心臓保管庫
即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=225059)から転載 お題:うるさい伝承 制限時間:1時間
死者の柩にこっそり近づくとは、君は一体何者だね?青年、いや少年?
やあ、それほど跳び上がって驚かなくとも。じいさんの方がびっくりするね。君、柩に何を入れようとしたのかな?・・・これは、油絵?なかなか上手な青空の絵だね。いや、そんなに勢いよくひったくらなくとも。
じいさんが何者かって?聞いてもらっちゃ、答えないわけにはいかないね。
じいさんは錬金術の商人である。由緒正しき黒いシルクハットを被り、錬金術の装身具を身にまとい、黒い鞄にたんまりと古今東西の錬金術の品を入れている。出会った人にお勧めの商品を選ぶ達人である。どうぞご贔屓に。
いや、数日前に、病院の庭で出くわしたこのお嬢さん――柩の中の――に、「春夏秋冬スノードーム」という品をあげてね。少し気になっていたのだ。体が弱く、ずっと病室にいたというね。死ぬのが怖いと泣いていたが、やっぱり亡くなってしまったね。もっとも、すぐに亡くなってしまうとじいさんが片目につけているこの「真実スコープ」は教えてくれていたから、じいさんはこの死を予期していた。だが、分かってはいても若い人の死というものは悲しいものだ。お嬢さんとは一瞬、関わっただけ、じいさんはすっと来てふっと行ってしまう流浪の旅人である。しかし、今回は出会ってから間が短くてね、亡くなってしまうのが。お別れの挨拶を一言いおうと参上したのである。・・・ほんの少しの気休めにしかならなかったようだね、じいさんの品は。
さて、少年。じいさんは自己紹介をしたのである。ここは少年も自己紹介をし、何をしようとしていたのか語るのが筋である。見たところ君は金髪だね。この国の民族の人間ではないのかね?
・・・染めているだけ?ほう、そうかい。
なるほど、君はお嬢さんの父上の絵画教室に通っている生徒であり、お嬢さんとは顔見知りだったのだね。だから、その絵を持ってきたのかい。
・・・ほう、絵が下手くそな自分が描いた絵の中で、唯一お嬢さんが誉めてくれたのが、その絵だったのか。
うーむ、もしかしなくとも、少年はお嬢さんが好きだったのだね?
・・・おや、泣くほど好きかい。え、違う?悔しい?
ああ、その恋は報われないものだったのかい。お嬢さんには相思相愛の、恋人がいたのか。・・・絵も巧くて、紳士的な男。なるほどね。君には敵わない相手だったわけだ。
じいさんはからかっているわけではない。
君が言った事実をそのまま復唱しているだけである。
君は自分のお嬢さんへの恋心を、せめて少しでもお嬢さんに添わせたいとその絵を持ってきたのか。
だが、言わせてもらうが、今の君はお嬢さんが死んでしまった悲しみに飲まれている。冷静に、自分の置かれた状況と、お嬢さんのことを考えて、自分をもっと大切にしないといけないのではないかい。
君が思っていることを当てようか。
お嬢さんを自分はこんなにも思っていたのに、お嬢さんは死んでしまった。
お嬢さんともっと絵のことを話したかったのに、お嬢さんは煙のようにあっけなく亡くなってしまった。
お嬢さんに恋人がいても、お嬢さんを少し離れたところから見ていられたらそれでよかったのに、お嬢さんは自分の手の届かないところに行ってしまった。
ねえ、君は、自分が何のために泣いているのだと思うかい?
・・・お嬢さんのため?
じいさんの見立てでは違うね。
君は自分のために泣いているのである。
自分の恋した相手がいなくなった自分が可哀相で、思いが叶わなかった自分が悲しくて、泣いているのである。
それはそれでよろしいが、君はそんな大きな青空の絵をお嬢さんの柩の中に押し込めて、それでどうしたいのかね。
お嬢さんを大切に思っている人はほかにもいる。父上、母上、恋人、友人・・・皆、涙を流しただろう。
だがね、花でたくさんの柩に横たわり、穏やかな眠りについているお嬢さんに、その絵を無理やり持たせたら、お嬢さんは窮屈である。きっと皆も怒るだろう。
何故なら、お嬢さんは恋人のハンカチを一枚もらって、柩の中に入れてくれ、としか頼んでいないのだからね。
少年、それが分かっているから、こんなコッソリ絵を柩に入れに来たんだろう?
君がしようとしている行為は、押しつけだよ。
おいおい、絵が痛んでしまう。大きな音もしたぞ。だから大事にしなさいって言ったのに、絵を投げ捨てるなど論外である。
胸が張り裂けそうだ?
そうだろう、叶わない恋とは、壊れそうなほどの悲しみと苦しみをもたらす。
いっそ、こんな苦しみや恋は自分の中から無くなってしまえばいい?
君はそう思うのかね?
