第2話「母」
日も傾き始めた頃、姉さんから今夜は遅くなると連絡があった。なんでも職員会議ではしにくい話をするためとかなんとか……。
(教師っても社会人。仕事とはいえ大変だな)
俺も仕事話の延長で呑みに誘われたときは面倒だった……なんて過去を懐かしむ。いや、懐かしいなんてことはないか……もう思い出したくないぐらいあの人生は散々だった。
(でも、もう大丈夫……なのかな……)
ベッドから見上げる天井も見慣れたし、子どもみたいな同級生との会話にも馴染んできた。夕方になれば自然と聞こえてくる調理の音も当たり前になったし……あれ?
(そういえば音もにおいもしないな)
毎日このぐらいの時間になればにおいに触発された腹の虫がグーグーと鳴き始めるというのに、今日はその気配すらない。
(〆切かな。昼間も忙しそうだったもんな)
詳しくは知らない母さんの仕事。たぶんライター業なんだとは思う。普段は家庭を優先する母さんでもスケジュールが詰まってくるとこういうことがあったと思い出してくる。
(あの頃は飯が出てくるのが当たり前でずっと待ってた)
だが、いまの俺は酸いも甘いも知ったつもりでいる。だからこそ働いてくれている母さんに感謝を伝えるためにも、何かしてあげたいと自発的に思うことができる。
(……ならば、なにか作るか)
そっとリビングに降りていくと明かりはついているものの母さんの和室は閉まったままだ。キッチンに立った俺はパントリーと冷蔵庫の中身を確認して無難なものを作ろうとする。
(挽き肉……じゃがいもニンジン玉ねぎ……カレールーもあったな)
カレーなら説明通りに作れば大失敗はしないだろう。シンク下から包丁を取り出し、意外にも初めて自分の家の包丁を握ったと思いつつ調理する――
コトコトコトと煮える音がする。
半額惣菜ばかりの人生でも何度か自炊することはあった。だけど俺の人生には「誰かのために作る料理」なんてものは無かった。そう思うとなんとも面はゆい気持ちになってくる。
煮込み時間を計るキッチンタイマーは執筆の邪魔になるだろうと携帯電話の時計とにらめっこしながら煮込んだカレーの火を止める。
「……あら……?」
すっとふすまが空いて母さんがこちらを見る。ぽやっとした顔が寝起きなんだと分かる。
「いいにおい……奏汰くんが作ってくれたの……?」
「うん。味の保証はないけどね」
嬉しそうに狼狽する母に茶化してみせる。簡単なメニューだから失敗はないと思うけど……と釘を刺しつつ、お皿にごはんを盛り付けると冷蔵庫の中にあったカット野菜で作ったサラダと一緒に並べる。
「母さんも食べるだろ。腹が減っては戦ができぬってさ」
「ええ。奏汰くんが作ってくれたお夕飯を食べない母さんはいません」
「ふはっ。それじゃ、用意するから座って待ってて」
普段、母さんの手振りを見ていた俺はふたりぶんの配膳を済ませた。麦茶の入ったグラスがカランと音を立てる。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
猫舌の母さんはスプーンで掬ったカレーライスをふーふーと冷ましてから口に運ぶ。その口許、その表情を俺は凝視していた。
「おいしい」
「よかった」
ほっと胸をなで下ろす。母さんに料理を振る舞うなんて前の人生では叶わなかった。家族といえど自分の料理を喜んで食べてくれる存在がこんなにも嬉しいだなんて、以前の俺にはわからなかった。
「……なんだか。あの日から奏汰くんが急に大人になった気がするわ」
「え、な、なんで?」
「立派になったわね」
「急に褒めないでよ照れるだろ」
まだ完食もしてないのに気恥ずかしくて真っ赤になる。目の前にいる母さんは知らないんだ。俺があなたを想って数十年もの時間を生きてきたのだと。
夢枕でしか思い出せなかった母さんは、俺が脳裏に描いていたよりも若く美しく、そして女性としての魅力がたっぷりつまった憧れの存在だということを。
正直……俺は母さんを女として見られる。その唇に、胸に、ふくよかな臀部に触れたいし、抱きしめたい。舌を差し込んで唇を舐めたい……。
「……くん……奏汰くん? どうしたのボーッとしちゃって」
「あ、ああ……っ……ごめん。見とれてた」
「もう。お世辞を言っても何もでてこないわよ?」
いま、我を失っていた。目の前にいる母さんに家族としての情じゃない、異性としての情で見つめていた。
(心臓がドキドキする……)
目の前の女性を“そういう目”で見てしまうと、急に異性として意識し始めて苦しい。この人は、血が繋がりがなくても母親という存在だというのに――
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