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1.

 廃校になっている小学校の前で路線バスを降りた。

 付近は川と山に挟まれ、段差がある田畑の間には、人が住んでいるのかどうかもわからないような古びた民家が点々と散らばる。

 限界集落の真ん中で、僕はプリントアウトした地図を広げて現在位置を確認した。目的のアルバイト場所へはここから二十分ほど歩かなければならない。

 真夏の日光が痛いほど照りつける。首筋に流れる汗をぬぐいながら、地図に従い細い脇道へ入ると、植林された林の中に入った。炎天下から救われて少しほっとしたが、すでに汗まみれだ。

 一応バイトの面接だから、相手先に失礼のないよう就職活動用のワイシャツにスラックス姿で来た。あまりの暑さに上着は家に置いてきたが、上着なしでも涼しくはない。

 ゆるい上り坂が続く道は途中でジャリ道に変わり、薄暗い林が続く先はどう見ても山しかなさそうだった。手入れされていない人工の杉林は下草も生えていないほど暗い。足が進まず、のろのろと歩く。本当にこの先にアルバイトを募集している研究所があるのだろうか。

 僕は嘘の求人広告にだまされてしまったかもしれない。



 一週間ぐらい前に、ネットの片隅に出ていたアルバイト募集の広告を見つけた。


『夏休み短期学生アルバイト募集。健康な十六~二十歳前後の男女。一泊二日、食事あり、交通費込みで六万円。研究施設での泊まり込み業務に付き、研究内容について沈黙を守れる方。申込フォームに出ている質問をすべて記入すること。書類審査後面接。 ※体力が必要な仕事です。風邪を引いている方、病後で弱っている方、持病のある方は採用できません』


 バイト申込フォームにはいくつもの質問事項があった。病歴、貧血、アレルギーの有無など、まるで注射の問診票だ。

 ネット内を探し回っても、この如月研究室というところが何の研究をしているかの情報は出てこなかった。

 健康状態を問い、高額な報酬金額から想像できるのは薬品実験のたぐい。

 友人の鈴木が、昔、某有名薬品会社に血液データを提供するバイトをしていたと言っていたことがあった。そこのバイトもこの広告と同額の一日三万円。そのとき鈴木は、出された薬を飲み続けて、一日三回血液を提供したらしい。

 鈴木は一週間のバイトで二十一万円を手にしたが、この如月研究所が提示している労働時間はたったの二日。鈴木がやった一週間のバイトより絶対に楽そうだ。これで六万円なら食いつかないのはもったいない。

 鈴木にこの募集のことを教え、どう思うかラインで聞いてみたら、なんと彼はすでにここへ応募したことがあると言った。ただ、面接へ行くまでもなく、申込フォームの情報だけで不採用になったから仕事内容はわからないと。

 僕は思い切って応募フォームから連絡してみると、翌日返信メールが来て、さびれた山村のさらに奥にある研究所を訪ねることになったのだった。

 僕よりも体格のいい鈴木が不採用なのに、僕はなぜか面接が許された。選考基準に疑問は残るが、選んでもらえたのはラッキーだ。

 もちろん、それが嘘求人でない限り。



 さらに道を進むと、曲がった先で急に視界が開け、塀に囲まれた建物が見えた。近づいて表札を確認すると『如月研究所』と書いてある。

 よかった。バイト募集先は実在していた。これが悪質な悪戯でないことを祈る。

 古びて劣化しかかっているブロック塀は二メートルほど高さがあり、中の様子はわからないが、コンクリート造りの二階建ては確認できる。ツタが壁全体を覆い、陰気な感じはするものの、周囲の木は刈り込まれ、この建物の一角だけは陽射しがあった。


 インターホンを押すと、すぐに、白衣を来た四十代半ばに見える男が玄関口に現れた。痩せて背が高く、前髪を真ん中分けにし、鷲鼻に銀眼鏡。細い顎には剃り残しのひげがあった。

「アルバイトに応募した坂上秀晃さかがみ・ひであきと申します」

 男は愛想よく口元に笑いを作った。汚れた乱杭歯が目に入る。

「私が募集主の如月きさらぎだ。労働契約書を交わす前に、ひとつだけ約束してほしい。ここでの仕事のことは絶対に口にしないこと。もちろん、親兄弟に話すことも例外ではない。どこから情報が漏れてしまうかわからない世の中だ。私が人生をかけている実験内容が誰かに盗まれてしまうと困る」

「はい、わかりました。仕事の内容は誰にも言いません」

 僕は元気よく返事をした。嘘のバイト情報でなくてよかった。こんな遠くまでバスに揺られ、さらに坂道を歩いてきた。どうしても雇ってもらわないと元がとれない。

「中へ入ってくれ。健康診断をしたら正式な労働契約書を渡すから」

 如月氏に促され、建物の中へ入った。


 如月氏は誰もいない事務所らしき部屋に僕を案内し、その端にある応接セットの皮張りのソファにかけさせた。目の前のガラステーブルの上の灰皿は、吸殻が山盛りになっており、扇風機が回る部屋は煙草臭い。

 正面に腰かけた如月氏は、鷲鼻にかかる銀縁めがねを少し直し、僕の顔をじぃっと、吟味するように見つめた後、ぼそりと言った。

「私はホルのが趣味でね」

「えっ!」

 まずい、こいつホモかよ。すでに汗まみれになっているところに、さらにどっと汗が吹き出した。額、こめかみ、首。シャワーを浴びたように汗が流れ落ちる。

 もしかしてホモの相手をするバイト?

