表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3.

 衝撃の後、周囲を見回せば、僕は深い穴に落とされていた。

 穴の底にはやわらかなマットレスが敷かれており、人が落ちることを想定して作られていることは明らかだった。

「痛ってぇ……如月のやつめ」

 落ちた時に額をマットにぶつけてしまった。

 早く脱出しなければ見つかってしまう。

 と言っても、この穴、結構深い。飛び上がってみても縁に手が届かない。大きな土管を縦に埋め込んだような円形で、直径は二メートル以上あり、両手両足を思い切り開いて登ることはできそうにない。つるりとした内部は、洗濯漕のような指も入らないような細かい穴がところどころ開いているが、足がかりにするどころか、指をかけることも不可能だった。もちろん、脱出用ロープなんかどこにもない。

 閉じ込められた……。

 絶望に陥り、マットレスに顔をうずめようとして、あわてて顔を放した。よく見たらこのマットレス、あちこち茶色いシミがあるじゃないか。ここに落とされた人はきっと何人もいて、口を切ったり、鼻血を出したりした人だって……。

 汚いやり方に腹が立ってきた。

「くそったれ。如月、出てこい! こんなところに落とし穴なんか堀りやがって」

 自分で言ってみて、ハッと気が付いた。

 『掘りやがって』。ホル……!

 そうか。

 あの男は落とし穴に人を落として楽しむことが趣味なんだ。きっとあの女の子も逃げようとして落とされて、連れ戻されて泣いていたに決まっている。そうだとしたら、アイマスクをさせて恐怖をあおり、逃げ出すように仕向け、鍵が開いていたことも説明がつく。


 と、なんとなく推理をしてみたものの、この状況、どうしたものか。

 空は遠い。ここには何もない。あるのは空気だけだ。

 溜息をついて、ダニがたくさん住んでいそうな汚いマットレスの上に仰向けに横になった。

 蝉の合唱、鳥の声。風が通らず蒸し暑い穴の底。

 喉が渇いた。腹も減った。待ちに待った昼食の時間はとっくに過ぎている気がする。如月は僕がここに落ちていることを知っただろうか。

 干からびないうちに助け出してほしい。ここから引き上げられたその後、どうなるのかはわからなくても、ここでのたれ死ぬよりは、地上へ出してもらった瞬間にやつを倒して逃げる可能性にかける。

 大きな声で呼んでみた。

「すみませーん、誰かいませんかー」

 自分で逃げ出しておいて、助けを求めるのはおかしいが、そう言うしかない。

 耳を澄ませても、人の話し声どころか、庭を誰かが歩いている音すらしなかった。



 時は確実に過ぎる。

 やがて、空はとうとう真っ暗になった。僕はいつまでもひとり穴の中。

 何度呼んでも、叫んでも、丸い空に人の顔が覗く気配はない。もう口の中はカラカラだ。あいつはここで僕を飢え死にさせるつもりか。

「ここから出せよ、おい、聞こえないのかよ」

 力任せに壁を思いっきりたたいた。どこか壊れないかあちこち蹴りまくる。

 秘密の隠し通路でもないかと期待したのに、非情な壁には何もなかった。


 闇はどんどん深くなる。腹ペコだ。食事付きなんて大嘘だった。何のためにこんな山奥まで来たんだろう。

 気持ち悪いマットに横になり、体の力を抜いた。

 今は眠ろう。つか、眠るしかないじゃないか。


 長く目を閉じていたら、どこかで人の声が聞こえた気がして、問いかけた。

「誰かいるのか?」

 神経を耳に集中させる。待っていても誰も答えてはくれない。

 もしかすると、この中庭には他にもこんな落とし穴がいくつもあって、僕のように穴に閉じ込められている人が他にもいるのかもしれない。

 誰かが歩いてくる音はしないが、やはりどこかで人の声がする。しぼりだすような細い声。女性が泣いているような、うめいているような、どう考えても苦しんでいる様子が伝わる声だ。

