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「皆、寝台列車スノーホワイト号の門出を祝し、
北部の珍しい紅茶と茶菓子を用意させておる。
到着までのひととき、この地ならではの味を楽しみつつ、優雅なティータイムを過ごすがよい。
退屈はさせぬぞ!」
ノクティア王女の堂々たる宣言に、食堂車に集まった面々から拍手が上がる。
しかし、用意された円卓の一つがぽっかりと空いていることに、ノクティアはすぐに気づき、眉をひそめた。
「……ふむ。エドワードはどうしたのじゃ?
あやつ、童の茶会より仕事が大事だというのか?」
「申し訳ありません、殿下。
エドワード様は一度集中すると時間を忘れる癖がありまして……」
上司のオーウェンが困ったように笑い、
隣に立つアンディに目配せをした。
「アンディ、悪いがエドワードを呼びに行ってくれないか。
主催者が殿下とあっては、あまり待たせるわけにもいかない」
「任せてください、すぐに行ってまいります!」
アンディが立ち上がると、ノクティアがニヤリと笑ってアウレリアを指差した。
「ならば、アウレリアも共に行け。
この娘は先ほどまで童の話相手をしておったゆえ、少し歩いて目を覚まさせねばならん。よいな?」
(……絶対にさっきの『転生者トーク』の続きを、邪魔された腹いせだわ)
アウレリアはやれやれとノクティアの視線を受け流し、
アンディと共に再び客室車両へと引き返すことになった。
廊下に出ると、列車の心地よい振動だけが響いている。
02号室——エドワードの部屋の前まで来た
「エドワードさん、ティータイムですよ! 殿下がお待ちです」
アンディが元気よく02号室の扉をノックする。しかし、返ってくるのは規則正しい列車の走行音だけだった。
「……エドワードさん? 聞こえていますか?」
何度かノックの音を強め、声を張り上げるが、やはり反応はない。
アンディとアウレリアは顔を見合わせた。
生真面目な彼が、王女の招きを無視して眠りこけるなど、到底考えられないことだった。
「アンディ、開けてみましょう」
「ええ……。失礼します、エドワードさん」
アンディが恐る恐るドアノブに手をかけ、力を込める。
魔法による強固な封印や、内側からの施錠を覚悟していたが——。
カチャッ。
呆気ないほど軽い音を立てて、扉のロックは外れた。
「……え? 鍵がかかってない?」
アウレリアの呟きが、静かな廊下に響く。
ガラッと重厚な扉をスライドさせて中へ足を踏み入れると、魔法で拡張された広い寝室の奥、天蓋付きのベッドに誰かが横たわっているのが見えた。
「なんだ、寝ていらしたんですか。
驚かさないでくださいよ、もう……」
安堵したアンディが苦笑いしながらベッドサイドへ歩み寄り、その肩に手をかける。
「エドワードさん、起きてください。ティータイムが——」
アンディの言葉が、喉の奥で引き攣ったような音に変わった。
エドワードの体は、驚くほど簡単に、糸の切れた人形のように仰向けに転がった。
「…………っ!!」
アウレリアは息を呑んだ。
白い枕が、真っ赤な血で染まっている。
エドワードの側頭部からは、シーツを汚しながら今も血が流れ落ちていた。
その瞳は、見開かれたまま。
つい先ほどまで正義を語っていた若き検事は、その熱を失い、物言わぬ骸となって横たわっていた。
「死んでいるわ」
アウレリアの震え声が、豪華な客室の中に虚しく響き渡った。
その重苦しい沈黙を破るように、廊下からルークたちが駆けつけてくる。
開いたままの扉から中の惨状を目にした瞬間、全員が凍りついた。
「……なんという事だ……」
オーウェンが膝をつき、アンディは言葉を失ってエドワードの亡骸を凝視している。
背後では、バルトロメウス公爵が顔を背け、レイチェルが痛ましそうに目を伏せた。
「……プロビー、アンディとオーウェンを外へ。
他の方々も一度離れてください」
ルークの冷静な、しかし冷徹なまでの声が響く。
ノクティアは、震える拳をドレスの裾で隠し、王女としての毅然とした態度を保とうと深く息を吐いた。
「……ティータイムは中止じゃ。
ソフィア、皆を食堂車へ集めよ。童の許しがあるまで、一歩もそこから出ることは許さぬ」
ノクティアの一喝に、動揺していた招待客たちは促されるように部屋を去っていった。
残されたのは、遺体と向き合うルーク、その傍らに立つアウレリア、そしてノクティアの三人だけだった。
「ルーク、アウレリア。よく聞け」
ノクティアは二人を真っ直ぐに見据えた。
その瞳には、親しい者を失った悲しみと、それを上回る激しい憤怒が宿っている。
「この列車は、童の威信にかけて作り上げた『スノーホワイト号』じゃ。
そこで、我が国の未来を担う検事が殺された。
これは、この国の王女への、そして法への明白な宣戦布告と受け取る」
彼女は一歩前に出ると、二人に向かって厳かに告げた。
「ルーク、そしてアウレリア。
そなたたちに、この事件の全権捜査を依頼する。
犯人が誰であろうと、決して逃がしてはならぬ。
……その真相を、童の前に引きずり出して見せよ!」
「……御意。王女殿下のご依頼、謹んでお受けいたします」
ルークが恭しく一礼する。アウレリアも、先ほどまでの絶望を振り払うように力強く頷いた。
ノクティアは去り際、アウレリアにだけ聞こえるような小声で、一瞬だけ「友人」としての顔を覗かせた。
「(……アウレリア、頼んだぞ。こういう時、頼れるのはお主たちだけじゃ……!)」
王女たちが去り、再び静寂が戻った502号室。
ルークは死体の側頭部に残された傷跡と、血に染まった枕をじっと見つめた。
二人の「特別捜査」が、ここから幕を開ける。




