深海のモール飾り
即興小説トレーニング(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=222466)より転載 お題:純粋な僕 制限時間:30分
はて。
窓が開いているからうっかり入り込んでしまったね。真っ暗だから、てっきり無人なのかと思ったのだよ。何故こんな夜更けに部屋の窓を開けて、ベッドで泣いている?少年。じいさんに話してみなさい。案ずることなかれ、窓から侵入してきた怪しい人間であるかも知れないが、それは流浪の商人という事情があるからにして、このじいさんは悪いことはしない人間である。
何だい?少年。泣きながら睨みつけて。
え?変な格好だって?失敬な少年だね、君は。
この帽子はただ真っ黒くろなだけではない。由緒正しいシルクハットなのである。
胸に光る鉱石のペンダント、この石は月の光を集めて闇夜に光らせることの出来る優れものなのである。断じて玩具ではない。
この黒い鞄には、流浪の商人らしく、錬金術師たちの作った商品が色々と入っている。
じいさんが四階の窓が開いているのを発見して、ちょっと一夜を過ごそうとこの部屋に入り込めたのは、錬金術師たちの作った品を使用したからなのである。素晴らしいものたちなのだよ。
さて少年、じいさんは自己紹介したぞ。次は君が泣いていた理由を話す番である。
何、部屋を全部閉ざしたときの闇が怖い、とな。だが電気を点けていると母親に怒られる、と。だから窓を開けて月の光をなるべく部屋に招き入れようと思った。なるほど、よい客人を呼ぼうとしたものだね。見どころのある少年だ。
だが、瞼を閉じることは、君にとって闇の密室ではないのかな?
瞼の奥には夢へと通じる道があるというのに、君は部屋を閉ざすのが怖いという。
夢にこそ広がる自分の世界があるというのに。少年、夢を旅するには、闇を見つめる力を持つことが必要なのだ。闇には様々な感情、幻想が潜んでいる。見どころのある人物は皆闇に遊んできたのだ。素晴らしい品々を作った錬金術師たちや、このじいさんもそうなのだ!
それはそうと、眠るのだって少年、君の仕事だ。君は今よりもっと、すくすくと成長せねばならない。眠らなければ、君は大人になれないだろう。
なに、ガマンしても、どうしても怖い、駄目なんだと?まあ、闇に沈んだ部屋が怖いのはすぐには治らないかもしれない。それは分かる。
だが君が闇の怖さを知っているなら、闇の面白さも知るとよい。
こんな商品を君に見せてあげよう。ほら、窓を閉め、カーテンを閉じて。大丈夫、怖がることはない。じいさんが側にいる。面白いものを、見ようではないか。
東西東西。今宵ご案内しまするは「深海のモール飾り」。
ご覧、これは天井や壁に吊るす飾りである。幾つも金の細い鎖が下がって、先にさまざまな魚がついているだろう。
魚たちが光っているのが分かるかい?よしよし、これを部屋の天井につけてみよう。
これは天井に吊るすだけで、深海の生物を闇の中に出現させる素晴らしい飾りなのだ。
ほら、闇の向こうから光が向かってくる。雄大なるあれは・・・クラーケン!大きいだろう!透明度の高い紺碧の瞳が美しいではないか!
あちらからやって来るのはチョウチンアンコウだね。額に付けている疑似餌と呼ばれる身体の一部を使って魚をおびき寄せるんだ。
あっちに光るのはクラゲだ。まるでネオンのようだろう?
おお、頭の上をラブカが通ってきた!エメラルドのような瞳が美しかろう。ギザギザの歯が怖かろう。サメの一種さ。
ゆっくり目の前を通るのは生ける化石といわれているシーラカンスさ。一億年前から同じ形をしている魚なのだ。おもしろいだろう。
深海には光が届かない。だけど彼らは悠々と泳ぎ、生きて、生活をしているのだ。
我々にとっては未知なる世界である。
サメやクラーケンは怖いだろう?だがそう、興味深くもある。楽しくもある。
クラゲが光るのは美しくもある。
彼らに闇は馴染んでいる。静かな深い海底に、信じられない世界が息づいているのだよ・・・。
大丈夫、明かりを点ければ消えてしまうからね。
いつまでも見ていたいのかい?残念だな。きっと君はベッドに潜ってこの深海の生き物たちを眺めていれば、そのうち眠ってしまうだろう。
まあしかし、目を閉じて、思い浮かべればきっと瞼の裏にクラーケンやチョウチンアンコウは泳ぎ始めるだろう。
な?闇を怖がることはない。
よい夢を見れるよう、じいさんは「深海のモール飾り」を少年にプレゼントしよう。さあ寝なさい。よい夢を。
本当は人間にとっても闇はすぐ隣にあるのだ。
眠るとき、瞼を閉じたその裏に。
永遠の眠りにつく、死に誘われて引き込まれていくときに。
柩が閉じられたその空間に・・・
【月光石のペンダント】月光を集めて光る石を加工してペンダントにしたもの。月光浴をさせた時間と同等の期間に光る。ただし明るさは月の満ち欠けを反映するので調整できない。
【深海のモール飾り】ダイオウイカ、深海サメ、チョウチンアンコウといった深海魚のモール飾り。天井に吊るして部屋を真っ暗にするとそれぞれの深海魚が幻となって出現し、宙を泳ぐ。