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錬金術を売り歩く商人  作者: 独蛇夏子
錬金術を売り歩く商人
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羅針儀付き連絡蝶

即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=224020)から転載 お題:頭の中の挫折 制限時間:1時間

 はて。海岸で貝殻を探しているのかね、お嬢さん。生憎、今は真夜中だから砂浜が見にくい。昼間に砂の粒子を掻き分けて探したほうが貝殻も見つけやすいのではないかね。

 え?貝殻を見つけたいわけではないって?おや、泣いていたのだね、失敬。とても憔悴している様子だ。海風はとても冷えるよ。こんなところに座ってたら体を冷やす。さあ立って。あちらの道路に上がる階段に行こう。電灯もついているし、少しは明るい気持ちになるかも知れない。

 なんだね?そんなことない、もう絶望しかない、と。いやはや、これまた嘆きの深いことを言うね。一体どうしたのだい。

 じいさんでよければ話は聞くがね。案ずることはない、じいさんは通りすがりの流浪の商人である。忽然と現れたからやや驚きをもたらす存在やもしれんが、断じて危険な人間ではない。ふっとやって来てさっと聞いてすっと消えてしまうから安心したまえ。

 ほら、電灯の下に着いた。お嬢さんを照らしている。月も見ているよ。

 なんだい?じろじろ見て、急に。

 変わった格好、だと。むむ、婉曲だが言いたいことは分かるぞ。だからじいさんは主張する。いいかい、じいさんのこの黒いシルクハットは由緒正しいシルクハットであるし、このブーツは星空を蹴るブーツ、星空を歩ける優れたブーツなのである。勿論、夜昼両用。何故って?夜しか使えないのではないか?いやいや、見えないだけで、昼も星は出ているからね。

 そしてそして、この黒い革の鞄には、古今東西の錬金術師から集めた錬金術の品がたんと詰まっている。

 お嬢さんに見合いそうな品があったら、じいさんはお嬢さんにそれを紹介しようと思う。

 さて、こんな夜中の海岸で泣いていた理由を話してくれんかね?


 何、好きな人を勘違いさせてしまった、と。

 自分の思う恋人が見ている前で、他の男にキスされてしまった。それは衝撃的な出来事だね。

 そこから逃げ出して、逃げて逃げて、こんなところに気付いたらいたのかい。それは随分走ってきたようだね。

 彼のことは好きだけれど、まだ恋人同士ではなかった。しかし決して悪い仲ではなかったから、他の男にキスされた場面を見た彼が黙って行ってしまったのが、とても悲しかったのだね。

 きっと彼はもう自分に関心を持たないだろう、別の人間を愛していると思うし、努めて他人の女を愛さないようにするだろう、か。

 もう二度と彼は振り向いてくれない、とお嬢さんは考えているわけだ。


 しかし、それはお嬢さんの想像だろう?

 恋を失ったやもしれないという想像は、ひどく苦しく、胸が痛むものだ。勝手に触れられた、という気持ちも、強い衝撃として、お嬢さんを今混乱させている。

 だが、彼の思いを直接聞いたわけではないのだから、まだ絶望することはない。男とて、混乱するものだよ、恋する人がキスしている場面を見てしまったら。

 改めて話し合えば、本当はお嬢さんのことを好きなのかもしれないよ、その男は。


 ・・・苦しい、目の前が真っ暗になってしまったようで、何も見えない、か。

 ちょうど、海岸の向こうに広がる夜と同化した海のようであるね。真っ暗で、ただ蠢いていることだけが感じ取れる、波の音のみが聞こえる一面の闇。光ひとつ見えない、墨を零したような世界に、今お嬢さんはいるのだね。


 しかしね、お嬢さん。お嬢さんの頭上には電灯がある。

 お嬢さん、何故人は電気を点けるかと思うかね?