 さっきの女の子? あいつがまた拷問しているのか。

 かわいそうだけど、穴に落ちている僕は何もしてやれない。

 ぼんやり考えている間も、気味の悪いリアルな音声がかすかに聞こえる。

「う……うぅぅ……あぁぁぁぁ」

「ごめん、助けられないんだ。僕もここから出られずにいるから」

 目を開いて上を見上げても空があるだけ。

 溜息を吐き出し、再び横になろうとして、ふと壁を見て、全身に鳥肌が立った。


「あっ!」 

 黒っぽい壁に人の顔だけ白く写っている。

 細い目をした面長の女で首から下はない。

 幽霊が口をきいた。

「オマエ、シネ」

「へ? マジ……幽霊? 嘘だろ」

 幻覚だ。餓えと乾きでとうとう僕はおかしくなってしまった。

 幽霊は長い髪をかき上げて僕に手を延ばそうとする。

「く、来るな! どこの幽霊さんか知らないけど成仏してくれよ」

 唇が震え、舌は凍り付き、情けないほど自分の声は小さかった。

 幽霊はまた同じことを言う。

「オマエ、シネ」

「僕はまだ死にたくない。死にたくないんだ。見逃してくれ」

 呼吸が苦しくなってきた。狭い穴の中、ひたすら円を描くように逃げ回るが、幽霊はすっと消えてはまた壁に現れ、割れた声で呪いを吐く。

「オマエ……シネ……」

「ひっ、ひぃい!」

 肩で息をした僕は、つまずいてマットの上に倒れた。

 白い顔をした幽霊が冷たく笑い、近づいてくる。やっぱりこいつ、首から上だけしかない。

「オマエ、ココデクルッテシネ」

「い、い、いやだ、こんなところで」

 腰が抜け、尻で後ずさりしたがすぐに壁に背が付いた。これ以上下がれない。

「た、た、た、助けてくれ」

 助けを求める声も、力が入らなくなってきた。口の中の水分はずっと欠乏しているのに、大量の汗が出て行ってしまう。暗い空に黒い壁。そして白い幽霊の女が呪いがかかりそうな目つきで僕を見つめている。

「なんで僕がこんな……」

 幽霊の女は、歯をむき出し、眉間にしわを寄せ、目が合っただけで命を吸い取りそうな形相で近づいてくる。

「如月を恨んで死んでやるからな」

 だめだ、気分が悪くなってきた。吐きそうだ。

 足が立たない。足が動いたとしても、逃げ場なんてどこにもない。

 幽霊の女の顔が大アップで迫ってきた。そういえばここは心霊スポットだった。

「誰か、助けて。助けてくれよ……」

 涙を流しながら上を見上げる。

「ひっ!」


 たくさんの白い顔が僕を見下ろしていた。

 すべて白骨化して肉のない顔ばかり。穴を縁取るように並んでいる。

「っ……」

 声が出ない悲鳴を上げ、全身が悪寒に襲われ、紙おむつの中が生暖かくなった。



   ◇




 気絶した僕は、いつのまにか如月の研究室に運び込まれていた。

 僕はまだ生きていた。あの落とし穴から救い出されたんだ……ほっとするのもつかの間、自分の状況を確認してまた絶望に落ちた。アイマスクはされていないが、手足はベッドに拘束され、血圧や心拍数を測る機械が片腕に取り付けられていた。規則正しい機械音が続いている。

 辺りを見れば最初の部屋とは違う。さまざまな薬品や試験官などが置かれている実験室のような場所だった。

「坂上君、気が付いたかい?」

 薄笑いを浮かべた如月が僕を真上から覗き込んでいた。

 ――よくも僕を幽霊の穴に落としてくれたな。

 抗議しようとしても、獣のようなうなり声しか出ない。僕は歯科検診のような寝椅子の上で、口に何かの機械を入れられて、大きく口をこじ開けられていた。

「アイマスクを勝手に外して外へ出ようとするなんて、駄目じゃないか。これは仕事だ、遊びではない」

 ――あんたが不気味で気持ち悪いからだ。泣いていた女の子をどうしたんだよ。

 にらみつける。手足は全く動かせない。

 如月は声を出して笑い始めた。

「ふふふ、最高にいい状態だ、坂上君。眠っている間に君を調べさせてもらった。ははは、たまらんねこれは」

「僕に何を……」

「さあ、始めようか、坂上君。遊びは終わりだ」

 如月は小さな刃がついた金属の棒を僕の顔の前にちらつかせた。

 医療用メス? 

 僕を殺す気かよ。

 呼吸が速まり、心臓が全力で動いでも、拘束された手足は自由にならない。抗議すべき声は口を固定されてはっきりと発音できない。

 言葉にならない叫びは口中にあふれた唾液に飲み込まれる。

「う……や……めろ……」

 如月は手にもったメスを笑いながら振り上げた。

 その先は真直ぐに僕の右目をねらっている。

「坂上君。どうだい、気分は。君はちゃんと仕事をすべきだよ。今、解体してやる。たくさん苦しみたまえ。その方がいい。くっくっく……」

「うううう! うー!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