。あれは空想した鉄塊によるものだ。
「すごいですね、ケンゴさんは。あんなに強いのに、まだ強くなろうとしてるなんて」
なかば閉じたような瞳で尊敬の視線を送るミリアに、健吾はかぶりを振った。
「強くはねェさ――ま、弱ェつもりもねェがな」
健吾の言葉は、ミリアには受け入れがたいものだっただろう。
少女にとって王城健吾は命と貞操を守ってくれた恩人であり、村を救い、父を助け、さらにはミリアの母国すら、救ってくれようとしている英雄だ。
その過程で、王城健吾は“力こそ正義”が法である帝国で副王の地位にあったグート、そして帝国八王が一角、破城槌の王までをも倒している。そんな人間が、強くないはずがない。
「ケンゴさんは強いです。とっても!」
思いのほか強い口調で主張するミリアに、健吾は野獣めいた笑みを返した。
「サンキュな。お前がそう思ってくれるんなら、笑っててくれンなら、オレはその分だけ、強くなれるさ」
少女にとっての英雄の、そんな言葉に。
普段は無表情な、銀髪の幼い美少女は――輝くような笑みをこぼした。
「……はいっ!」
そのとき、彼方より飛んできた、鼻にかかったような叫び声が、場の空気を完膚なきまでにぶった切った。
「吉報ですぞーっ! ケンゴ殿、お嬢様、吉報ですぞーっ! かえで殿がまた湾岸の都市を落としましたぞーっ!」
二人を見つけて、駆けてきたのはギルダー。タッドリーの豪商にして、長門かえでの協力者。
極彩色の雪だるまとでも形容すべき姿の男は、恵比寿顔に満面の笑みを浮かべて、駆けよってくる。
背を向けている銀髪の幼い少女が、無表情で怒りに拳を震わせていることなど考えもしていないであろう、無邪気な笑顔だった。
◆
長門かえでは現在、タッドリーを離れている。
帝国領エヴェンス王国の湾岸諸都市解放のためだ。
彼女はこれまで、タッドリーを離れられなかった。
表向きは帝国寄りであるタッドリー商人衆のまとめ役、三老会を押さえつけておく、という、名目上のみの役割があったからだ。
現在、王城健吾がタッドリーに滞在していることで、その役割は彼が代行する形になっている。
おかげで行動の自由を得た彼女は、さっそく行動を開始した。
彼女の武装、“超弩級戦艦”の火力と機動力を使い、湾岸諸都市を一挙に解放しようと目論んだのだ。
その動きに、唯一掣肘を加えられそうな存在――北の鎮護、“盾の王”ノルズ王ルースはすでに亡い。
彼の領国であるノルズは、もともと難治の地だ。“盾の王”を失った現在、すでに国内は不穏な空気に包まれ始めていた。いずれそれが爆発し、乱が生じるのは避けられそうにない。
旧エヴェンス王国の解放は、もはや未来の事実と化していた。
タッドリーの三老会が重い腰を上げ、解放軍に全面協力するのも、時間の問題だ。
唯一、解放後の権力の綱引きに加わるであろう面倒くさい勢力の出現を予測して、王都の解放軍を預かるアウラスが頭を痛めていたが。
まあ、アウラスの不吉を帯びた予測は杞憂に終わるので、さておき。
「ご飯を作りたいです」
銀髪の幼い少女、ミリアは、ふいにそんなことを言い出した。
「ご飯?」
「ええ。ご飯です。ここにいれば、なにもしなくても食事が出てくる。それは楽なのですが、わたしはケンゴさんと違ってなんの役にも立ってません、なのにこんな暮らしをさせてもらっていては、心が落ち着きません」
貧乏性である。
厨房を預かる料理人にしろ、屋敷を取り仕切る使用人にしろ、自分の領域を侵されては逆に迷惑だろうが、ミリアは止まらない。
「――ケンゴさんの食事はわたしが作りたいんです。そしておいしいって言われたいです。わたしあれをもう長いこと聞いていません」
まあ、最後の言葉が本音なのだろう。
ともあれ、そんな経緯で、ミリアと健吾は市場へ買出しに出ようとしたのだが。
「その必要はありませんぞっ! 吾輩特選! 海の幸山の幸、果ては南海の素敵果物に至るまで、お二人の御手を煩わせることなく、ばっちりお取り寄せしましょうぞ!」
心配りの利いた処置である。
豪商ギルダーの動きは素早く、そう言ってからいくらも経たずに、彼の屋敷や市場から、つぎつぎと食材が運ばれてきた。
当然ミリアの怒りを買った。
二人で出掛けて、あれが欲しい、これが欲しいと話しながら買い物を楽しむ時間を無にされたのだから、当然だろう。
