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偽装誘拐して数日するとバンガローの外に人の気配がした。
ダリルは気がついて、外から見ていた男を殴っていた。私は警察に行こうと話したが
ダリルは豹変して
「はぁ?おいおい、ここまで来て警察なんかに行かれたら困る。優しくするのも終わりだ」
そう話したあと私はバンガローから出され、古い小屋に移された。
小屋には最低限のものだけ置かれた。外から鍵をかけられて、本当に誘拐されてしまった。
ダリルは扉の外から笑いながら話した
「何も知らなかったのは、あんただけだよ!
あんたの旦那がどれほどあんたに惚れてたかな!
ハッ庭師なって屋敷に潜り込むのに、どれほど苦労したか。
旦那はあんたに近しい男は徹底的に排除しようとしていたからな」
クラリッサは驚いた。
「そんなの…うそよ。信じないわ!!」
ドア越しだがダリルが嫌な顔をしているのを感じた。
「そもそもさぁ、あんたは男爵の爵位目当てで結婚したと思ってるけど、旦那は爵位なんか要らないんだぜ。たまたま見かけたあんたに一目惚れした旦那が、方々に手を回させて結婚したっていうのに。
プハハハ!盛大に勘違いされてるから、利用するのは容易いもんだったよ」
「……嘘よ。そんなの、信じない……!」
クラリッサは震える声で叫んだ。
だが、返ってきたのはダリルの乾いた笑いだけだった。
「信じようが信じまいが、もう関係ないんだよ。
あんたはここから出られない。俺の計画のために、黙っていてくれりゃいい」
扉の向こうで、ダリルの足音が遠ざかっていく。
その音が消えた瞬間、クラリッサの膝は力を失い、床に崩れ落ちた。
――どうして、こんなことに。
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
夫の愛を信じられなかった自分。
甘い言葉に酔い、現実から逃げた自分。
そして、何より――
夫の愛を、他人の口から初めて聞かされるという残酷さ。
「ヴィクター……」
名前を呼んだ瞬間、涙が頬を伝った。
夫の不器用な優しさを、ずっと誤解していた。
庭園も、バラも、屋敷の色調も――
全部、彼女のために整えられたものだったのに。
気づけなかった。
いえ、私は気づこうとしなかった。
クラリッサは震える手で胸元を押さえた。
心臓が痛いほどに脈打っている。
――私は、なんて愚かだったの。
小屋の中は薄暗く、窓もない、外の気配はほとんど感じられない。
置かれたのは古いベッドと水の入った瓶だけ。
まるで“本物の誘拐犯”に囚われたような状況だった。
いや、実際にそうなのだ。
自分で望んだ“偽装誘拐”は、いつの間にか本物に変わっていた。
「……ヴィクター……お願い…助けて……」
その声は小さく、誰にも届かない。
けれど、クラリッサは初めて心の底から夫を求めた。
その瞬間、外で何かが軋む音がした。
誰かが近づいてくる。
ダリルではない。
もっと静かで、慎重な足取り。
クラリッサは息を呑んだ。
――誰?
――助けに来てくれたの……?
それとも――
新たな絶望の始まりなのか。
小屋の扉の前で、足音が止まった。
足音はゆっくりと、しかし迷いなく小屋へ近づいてきた。
ダリルではない。
もっと重く、荒っぽい気配。
クラリッサは息を呑み、壁に背を押しつけた。
扉の前で足音が止まる。
「……ここか」
低く、くぐもった声。
聞いたことのない男の声だった。
次の瞬間、扉が乱暴に開かれた。
現れたのは、ダリルよりも大柄で、目つきの鋭い男。 50代くらいでどことなくダリルに似ている
肩には外套、腰には短剣。
明らかに助けに来たのではない。
「お前がクラリッサだな」
クラリッサは震えながら頷くしかなかった。
男は鼻で笑った。
「身代金は受け取った、目的も果たせた。あんたを生かしておく理由はもうない」
――あぁ…殺される。
そう悟った。
クラリッサは後ずさり、壁に背中をぶつけた。
足が震え、声が出ない。
男は短剣を抜き、ゆっくりと近づいてくる。
「安心しな。すぐ終わる」
刃が光った。
クラリッサは目をぎゅっと閉じた。
――ヴィクター、ごめんなさい。
――あなたの愛に気づけなくて、ごめんなさい。
その瞬間。
外で何かが激しく倒れる音がした。
「動くな!」
鋭い声が響く。
クラリッサは目を開けた。




