序段 少女
本当に。
現実は本当に容赦ない。
残酷で、残忍で、かけらの情もない。
そのことを、ミリアは痛いほど知っていた。
母は、ミリアが生まれたころに死んだ。
父は足が不自由で、ミリアは幼いころから家の仕事を一人でこなさなければならなかった。
いつも力仕事を手伝ってくれたお爺さんは、ミリアが10歳の時、帝国兵に殺された。
針仕事や料理を教えてくれたおばさんも、ミリアが12歳の時、帝国兵に殺されてしまった。
そして、13歳になる今。
今度はミリア自身が、帝国兵に殺されようとしている。
その事実を、ミリアは他人事のように、ひどく冷静に受け止めていた。
自業自得と言われれば、その通りだ。
村の外で帝国兵と会えば、まず命はない。
みんなには、危険だから山歩きは止めろとさんざん忠告されていた。
――でも、仕方ないじゃないですか。
ミリアの父は足が悪い。
季節の変わり目、痛みに苦しむ父のためには、山で採れる薬草が必要なのだ。
捕まらないと思っていた。
逃げ足には自信があったし、いままで危険な目に遭ったこともなかった。
だから、自分だけは大丈夫だと、心のどこかで思っていたのかもしれない。
だけど、それは幻想だった。
あるいは、いままで無事だったことが、奇跡だったのか。
薬草を採った帰り道、ふいに帝国兵――あの山賊にも似たおぞましい男たちに出会ってしまい、ミリアはあっという間に捕まって、取り押さえられてしまった。
――近道なんて、するんじゃなかった。
下品な笑いが降りかかる中、幼い少女は小さなため息をついた。
これから自分がどうなるのか。
男たちのいやらしい視線や言葉から、察しはついている。
――初めてで3人ですか。まあ、マーティさんの下の娘さんに比べれば、マシといったところでしょうか。
少女より三つ年上――15歳になったばかりの彼女は、10人以上の男に犯され、あげくに殺された。哀れと言うほかない。
だがミリアは、自分はまだしも幸運だ、などと喜べない。
――どのみち末路は似たようなものでしょう。
遊ばれ、犯され、殺される。
ミリアの母国を滅ぼし、そして居座った残虐な支配者たちだ。
被支配地の、取るに足らない小娘などに自制を働かせる理由など、かけらもないだろう。
少女は目をつぶった。
すでにできる限りの抵抗はし尽くした。
これ以上の抵抗は無駄だ。苦しみや痛みが増すだけだ。
――ミリア、君はあきらめが良すぎる。すこし心配だよ。いいかい、ミリア。自分の命まで、簡単にあきらめてはいけないよ。
ふいに、父がため息交じりにそう言ったのを思い出す。
だが、どうすればいいのか。
人間、出来ることと出来ないことがあるのだ。
しょせん自分は父のように、必死で生にしがみつくような生き方は出来ない。
「アニキィっ! 俺イチバン! イチバンイイっすかねぇ?」
「ああっ、こいつ!?」
「好きにしろ――ったく。よくこんなガキに発情できるな」
なんて言いぐさだ、とミリアは眉をひそめた。
たしかに同じ年ごろの娘に比べれば、発育はよくない。
だが、さんざん追いかけまわし、股の下をいきらせながら組み敷いておいて、なぜこんな侮辱を受けねばならないのか。
――まあ、どうでもいいですけど。
土の味を噛みしめながら、少女はため息をつく。
すべてをあきらめたような、そんなため息に誘われたように――その男は、現れた。
◆
突如姿を現したその男に、兵士たちは顔を見合わせた。
不気味な男だった。
年のころは17、8か。
漆黒の髪に、異国のものらしい、見なれぬ装い。
恐ろしく感情の読みにくい、平坦な顔立ちをした、明らかに異民族の男だ。
ただの通りすがり。
ミリアにも帝国兵にも、なんの関係もない人間だろう。
普通なら知らぬふりをして通り過ぎるか、難を避けるために道を引き返すか。とにかくその程度の関係だ。
だが。男の瞳は、間違いなく男たちをしっかと捉えている。