「ありがとうございます。いろんな食材をいただいて、うれしいです」
「ひいいっ!? なんで包丁を持って吾輩を凝視するんですかなっ!? 吾輩は食材ではありませんぞっ!? 食材ではありませんぞぉっ!?」
怒りが漏れていたのか、少女のお礼の言葉に、ギルダーが深読みして怯えまくっていた。
◆
山ほどの食材を従えて、ミリアは厨房へと旅立っていった。
一抱えもある籠いっぱいの野菜類をうんうんうなりながらも担いで行くのだから、存外たくましい。
「しかし、そろえたはいいものの……」
豪商ギルダーが、ふとつぶやいた。
「――よく考えれば、これらの食材をお嬢様がちゃんと調理できるのか、不安になってきましたぞ。金荔枝や紫竹笙などは、建前上、王侯の口にしか入らないもの。豆と一緒に煮込まれたらと思うと、不安でたまりませんぞ……」
「なら、なんでんなもん持って来たんだよ?」
「いや、吾輩が望めばなんでも用意できると自慢したかった。その思いが先走って……深くは考えていなかったですぞ」
「おい……まあいっか。ガキンチョががんばって作ってくれるってんだ。その思いを、無には出来ねえ。責任もって食うさ」
「ケンゴ殿……流石ですぞ。流石解放軍の長ですぞ。吾輩感服いたしましたぞ! ――それでは、吾輩これで失礼いたしますぞっ!」
「オイちょっと待て」
健吾は、そそくさと立ち去ろうとするギルダーの首根っこを掴んだ。
「なっ、なんですかな? 吾輩おうちに帰って人間が食べられる食事をいただきたいのですが!」
「オイ待て、なんでそうなる? そのなんとかって食材、そんなにヤベェのか?」
「なーに、たいしたことはありませんぞ。金荔枝は殻剥きにコツが要る上に本来デザートとして単品で食べるもので、たとえばスープなどに混ぜようものなら、たちまち溶けてスープに強い苦みと酸味を加えてしまうだけです。紫竹笙は乾燥食材ですが、“戻し”が非常に難しく、失敗すればどういう具合か三日は厠から出られないほど猛烈に下してしまうという……あの、ケンゴ殿、できれば離してほしいんですぞ?」
もちろん健吾は手を離さない。
獣の笑みを極彩色の雪だるまに向けながら、極上の笑いを浮かべる。
「ギルダー。せっかくだ。食ってけ」
「ですぞっ!?」
「たとえどんなものが出てこようと、オレは笑顔で食ってやる。だが、そうなった場合、元凶のお前がヌクヌクとうまい飯食ってんのは我慢できねェ……どうなろうが一蓮托生だ」
「そんなっ! 無体ですぞっ!? 無残ですぞっ!」
「あきらめろ。祈れ。ミリアは基本、うまい飯を作る」
そんな、愉快なやり取りが絶えることなく、時間が過ぎる。
「出来ました!」
そして、審判の時は訪れた。
どこか満足げな銀髪の少女に促され、健吾とギルダーは食堂の長テーブルに座らされた。
二人にとっては、裁判の被告席に座らされたような心持ちだ。
健吾は務めて平静を装っていたが、ギルダーはすでに青い顔をして禿頭から玉の汗を滲ませている。
「自信作です! いっぱい食材使えて楽しかったです! 昔はほんのちょっとの小麦と野菜クズと稀にハムで、どうやってお腹いっぱいにしようかってことしか考えられませんでしたから!」
聞いていて涙が滲みそうなことを、なぜか楽しそうに主張する少女。
「よかったな」と、健吾は務めて笑顔で返す。ギルダーは青い顔が紫になってきている。
テーブルに食事が並び始めた。
ちょこちょこと動き回りながら、ミリアは自らの手で、二人の前に料理を運んでいる。
気のせいだろうか。健吾の前に並んでいる料理のほうが、どれも盛り付けの完成度が高い。
「肉料理……よし。魚料理、よし。パンもバターも余計なものは入っておりませんぞ……」
ギルダーは料理に使われた食材のチェックに余念がない。
ふごふごと鼻をひくつかせながら皿を凝視しているあたり、目と嗅覚のみで食材を判断しているのだろう。たいした芸である。
「お待たせしました! さあ、食べましょう!」
そして、最後にミリアは大きな鉢を持ってきた。
中に入っているのは、肉や野菜を煮込んだと思しきスープだ。
それを見た瞬間、紫に近かったギルダーの顔色が、一気に白くなった。
「き、金荔枝を溶かしたスープに豚肉と青菜など野菜三種おまけに紫竹笙が姿ごと……」
健吾にはいまいち意味がわからなかったが、ヤバイと言われた食材が二つとも入っていることだけは理解できた。
