第2話 「おまえのせいで俺は不倫した」と言われて
夫は私の体型をなじるだけでは満足しなかった。
「おまえのせいで俺は不倫なんかしなきゃいけなくなったんだから、その謝罪として痩せて綺麗になってみせるのは当然だよな? そうだなあ、2カ月で10キロ痩せてみろよ」
「10キロも!? そんなの無理だよ」
「じゃあ、離婚するか」
「そ、それは……」
「2カ月で10キロ。もしできなかったら、罰としておまえに渡す生活費は月2万円にする」
生活費が2万円になるという脅しは、私から正常な判断力を奪うのに十分すぎるほどだった。どうして浮気された側が謝罪するのかという疑問も不満も、一瞬でかき消されてしまう。
生活費が毎月2万円になったら、どうなる?
混乱した頭で必死に考えた。
きっと食費だけで使い切ってしまうだろう。日用品を買う余裕もないはずだ。あとスマホは解約するとして、髪も自分で切るしかない。いや、だめだ、外見で手抜きをしたら、夫から「女を捨ててるハズレ妻」と責められてしまう。「おまえが綺麗にしていないから、俺はよその女に目が行くんだ」という夫の声が聞こえてきそう。美容代を確保しつつ、2万円で生活なんてできるのだろうか。無理にきまっている。だから10キロ痩せなければいけない。でも、ダイエットに失敗してしまったら? それで2万円で生活できなかったら?
私は捨てられてしまうのだろうか。
離婚の二文字が頭をよぎる。
それだけは回避したい。
でも、夫を愛しているわけではない。
本当のことを言うと、もう愛情なんかなかった。ずっと前から。
夫は結婚前はよくしゃべり、よく笑う楽しい人だったのに、結婚したとたんに変わってしまったのだ。いや、本性をあらわしたといったほうが正確かもしれない。夫は私に対して一切の優しさも愛情も示さなくなった。私は家事をする家電製品みたいなものだと思われているんじゃないかという気すらする。人間としても女としても見てもらえず、それでいて綺麗にしていないと責められて、ずっとレスで、ついには浮気まで……。でも情けないことに別れられない。
私はずっと専業主婦で、もう働ける自信がないのだ。
結婚前は働いていた。でも、もともと生理痛が酷く、仕事を毎月必ず休んでしまうことがきっかけでパワハラを受けることになった。それで心身の調子を崩して退職した私には、もうフルタイムで仕事をする自信はなかった。夫からも「おまえなんかに仕事なんて無理」とたびたび言われていた。そう、私なんかには……。
ひとりでは生きていけない。
お金を稼げない。頼れる実家もない。
それなら我慢するしかない。
生活費2万円では、どう考えてもやりくりできない。
だから2カ月で10キロ痩せるしかない。
夫の本心はわかっている。私に渡す生活費を減らし、浮いたお金を彼女との交際費にまわしたいのだ。だから痩せろと言いながらも、私がダイエットに失敗するのをむしろ期待しているはず。私が苦しんだり悲しんだりすることさえ、夫にとってはちょっとした暇つぶし程度のものに過ぎないのだろう。
こいつは自分から離れられない、そう確信した男は、女に対してどこまでも残酷になれるのだ。
こんな男、一生を添い遂げる価値はない。
そうわかっているのに、私はダイエットを頑張るしかない。
こんなの絶対にクリアのできないゲームに強制参加させられているようなものだ。
こんな結婚を続けるしかないなんて……。
浮気した夫を責めることもできない私は、妻としてあまりに弱すぎる。
「大丈夫ですか」
誰かからか声を掛けられて、意識が引き戻された。プールの更衣室で考え込んでしまっていたようだ。
声のしたほうを振り返ると、更衣室の隅でタオルで頭を拭いている中年女性が、私を見ていた。
「もし悩んでいるのなら、女子トイレに行ってみたら?」
「え、トイレですか?」
訳がわからず問い返すと、女性はいかにも心配そうと言いたげな顔で頷いた。
よくわからない。ただ、そんなふうに声を掛けられるほど、私は思い詰めた顔をしているということだけは確かのようだった。




