死の舞踏オルゴール【メメント・モリ】
即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=223463)より転載 お題:哀れな作家デビュー 制限時間:30分
随分大きな声が出るものだね、お嬢さん。いや失敬、じいさんが突然下からやってきたから驚いたのだな。これはどうも。
ご紹介しまするはこの「浮遊水時計」!一見砂時計の形をしているが、砂の代わりに水が入っているのが分かるかい?この中にふわふわ浮いているガラス玉の浮力を所持者の足の下に実現し、これが人を押し上げるのだ。形のないエレベーターのようなものだね。じいさんくらいの重さなら楽勝で持ち上げることができる。しかも快適。こうやって高い建物の屋上にも浮力で楽々浮き上がることができるのだ。
ところでお嬢さん、月見かい?こんな屋上の端っこに立って、柵にすがりついているのでは危険ではないかい。
・・・何?これから飛び降りようとしていたところ?なんと!ここは地上から十階なるぞ。そんなことをしたら死んでしまう。
そんなこと言われる筋合いない?大体格好が変、などと失敬な。じいさんのシルクハットは由緒正しき黒いシルクハットであるし、じいさんは素性正しき流浪の商人なのである。この黒い鞄の中にはたんまり、様々な錬金術の品が入っているのだぞよ。
お嬢さん、一体こんな屋上の隅で震えて立っていて、何で死にたいのかい?このじいさんに話してみよ。
うう、そんな大きな声で怒鳴らんでも・・・何、作家デビューすると思っていたのに、別の作家の原稿に自分の原稿が差し替えられていた?店頭に行ったら、店先に平積みにされていたのが、別の作家の名前の自分の作品だったと。
それは大層な詐欺に遭ったものだね。悔しい。悔しいね、分かるよ。
で、死んでやると?
遺書に真実を書いて、飛び降りて死んでやる、ねぇ。
まあ待ちたまえ、お嬢さん。
悔しいし、悲しいし、死にたい気持ちになるのは分からんではない。しかし死んでも喜ぶ人は一人もいまい。そんな詐欺師たちに自分の死を捧げる価値があるのかい?
何、それでも後悔するなら、それでいい。どうせ自分のお先は真っ暗だ、と。
それはよくないね。
じいさん、自棄というやつは気に食わない。
まあよい。ではこれからお嬢さんは死ぬとしよう。だがその前に、少しじいさんの品を見てみないかね?
どうせ死ぬのだ、少しくらい手間をとったとて、支障ないだろうからね。
さて、改めてご紹介しまするは「死の舞踏オルゴール【メメント・モリ】」。
唐草細工の美しい銀色のオルゴールである。だが見て、鍵がかかっている。鍵は銀の髑髏になっているのが見えるだろう?
どんな旋律が聞こえてくるのか・・・オルゴールの蓋を、開けてみよう。
そう、これはサン・サーンスの「死の舞踏」だね。オルゴールらしい、センチメンタルな音がする。
だがやがてこの音は大きくなってくる。
ほら、骨がカタカタと音を立てる。墓場から聞こえてくるだろう、土から起きあがってくる骸骨たちの骨の音、呻き声。
お嬢さんの隣に、白い骸骨がやってきた。
舞踏に誘っているのさ。
おやおや、いつの間にやらここは墓場だね。白い骸骨どもがわんさかおる。みんな気取って舞踏会だ。
お嬢さんも踊りなされ。大丈夫、この骸骨たちはみんな踊り方を知っている。しっかりリードしてもらいなさい。
そう、このオルゴールは死の舞踏を再現する装置。
十四世紀ヨーロッパで流行り、人口の三割が罹患して死んだといわれるペストを経験し、メメント・モリの思想に浸り、その後サン・サーンスの「死の舞踏」を聴いて恐ろしい死の記憶を思い出したとある錬金術師が作った品である。
ほら、そこの骸骨のカップルは、片方は貴族だ、片方は農夫だ。
聖者もいる。卑賤も踊っている。
死はみんな平等にやってきた。貧富、尊卑関係なく訪れる。
死神も踊ろう。さあ、狂騒である。
悲しみも苦しみも忘れ、我を忘れて踊りまくっている。
死の世界へようこそ。お嬢さんも死ねば、これの仲間入りさ。
そんなに悲鳴を上げんでもよかろうに。
死ぬつもりだったのだろう?
―――オルゴールを閉じれば、これは幻影である。自然に消えてしまうのさ。
泣いているね。怖かったかい?
そう、死は怖い。
王であろうと、商人であろうと、錬金術師であろうと、死は怖かったのだ。
それは慈悲のなき平等。
お嬢さん、今死ななくてもいずれ死はやってくる。予感のある死かもしれない、唐突やもしれない。
だがね、【メメント・モリ】、死を忘れることなかれ。
この言葉は生きている者のために、死にゆく者が残した言葉なのである。
死はすぐ隣にある。
生は苦しい。だが生を思い切り謳歌せよ。
何やら、じいさんにはお嬢さんが自分の身を投げ出してしまうのは、まだ時期尚早のように思えるね。
哀れな作家デビューに悔しさは募るだろう。
だが詐欺師たちにもまた、死は平等にやってくる。
お嬢さんは生き抜いて、それでいて見せてやらなくては。
お嬢さんの見事な生き様と、作品とを。
さて、じいさんはそんな死を実感する品としてこの「死の舞踏オルゴール【メメント・モリ】」をお嬢さんにあげよう・・・え、あ、ん?いらない?怖すぎて開く気がしない?
んんん、まあそりゃあれほどリアルに骸骨だしね。分からないでもないよ。
うーん、じいさんはこのオルゴールは力作で大変面白い装置だと思っているのだがね・・・
では、これをあげよう。
「囁きイヤリング【メメント・モリ】」。
こちらは心配しないでよろしい。骸骨など出てこないからね。
ただし、時折愉悦に浸っているとき、死にたくなったとき・・・相応しい瞬間、見計らって、そのイヤリングは囁くからね。きっとお嬢さんに意識させてくれるであろう。
「死を忘れることなかれ」
とね。
【浮遊水時計】砂時計のような形をしている水時計。中に空気の入ったガラス玉が浮いており、引っくり返したときにガラス玉が浮かんだその浮力を、手にしている人物の足の下に実現させ、浮かせる。自在に操って乗るのにはコツがいる。
【死の舞踏オルゴール【メメント・モリ】】唐草模様の細工がなされた美しい銀の箱のオルゴール。留め具は髑髏の形をしている。開くと物悲しいオルゴールの音でサン・サーンスの「死の舞踏」のメロディーが奏でられ、そこに幻の墓場と骸骨たちを出現させ、生者を巻き込んで死の舞踏を踊らせる。使用者は死を実感できるという。
【囁きイヤリング【メメント・モリ】】紫色の鉱石と金の留め具の繊細なイヤリング。魅力的な品だが、装着している人物が死にたいと思ったとき、あるいは死を忘れて生に傲慢になっているときに、見計らって耳元に「死を忘れることなかれ」と囁く。