だから、健吾は覚悟を決めた。
どんなに不味くとも、少女を傷つけぬよう、笑顔を崩すまい、と、匙を手に取った。
「け、ケンゴ殿」
ギルダーはみなまで言わなかった。
ミリアを不審に思わせない気遣いだろう。
それに感謝しながら、王城健吾はスープを匙ですくい、口に入れた。
しばし、時間が流れた。
ややあって、王城健吾は深く、深く息をつき、言った。
「……美味い」
心の底からの言葉だった。
美味のためか、健吾の頬は緩み切っている。
「け、ケンゴ殿? 本当ですかな? 吾輩――ええい、吾輩もこのタッドリーでは名の知れた豪商、ままよ!」
ギルダーも、思い切ってスープを口にする。
その瞬間、豪商は雷に打たれたように固まった。
それから、ぶわっと全身から幸福の汗を滴らせながら、強く、喉を鳴らし、スープを飲み下した。
「まさかっ! まさかっ! 豚肉と野菜のうま味の溶けたとろみの強いスープに加えられた絶妙な酸味と苦み……これは、金荔枝っ! 少量の金荔枝を溶かすことで、味の奥行きを数段深めたっ!? それに、紫竹笙! 戻し方は完璧ですぞっ! 肉の旨みと酸味が淡白な紫竹笙に、思いもよらぬ味わいを与えていますぞっ! ああっ! これぞ口福の極みですぞっ!!」
一息にまくし立てるギルダー。手放しの絶賛だ。
健吾も、美味い、美味いとスープをかき込む。エンジンの温まった胃袋は、ミリアの並べたやや過剰ともいえる料理の数々を、容易く胃袋の内に納めさせた。
食事が終わって。
「ミリア。美味かったぜ」
「はい。ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべる健吾に、ミリアはとびっきりの笑みを返す。
その横から、遠慮がちにギルダーが声をあげた。
「お嬢様、ひとつ、よろしいですかな?」
「なんですか?」
「あの金荔枝の使い方、紫竹笙の戻し方、どこで覚えられたのですかな?」
ギルダーの問いに、ミリアはうーん、と首を傾ける。
「わたし、結構わかるんですよ。いろんな料理の仕方とか。食材をみたら、あっ、これこう料理するんだ、みたいに、完成した料理が頭に浮かぶんです。不思議ですよね。こんな高級食材、見たことないはずなのに」
「天才……天才ですぞ! お嬢様は料理の天才ですぞ!」
手放しの絶賛である。
ミリアも悪い気はしないようで、無表情ながらどこか得意げだ。
「えへん。こう見えても一時期包丁の武装使いになろうかって思ったこともあるんですから。父さんに全力で止められましたけど」
「包丁の……つーか、ミリア、お前武装使いの才能あったのか?」
健吾が問うと、少女はうなずいた。
「ええ。でも、帝国に目をつけられると厄介だからって止められたんです……あれ? でも、いまはもうそんなこと気にしないでいいんですよね!? あ、でも、ケンゴさんを手伝える武装を考えた方が……」
悩んでいるのか、無表情のまま右に左に首を傾ける銀髪の少女。
そんな彼女に、笑顔を向けながら、王城健吾は語りかける。
「なにも今すぐ決める必要はないさ。オレが、この手で、この国を平和にしてやる。先のことを考えるのは、それからでも遅くはないさ。ゆっくり考えて――自分の好きなもんになりな。全力で応援するぜ!」
王城健吾は親指を立てた。
「好きなもの……」
なにを想像したのか、ミリアの耳が真っ赤になった。
「……しかし、この食材の取り合わせ、どこかで聞いたような気がしますぞー。どこででしたかなー。たしか宮廷料理で……」
ギルダーも、今回は空気を読んで、縮こまりながら静かにつぶやいていた。
邪魔だった。
この十日後、主だった湾岸都市はすべて解放された。
首都エアを拠点とする解放軍も、その勢力を順調に伸ばしている。
南に目を向けるべき土台が、整おうとしていた。
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー3
名前:ヨウ・チャン
武装:包丁の武装“神の包丁”
備考:商業都市タッドリーの、ギルダーお抱え料理人。包丁としての理想の機能を保ち続ける武装を持つ。「料理は工夫」を信条としており、スタンダードな料理は一切出さない主義。工夫のためには主人であるギルダーを平気で待たせる。見た目はともかく、味は抜群。