野獣のごとき口元は、男たちを挑発するように、不敵につり上がっている。
「てめえ……何者だぁ?」
兵士たちが、男に警戒と殺意の入り混じった視線を浴びせかける。
男は意に介さない。
無形の圧力などお構いなしに近づいてきて、帝国兵たちの眼前で立ち止まった。
それは不気味な光景だった。
武装した帝国兵たちと真正面から対峙しながら、この異装の、ナイフ一本持たぬ男は、わずかなおびえすら見せない。
むしろ、笑みさえ浮かべて、男は言った。
「邪魔もんだよ」
「なにっ!?」
「それに、乱暴もんで狼藉もんだ……見てわかんねェのか?」
あきらかな挑発だった。
兵士たちの視線が、にわかに険しくなる。
「キサマ、ケンカ売ってんのか!? 俺たちゃ帝国の、おい、兵士サマだぞ!?」
「……ああそりゃ失礼。てっきり、そこいらの幼児性愛者かと思ってたね。それに……鈍ぃなてめぇら」
男がにこりと笑う。
毒のない、純粋な笑み。
それが、唐突に鬼の形相に変わった。
「――オレぁケンカ売ってんだよ。テメェらになぁ!!」
異様な気配が爆発的に膨れ上がった。
ミリアはそう感じたが、兵士たちは気づいた様子もなく、怒りをあらわにする。
「んだとコラぁ死にやがれぇっ!!」
「ヒャッハー! 血祭りだぜぇっ! 死ねぇっ!」
次々と剣を抜き、斬りかかる兵士たち。
だが、その刃が男に届くことはなかった。
鋼の異音。
兵士たちの体は、見えない壁にぶつかったかのように、はじき返された。
驚きの声をあげる彼らを尻目に、ただひとり、アニキと呼ばれていた少壮の男だけは、その場で呆然と立ち尽くしている。
「ば、化物……」
「バカ言うなよ……オレぁセーギのミカタだぜ」
男の口元が、不吉な形に釣り上がる。
重い。ひどく重い音が、山中に響いた。
◆
その光景を目の当たりにしながら、少女は思った。
どちらにせよ同じだと。
犯される相手が、三人の帝国兵から一人の凶暴な男に代わっただけだと。
だから眼前に繰り広げられた、惨劇ともいえる光景にも、さして心を動かさなかった。
四つんばいの姿勢のまま、視線を地に向けたまま、少女は自分の人生をあきらめてしまっていた。
だから。
「よう、ガキ。ケガはねェか? おい、立てるかよ」
突如投げかけられた言葉に、ミリアはきょとんと眼を見開いた。
「……わたしを、犯さないのですか?」
「は? 冗談じゃねェ。オレにそんな趣味はねェよ」
「……その言い方には、非常に納得いかないものを感じますが……では、なぜ、わたしを助けたのでっ!?」
突然、ミリアの視界に星が散った。
言葉の途中で、男が拳を落としたのだ。
痛みに、すこし涙目になりながら、ミリアは抗議する。
「なにをするんですか」
「おう、ガキ。順番ってヤツがあるだろ? 人に助けられたら、まずどうするんだ?」
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「よーしよし。いい子だ。んじゃ、ま、気をつけて帰ンな」
あっさり言われて、ミリアは困惑した。
こんなご時世だ。
なんの見返りもなしに、厄介事に首を突っ込む酔狂者などいるはずがない。
てっきり金品か貞操かを求められると思っていたのだが、そんな様子もない。
あまつさえ、幼い子供扱いである。何重かの意味で、ミリアは納得がいかない。
「あなたは、いったい」
おそるおそる尋ねる少女に、男は凶暴な笑みを浮かべて名乗った
「王城健吾」
その笑みと、耳慣れない名は、生涯忘れないだろう。
そう確信しながら、ミリアは背を向けて去ってゆく男に、勇気をふりしぼって声をかけた。
「み、ミリアです……どうか、お礼をさせてください!」
「あ? いいっていいって。気にすんな。ガキからお礼せびるほど落ちぶれちゃいねェよ」
ひらひらと手を左右させる男の腹が、ぐうと鳴った。
それを聞いて、ミリアは無表情をわずかにほころばせた。
◆登場人物
ミリア……無表情銀髪ロリ
王城健吾……野獣系脳筋男子