うーむ、じいさんは悲しいことに、そんな君の言い分にぴったりの品を持っている。
ご紹介しまするは「心臓保管庫」。
金の鍵付で、金の格子の鳥かご型にしてある、この「心臓保管庫」は「心」を仕舞うことのできる保管庫なのである。この中に悲しみを入れようと思えば入れられるし、そうすれば君の中から悲しみは消えるだろう。
だが、これには幾分うるさい伝承があってね。
まあ聞きなさい。欲しそうにしているけれど、これを聞かなければ絶対あげないよ。
前の「心臓保管庫」の持ち主の話である。
とある貴族の子息が恋をした。それは決して結ばれぬ運命の王女であった。
子息と王女は互いに信頼し合い、親愛の情を抱いていたけれど、やがて王女は近郊の国に嫁ぐことになった。
子息は王女が離れていくときを覚悟をしていた。決して結ばれぬと、分かっていたしね。しかし、胸の痛みは想像以上のものだった。寝ても覚めても、嫁いだ王女の華やかな姿が頭から離れぬ。愛しさが消えぬ、悲しみに悩まされ、落ち込む。子息は日々、王女への思いに悩まされた。
この悲しみをどうにかしろ。
子息は自らが支援する錬金術師に頼んだ。
錬金術師は悩んだ挙句、「心臓保管庫」を作って子息に渡した。子息は早速その「心臓保管庫」を使おうと思ったが、錬金術師はこう言った。
その心臓保管庫に心を保管すれば、悲しみは勿論、喜びも楽しさも貴方様の中から消えるでしょう。
何故なら、心は悲しみも苦しみも、喜びも楽しさも、愛しさも憎さもすべて、同じひとつの心から生じているからです。
それでもよいのなら、その心臓保管庫をご利用下さい。
ただし、一度預けた心は、死ぬまで取り出せません。
取り出そうとすれば、貴方様の心臓は堰き止められた悲しみの決壊のため、張り裂けるでしょう。
子息は若かった。だから、この先王女のような人に会えることもないし、きっと絶望したまま生きることになるだろう、と思っていた。
子息は「心臓保管庫」に自らの心を預けた。
預けた後、子息は確かに悲しみを感じなくなった。王女のことを思い出すこともなければ、苦しくなることもなかった。
だが、以前は美しいと感じた木々の景色にも、好きだったボードゲームにも、楽しみを感じられなくなった。
愛していた領地に気も配れない。友人と会いたくもない。そのうち領地は荒廃し、領民は飢餓に陥り、何もしてくれない子息を恨んだ。無反応な子息に、友人たちは離れていき、父母は子息の様子に泣き暮らした。
子息は周囲の様子にも、何も感じていなかったが、それでも父の命令には従わざるをえなかった。
心臓保管庫から心を取り返してきなさい。
しぶしぶ子息は「心臓保管庫」から心を取り出そうと、この金の格子の扉を開けた―――
まあ、お話した通りさ。
その瞬間、悲しみは決壊し、文字通り子息の胸は張り裂けた。
自分の胸の内に悲しみがあるから、他者の悲しみを理解できる。
自分の胸の底から喜びが湧いてくるから、他者と喜びを分かち合える。
勿論、喜びも悲しみもあるから、生まれるものもあるね。
君、その青空をどうやって描いたのかね。
じいさんの覚えだと、お嬢さんは「空が好き」だと言っていた。だから季節に合せてスノードームの背景の空が変化する「春夏秋冬スノードーム」をあげたのだからね。
お嬢さんへの恋が報われない悲しみ、悔しさ。
お嬢さんが好きな空を見て微笑む姿を、思い浮かべながら描いたその思いやり。
じいさんはその両方が、その絵には表れているように感じられてならないよ。
どうだい、「心臓保管庫」はいるかい?
・・・うむ、いらないか。
それならば、じいさんはこれを君に押しつけない。
君も、お嬢さんに君の思いを押しつけないで、きちんとそのポケットの中にあるハンカチを握らせてあげて、お嬢さんを静かに眠らせてあげよう。
ふふふ、じいさんは何もかもお見通しなのである。お嬢さんが握っていたハンカチを君がもぎとっていたと知っていたよ。
さあ、手に握らせてあげて。しっかり固定しよう。ああ、死んだお嬢さんの手は冷たいね。
悲しいね、分かるよ。
君の愛した人だ。
さて、自らの投げやりな心と独りよがりを抑え、死者への弔いを済ませた君に、じいさんはこれをあげよう。
今度はうるさい伝承つきではない。「青空マーカー」、これだ。
ただのマーカーに見えるが、何かにこれで書くと青空が描ける。ほら、じいさんの掌に書くと、マーカーが通った跡が全部、青空。雲が動いているのが見えるかい。
何でも書けば青空になる。まあ、ただそれだけなんだが、なんだか素敵だろう?
忘れないでくれ。お嬢さんを失ったときの苦しみを。
目を反らさないでおくれ、悲しみから。
お嬢さんが絵が好きであったこと、青空が好きであったこと、・・・恋人が好きであったこと。
すべて、認めてあげなさい。いつか悲しみは和らぐ。
そして悲しみはいずれ、君を素敵にするから。
【春夏秋冬スノードーム】家のある風景に、白いスパンコールの舞う普通のスノードームに見えるが、季節に合わせて天気、日照時間と夜の時間、草木が変化する。
【心臓保管庫】金の鍵がついた、金の格子の鳥籠。心を取り出して入れることが出来る。心を仕舞うと何も感じないで済む。しかし鳥籠の中で心は常に感情を感じており、鳥籠から心を取り出そうとすると貯まり切った悲しみによって胸が張り裂ける。
【青空マーカー】普通の青いマーカーに見えるが、書いた跡が青空になる。実は空の風景を映しているだけで、室内でも、夜でも、どんなに曇りでも、どこかの青空を書いた場所に出現させる。