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コンコン
ドアをノックする音が響く
そこに立っていたのは、ソフィアだった、生真面目な顔で恭しく一礼する。
「申し訳ございません。アウレリア様、時間はありますか?」
「ええ、大丈夫よ。どうしたの?」
「実は、王女殿下が、アウレリア様と少しお話をしたいと仰せでして……。もしご迷惑でなければ、王女殿下のお部屋にいらしていただけないでしょうか?」
アウレリアはちらりとルークを見た。
彼は「行ってくればいい」と言わんばかりに、穏やかな微笑みを浮かべている。
ふかふかのベッドでの昼寝も魅力的だが、確かにこのままベッドに入ってもすぐに眠れそうにはない。特にこれといって急ぎですることもないし、王女の暇つぶしに付き合うのも悪くないかもしれない。
「分かったわ。私も特に予定もないから、お邪魔させてもらうわね」
アウレリアはベッドから降りると、ソフィアの案内で王女の部屋へと向かうことにした。
アウレリアは廊下に出ると、ふと視界の端で動くものがあった。
少し先にある客室の扉が音もなく開き、一人の女性が滑り出すようにして廊下へ現れたのだ。
それは、重厚なドレスを纏った気品あるマダムだった。
彼女は手に持った扇で顔を半分ほど隠し、周囲を気にする風でもなく、だがどこか急いだ足取りで部屋へと消えていく。
(……あのお部屋はたしか… )
「アウレリア様、どうかされましたか?」
ソフィアの声に、アウレリアはハッとして足を動かした。
「いいえ、なんでもないわ。行きましょう」
わずかな違和感を心の隅に留めたまま、アウレリアはマダムが立ち去ったのとは逆方向にある、王女の部屋へと歩みを進めた。
王女の部屋の前に着くと、ソフィアが静かに扉を叩いた。
「殿下、アウレリア様をお連れいたしました」
「入いれ。待っておったぞ」
中から響いたのは、鈴を転がすような、期待感あふれる声だった。
扉が開くと、そこには窓際の長椅子に身を預け、手持ち無沙汰にチェスの駒を弄んでいるノクティアの姿があった。
「アウレリアよ、そなたも退屈だったであろう。
童は、あまりにもこの部屋が静かすぎて、時計の音に酔ってしまいそうじゃ」
ノクティアはアウレリアを見ると、パッと顔を輝かせて「こっちじゃ」と座っているソファーの向かいの席に座るよう促す。
「ソフィア、とっておきの紅茶を用意するのじゃ。アウレリア、このあと茶の時間だが、そこで出すより希少なものじゃ。ぜひ飲んでいけ」
「ええ、もちろんです。お誘いいただき光栄です」
アウレリアは微笑んでノクティアの調子に合わせてお辞儀をし、ほほ笑んだ。ほほ笑んだ。
ソフィアが淹れた紅茶は、この世界のものとは思えないほど芳醇な香りがした。
ノクティアはチェスの駒を指先で弄びながら、世間話でもするかのように話しはじめた。
「のう、アウレリア。童は最近、不思議な事があったのじゃ。
……ある身分の高い娘が、婚約破棄を言い渡され、『お前のような悪辣な女は追放だ!』と大勢の前で罵られたそうなのじゃ。
真実の愛とやらに目覚めた婚約者に、これまでの悪事をすべて暴かれるのじゃが……」
アウレリアは、紅茶を飲みながら
「ああ、よくあるやつね」
と、つい前世の記憶を思い出した。
「…定番よね。
婚約破棄からの断罪、そして国外追放。
まるで『悪役令嬢』のテンプレじゃないですか」
言い切った瞬間、部屋の空気が変わった。
「…………」
ソフィアがティーポットを置く音が、カチリと異様に大きく響く。
ノクティアは弄んでいた駒を止め、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、獲物を追い詰めた肉食獣のような光が宿っている。
「ソフィア、今、この者は何と言った?」
「……はい、殿下。
確かにはっきりと、『悪役令嬢』、そして『テンプレ』と申しました」
ノクティアとソフィアが、顔を見合わせてニヤリと笑う。
二人は座っていたソファから立ち上がり、アウレリアの両脇を固めるようにじりじりと距離を詰めてきた。
「ちょ、ちょっと二人とも? 何……」
「逃がさぬぞ、アウレリア。
……いや、『転生者』よ。この世界で『悪役令嬢』などという言葉を知っている者が、童とソフィア以外にいるはずがないのじゃ!」
「観念してください、アウレリア様。
先ほどの『テンプレ』という言葉……それは、
あちらの世界のオタク用語でしょう?」
アウレリアは血の気が引くのを感じた。
「あ……えっと、それは……」




