表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

4.エピローグ

 顔を腫らした僕は、熱っぽい身体に耐えながら、田舎のバス停で終バスを待っていた。一日に数本しかない路線バス。乗り遅れたら後がない。カバンに入れた六万円が入った封筒の存在を何度も確認し、バイトを無事に終えたことを実感する。


 如月の『手術室』での出来事を思い出すだけで疲れがどっとでる。

 彼はたしかにホルことが好きな男だった。

 如月は僕の目をねらう振りをして、何度もメスを振りかざして僕を脅した。

 だけど、目を潰すことはしなかった。

 彼が狙っていたのは別の部分だった。

「いい状態だ。左右両方ともいける。ふふふ、今日もホレる。しっかりホルぞ。わははは、たまらんよ。悪いが麻酔なしだ。余計な薬で汚染させたくない。出血するし、かなり痛いが耐えてくれたまえ」

 僕はうなって抗議したが、無駄だった。

 如月は散々僕をおどして、汗びっしょりにさせた後、僕の奥歯の奥にある歯茎を左右とも容赦なく切り裂いた。

 痛いなんてもんじゃない。

 頭まで抜けるような鋭い痛みと同時に口中にあふれる血。

 僕は死ぬ間際の人間のような叫び声を出したが、如月は加減してくれなかった。如月はゴリゴリと音がするほど奥歯の奥の骨まで削り、細胞と血液を試験管に収めた。

「よし、しっかりホッた。君はまだ親不知ができていない。そういうサンプルがたくさんほしかったんだ。今、痛み止めを打ってやる。落ち着いたら食事をとってくれたまえ。食べたくないなら無理して食べなくてもいいが、スポーツドリンクだけはすぐに飲んでくれ。脱水症状を起こしかけている」

 泣き叫び疲れた僕は、ぐったりと目を閉じた。

 ――とりあえず、拷問は終わったのか……



 そして口の中を切り裂かれた僕は、最初に閉じ込められた部屋のベッドに運ばれ、動く気力も無く横たわっていた。如月が僕の着替えが入ったカゴを持って部屋に入って来た。

「坂上君、お疲れだったね。今、食事を運んでくるから着替えてくれ。ここで夜まで休んでくれ。仕事は終了だ。君はよくがんばった。最高の細胞が採取できたよ」

「そうですか……」

「iPS細胞の話は知っているかね?」

「いえ……」

「iPS細胞とは多能性幹細胞のことで、再生医療の研究にはかかせない。親不知の元となる歯胚細胞を使ってiPS細胞を作製するとだな、皮膚からとった細胞よりも百倍以上の効率が期待できることがわかっている。親不知がすでに形成されているとこの研究はできない。親不知を抜いてしまった人からも採取できない」

 ――要するに、親不知を発掘したかったのかよ。なら、最初からそう言え。落とし穴とか、無駄にメスをちらつかせるとか、いらないだろう?

 頬から顎にかけて、ぱんぱんに腫れてしまい、講義する気力もない。

 如月は僕の気持ちをくみ取ったように説明した。

「私が研究しているのは、人が恐怖に陥った時に採取した歯胚細胞の変化だ。人は恐怖を感じると、生きようとして体は最大限に活性化する。普通の気分の状態の時に採取した細胞と、長時間恐怖にさらされた時の細胞とでは絶対に同じではないと私は信じている。まだまだデータ不足なのだがね。恐怖時の歯胚細胞は病を抱える多くの人の希望につながるだろう。提供者が最初から怖い目に遭うことを知っていると、活性化した状態での取り出しが出来なくなる。だから、誰にもこの研究のことは話してはいけない」

「そうでしたか……マジで怖かったです。幽霊が……穴の中にいました」

「ああ、あれは、落ちた人間が壁を強くたたくとセンサーで幽霊映像が自動に出てくる仕掛けになっている。私の姉がモデルだ」

「お姉さんですか……」

 作り物かよ。紙おむつがあんなにありがたい物だったと思ったことはない。

「親不知の元が眠る歯茎を切り裂いて埋もれている細胞を発掘する瞬間は、宝箱を開けるようなものだ。いやあ、ホルことは楽しいね。ふふふ。だけど残念ながら君からはもうホレない。ここでの実験のことは絶対に秘密だ。さもないと私は君を本当にホッてやる。君の住所も学校もわかっているからそっちへ押しかけることは簡単だ」

 如月はおまけのように笑い顔で付け足した。

「もちろん、それは君が最初に思ったホルという意味で」

 やつはさらに付け足した。

「……というのは冗談だ。それぐらい秘密を守りたい研究なのだ。ここであったことは絶対に誰にも言うな。人類のため」



 如月はバス停まで車で送ってくれて、その場で別れた。

 田舎のバス停にバスが近づいてきた。

 これでやっとこの山奥から脱出できる。

 よろめきながらバスに乗った僕は、さきほどの車中での如月との会話を思い出して身震いした。

『あそこに人骨が埋まっていた話も脅すための嘘だったんですよね?』

『それは本当だ』

 如月は汚い歯を見せて笑った。

『あの場所は戦時中、罪人を連行してきては人体実験をして殺していた施設跡らしい。今でも骨は埋まっている。私は気にしていないが』

『あのう……もうひとつだけ教えてください。お姉さんの他にも幽霊って作りましたか? 骸骨の幽霊が何体か覗いていたように見えたんですけど』

『私が作ったのは姉の映像だけだ』

『でも何人もいたんです。穴の上から僕を見下ろしていた』

 如月は、ふっ、と鼻で笑った。

『その人たちなら、坂上君の後ろにぞろぞろついて来て、今、この車に乗っている。みんな、坂上君が気に入ったらしい』

『……冗談ですよね?』

 如月は僕の問いに答えず、声のない笑いを唇に浮かべた。

 僕は後部座席を振り返ることができなかった。



 バスは山村を離れ、僕は無事に帰宅したが、あれ以来、ずっと体調が悪い。口中の傷は治ったのに今日も夜中に目覚めてしまった。

 なんとなく天井に目をやる。


 頭骸骨しかない顔が、いくつも天井に張り付いて、僕を真上から見下ろしている。

 一泊二日、六万円のバイトのリスクは大きかった。





      了


---------------

参考サイト様


http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/faq/faq2.html


http://oyashirazujuku.com/wisdom-teeth-ips-cell-technology.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