 このバイトにはなんらかのリスクがありそうだと予想はしていたが、そっち方向はまったく考えていなかった。

 正気なのかと如月氏の顔を見てもまともかどうかわからない。彼はいじわるそうに眼鏡の奥の目を細めた。

「『ホル』と聞いて何を連想したのかね? そういうことを期待しているのか」

「……あの……」

 如月氏は、汚れた歯を見せて薄笑いを浮かべた。

「坂上君がそっち系であろうがなかろうが、問題になる病歴や手術歴がなければ、仕事には何の支障もない。私はホルことが趣味だということだけは先に伝えておきたかった。ホルのは快感だよ。ホルと言ってもいろいろなホルがある」

「はい……」

 大丈夫だ、何を掘りたいのかわからないが、今の話から考えると、そっち系のことを要求されるわけではなさそうだ。確かにホル、と言ってもいろいろあるじゃないか。その一つの可能性を訊いてみた。

「あのう、入れ墨ですか?」

「はあ? 私は入れ墨などしてない」

「すみません、質問の仕方が悪かったです。僕のここでのお仕事はこの体に入れ墨を彫ることでしょうか。それならちょっと困るんで……」

「入れ墨がしたいなら、こんなところまで来なくてもできる。ここは研究所だからね」

 如月氏は真顔で答えた。

 ここは研究施設だから入れ墨はしない、体を張って何かホルことを手伝う、ということだと脳内処理した。地面の穴掘りをやらされるのかもしれない。何の穴掘りだろう。

 自分が死体になって自分が掘った穴に放り込まれる不吉な妄想を心の隅に押しやっておく。そんなひどいことは現実にならないはずだ。穴掘りか何かで体を張ってもたった二日で六万円だ。我慢できる。



 如月氏は立ち上がり、書類が乱雑に積みあげられている事務机の上から、印刷された僕のバイト申込フォームの書類を出してきた。

「ええっと、坂上君の年齢は……と」

「十八です」

「大学一年か。ちょうどいい年齢だ。しつこいようだが、病気や手術歴、輸血経験、他には、歯科治療で歯の神経を取ったりしていないか? これを偽られるととても困る。正直に言ってくれ」

「それは大丈夫です。健康だけがとりえです。虫歯は小さいのがありますけど治療はしていません。僕は血液を提供するのでしょうか?」

「サンプルとして少しだけもらうが、血液採取だけが実験目的ではない。仕事については後で説明するから、とりあえず、坂上君の健康状態を調べさせてもらう。心臓に病気があったり、高血圧だったりすると実験ができない。そのソファに横になってくれ。あ、一応私は医者の免許を持っているから安心したまえ」

 如月氏は集団検診車の医師のように手際よく、僕の口の中をペンライトで照らして喉を覗き、服をまくって腹具合などを調べた。

 心電図検査まで終わると、如月氏は満足そうに首を縦に何度も振った。

「健康状態に問題なし。合格だ。労働契約書にサインをしてくれ。たった二日でもきちんと契約はしておかないといけない決まりがある。バイト代はすべて終わった後、帰る前に現金で渡す」

 僕は突き付けられた契約書に書かれていることをしっかり目を通した。バイト代の条件はネットに書かれていたことと同じで変えられている部分はない。一泊二日で六万円、交通費込み、食事付き。

 書類の下の方に、細かい字で注意書きがある。それもしっかり見ておく。

『雇われ人が秘密漏えいした場合は契約違反。その場合は、十倍額返金義務あり』

 情報漏えいで十倍の罰金……ってことはうっかり秘密を暴露したら六十万円も徴収されるのか。

 ここではよほど重要な機密事項を扱っているのだろうか。それにしては警備が甘い。

 玄関に出てきたのは如月氏ひとりだけで、他の研究員や、警備員の姿は見なかった。もしかして、ここは実験施設でもなんでもなくて、やはり、なんかヤバイことをさせられるかもしれない。

 

 すぐにサインしない僕に、しびれをきらしたように如月氏が後ろに回り上から覗き込んだ。

「わからないことは遠慮なく訊いてくれたまえ。やっぱりやめると言うなら帰っていいが、仕事をしてもらえないならば今日の交通費は出せない」

「仕事内容のことですけど、人を殺してこい、と命じられても……」

 如月は大声で笑った。

「なんだ、坂上君はそんな仕事を期待していたのか」

「いいえ……」

「人に害を与えたりするような、法に触れる行為は要求しない」

 多少ほっとするがまだすっきりしない。

「あの、では、ここにある『健康を損なう場合があります』っていうのはどういうことでしょうか」

「ああ、体を使った実験の仕事だからね、実験が終わった後に熱を出す人もいる」

「熱が出るんですか?」

「人によってで、坂上君が発熱するとは限らない。たとえ熱が出たとしても、すぐに回復するだろう」

 それでも如月氏は仕事の内容についてはっきり言わない。これはもしかして病原菌でも植えつけられる仕事だろうか。

 そうでなくても、なんらかの健康的なリスクがあることははっきりした。熱が出るほどきつい仕事。友人の鈴木がやった薬物生体実験のバイトとは明らかに違うようだ。

「一泊二日で六万円で間違いないですよね?」

 如月氏は頷く。

「交通費込で、食事は提供する。仕事は休憩を入れて明日の夜までだ」

「わかりました」

 不安は消えないが、ここで帰れば労力と時間の無駄使い。暑い中、汗だくでこんなところまで来て、報酬なしで帰るなんていやだ。

「やらせてください」

 心を決め、契約書にサインをした。どうせたった二日間だ。六万円が手に入れば、部活の合宿費もコンパ代も楽勝で出せる。

 如月氏は書類を受け取り、満足そうに唇を横に伸ばした。汚い歯がキバのように唇の間からはみ出る。

「よし、契約成立だ。坂上君、この二日間よろしく。では、こっちへ来てもらおうか」



 

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