第九話 魔女
荷駄が、大路を行き交う。
街のあちこちで商談を交わす、商人たちの声。
海と大河の商船が緩やかに行き交い、荷降ろしされる品々も、実に多種多様。
国内に未曽有の変事が起こる中、また、その渦中にあるにもかかわらず、交易都市、タッドリーは栄えていた。
「……すごい、です」
田舎育ちのミリアは、目を白黒させていた。
首都エアの壮大さ、人の多さも想像を絶するものがあったが、人の密度と熱気、そして活気に関しては、タッドリーのほうが上だ。
「ほっほっほ。この程度、タッドリーでは珍しくもありませんぞ?」
屋敷に着いても、まだ酔ったような風情のミリアに、ギルダーが得意げに胸を張った。
「そうですね。ギルダーさんの場合、自分が一番珍しい生き物ですからね」
「ですぞっ!?」
誇らしげな極彩色の雪だるまに、ミリアは容赦がなかった。
王城健吾が長門かえでを追って駆けていき、また、ふたり並んだその姿が妙に絵になっていた。
その事実が、少女の心に微妙なトゲを生じさせていたのだが、彼女自身、心のもやもやの原因に気づいていない。
それから。
中天にあった日が、西に半ば傾いたころ、二人は帰ってきた。
そして、挨拶もそこそこに、二人はそろって屋敷の奥へと引っ込んでいった。
ミリアはちょっとだけ、納得がいかない。
◆
ミリアがもやもやしているころ、王城健吾と長門かえでは屋敷の一室で、向かい合うようにして座っていた。
帝国の守将が使っていたという屋敷は、各所に金銀がちりばめられた豪奢な造りで、健吾には少々居心地が悪い。
「じゃあ、あらためて、まずはあたしの話をしましょうか」
勝気な瞳をまっすぐ健吾に向けながら、長門かえでは口を開いた。
悠然と椅子の背もたれに体重を預けながら、両手を机の上で組む美少女は、不敵な笑みを崩さない。
「――健吾、あなたもあの魔女に喚ばれた人間でしょ?」
「ああ」
「で、あなたも魔女に与えられた。“知識”と“武装”を」
「……ああ」
事務的な確認といった風情のかえでの質問に、健吾はうなずいた。
二度目の問いに答えたとき、健吾の声には淡い苦みが混じっていた。
そのことに気づいているのだろうが、黒髪の美少女は構わず言葉を続ける。
「あたしも同じ。気がついたら森の中で、目の前にはあの魔女が居た」
少女の言葉に、健吾も思い出す。魔女の姿を。
それがなんらかの感情に結びつく前に、長門かえでが言葉を割りこませた。
「彼女は言った。“皇帝を倒したい。協力してほしい”って」
言われて健吾は思い出す。魔女の声を。
「――まっぴらだって思った。彼女からの偏った情報だけで、皇帝を悪だと決めつけたくなかった。ちゃんと自分の目で見て、耳で聞いて、ありのままのこの世界を目にしたかった……だから、旅に出た。旅に出て、いくつもの悲劇と、どうしようもないこの国の惨状を見てきた」
かえでが言った。
言葉に歪みはない。真実をまっすぐに見つめる真摯な瞳が、そこにあった。
「最初は、大陸統一のひずみによる、一時的なものだと思ってた。これは過渡期に生じる自然現象のようなもので、じきに帝国は安定に向かうって。ゆっくりと、こんな悲劇は終息していくだろうって、なるべく干渉は避けてきた。いま、あたしが手を出せば。簡単に国を滅ぼせるような武装で国を荒らせば、帝国の安定は遠のき、かえって苦しむ人が増えるって、我慢してた」
「……てめえも難しいこと考えやがんなぁ」
あきれたように、健吾は息をついた。
「そんなに難しく考えるから、世の中難しくなるんじゃねぇか? シンプルでいいんだよ。シンプルで」
「……ある意味才能ね。うらやましいわ……でも、うん。同感。あたしはある程度、世界の歴史を知ってたから、それにこの世界を重ねてたから、神様の目線で世界を見てた。はるか高みから傍観してた。あたしは今、ここにいるのにね」
少女は語る。
その結論に至るまでに、彼女はどれほどの悲劇を目の当たりにしてきたのか。
「――そう気づかされたのは、このタッドリーに流れ着いたとき。つまんない理由で子供が斬り殺されようとしててね。それが、すぐ手に届く距離で……思わず、子供を助けてた。帝国兵を殺してね。あれほど自制してきたのに、自分に言い聞かせてきたのに、ほんと自然に手を出しちゃってた」
苦笑か、それに類するものを浮かべて。
長門かえではなお語る。
「――それで、なんか吹っ切れた。いま、ここで、悲劇が起こってる。それを見過ごしに出来るほど、あたしは強くない。そんなことにいまさら気づいて、それで、タッドリーを解放した。守将のエメルを倒して三老会と結んで、ね。そんな時、健吾くんの噂を聞いて、思ったの。協力できないかって。帝国の力の支配による悲劇から、この国を解放するために」
少女の瞳は、まっすぐ健吾をとらえて離さない。
長門かえでの真摯な言葉を受けて、健吾は言った。
「こまけェことはいいさ。シンプルにいこうぜ。帝国野郎をぶっ飛ばす。みんなの笑顔を取り戻す。それさえ出来りゃあ、オレぁ満足なんだ――お前もそうなんだろ? かえで」
言われて。
あらためて、手をさしのばされて。