 ・・・そう、人は夜に明かりが欲しくて電気を点けるのである。

 明かりというものは、昼間は太陽がすべてを照らしだしてくれるから必要ないね。しかし、夜闇は真っ暗だ。電灯がひとつもないようになってみたまえ、世界は真っ暗で、月明かりしかない。闇は闇の世界の住人を住まわせ、人はその世界の住人ではない。そんなとき、人は大変孤独を感じるものだよ。

 だから、人は、闇の中で自分がそこにいるという証のために光を点ける。それは電灯かもしれない。ガス灯かもしれない。マッチの火かもしれない。とても小さくて、か細い光かもしれない。

 だが、不思議なことだがね、闇の中の光はよく見えるものだ。そして、どんなに遠くても、光が見えるとそこに誰かいると、心がほっとするものだよ。あそこに光が見える、闇の中に自分は独りではないと思えるものだ。

 そんな見知らぬ誰かの支えが今、お嬢さんの頭上にはあるのだ。まだ絶望することはないよ。

 闇に隠れていないで、光を目指してみてごらん。


 さて、頭の中の挫折のために泣き、夜の砂浜にくじけていたお嬢さんを、じいさんも手助けしてさしあげよう。

 それは、この品。

 これはただの白い紙切れに見えるね。二つ折になっていて、広げると蝶の形だ。

 これは「羅針儀付き連絡蝶」という。

 ペンでこの翅の内側に言いたいことを書き、宛名・差出人を書くと、宛先を探し出して飛んで行ってくれる。

 届けたい思いの強さに比例して、蝶はよく飛ぶ。

 さあ、じいさんはお嬢さんにブラックホール色のインクの万年筆を貸してあげよう。きちんと気持ちを込めて、メッセージを書いて。


 ・・・書いたかな?

 彼への思いを綴ったのだね。よしよし。

 では、手のひらの上に「羅針儀付き連絡蝶」を載せて。そして天に向けて―――飛ばして!


 ほら、白い紙から、ゆらり、ひらり、浮き上がって、羽ばたき、蝶になった。


 ああ、コバルトブルーをしている蝶だね。美しい色だ。

 宛先は心配しないで、お嬢さんの思う彼の居場所を、連絡蝶についている羅針儀がきちんと見つけて方向を定めてくれる。


 「連絡蝶」は恋や、切実さや、激しさといった、書いてある思いの質によって色を変える。

 しかしじいさんは意外である。恋を映した牡丹色になるかと思えば。

 コバルトブルーの翅。あの青い色は、誠実さ、だね。

 お嬢さんの思いはきっと伝わるよ。誠実に、彼への思いを綴ったのだろうから。


 もう遠くに行ってしまったね。青い燐光を放って蝶は夜を真っ直ぐ飛んでいった。

 お嬢さんの思いを乗せて。さあ、後は待つしかできない。


 ・・・少しは気持ちが治まったかい?それはよかった。

 じいさんも品をあげた甲斐がある。


 やあ、水平線が明るくなってきた。もうすぐ朝日かね。随分長い時間、お嬢さんはここに座っていたのではないかい?折角だからじいさんも朝日を見てからまた旅へ出かけるとしよう。


 じいさんは時々思うことがあるのだ。闇の中に光る明かりは、そこに人の存在を感じさせてくれる。

 ホタルや深海魚が光るのは知っているね?彼らもあの光で自分の存在を異性に知らしめているのだよ。

 じいさんはこの世界に電気の明かりが灯り始めたのは、この地球が何かもっと巨大な生き物の細胞の一つで、太陽に増して自分の存在を小さな微生物―人間たち―が主張し始めたからではないか・・・と思うことがある。

 自分が恋する誰かを呼ぶために、必死で光っているのやもしれないとね。


 やあ、朝日が頭を出し始めて眩しい。

【星空を蹴るブーツ】ブルーブラック色をした、星の留め金がついたブーツ。星が出ている空を歩ける。実質的には昼も星が出ているので夜だろうが昼だろうが空を歩ける。


【羅針儀付き連絡蝶】蝶の形をした白い紙。思いを込めてメッセージを書き、宛先・差出人を添えれば、白い紙に内蔵されている羅針儀が宛先の人物を探し出し、蝶になって飛んでいく。メッセージの有りようによって蝶の翅の色は変わる。

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