涙蒐集貯蓄管
「やあ、久しぶりだな、じいさん」
「錬金術師、よくじいさんだと分かったな」
「この隠れ工房にやってくる人間なんて限られているさ。毎年迷路にしたり罠をかけたり工房入口の仕掛けを変えているのに、よく入ってこれるな。そんな芸当ができるのは錬金術師たちと、じいさんくらいしかいない。それに、そのシルクハット。髭の意匠を変えたって、新しいモノクルをつけていたって、見間違えるはずがない」
「それはどうも、光栄だね」
「また仕入れに来たのかい?」
「勿論」
「いいぜ、持っていってくれ、俺たち錬金術師の夢の残骸がな。賢者の石の失敗作を別の品物に作り替えたものならいくらでもあるし、息抜きに作った品もある。これはジュール・ヴェルヌの小説から着想したんだ」
「どれどれ。なるほど、パスパルドゥーのベスト、着ると力持ちに。これはいいな」
「その代わり、例のものは」
「勿論、じいさんは用意してある」
「さすがだな」
「『涙蒐集貯蓄管内蔵シルクハット』、開けばほら、ガラス管に涙が溜まっている」
「相変わらずだな」
「これで涙一万人分。世界中の、悔しい涙、悲しい涙、切ない涙、嬉しい涙、怒りの涙、後悔の涙、苦しみの涙、喪失の涙、恐怖の涙、幸福の涙・・・あらゆる種類の涙がこのガラス管に詰まっている。足りるかい」
「問題ない。まったく、人の知らないうちに涙をかすめとる装置だなんて、とんでもないぜ」
「失敬な。商品のお代に少々頂いているだけである」
「まあ、無害だから問題ないだろうけどよ。・・・いつまでも大事に被ってるな。昔は人々を恐怖に陥れる品だった」
「今は血を吸いとるシルクハットではないのだ」
「ああ、そうだろう。何百年も昔のこと。じいさんが自分の親父が犯した罪を繰り返すわけがない」
「そりゃ、そうとも。父が起こした血に塗られた事件のせいで、我々一族は錬金術を使うことを禁じられた。それどころか、多くの錬金術師が汚名をかぶせられたからね」
「人の血をすれ違うだけでごっそり頂くシルクハット、『血蒐集貯蓄管内蔵シルクハット』!当時『血抜き死体事件』と新聞に散々書きたてられたその殺人鬼の正体」
「しかり、それは錬金術師である我が父であった・・・犯人の疑いが、当時公にさまざまな実験を行っていた錬金術師全体に向いたとき、じいさんの父は自害した、さまざまな秘密を黙したまま。父が死んだことで事件はぱったり止み、多くの実験道具、材料、それからシルクハットは行方不明になってしまった。事件は迷宮入りし、それで済むかと思われたが、後には錬金術師への世間の根深い不信感が残された・・・。まあ、じいさんの親父がやっていたことだっていうのは、事実だったしね。世間を騒がせ、同胞をどん底に貶めた、錬金術師たちにとっての、最悪の記憶だね」
「そのシルクハットが今でもあちこち世界中を旅をしているなんて、誰も思わないだろうね。父は子にシルクハットを託し、姿を隠させていた」
「父は真理の探究に魂を売ってしまったのだ。当時は血が賢者の石の材料になるという推測が主流だったものでな。・・・最後に別れたときは不思議な笑顔をしていたね。悲しいような、不敵なような」
「錬金術に魂を売る、ね。悪魔に魂を売るよりよっぽど性質が悪い」
「返す言葉もない」
「だが、そのシルクハットが多くの錬金術師に奇想と発明の影響を与えた、という事実も否定できない。当時の錬金術師たちは不老不死と金を生成する技術のみに関心を向けていた。錬金術の過程で得られた知識・技術を応用して、離れ業のような、夢のような品を作ったのはじいさんの親父さんだけだった」
「それが唯一の救いといえるならば、そうなのだろう。だが、じいさんにはそれが良いことなのか、悪いことなのか分からん。探究心と技術は夢だけにとどまらない。常に現実と地続きである」
「まあ、俺がこうやって隠れて暮らしているのも現実と地続きであるせいさ」
「現実のために歯止めがかけられるのが人の心である」
「一度滅びかけた錬金術を研究する人々。世間を二度と騒がすまい。ひっそり、こっそり研究と実験を続ける。それが自分たちにとっても、世間にとってもよいことである。・・・これが錬金術師に今も生きる掟だ」
「その通り」
「それも、気楽っちゃ、気楽だけどね。そういえば『わざわいの種』は売れたかい?」
「最近はめっきり売らなくなった。昔はよくバラ撒いたものだがね」
「それを使うと、あんたも苦しいんだろ?よくバラ撒けたね」
「地獄の苦しみなど、慣れっこになるのである」
「じいさんも自棄だったのかね」
「そうであるな。じいさんも最近は歯止めがかかるようになった。涙を集めていると、さまざまな苦しみや悲しみを知ることができるからね。・・・何も錬金術師ばかりが苦しかったわけではない。蔑まれていたわけではない。人には人の事情があるのだ。善良な錬金術師たちのいわれのない侮蔑と苦しみを世間に知らしめることこそ、我が父の行いの罪滅ぼしになると考えていたが・・・・贖罪にはならないとじいさんは知ったのだ」