長門かえでは、にひ、と楽しそうに笑った。
「そうね。あんたのその単純な考え、好きよ。王城健吾」
険のとれた、ひどく魅力的な笑顔に、健吾も笑顔を返す。こちらは野獣の笑顔だ。
少女が、さしのばされた健吾の手をとる。
それから、にひ、と、照れたように笑って、長門かえでは先の展望を語った。
王城健吾。長門かえで。
ともに大陸でも隔絶した“武装使い”だ。
このふたりが協力する限り、旧エヴェンス王国の解放は、もはや未来の事実と言っていい。
そろそろ、“その先”を見定めて動いていかねばならない。
「だから、今こそ。この大陸の現実を知った今こそ、あの魔女と、しっかり話をするべきだと思うの。帝国の支配が強固だった時に、すでに皇帝を倒すことを目論んでいた彼女と……健吾」
「なんだ?」
「あなたが召喚されたのは、わたしの先? 後?」
「後だと思うぜ。“異世界観光してくるって言って出てった三人目”ってのはアンタだろ?」
「うん……まあ、うん。合ってるんだけど……」
すごく微妙な顔になる長門かえで。
「でもまあ、あたしの後なら、あなたのほうがあの人の消息に詳しいわよね? 魔女さんはまだ宵闇の森にいるの?」
「いや……」
健吾は頭を振った。
そして、自身を見つめるように、虚空に視線を定めながら、長門かえでに伝えた。
「――あの人は……魔女は、連れて行かれた」
◆
「どういうこと? 彼女が、連れ去られた? いつ、誰に?」
「落ちつけよ。説明するからよ」
思わず席を立った長門かえでを抑えて、健吾は語った。
王城健吾の体験を。
「――つっても、最初はかえでと変わんねぇよ。いきなり喚ばれて、言葉わかるようにされて、それから、いろいろ情報交換? みてェなことして……まあもう四人目だったからか、ずいぶん日本の事情にくわしいみてェだったが。思い出したら、むちゃくちゃ警戒されてた気がするな。武装のことも、“これを教えるとみんな逃げるから”とか言ってなかなか教えてくれなかったし」
長門かえでが苦笑を浮かべた。
完全に彼女たちの責任である。すこしくらいは、健吾の野獣めいた容姿も関係していただろうが、
「――それから、頼まれた。“皇帝を倒してほしい”ってな」
「それで、あなたはなんて答えたの?」
「……答える前に、奴が来た」
健吾は口元を引き結んだ。
目元に、怒りの色が強く見える。
「奴?」
「男だ。デカイ図体で、雷みたいな声の、鎧の武装使いだ」
ぎり、と軋むような音がした。
健吾が歯を食いしばった音だ。
「あいつは“やっと見つけた”っつって魔女を捕まえようとして、戦いになって……んで連れ去られた。っつーか、まだ武装を使えねェオレの命と引き換えに、自分で鎧の男についてったんだ。“心配するでない”っつってよ。ンで最後に、こっそり武装の知識をくれたんだ」
それから一週間以上、健吾は宵闇の森で、武装の修練に明け暮れた。
そして、無力な自分への怒りにひと段落をつけると、森を出たのだ。鎧の男と魔女、双方に借りを返すために。
「……まいったわね。あの人、肝心な時に居ないなんて」
話を聞き終えてると、長門かえでは難しげにうなった。
「――その、鎧の武装使い。健吾は心当たり、あるの?」
「ああ」
健吾はうなずく。
最初は知らなかった。鎧の武装使いとしか。
しかし、アウラス――健吾を献身的に補佐する、ミリアの父からの情報で、すでにその正体は判明している。
「オレが倒してェのは。魔女を連れ去ったのは――“鎧の王”。帝国領オルバン王メルヴだ」
帝国領オルバン。
エヴェンス王国の南に境を接する国だ。
エヴェンス東南端に位置するこのタッドリーからは、グロスター川を隔てて至近の距離にある。
メルヴは、その地を治める八王が一角、“鎧の王”だ。
帝国領オルバン首都ボルソンから、はるか離れ、国を跨いだ宵闇の森に、彼がなぜ現れ、魔女を連れ去ったのか、それは分からない。
「――だが、とにかくオレは、借りを返さなきゃなんねェんだ。なにがなんでもな!」
握り拳を震わす健吾。
その上に、白く、細い手がふわりと添えられた。長門かえでの手だ。
「手伝うわよ――ううん、違うわね」
少女はかぶりを振ってから、言い直す。
「――あなたが、自分の手でやりたいことの邪魔はしない。だから、手伝わせて」
その、言葉に。
王城健吾はしばらくあっけに取られて……ふいに、笑いだした。
「くっくっく。おい、マジかよ。こんな女居るのかよ……オイ、テメェ性別詐称してんじゃねえのか?」
「ちょっと、失礼じゃない!?」
「うれしいんだよ! マジかよ惚れちまうぜこの男前が! へへっ。頼むぜ、相棒!」
健吾の言葉に、今度は長門かえでが目を見開いて。
それから、少女はひどく魅力的な微笑をうかべ、返した。
「にひ。こっちこそよろしくね、相棒!」
◆ぼくの考えたかっこいい武装使い
ナンバー2
名前:ヴィンセンス
武装:鈴の武装“鈴々響々”
備考:帝国領ノルズ王国で盾の王ルースに仕えていた武将。鈴の音を響かせ、周囲の状況を探知する武装を使う。人間レーダー。というか乗船武将全員合わせてプチイージス艦。プチじゃ足りなかったよ……




