第14話 七緒少年とフーリーさん、お揃いの剣
ある種の海の魔物にとって、獲物を丸呑みにしたあと、そこからが楽しみと言えた。
ある魔物にとってエサは、完全に溶かして養分とするのではなく、じわじわと溶かして苦痛を抽出するものだった。
その苦痛から生まれる狂気が、魔物の糧となる。
だから極弱い胃酸でじっくりと溶かす。
その際、意識を保ったままでの「ゾンビ化処理」が胃の中で生餌に施された。
こうすることで丸吞みにされた者は、1000年もの時間をかけて溶かされ続けるのだった。
この過程でエサたちは、まず間違いなく発狂する。
*
ぼくたちが向かう途中で、街を揺るがす破裂音が響き渡った。
それは空気にしっかりと衝撃波を作って街へ広がり、ぼくの腹までずどんと揺らす。
「お師さま今のは!?」
尻尾をピンと立たせて聞くと、お師さまが立ち止まり鼻を摘まむ。
「におうわね」
お師さまが言う通り、辺りにうっすら臭いが立ち込めてくる。
フーリーさんがチラリと上を見て、お師さまとぼくの袖を引っ張った。
直ぐ近くの扉を蹴り破り、中へと連れ込む。
何事かと思ったら、夜空からびちゃびちゃと赤黒い雨が降ってきた。
「うわ臭い!? 何ですかこれーっ!?」
ぼくは物珍しさで食い入るように見つつ、家の奥へと後ずさる。
雨が放つ強烈な悪臭に、鼻がぶん殴られたような気がした。
「眼がしみるー!」
それは魚が発酵したような、強烈な刺激臭だった。
臓物と肉をお構いなく混ぜて、日向に放置したような臭い。
以前ぼくがナマコの塩辛(甕仕込み)に失敗して、台所に充満させた臭いに似ていた。
お師さまは思い出したかのように、あの時は最悪だったと、ぼくに文句を言ってくる。
「いい? あれは二度と作らないでっ。チーズに臭いが付くから」
「えー、今それ言うんですか?」
「当たり前でしょ。
この臭いのせいで今夜、街のチーズが全滅だわ。
私、今すごく頭に来ているのっ」
「えー」
巨大な深海魚の落ちた通りから、我先にと一般の獣人が深夜の街を逃げてくる。
大通りはもとより、そこからの横道や曲がりくねった裏路地まで、獣人たちでごった返していた。
絶叫、悲鳴、怒号、むせび泣き。
口から吐き出されるあらゆる苦痛が、街の至る所で響き渡っていた。
先に降ってきた臭い雨で石畳がぬるりとテカリ、多くの人が勢い良く足を滑らせた。
慌てて立とうとしても、後から押し寄せる人たちに踏みつけられて、二度と立てない。
雨で転び、転んだ人たちが障害物となって、逃げる人たちを更に転倒させる。
そのために通りのあちこちで目詰まりを起こし、大渋滞になっていた。
誰かが冷静になれって叫んでいる。
けれどそうさせない何かが後ろから来ていた。
逃げ惑う最後尾の獣人たちは、否が応でもそれに向き合うことになる。
「KISHAAAAACOOOOOHHッ」
「BAARRAAZZZAAAAAAAッ」
なにかが何語なんだか分からない叫び声を上げて、走り、すっ転び、また走り出す。
姿形は様々だけど、共通することは皆ヒフがとろけて、走る度にぼたぼたと剝がれ落ちていることだった。
肉の色は、緑、焦げ茶、紫と様々で気色悪い。
濁った眼はどこを見ているのか分からなくて、それでも街の人たちにしがみ付き、抱き上げて力任せに石畳へ叩きつけていた。
叩きつける際に上げる奇声は、怒りなのか、殺す喜びなのか、ただ狂っているだけなのか。
「HYAARUUUUUUURUUUtッ」
「やめて、お願いやめてええっ」
「いやああっ、痛い、痛い、痛いっ」
「たっ……助けてっ……」
ぼくはその光景を屋根の上から見て、おぞけ振るう。
両隣に立つ、お師さまとフーリーさんの袖を引っ張った。
「あれってひょっとして、ゾンビなんですか!?」
「そうみたいね、臭いの元はあれだわ。よくも街中のチーズをっ」
「では主、ちょっと行ってくる」
ゾンビたちが人びとを血祭りに上げている中へ、ぼくの隣に立つフーリーさんが散歩へ行くみたいに飛び降りていった。
「フーリーさん!」
フーリーさんは腰の剣を抜き放ち、着地で曲げた膝を伸ばすと同時に、正面のゾンビ2体を叩ききった。
闇にひらめく銘刀「フーリーのお手製」が、今宵も冴え冴えとした切れ味を見せている。
お師さまは屋根の上からフーリーさんの立ち回りを見つめ、隣のぼくに尋ねた。
「ナナオ……あなたはまだ7歳だけれど、中身が中身なだけに、その力に問題はないわ。
けれど無理はしないで。
私とフーリーから離れないこと。約束できる?」
「はいお師さまっ」
ぼくは気合の入った返事をする。
ぼくの腰にも、ぼくに合わせてフーリーさんが打ってくれた「フーリーのお手製」が下げられていた。
刀身が緩やかに反る片刃の剣は、ヒノモトの刀にそっくりで、ぼくは滅茶苦茶気に入っている。
「では行きましょ、ナナオの初陣」
「はい!」
ぼくの元気な返事に、お師さまが肩をすくめた。