「じいさんがそう思えたのなら、その由緒正しきシルクハットの、最も素晴らしい功績なんじゃないか」
「うむ、それなら光栄である。ところで、涙は何に使うのかね?」
「決まっているじゃないか、錬金術師の追及するところ。永遠の命と、ただの石を金に変える、素晴らしき発明をする材料にするのさ。今、涙を金に溶かし込む技術を色々と考えているところだ」
「人は変わらないものだね。そうして何百年も若さを保ち、生き続けているのに、まだ完璧なる不老不死を思い描く」
「錬金術師の哀しい性さ」
「そうだね。我々一族も、錬金術はできなくなったが、世界に散って今でも追究を生業としている者は多い。歴史学者、科学者、発明家、弁護士・・・じいさんもこうして、錬金術を売り歩く商人を未だにやっている」
「懲りないやつらさ」
「その通り」
「そういえば、あの厭世的なペシミストのところにはもう行ったのかい?」
「いや、これからだね」
「また乙なモノを作ってるよ。今度は『死の舞踏ネックレス』だとか。いい加減十四世紀の影を引きずるのもどうかと思うね」
「人の心の衝撃に限りはあるまい。彼の追究は「死」に向いているのである。品物はちっとも売れんがな」
「あのオルゴール、まだあるのかい」
「じいさんは傑作だと思ってるんだがね」
「まあ、あれはなかなか引き取り手がいないだろ。仲間内でも二度と触れたくないと言われた品だ」
「じいさんは結構好きだけどね。いずれ誰か相応しい人の手に渡るさ。
錬金術の品は、つくる人によって品物は全然違うからね。
華麗で豪奢なれどメメント・モリの思想を実質的に伝えんとする品を作る錬金術師、通称〝メメ〟。
『羅針儀付き連絡蝶』や『哀愁着色ドライフラワー』など叙情に満ちた幻想的な品を作る錬金術師、通称〝詩人〟。
『真実スコープ』『宇宙万華鏡』や『亡大陸のメープル・シュガー』といった実地に則しながらも学びと驚異を忘れぬ品を作る錬金術師、通称〝冒険者〟、君だね。
じいさんが主に取引をしている錬金術師三人の品はそれはもう個性豊かで新鮮、じいさんも見るたび、気持ちが若返るのである。特に君の品は使うのが楽しみな品ばかりだね、冒険者」
「そうかい、それは光栄だ。また大陸が沈んだあたりにサルベージしに行くかな。どうだい、じいさんも行くか」
「生憎、力仕事は苦手でね。流浪の商人が最も性に合う」
「そうかね。じいさんが錬金術は天才といわれていたものだが」
「昔の話だね」
「けっ、勿体ないなぁ。じいさんはまだ、錬金術を売り歩くつもりかい」
「ああ、勿論。世界中を旅していると、さまざまな人に出会ってね。涙を蒐集するのも物語があって大変面白い。なかなか失敬なことを言われるものだがね」
「はっはっは」
「笑いごとかい。ほとんど君の作ったものを装備しているのだが」
「錬金術の装備でばっちりなんだ。今の世の中じゃやや装飾過多気味で、じいさんの格好にびっくりする人の方が多いだろう。しかしじいさん勿体ないな」
「だから錬金術にはもう手を出さんて」
「違う違う。今度はその、髭だって。そんな老人のフリなんてしなくたっていいじゃないか。半不老不死だなんて見ただけじゃ分からないんだから、髭を剃ったらどうだい?その長くて白い髭さえ剃ったら、ただのつるりとした美青年だよ」
「・・・余計なお世話である。じいさんは年相応にしていたいのである」
「年相応ってオーバー三百歳じゃないか。年相応だとミイラだよ」
「一応髭で年齢と釣り合いをとっているつもりなのだ。ほっといてくれんかね」
「ふん、仕方ないね。・・・じいさん、一つ聞きたい。俺たちが作った品は、人の役に立っているのか?」
「じいさんには分からん」
「分からないか」
「分からん。だが、悲しみの中に煌めく夢の残滓を。絶望の中に止まぬ希求の発露を。涙する人々に、決してそれは無駄ではない」
「そうか」
「そうだ」
「そうかぁ」
「そうとも」
「それじゃ、俺もまた真理の追究を続けようかね、じいさんの集めた涙も手に入ったことだし」
「それは楽しみである」
「じいさんは錬金術師の隠れ家めぐりを終えたら、また旅立つんだね」
「勿論。それがじいさんの生業である」
「なるほど」
「さて、そろそろじいさんはお暇しよう」
「ああ。錬金術の品は好きなだけ持って行ってくれ」
「それはありがたい。じいさんはそれらを持って、旅に行く。
悲しみに彩りを、絶望に光を。
錬金術の品に幸あれ」
【血蒐集貯蓄管内臓シルクハット】着用するとそのシルクハットは他人とすれ違うだけで強制的に血を吸い取る。真っ黒なシルクハット内部に張り巡らされた管と試験管に血は溜まる。より多くの人の、大量の血を吸い取るため、試験管には血を圧縮して貯め込む機能がついていた。
【涙蒐集貯蓄管内蔵シルクハット】泣いている誰かに何かを与えると、交換条件として一滴の涙を吸い取って貯め込んでくれる装置。相手が与えられたものに対価を払っていいという気持ちになっているときのみに作動する。




