第18話 アルスラ・アズマ修道院長
岬の魔女は魚の方角を見て、旧市街の方を見て、また魚の方角を見る。
「う~、これもみんな教会が悪いっ。
初めから僧兵を、渋らずに出しておけば良かったのにっ。
何でこんな事まで、私が心配しなきゃならないの!?
ううん……大丈夫っ。
きっと出しているっ、流石に出しているでしょっ?
旧市街だって、見捨てるとかそこまではしない。
きっと僧兵を出してるっ、ねっ、そうでしょお願いっ!」
しかし事実は、魔女のお願いを嘲笑う。
岬の魔女の祈りとは裏腹に、旧市街はその城壁の門を固く閉ざしたままだった。
城壁門の前には、多くの群衆が集まっている。
皆、鉄の鋲で補強された巨大な門を叩き、口々に叫んでいた。
「開けろっ、何やってんだっ、早く開けろおおっ!」
「ふざけるなテメエらっ、開けやがれええっ!」
「子供がいるのよっ、お願い子供だけでも中に入れてっ!」
城壁の上部通路に立つ守衛たちが、群衆の鬼気迫る叫び声に気おくれした。
「おい、これ本当に開けなくて良いのかよっ!?」
「知らねえよっ、上から開けるなと厳命が下ってんだっ。
俺たちに、どうしろってんだよっ」
「くそっ、早く朝になってくれえっ。
朝になったら何もかも、終わってるからよおっ」
ゾンビ化に40分。
その被害は倍々になって増えていく。
新興街は、ほぼ壊滅状態となるだろう。
しかし朝になれば、ゾンビたちの活動は急激に低下し、置物のようになる。
そうなれば後は、僧兵たちの聖属性魔法「ターンアンデッド」で何とでもなった。
そうなのだ。
城壁の門さえ開けなければ、旧市街は無傷で残る。
これは仕方ないんだと呟いて、何事もなく早く朝になれと祈る守衛たちだった。
だがその祈りは聞き届けられない。
守衛たちの立つ城壁の上部には、等間隔に狭間があり「凸凸状」になっていた。
そこに闇夜から伸びた、黒い鎖がジャラリと絡みつく。
城壁から地上へと鎖が斜めに張られ、暗闇の向こうに消えている。
その上を綱渡りのように、歩く黒衣の女がいた。
女は凸の上に立ち、守衛たちを見下ろす。
「げえっ、岬さまっ!」
「なっ、岬さまっ!?」
岬に住む魔女は、旧市街区の守衛の間でも「岬さま」の名で通っていた。
やっぱり旧市街を信じ切れず、確かめに来てみたら案の定だ。
門が固く閉ざされている。
岬の魔女は、守衛たちをねめつけ怒鳴りつけた。
「はあ、何なのよこれ、ガッカリさせないでよっ。
何をしているのっ、早く門を開けなさいっ!」
「しかし、開けるなと命令がっ」
「あっそう……それじゃフーリーっ!」
「承知」
一緒に鎖を渡ってきたフーリーが、抱っこしていたナナオを下すと、さっと城壁の内側へ飛び降りた。
閉ざされた城壁の大門。
その前に集まっていた守衛らを、フーリーは完全に無視して、すたすたと大門へ近づいた。
高さ8mの巨大な木製の門。
表面には格子状に金属板が太い鋲で留められており、分厚く重くて堅牢そのものだった。
両開きの大門には、男の人の胴よりも太いカンヌキが、横に3本通されている。
フーリーは門前で腰の愛刀を抜き放つと、藁束でも断つように、易々とカンヌキを縦に立ち割った。
フーリーは刀を鞘に戻し、門に一礼すると、何事も無かったかのようにそこから離れていく。
あまりにも速い太刀筋に、守衛たちは何をされたのか分からなかった。
カンヌキも「私切れてませんよ?」って顔で、そこにある。
けれど守衛たちの前で、群衆に押された城壁門が、軋みながらゆっくりと内側へ開いていった。
守衛たちは何をされたのかはっきりと理解し、その場から猛ダッシュで逃げた。
ぼうっと立ってたら、押し寄せる群衆に踏み殺されてしまうから。
開かれた門より、群衆が濁流のように旧市街へなだれ込んだ。
*
旧市街区の中央に建つ、五政の教会。
その執務室で、静かに書き物をする男の手が止まった。
男の灰色の獣耳がピクリと動き、書面から視線を上げる。
すると正面に、黒衣の女が立っていた。
女は苛立たし気に、黒い尻尾を揺らしている。
全身腐肉まみれだが、その美しさは全く損なわれていない。
むしろその凄惨さが、女の妖しさを際立たせて、見る者の心を惑わす。
男はガラスペンを置き、ちらりと揺れるカーテンを見た後、親し気な笑みを浮かべた。
「これはこれは、アルスラ・アズマ修道院長。
元気なお方だ。できれば窓からではなく、ドアから入ってきて欲しいものですな。
今、お茶でも淹れますよ」
「結構よ、私がなぜ来たか分かるでしょ?
どうして僧兵を外へ出さないの、ヒューデルタ司祭。
ゾンビが街を、襲っていると言うのにっ」
アルスラの苛烈な紅い瞳が、ヒューデルタを見据えた。
ヒューデルタはとぼけた顔をしながら、思い出したかのように言う。
「……ああ、その件ですか。ご心配なく。
たった今、ゾンビが街を襲っていると知らせがありましたので、これから僧兵に指示を出す所だったのですよ」
「たった今?」
「そう、たった今です。
どこか行き違いで、私の元に情報が入るのが遅れてしまいました。
全く困ったものですよ。
ああ、言いたいことは分かりますよ。
お怒りはごもっとも。
指示が遅れたのは、否めませんから。
通常、海のスタンピードは、程度はあれ甲殻類のパレードのようなもの。
特異なゾンビだと知っていれば、もっと早く指示を出すところですよ」
嘆かわしいと言った風に、首を振る仕草がわざとらしい。
アルスラにはバレバレだとしても、それがどうしたと思っているのだ。
問い詰めても、何処までものらりくらりと白を切るだろう。
アルスラはこうした下らぬ時間を惜しんだ。
今は一刻を争う。
「なら早くしてっ!」
「もちろん」
ヒューデルタ司祭は大仰に頷いて、テーブルの呼び鈴を鳴らした。
助祭司へ僧兵を出せと指示をだし、アルスラ・アズマが去ったあと、ヒューデルタは背もたれに深く寄りかかる。
「あの目……僧兵を断ったら、私を殺す気だったな……
さてはて岬の魔女は、あんなに情のある女だったか?
昔はもっと冷酷で、街の事など興味なかったはずだが。
ふむ……子育てすると、人情でも生まれるらしい」
ヒューデルタは怖い怖いと呟きながら、眠気覚ましの茶を啜った。




