第3話 七緒少年の密やかな契約
「ナナオ、もっとチーズを切ってちょうだい」
「お師さま、このチーズ塩気が強いんですから、あんまり食べると体に悪いですよ」
「どう悪いのか、私の体で試してあげるわ」
「んもうっ」
お師さまは「起きたばかりで食べられない」と言っていたけど、ぼくの頭ほどもある、硬くて重い丸パンを2つも平らげた。
ぼくがスライスしたパンを2枚食べ終わる間に、丸パンを指で易々と引きちぎっては、チーズを乗っけたりベーコンを乗っけたり、魚のスープに浸したりしてペロリだ。
ぼくとお師さまが食べている横で、朝食を用意したフーリーさんは、自分専用のドリンクをちゅーちゅー吸っていた。
食事を終えるとお師さまは作業場に引っ込み、ぼくは朝の日課である掃除を始める。
「洗い物は、私がやっておく」
「ありがとうございます、フーリーさん」
岬の先っぽにあるお師さまの家は、結構な広さを持つ石造りのゴツイ修道院だった。
お師さまは修道女でもないのに、なぜだか“五政教会修道院長”の肩書を持っていて、ここに住んでいる。
修道院は信者たちが俗世を捨てて出家し、集団生活をおくる場のはずだけど、
ここに住んでいるのは、お師さま、フーリーさん、ぼくの3人だけ。
思い切り名ばかりの修道院だった。
そんな修道院の部屋数は軽く30を超えて、これに地下室を加えたらとんでもない数になる。
とてもぼくだけで掃除しきれるものじゃない。
なのでそこは無理せずに、主に使用する1階を重点的に掃除していた。
1階だけでも大変だけど、ぼくには強力な助っ人たちがいるのだ。
「まずは、礼拝所から」
全く使っていないんだけど、ここが汚いと何だか気持ちが悪い。
礼拝所は教会のようなベンチはなくて、がらんとした空間だった。
祭壇には五芒星“☆”と、それにまつわる神々のレリーフが刻み込まれている。
必要最低限の飾りだけで、教会のように華美な装飾はなく簡素なものだった。
そんな聖域を、ぼくは箒で掃いていく。
掃くとは払い清める意も含まれているから、やっていて気持ちが良い。
「お出かけですか、ふんふん、ふ~ん♪」
掃きながらぼくは、周囲で白銀にきらめく気脈(魔力)の流れを見つめた。
こちらの世界に来て少し驚いたのが、お師さまやフーリーさんには、気脈が見えないらしい。
気脈(魔力)とは見るものではなく感じるもの。
魔導の秘術によって呪を唱えたとき、魔力が一点集中して、そこで初めて視認レベルにまで達するのだと言う。
なのでぼくが「いっつも見えます」と言ったら、逆に驚かれた。
その時、お師さまが唸って――
「う~ん……これもナナオが、異界から転生した妖狐だからかしら?
それにナナオはあっちで、神使でもあったのでしょう?
何かそこら辺のせいよね、きっと」
などと首を傾げつつも、お師さまが納得していたのをぼくは覚えている。
ぼく自身も、まあそこら辺なのだろうと思った。
そんなぼくが気脈を見つめて鼻歌まじりに掃いていると、灯りのない暗い礼拝所の中に、どこからともなくローブ姿の霊が現れ始める。
過去において、この修道院で死亡した修道女たちだ。
一人二人と増えていき、ぼくの周りに集まってくる。
ヒノモトで“お稲荷さん”だったぼくにとって、ゴーストなんて朝に見かける雀みたいなもの。
ぼくはゴーストたちに軽く挨拶すると、地や宙に流れる白銀の気脈(魔力)に触れ、それを水飴のように伸ばしてゴーストたちの首筋に繋げていった。
これをやると霊たちが喜ぶ。
気力が漲ってくるようで、繋げたお礼に掃除を手伝ってくれたりする。
気脈の力でハタキを作り、ぼくの背では届かない所をハタいてくれる。
礼拝所が終わるとぼくは修道女たちと共に、中庭をぐるりと取り囲む“回廊”へと向かった。
回廊とは修道女が、日々歩きながら神にまつわる書物を読み、思索にふけっていた廊下のこと。
ここも全く使っていないけど、やっぱり掃いておかないと気持ちが悪い。
回廊を皆で掃いていると、回廊に接する部屋から赤子の霊が滲み出てくる。
修道女たちと同じように白銀の気脈を繋げてやると、声は聞こえないけれど、赤子たちが元気に泣いたり笑ったりし始める。
赤ん坊たちは、良く修道女たちに抱かれたがった。
そして修道女たちも、赤ん坊を抱きたがった。
なぜ女性だけの修道院に、赤子のゴーストが多くいるのか?
ぼくは赤ちゃんを抱く修道女を見るたびに、しみじみと思う。
「そりゃあねえ……修道院にも、色々とあるよねえ。
人の煩悩は古今東西、そうそう絶てるものじゃないって事だよねえ」
赤子を抱く修道女。
一見慈愛に満ちた光景だけど、両者ともヒノモト風に言えば、未だ成仏できていないという事。
赤子の霊がいるという事は、生まれて間もなく人知れず処分されたという事。
それを思うと、ぼくは少し寂しくなる。
「まっ……今さら言ってもしょうがない」
ぼくは気持ちを切り替えるように、尻尾をぶるぶる振ると、回廊から中庭へと出た。
中庭の隅っこには井戸があり、その井戸のフチに少女のゴーストが腰かけている。
朝日は中庭へ斜めに差し込んでいるけれど、隅っこはまだ薄暗い。
その中で少女が白銀に輝いていた。
ぼく少女の周りの気脈を見る。
気脈は少女の体から放射状に伸びていた。
それは少女が、気脈の根源だという事を意味している。
お師さまとフーリーさんには、内緒だけど――
ぼくはこの少女とこっそり、“神と神使”の契約を結んでいるのでした




